高校の入学式当日に退学処分になったことやサッカーで県代表になったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
瀧川鯉斗の出身大学
瀧川鯉斗さんは大学に進学していません。
瀧川鯉斗さんは2002年に17歳で上京し、落語の道へ進んでいることから大学には進学しませんでした。
落語の❝ら❞の字も知らなかった瀧川鯉斗さんが弟子入りした理由がドラマなんですよ。
瀧川鯉斗は落語にドハマり!
瀧川鯉斗さんが上京したのは俳優になるためで、芸能事務所のツテも何もなかったことから新宿の『赤レンガ』というレストランでアルバイトをはじめました。
赤レンガはLIVEや寄席を開催していたのですが、瀧川鯉昇師匠が半年に一度の定期公演したところ、瀧川鯉斗さんは1人で何役もこなす落語に衝撃を感じたんだそう。
すぐに弟子入りを申し入れましたが、瀧川鯉昇師匠は「都内に寄席があるから見てきなさい」と言って瀧川鯉斗さんの本気度を試したんだとか。
瀧川鯉斗さんは半年間、毎日寄席に通ったそうで、落語にドハマリしたんですね。
瀧川鯉斗さんが入門してから、瀧川鯉昇師匠は着物の着方から畳の縁を踏まないことなど細かいこともすべて教えてくれたんですって!
瀧川鯉昇師匠がとても大切にしてくれたのは、瀧川鯉斗さんに大きな可能性を感じたからでしょう。
当時の画像を見ると、身長182cmもある瀧川鯉斗さんは噺家というよりもモデルですね。
(※画像左から:三笑亭笑三師匠、瀧川鯉斗さん)
瀧川鯉斗の出身高校
瀧川鯉斗さんは1999年4月に高校へ入学し、1999年4月に中退しています。
瀧川鯉斗さんの出身高校がどこなのかは明らかにされていませんが、2020年2月12日公開の『日刊ゲンダイDIGITAL』で❝ワルが集まる高校へ進学した❞と語られていることから、下記の高校に通っていた可能性があります。
- 享栄高等学校
- 愛知県立守山高等学校
- 愛知県立日進高等学校
❝母に“高校だけは”と懇願されてワルが集まる高校へ。でも入学初日に喧嘩して退学に……。❞
引用元:【令和初の真打ち昇進 イケメン落語家・瀧川鯉斗の異色経歴(日刊ゲンダイDIGITAL)】
瀧川鯉斗の高校入学初日に退学の真相は?
瀧川鯉斗さんは中学時代からワルで有名だったので、入学前から先輩に目をつけられていました。
入学式当日に呼び出され、先輩50人V.S.瀧川鯉斗さんのケンカになってしまったんです!
さすがの瀧川鯉斗さんでも50人相手ではボコボコにされてしまったのですが、退学処分になったのは喧嘩の後の一服が決定打だったそう…。
自宅には一度も使われることのなかった教科書や体操服が残されたそうで、きっと新品のままなのでしょうね。
高校を退学になってからは昼に工場や建設現場で働き、夜はKawasaki『ゼファー』、HONDA『CBスーパーフォア』、YAMAHA『XJR』などにまたがり暴走族をしていました。
『ケツ持ち』と呼ばれる警察の車の前を走る役を買って出たこともあり、わずか15歳で『天白スペクター』の12代目総長に就任するんですよ。
300人もの大所帯をまとめ、ひとりひとりの適正を生かしてバイクの運転が上手ではない人にはステッカーを売ってもらったり、ケンカが嫌いな人にはバイクをリズミカルに吹かせる役を与えたりしていたんですって!
17歳になるまでの2年間をまとめ上げた瀧川鯉斗さんは、十代にしてすでにマネジメントを習得していたとは驚きです。
更には17歳で「このままの人生ではだめだ」と気付き、1週間で総長の座を渡しているんですよ。
何もあとのことは考えずに総長を引退したそうで、瀧川鯉斗さんは思い立ったらすぐ行動する人なんですね。
瀧川鯉斗の出身中学校
瀧川鯉斗さんは1996年4月に名古屋市立御幸山(みゆきやま)中学校へ入学し、1999年3月に卒業しています。
学校名 | 名古屋市立御幸山中学校 |
---|---|
所在地 | 〒468-0075 愛知県名古屋市天白区御幸山1001 |
最寄り駅 | 塩釜口駅(鶴舞線) |
公式HP | https://www.nagoya-c.ed.jp/school/miyukiyama-j/ |
瀧川鯉斗さんが御幸山中学校出身であることは、後述する小学校の学区から間違いありません。
瀧川鯉斗はサッカー県代表!
中学時代は創部したてのサッカー部で瀧川鯉斗さんは愛知県代表に選ばれました。
ポジションは❝ユニフォームがチームメイトと違って目立つから❞という理由でゴールキーパーをしていたにもかかわらず、名古屋グランパスの伊藤裕二さんにも教えてもらうほど上手だったんですよ!
御幸山中学でただ1人の県選抜メンバーで、名古屋グランパスユースのレギュラーも獲得していました。
182cmもある高身長が守備に有利だったのは間違いありませんが、限界ギリギリまで猛練習を積んだそうで、かなりの努力家だったことがうかがえます。
さぞかし学校や先生には好印象だったと思いきや、13歳から金髪の暴走族をしていたんですって!
昼間はサッカー三昧で夜はバイクに没頭していたようで、授業中しか寝る時間は無いですよ…。
素行が悪いと高校受験にサッカー推薦をしてもらえなかったそうですが、それでも当時は暴走族を辞められなかったんですね。
瀧川鯉斗の出身小学校
瀧川鯉斗さんは1990年4月に札幌市立澄川西小学校の小学校へ入学。
1992年4月に名古屋市立八事東(やごとひがし)小学校へ転校し、1996年3月に卒業しています。
【札幌市立澄川西小学校】
学校名 | 札幌市立澄川西小学校 |
---|---|
所在地 | 〒005-0002 北海道札幌市南区澄川2-5-7 |
最寄り駅 | 自衛隊前駅(地下鉄南北線) |
公式HP | http://www.sumikawanishi-e.sapporo-c.ed.jp/ |
瀧川鯉斗さんが澄川西小学校に入学したことは、2019年8月19日発信のライフスタイルWEBマガジン『HOUYHNHNM』のインタビューで語った下記のことを総合して間違いないでしょう。
❝父親の仕事の都合で、五歳の時に北海道の札幌市澄川に住むことになった
僕の家の隣には自衛隊の基地がありまして、冬になるとそこを解放して開催される雪祭り❞
引用元:【成り上がり。(HOUYHNHNM)】
【札幌市南区澄川】
【名古屋市立八事東小学校】
学校名 | 名古屋市立八事東小学校 |
---|---|
所在地 | 〒468-0063 愛知県名古屋市天白区音聞山1801 |
最寄り駅 | 塩釜口駅(地下鉄鶴舞線) |
公式HP | https://www.nagoya-c.ed.jp/school/yagoto-e-e/ |
瀧川鯉斗さんが八事東小学校出身であることは、生活情報誌『中広』の記事で同校出身と語っていることから間違いありません。
❝子どもの時は八事東小学校に通い、近所の公園でサッカーや野球に夢中になっていました。❞
引用元:【磨き上げた芸で、観客を噺の世界へ 落語家 瀧川鯉斗(中広)】
瀧川鯉斗は小5でピアス!
瀧川鯉斗さんは普通のサラリーマンの家庭の4人兄弟の次男に生まれましたが、1人だけやんちゃになったんだそう。
❝僕の父は大手電子機器メーカーに勤めるまっとうなサラリーマン。兄、姉、僕、弟の4きょうだいですが、グレたのは僕くらい。小5くらいからグレ始めて、みんなが教室でテストを受けているのに僕は抜け出して画鋲で耳にピアスを開けたりしてました❞
引用元:【令和初の真打ち昇進 イケメン落語家・瀧川鯉斗の異色経歴(日刊ゲンダイDIGITAL)】
小学3年生から夏は野球のリトルリーグ、冬はサッカークラブに所属し、運動に勤しんでいたはずの瀧川鯉斗さんがなぜ5年生からやんちゃになったのかは明らかになっていませんが、バイクが好きだということからきっかけはバイクだったのかもしれません。
驚くことに、母親が特攻服をきれいに洗って畳んでくれていたそうで、瀧川鯉斗さんは自由に育ててもらったのでしょう。
ちなみに、生活環境雑誌『中広』のインタビューでは❝東京生まれ❞と語っていた瀧川鯉斗さんですが、『日刊ゲンダイDIGITAL』では❝名古屋市で生まれた❞と語っているんですよ。
❝僕は名古屋で生まれ、父親の転勤で東京や札幌に住んでいたこともありましたが、また名古屋に戻り、青春時代を過ごしました。❞
引用元:【令和初の真打ち昇進 イケメン落語家・瀧川鯉斗の異色経歴(日刊ゲンダイDIGITAL)】
どちらも瀧川鯉斗さん本人の発言だけにミステリアスですね。
瀧川鯉斗の学歴一覧・出身地詳細
幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
札幌市の小学校 | |||
入学年月 | 1990年4月 | ||
卒業年月 | 1992年3月ごろ(転校) | ||
名古屋市立八事東小学校 | |||
入学年月 | 1992年4月ごろ(転入学) | ||
卒業年月 | 1996年3月 | ||
名古屋市立御幸山中学校 | |||
偏差値 | - | 入試難度 | - |
入学年月 | 1996年4月 | ||
卒業年月 | 1999年3月 | ||
【未確定】高等学校 | |||
偏差値 | - | 入試難度 | - |
入学年月 | 1999年4月 | ||
卒業年月 | 1999年4月(中退) | ||
大学【進学せず】 |
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偏差値 | - | 入試難度 | - |
入学年月 | - | ||
卒業年月 | - |
ここまで瀧川鯉斗さんの学歴について見てきましたが、出身地は東京都または名古屋市でした。
名古屋市の生活のほうが長い瀧川鯉斗さんの出身地はきっと名古屋市と言えるでしょう。名古屋は喫茶店が多い町なので、瀧川鯉斗さんは幼い頃からモーニングを食べていたのかも?
瀧川鯉斗さんが暴走族の総長を務めながらも落語家になったとは人生波乱万丈ですね。豊富な経験を肥やしに益々引き込まれる公演をしてくれることでしょう。