辻元清美

辻元清美さんの出身高校や大学などの学歴と本当の出身地を徹底解説!スタイル抜群の画像や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

小学校を転校しすぎだったことやNGOを設立していたことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

辻元清美の学歴・経歴一覧

まずは辻元清美さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがな つじもときよみ 辻元清美
氏名

本名
辻元清美/※本名同じ
生年月日 196028日生 55
出身 奈良県吉野郡大淀町
身長 (推定)164cm  血液型 B
最終学歴 大卒 早稲田大学・教育学部
年齢 学歴・経歴
1960 奈良県吉野郡大淀町生まれ
父親は洋服店から立ち食いうどん屋&母親は美容師
1967 堺市立東三国丘小学校入学
大淀町立桜ヶ丘小学校転校
1969 高槻市立如是小学校転校
1970 大阪市立愛日小学校転校
1973 12 大阪市立愛日小学校卒業
奈良教育大学附属中学校入学
1976 15 奈良教育大学附属中学校卒業
名古屋教育大学付属高等学校・普通科入学
1979 18 名古屋教育大学付属高等学校・普通科卒業
    デパート勤務
1981 20 早稲田大学・教育学部入学
1983 23 NGO(非政府組織)『ピースボート』設立
1987 26 早稲田大学・教育学部卒業
1992 32 国連地球サミットNGO代表就任
1993 33 エイボン女性大賞教育賞
1996 36 第41回衆議院議員総選挙当選
2002 42 秘書給与流用事件で逮捕
    衆議院議員辞職
2005 45 第44回衆議院議員総選挙復活当選
2018 58 立憲民主党大阪府連代表就任

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

奈良県吉野郡大淀町出身の辻元清美さん。父親は大阪で洋服店を経営していましたが失敗し、職を転々として名古屋で立ち食いうどん屋をしています。

後述しますが辻元清美さんは小学校をいくつも転校しているんですよ。

母親は家計を助けるために美容師の免許を取ったんだそう。

辻元清美さんは弟がいますが一般人のため詳しい情報はでてきていません。

貧乏な家庭に生まれ、4人家族として育った辻元清美さん。

辻元清美さんが韓国籍であるという噂がありますが、住んでいた大阪の地域に在日韓国人が多く住んでいたことから勘違いされたんですね。

そんな辻元清美さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

辻元清美の出身大学

辻元清美さんは1981年4月に早稲田大学・教育学部へ入学し、1987年3月に卒業しています。

学校名 早稲田大学
学部・学科 教育学部
偏差値/難度 62.5~67.5/難関
所在地 〒169-8050
東京都新宿区西早稲田1-6-1
最寄駅 早稲田駅(東京メトロ東西線)
学費 初年度:117万円

辻元清美さんが早稲田大学教育学部出身であることは、『JIJI.COM』の国会議員情報で同校卒業と掲載されていることから間違いありません。

辻元清美 プロフィール

早稲田大学に入学するためにデパートで販売員として2年務め、学費を貯めていたんですよ。

2年間も受験勉強をおろそかにしていたら難関校の早稲田大学に合格することは不可能でしょうから、働きながら勉強も継続していたに違いありません。

生来の頭の良さと努力も怠らない人なんですね。

早稲田大学に入学してからも偉業を成し遂げているんですよ。

辻元清美の大学生時代はNGO設立!

大学2年生にあたる1993年に辻元清美さんは日本の交流の活性化を目的としたNGO(非政府組織)『ピースボート』を設立しています。

ピースボートは地雷廃絶運動や文房具・衣料品をはじめとした支援物資の支給、サッカーを通じて各地で交流を行うプロジェクトなどをしていて、教育学部でありながら国際交流に積極的だったとは視野の広い人ですね。

当時の画像をみると、前髪が短くてツインテールを彷彿させる可愛らしい髪型をしています。

辻元清美 大学時代

学業以外のことに力を入れていたためか、6年かかって卒業しているんですよ。

5年生のときの画像があるんですが、スタイル抜群なんです!

辻元清美 大学時代

細い手足にもかかわらずグラマラスで羨ましい限りです。

他にもいつの頃かは不明なのですが、若かりし頃の画像があります。

辻元清美

狭い空間にろうそくを持って笑っている様子が少し不気味です…。

辻元清美

当時はまだ日本では知られていないハロウィンの仮装のような格好も見ると、辻元清美さんは女芸人並みの度胸があったのでしょう。

辻元清美の出身高校

辻元清美さんは1976年4月に名古屋大学教育学部附属高等学校・普通科へ入学し、1979年3月に卒業しています。

学校名 名古屋大学教育学部附属高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 61
入試難度
所在地 〒464-0814
愛知県名古屋市千種区不老町
最寄り駅 名古屋大学駅(地下鉄名城線)
公式HP https://highschl.educa.nagoya-u.ac.jp/

辻元清美さんが名古屋大学教育学部付属高校出身であることは、『みんなの高校情報』に出身者として掲載されていることから間違いありません。

辻元清美 みんなの高校情報

国立高校である名古屋大学教育学部附属高等学校は、名古屋大学と連携したプログラムを有志に限りますが受けることができます。

自由と自主性を尊重してくれる学校だと評判なので、活動的な辻元清美さんには良い環境だったのでしょうね。




辻元清美の出身中学校

辻元清美さんは1973年4月に奈良教育大学附属中学校へ入学し、1976年3月に卒業しています。

学校名 奈良教育大学附属中学校
偏差値 48
入試難度
所在地 〒630-8113
奈良県奈良市法蓮町2058−2
最寄り駅 平城山駅(JR大和路線)
公式HP http://jhs.nara-edu.ac.jp/index.html

辻元清美さんが奈良教育大学附属中学校出身であることは、同校の5chで辻元清美さんの後輩と投稿されていることから間違いないでしょう。

辻元清美 5ch

中学受験は本人の意志よりも両親の教育方針が強く影響していると考えられ、当時の女性は学歴よりも嫁入り修行を優先していたにもかかわらず、進歩的な家庭で育ったことがうかがえます。

家庭環境だけでなく、辻元清美さんが頭が良かったことも大きかったに違いありません。

辻元清美の出身小学校

辻元清美さんは1967年4月に堺市立東三国丘小学校へ入学。

1967年9月大淀町立桜ヶ丘小学校に転校。

1969年4月に高槻市立如是(にょぜ)小学校に転校。

1970年4月に大阪市立愛日小学校(現:大阪市立開平小学校)に転校し、1973年3月に卒業しています。

【堺市立東三国丘小学校】

学校名 堺市立東三国丘小学校
所在地 〒591-8046
大阪府堺市北区東三国ヶ丘町2−2−1
最寄り駅 堺市駅(JR阪和線)
公式HP http://www.sakai.ed.jp/higashimikunigaoka-e/

【大淀町立桜ヶ丘小学校】

学校名 大淀町立桜ヶ丘小学校
所在地 〒638-0821
奈良県吉野郡大淀町大字下渕959
最寄り駅 下市口駅(近鉄吉野線)
公式HP http://www.town.oyodo.lg.jp/contents_detail.php?frmId=309

【高槻市立如是小学校】

学校名 高槻市立如是(にょぜ)小学校
所在地 〒569-0827
大阪府高槻市如是町2−3
最寄り駅 富田駅(阪急京都線)
公式HP https://www.takatsuki-osk.ed.jp/nyozesyo/

【大阪市立愛日小学校】

学校名 大阪市立愛日小学校(現:開平小学校)
所在地 〒541-0042
大阪府大阪市中央区今橋1−5−7
最寄り駅 淀屋橋駅(大阪メトロ御堂線)
公式HP

辻元清美さんが上記の小学校に通っていたことは、株式会社虹輝が運営する政治情報サイト『SUNチャンネル』に掲載されていることから間違いありません。

辻元清美 プロフィール

なんと小学校を4校も通っていたんですね!転校の度に友達と離れ離れになったのは寂しい思いをしたでしょう。

何度も転校したのは父親の仕事の関係だったという情報がありますが、半年もしないうちに引っ越しをしなければならないとは、ダンボールが片付く間もなかったのかもしれません。

当時の画像を見ると、への字にも感じられる口元に友達との人間関係に悩んでいたのではないかと感じますね。

辻元清美 小学生時代

入学した小学校は堺市立東三国丘小学校ですが、辻元清美公式ブログによると奈良県出身なんですよ。

❝さて、私は奈良県吉野郡大淀町下渕という、奈良の吉野の桜の名所の近くで生まれたんです。❞
引用元:【副大臣就任あいさつ<詳細>(辻元清美オフィシャルブログ)】

公式ブログによると母方の祖父母が住んでいた場所でもあり、祖父は吉野杉を運ぶトラックの運転手だったんだとか。

政治家は代々続く地元の名士のイメージがありますが、辻元清美さんは自力で道を切り開いてきた人だったんですね!

辻元清美の学歴一覧・出身地詳細

辻元清美

ここまで辻元清美さんの学歴について見てきましたが、出身地は奈良県吉野郡大淀町下渕でした。

吉野郡は桜の名所なので、辻元清美さんはお花見を楽しんでいたでしょう。

辻元清美さんは大学に進学するために2年間働きながら学費を貯めたという強い意志を持った人でした。

自らの力で切り開いてきた辻元清美さんのパワーでこれからの日本をより良くしてもらいたいと希望します。