野田聖子

史上最年少の郵政大臣を務め、女性総理に一番近いと注目を集めている野田聖子さんですが、どんな学生だったのでしょうか?

そんな彼女の出身校や偏差値などの経歴情報と共に、卒アル画像や政治家を始めたキッカケをご紹介します!

1男2女の長女として育った野田聖子さんはどこの学校を卒業したのでしょうか?家族構成などのプライベートな情報とともに見てきましょう!

野田聖子のプロフィール

野田聖子

本名:野田聖子(のだせいこ)※旧姓:島聖子(しませいこ)※養子縁組
愛称:政界の聖子ちゃん

生年月日(星座):1960年9月3日(おとめ座)
血液型:A型
出身地:福岡県北九州市生まれ、東京都大田区田園調布育ち

所属:自由民主党
職業・ジャンル:政治家
活動期間:1987年~

趣味・特技:読書・映画観賞・パソコン・日本画
SNS:フェイスブックインスタグラム公式ブログ公式サイト
家族:弟・妹・未婚・元旦那(鶴保庸介)※2001年に事実婚・子供なし2007年破局、2011年に結婚(旧姓:木村文信)子供1人(長男)

<主な活動・実績>

  • 1993年7月18日『第40回衆議院議員総選挙』初当選
  • 1998年7月『郵政大臣』就任
  • 2017年8月3日『総務大臣並びにマイナンバー制度担当の内閣府特命担当大臣』就任
    ほか

野田聖子の経歴~政治家を始めたキッカケ~

野田聖子さんが政治家を始めたキッカケは祖父の支援者の依頼を受けたことから。自民党へ入り1987年から本格的に活動を開始しています。

野田家を継ぐ人がいなくなることを避けるため、野田聖子さんは1984年に養女になりました。

野田聖子 祖父 野田卯一

穏やかで優しそうな祖父ですが、野田聖子さんが心から慕っているのが分かりますね。

祖父の野田卯一さんは大蔵省の官僚から政治家、建設大臣も務めていましたが、息子(野田聖子さんの父)が養子に行ってしまったことで跡継ぎがいない状態でした。

野田聖子さんは政治家の養女になっても政治家には興味がなかったことを語っています。

”帝国ホテルで四年間勤めた後、全く政治家になろうという意思がないまま、岐阜の支援者に引きずられる形でここに来て、それが政治家のはじまりはじまり”
引用元:【野田 聖子(衆議院議員) -( 岐阜大学 田中伸研究室)】

子供のころから祖父を見ていたから政治家になりたいと思っていたのかと思いきや、支援者の希望だったとは意外でしたね。

しかも、その話を祖父が聞いたときには、大反対したというから驚きです。

祖父が反対した理由は、自分の孫が”お飾り”になることが嫌だったんだとか。女性議員は人形のように座っていればいいと言われていた時代だからこその反対だったんですね。

反対されても1987年に岐阜県議会議員選挙に自民党公認で史上最年少で当選します。

更に1998年7月には史上最年少で郵政大臣に抜擢されました。

野田聖子 郵政大臣

2005年の郵政民営化法案では反対票を投じて、逆風のなか見事『第44回衆議院選挙』に当選しましたが、結局自民党を離党します。

そのまま無所属で活動するかのように思われていましたが、2006年に安倍晋三首相の意向により復党しました。

その後も衆議院を9選続け、2017年10月22日の第4次安倍改造内閣においては下記の大臣に任命されています。

  • 総務大臣
  • マイナンバー制度担当の内閣府特命担当大臣
  • 女性活躍担当大臣
  • 男女共同参画担当の内閣府特命担当大臣

コツコツと着実に実績を残し、複数の大臣に任命されるとはカッコイイ女性ですよね。

野田聖子の家族構成

野田聖子さんには弟妹がいますが、それぞれどんな人なのでしょうか?両親の情報とともに見ていきましょう!

野田聖子の父親

名前:島稔(しまみのる)
生年月日:1932年6月19日

島稔さんは元建設大臣の野田卯一さんの一人息子で八幡製鉄所のサラリーマンをしていましたが、子供のころ母親の実家である島家に養子入りしました。

野田家も凄いですが、島家も負けず劣らずで、島稔さんの養父(実の祖父)の島徳蔵さんは『北浜の怪傑』と呼ばれた株の相場師で、大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身)の理事長や阪神電鉄社長も務めた人です。

島徳蔵さんは娘2人に恵まれましたが、島家を継いでくれる人がいなかったため、娘の子供に白羽の矢が立ったのですね。

サラリーマン時代の島稔さんを知る人の話があります。

”島君は頭の切れる天才肌で何をやらせても異彩を放っていた。”
引用元:【私の履歴書/ニコン相談役・吉田庄一郎(日経新聞2007年6月)】

野田聖子さんの頭の良さは、父親譲りの可能性がありますね。

また、野田聖子さんが20歳になるまでに両親は離婚して、野田聖子さんは母親に引き取られました。

野田聖子の母親

野田聖子 母親 島弘子

名前:島弘子(しまひろこ)
生年月日:1933年11月24日

上品でいつもニコニコしている方のように思います。

島弘子さんは小柄でも強い女性でした。そのことがうかがえる記事を野田聖子さんがブログに載せています。

”小学生の頃我が家に強盗が入りました。
父は出張で不在。
母と小さな妹、弟の四人だけ。
強盗は子供部屋へ押し入ろうとしました。
母はわずか150センチの小柄な体で体当たりしました。
殴られ、手足を縛られました。
寝室にあった金目のものを盗んで逃走。
幸い、私達は無事。
だけど、ボロボロになった母親を見て、3人で泣きました。”
引用元:【スタート!(ヒメコミュ野田聖子公式ブログ)】

殴られたことは大変だったことと思いますが、みんなが命あって良かったですね。手足を縛られた時は生きた心地がしなかったでしょう。聞くだけでも恐怖におののいてしまいます。

そんな島弘子さんが好きな言葉は、『義を見てせざるは勇なきなり(人としてするべきことをしないのは、勇気がないからである)』であるんだとか。

戦後を生き抜いてきた人の強い志ですね。

ちなみに、野田聖子さんは父親が28歳、母親が27歳の時の子供でした。

野田聖子の弟妹

弟名前:島猛(しまたけし)
生年月日:1962年ころ

JC(日本青年会議所)に所属していたという情報があります。

妹名前:島桜子(しまさくらこ)
生年月日:1962年ころ

早稲田大学(偏差値:60.0~67.5 難易度:高)を卒業しているという情報があります。

野田聖子さんの弟と妹はそれぞれ結婚していますが、それ以上の情報があきらかになっておりませんので、新しい情報が入ってきましたら、ここに追記していきます。

野田聖子の出身校と偏差値

野田聖子さんはどんな学生だったのでしょうか?通っていた小学校や中学校、高校や大学はどこなのか、偏差値の情報もあわせてご紹介します!

野田聖子の大学と偏差値

野田聖子 上智大学 外国語学部野田聖子さんは上智大学・外国語学部・比較文化学科(偏差値:67.0~72.0 難易度:高)1978年9月に入学し、1982年6月に卒業しています。

【大学の住所】
〒102-0081
東京都千代田区四番町4

上智大学の外国語学部はアメリカ形式を採用しているため始業は9月です。

また、学費は単位ごとに履修した数だけお金を払うシステムになっていて、年間でいくらといったシステムではありません。

競技スキーサークル『アルカディア』に入部しましたが、基礎スキーのSAJ1級はすでに取得済みだったとも言われている野田聖子さんにとって魅力のある部活だったのでしょう。

ちなみに競技スキーはタイムを競うスキーで、基礎スキーはタイムは測らずに滑る姿の美しさを競うスキーです。

そのサークルで仲間がたくさんできて、楽しい学生生活を送っていました。

意外に田園調布に住むお嬢様でもアルバイトをしていて、英語の家庭教師を子供や主婦相手にしていたんですよ。

また、20歳のときにお付き合いしていた彼氏と結婚の話が出てきて、彼氏が母親がテレビを見ている前に立ちはだかって「聖子さんと結婚させてください」と言ったのですが、見たいテレビを遮られたのに腹を立てて「あなた達の話なんか聞いてらんないわよ」と応えたんだそう。

結婚の話は白紙になってしまうのですが、その時に結婚していたら『政治家野田聖子』は存在しなかったことになっていたかもしれないですね。

野田聖子の高校と偏差値

野田聖子 田園調布雙葉高等学校野田聖子さんは田園調布雙葉高等学校(偏差値:65.0 難易度:高)1976年4月に入学し、1977年中退後、ジョーンズビル・ハイスクール1978年6月に卒業しています。

【田園調布雙葉高等学校の住所】
〒158-8511
東京都世田谷区玉川田園調布1丁目20-9

【Jonesville High Schoolの住所】
460 Adrian Rd
Jonesville, MI 49250

英国のロックバンド『QUEEN』に影響を受けて野田聖子さんも1976年にバンドを結成し、学園祭で演奏しました。

カトリック系の女子校でロックバンドとは異色を放っていたのではないでしょうか。

1977年、財団法人YFU(Youth For Understanding)日本国際交流財団・派遣学生奨学金制度の試験に合格したため、アメリカ・ミシガン州ジョーンズビルハイスクールに留学します。

野田聖子さんはアメリカの大学に進学するつもりで田園調布雙葉高等学校は中退することにしたのですが、事情が変わって日本に帰国しなければならない状況となり、上智大学外国語学部に進学することしました。

上智大学外国語学部は9月入学なので、9月3日生まれの野田聖子さんは18歳になる直前の17歳で大学進学したんですよ。

野田聖子の中学校と偏差値

野田聖子 田園調布雙葉中学校野田聖子さんは田園調布雙葉中学校(偏差値:─ 難易度:─)1973年4月に入学し、1976年3月に卒業しています。

【中学校の住所】
〒158-8511
東京都世田谷区玉川田園調布1丁目20-9

野田聖子さんはサッカーに夢中だったのですが、学校にはサッカー部がなかったため、自らサッカー部を作ってしまいました。

ポジションはFWでしたが、当時は女子サッカー部が他校にはなかったため、対抗試合は実現できなかったんですよ。

中学3年生のときには立候補して生徒会長を務めていたんですって!本人は気づいていないでしょうが、政治家への片鱗が見えますね。

野田聖子の小学校と偏差値

野田聖子 田園調布雙葉小学校野田聖子さんは田園調布雙葉小学校(偏差値:─ 難易度:─)1967年4月に入学し、1973年3月に卒業しています。

【小学校の住所】
〒158-8511
東京都世田谷区玉川田園調布1丁目20-9

田園調布雙葉小学校は一貫して高等学校まで進学するシステムで、中学や高校で途中入学してくるケースは稀です。

1学年3クラスと少ない生徒数のなかで、おてんばだった野田聖子さんにとって目立ちすぎて居心地の悪い思いもしたんだそう。

もっと色んなことにチャレンジしたい好奇心旺盛な子供だったので、枠の中に閉じ込められた印象があったのでしょうね。

野田聖子の幼稚園

野田聖子さんは大田区田園調布にある小さき花の幼稚園を1967年3月に卒園しているという情報がありますが確証が取れているわけではなく、それ以上詳しいことがあきらかになっておりませんので、新しい情報が入りましたら、ここに追記していきます。

野田聖子さんは祖父の養女になっても政治家に興味がなかったとは意外でしたが、30年に渡って政治家を務めてこれたのは祖父から受け継いだ”素質”があったからでしょう。

『最年少郵政大臣』の偉業を成し遂げた野田聖子さんですから、日本人初の女性総理を実現させてもらいたいと思います。