そんな彼の出身校や偏差値などの経歴情報と共に、昔の画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
村田諒太の学歴・経歴一覧
まずは村田諒太さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | むらたりょうた | |||
氏名 / 本名 |
村田諒太/※本名同じ | |||
生年月日 | 1986年1月12日生 38歳 |
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出身 | 奈良県奈良市 | |||
身長 | 183cm 血液型 AB型 | |||
最終学歴 | 大卒 東洋大学・経営学部・経営学科 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1986 | 0歳 | 奈良県奈良市生まれ |
両親ともに公務員 | ||
1992 | 6歳 | 小学校入学 |
1997 | 12歳 | 両親が離婚 |
1998 | 12歳 | 小学校卒業 |
奈良市立伏見中学校入学 | ||
奈良市大会4位(1500メートル) | ||
進光ボクシングジム所属 | ||
2001 | 15歳 | 奈良市立伏見中学校卒業 |
南京都高等学校(現:京都廣学館高等学校)・普通科入学 | ||
2002 | 16歳 | 選抜・総体・国体の高校3冠を達成 |
2003 | 17歳 | 高校5冠達成 |
2004 | 18歳 | 南京都高等学校(現:京都廣学館高等学校)・普通科卒業 |
東洋大学・経営学部・経営学科入学 | ||
全日本選手権初優勝 | ||
2007 | 21歳 | 現役引退 |
2008 | 22歳 | 東洋大学・経営学部・経営学科卒業 |
学校法人東洋大学職員&ボクシング部コーチ | ||
2009 | 23歳 | 現役復帰 |
2010 | 24歳 | 一般人女性と結婚(子供2人) |
2011 | 25歳 | 全日本選手権3連覇 |
2012 | 26歳 | ロンドンオリンピック金メダル |
2013 | 27歳 | プロボクサー転向 |
2017 | 31歳 | WBA世界ミドル級王座獲得 |
2021 | 35歳 | ミドル級スーパー王座に昇格 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
奈良県奈良市出身の村田諒太さん。村田諒太さんには兄が2人いますが、それぞれどんな人なのでしょうか?両親の情報とともに見ていきましょう!
父親の村田誠二(むらたせいじ)さんは公務員で重度の知的障害の施設に勤めていたましたが、定年退職しています。
母親とは村田誠二さんが小学校6年生のときに離婚したのですが、その後も同居するという異例の生活形態を取っていたんですよ。
ゆえに家庭内の雰囲気は良いとは言えず、村田諒太さんは崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかったんだそうですが、子供としてはどうすることもできないので辛かったことでしょう。
母親は学校の先生をしていた投稿があります。
村田諒太選手の母親自分の先生だったんよね←
— うまこ (うましか) (@G4Ipy) 2017年10月22日
離婚してしばらくは同居していた母親も、一緒に住まなくなってからは音信不通なんだとか。
村田諒太さんの結婚式にも参加しませんでした。母親は世界でたった一人しかいないので、縁が復活するといいですね。
村田諒太さんの4歳年上の村田誠徳(むらたまさのり)さんと2歳年上の村田浩平(むらたこうへい)さんは一般人のため詳しい情報はでてきていません。
波乱な家庭に生まれ、5人家族として育った村田諒太さん。
そんな村田諒太さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
村田諒太の出身大学
村田諒太さんは2004年4月に東洋大学・経営学部・経営学科へ入学し、2008年3月に卒業しています。
学校名 | 東洋大学 |
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学部・学科 | 経営学部・経営学科 |
偏差値/難度 | 45.0~57.5/中 |
所在地 | 〒112-8606 東京都文京区白山5-28-20 |
最寄駅 | 白山駅(地下鉄三田線) |
学費 | 初年度:119万円 |
2007年の全日本選手権のときの画像ですが、笑っているのに怖さを感じてしまいますね。
大学は当然のことながらボクシング部に所属し、2004年『全日本選手権ミドル級』初優勝しています。
一年生にして優勝するとは素晴らしいですね。
翌2005年には『キングスカップ』に出場し銀メダルを獲得、同年『アジア選手権』で銅メダルを獲得するなど次々と成績を残しますが、その後は敗退が続き、2007年3月に北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことから現役を引退します。
全日本で優勝しても、世界に出ていくと日本人がミドル級で勝利するには至難の業だと言うジンクス通りになってしまいました。
そのままでは終わらない村田諒太さんの大学卒業後は、先ほどご紹介した通り現役復帰して快進撃が始まります!
村田諒太の出身高校
村田諒太さんは2001年4月に南京都高等学校(現:京都廣学館高等学校)・普通科へ入学し、2004年3月に卒業しています。
学校名 | 南京都高等学校(現:京都廣学館高等学校) |
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学部・学科 | 普通科 |
偏差値/難度 | 38~44/難関・高・中・低・容易 |
所在地 | 〒619-0245 京都府相楽郡精華町下狛中垣内48番地 |
最寄駅 | 下狛駅(JR東西線) |
学費 | 初年度:000万円 |
※当時は男子校で現在は共学
鍛えられた体に甘いマスクでカッコイイですね!
村田諒太さんはスカウトされて南京都高校に入学しましたが、入学した頃は手のつけられない生徒だったんだとか。
そんな村田諒太さんを制御できる人は『武元前川』先生だけだったと言います。
頑固そうな先生のイメージを受けますね。
村田諒太さんは武元前川先生を恩師と仰いでいますが、頭ごなしに叱るのではなく、さとすように指導するそう。
”ボクシングで試合に勝つってことは、相手を踏みにじって、その上に自分が立つということだ。だから勝つ人間は、その責任が伴うんだ”
引用元:【村田諒太らチャンプが輩出。京都廣学館ボクシング部が育む「拳の哲学」(Web Sportiva Love Sports)】
村田諒太さんは常にそのことを思って戦っていたんですね。
高校2年生で全国高等学校 選抜大会・全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会・国民体育大会ボクシング競技の高校3冠を達成します。
高校3年生でも全国高等学校 選抜大会と国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会を制して高校5冠を達成しました。
大会の成績では素晴らしいものがありますが、学校生活でもカッコイイエピソードがあるんですよ。
高校2年の時の新入部員の勧誘スパーリングで、後輩が巨漢の空手経験者にボコボコにされたことがあるんです。
そこで、村田諒太さんは相手をリングにあげてお返しをしてあげました。「ボクシング部がなめられた」ことが我慢できなかったんだとか。
リングの上でしか相手を殴らない精神がカッコイイですよね。
村田諒太の出身中学校
村田諒太さんは1998年4月に奈良市立伏見中学校へ入学し、2001年3月に卒業しています。
学校名 | 奈良市立伏見中学校 |
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所在地 | 〒631-0833 奈良県奈良市西大寺野神町1丁目6-1 |
最寄駅 | 大和西大寺駅(近鉄京都線) |
中学生とは思えない体の大きさと威圧感ですね。
中学時代は不登校気味で、陸上部に入るも1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残したのですが、練習が嫌いで退部してしまいます。
その後、茶髪に染めた事件で、担任の先生との話の流れでボクシングをはじめることになりましたね。
授業にほとんど出ていなかったこともあって、勉強についていけずに中学3年生時の通信簿は『1』と『2』だけだったそう。
しかし、高校に進学できたのはボクシングのスポーツ推薦があったからでしょう。
村田諒太の出身小学校
村田諒太さんは小学校に1992年4月に入学し、1998年3月に卒業しています。
村田諒太さんの小学校は明らかにされていませんが、奈良市立伏見中学校の通学区から下記の3校のうちのどれかに通っていたと考えられます。
- 奈良市立伏見小学校
- 奈良市立あやめ池小学校
- 奈良市立西大寺北小学校
小学生時代は水泳をしていましたが、大会記録などは明らかにされていませんので、出場するほどではない可能性もありますね。
小学校のときには4歳と2歳違う兄2人を身長で抜いていたというので、かなり大きい小学生だったようです。
村田諒太さんは”日本人には無理だ”と言われてきた『ミドル級』でのオリンピック金メダルと、プロ転向後の初防衛を見事に実現させました。
何度ボクシングを引退しても復帰し、成果を残していることは奇跡に近く素晴らしいと思います。
これからも日本人初の伝説を残していってほしいと思います。