村田諒太

ロンドン五輪における金メダル獲得に、プロ転向後ミドル級での日本人初防衛という偉業を成し遂げた村田諒太さんですが、どんな学生だったのでしょうか?

そんな彼の出身校や偏差値などの経歴情報と共に、昔の画像やボクシングを始めたキッカケをご紹介します!

3人兄弟の三男として育った村田諒太さんはどこの学校を卒業したのでしょうか?家族構成などのプライベートな情報とともに見てきましょう!

村田諒太のプロフィール

村田諒太

本名:村田諒太(むらたりょうた)
愛称:ラオウ

生年月日(星座):1986年1月12日(やぎ座)
血液型:AB型
出身地:奈良県奈良市

所属:帝拳プロモーション・トップランク社
職業・ジャンル:ボクシング
活動期間:2010年~

趣味・特技:スポーツ観戦・お笑い観賞
SNS:フェイスブックインスタグラム公式サイト
家族:長兄・次兄・既婚・嫁(一般人・村田佳子)※2010年5月に結婚、子供2人(長男・長女)

<主な活動・実績>

  • 2011年9月から10月『世界ボクシング選手権大会』銀メダル
  • 2012年8月11日『ロンドンオリンピック』金メダル
  • 2018年4月15日『WBA世界ミドル級王座』を初防衛
    ほか

村田諒太の経歴~ボクシングを始めたキッカケ~

村田諒太さんがボクシングを始めたキッカケは中学の先生に「お前、なにかやりたいことはないんか?」と言われ、「ボクシングならやったるわ」と言ったことから。『進光ボクシングジム』へ入り2011年から本格的に活動を開始しています。

中学1年生の春休み前に茶髪で登校したときの担任の先生の売り言葉に買い言葉的な発言がきっかけとなりました。

すぐに担任はその週末に奈良県立奈良工業高等学校(現:奈良県立奈良朱雀高等学校)のボクシング部に村田諒太さんを連れて行ったんですよ。

しかし、2週間で挫折してしまうのですが、理由は”馬かと思うくらい走らされたのが嫌だった”のだそう。

そのままフェードアウトするのかと思いきや、中学2年の夏に再び奈良県立奈良工業高等学校の門をたたきます。

これで順調に行くのかと思ったら、今度は2ヶ月で右足首の怪我がきっかけで逃げ出してしまいました。

まだ話はここで終わらず、中学3年生になる直前にボクシングがやりたくなったのです。

さすがに奈良県立奈良工業高等学校には行けなくなって、大阪市天王寺区の『進光ジム』に入会しました。

村田諒太 進光ジム

【進光ジムの住所】
〒112-8606
大阪府大阪市天王寺区大道4-10-15-3F

高校、大学のころの経歴は後ほどご紹介するとして、村田諒太さんは2008年3月に一度現役を引退しています。

しばらくは母校の職員兼ボクシングのコーチをしていましたが、2009年2月にボクシングの元部員が覚せい剤取締法違反容疑の不祥事を起こし、「このまま母校に汚名を着せたままではいけない」と一年半ぶりに現役復帰をするのです。

それからは快進撃で、全日本選手権で2009年、2010年、2011年と3連覇を果たすんですよ。

ブランクを全く感じさせないのが凄いですよね。

そして、2012年8月11日『ロンドンオリンピック』で金メダルを獲得したときには日本中が湧きました!

村田諒太 ロンドンオリンピック

2013年からはプロに転向し、ミドル級は日本人が苦手とする階級でしたが、2018年4月15日横浜アリーナで行われたタイトルマッチで挑戦者のエマヌエーレ・ブランダムラを8回TKOで下し、日本人で初の防衛に成功したことは記憶に新しいですよね。

村田諒太さんがボクシングを何度も辞めるのにまた復帰してくる姿に感銘を受けますが、あきらめないことが大事だと教えられます。

村田諒太の家族構成

村田諒太さんには兄が2人いますが、それぞれどんな人なのでしょうか?両親の情報とともに見ていきましょう!

村田諒太の父親

名前:村田誠二(むらたせいじ)
生年月日:不明

村田誠二さんは公務員で重度の知的障害の施設に勤めていたましたが、定年退職しています。

母親とは村田誠二さんが小学校6年生のときに離婚したのですが、その後も同居するという異例の生活形態を取っていたんですよ。

ゆえに家庭内の雰囲気は良いとは言えず、村田諒太さんは崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかったんだそうですが、子供としてはどうすることもできないので辛かったことでしょう。

父親の村田誠二さんは物静かで読書好きな方で、毎朝レーズンパンを焼いてくれる子ぼんのうの父親なんだとか。

その日の仕事が終わっても飲みに行ったりはせずに、まっすぐに帰宅していました。家に子供しかいない状態は気になって仕方なかったと考えられます。

スポーツはしていなかったものの、ガッシリとした体つきだったそうなので、村田諒太さんは父親似なのかもしれません。

父子関係はとても良好で、中学3年生のときにボクシングジムを探すときも一緒に探してくれたんですよ。

反抗期の時期に父親を頼るとは、本当に信頼していますよね。

村田諒太の母親

名前:不明
生年月日:不明

村田諒太さんの母親は学校の先生をしていたようです。

そのことを呟いている投稿があります。

離婚してしばらくは同居していた母親も、一緒に住まなくなってからは音信不通なんだとか。

村田諒太さんの結婚式にも参加しませんでした。

母親は世界でたった一人しかいないので、縁が復活するといいですね。

村田諒太の兄弟

長兄の名前:村田誠徳(むらたまさのり)
生年月日:1982年(月日不明)

次兄の名前:村田浩平(むらたこうへい)
生年月日:1984年(月日不明)

村田誠徳さんも村田浩平さんも一般人のため職業は明らかになっていませんが、新しい情報が入って来次第ここに追記します。

村田諒太の出身校と偏差値

村田諒太さんはどんな学生だったのでしょうか?通っていた小学校や中学校、高校や大学はどこなのか、偏差値の情報もあわせてご紹介します!

村田諒太の大学と偏差値

村田諒太 2007 全日本選手権 大学

村田諒太さんは東洋大学・経営学部・経営学科(偏差値:60 難易度:高)2004年4月に入学し、2008年3月に卒業しています。

【東洋大学白山キャンパスの住所】
〒112-8606
東京都文京区白山5-28-20

2007年の全日本選手権のときの画像ですが、笑っているのに怖さを感じてしまいますね。

大学は当然のことながらボクシング部に所属し、2004年『全日本選手権ミドル級』初優勝しています。

一年生にして優勝するとは素晴らしいですね。

翌2005年には『キングスカップ』に出場し銀メダルを獲得、同年『アジア選手権』で銅メダルを獲得するなど次々と成績を残しますが、その後は敗退が続き、2007年3月に北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことから現役を引退します。

全日本で優勝しても、世界に出ていくと日本人がミドル級で勝利するには至難の業だと言うジンクス通りになってしまいました。

そのままでは終わらない村田諒太さんの大学卒業後は、先ほどご紹介した通り現役復帰して快進撃が始まります!

村田諒太の高校と偏差値

村田諒太 高校

村田諒太さんは南京都高等学校(現:京都廣学館高等学校)(偏差値:36.0~43.0 難易度:低)2001年4月に入学し、2004年3月に卒業しています。

【高校の住所】
〒619-0245
京都府相楽郡精華町下狛中垣内48番地
※当時は男子校で現在は共学

鍛えられた体に甘いマスクでカッコイイですね!

村田諒太さんはスカウトされて南京都高校に入学しましたが、入学した頃は手のつけられない生徒だったんだとか。

そんな村田諒太さんを制御できる人は『武元前川』先生だけだったと言います。

村田諒太 武元前川先生

頑固そうな先生のイメージを受けますね。

村田諒太さんは武元前川先生を恩師と仰いでいますが、頭ごなしに叱るのではなく、さとすように指導するそう。

”ボクシングで試合に勝つってことは、相手を踏みにじって、その上に自分が立つということだ。だから勝つ人間は、その責任が伴うんだ”
引用元:【村田諒太らチャンプが輩出。京都廣学館ボクシング部が育む「拳の哲学」(Web Sportiva Love Sports)】

村田諒太さんは常にそのことを思って戦っていたんですね。

高校2年生で全国高等学校 選抜大会・全国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会・国民体育大会ボクシング競技の高校3冠を達成します。

高校3年生でも全国高等学校 選抜大会と国高等学校総合体育大会ボクシング競技大会を制して高校5冠を達成しました。

大会の成績では素晴らしいものがありますが、学校生活でもカッコイイエピソードがあるんですよ。

高校2年の時の新入部員の勧誘スパーリングで、後輩が巨漢の空手経験者にボコボコにされたことがあるんです。

そこで、村田諒太さんは相手をリングにあげてお返しをしてあげました。「ボクシング部がなめられた」ことが我慢できなかったんだとか。

リングの上でしか相手を殴らない精神がカッコイイですよね。

村田諒太の中学校

村田諒太 中学

村田諒太さんは奈良市立伏見中学校1998年4月に入学し、2001年3月に卒業しています。

【中学校の住所】
〒631-0833
奈良県奈良市西大寺野神町1丁目6-1

中学生とは思えない体の大きさと威圧感ですね。

中学時代は不登校気味で、陸上部に入るも1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残したのですが、練習が嫌いで退部してしまいます。

その後、茶髪に染めた事件で、担任の先生との話の流れでボクシングをはじめることになりましたね。

授業にほとんど出ていなかったこともあって、勉強についていけずに中学3年生時の通信簿は『1』と『2』だけだったそう。

しかし、高校に進学できたのはボクシングのスポーツ推薦があったからでしょう。

村田諒太の小学校

村田諒太さんは小学校に1992年4月に入学し、1998年3月に卒業しています。

村田諒太さんの小学校は明らかにされていませんが、奈良市立伏見中学校の通学区から下記の3校のうちのどれかに通っていたと考えられます。

  • 奈良市立伏見小学校
  • 奈良市立あやめ池小学校
  • 奈良市立西大寺北小学校

小学生時代は水泳をしていましたが、大会記録などは明らかにされていませんので、出場するほどではない可能性もありますね。

小学校のときには4歳と2歳違う兄2人を身長で抜いていたというので、かなり大きい小学生だったようです。

村田諒太さんは”日本人には無理だ”と言われてきた『ミドル級』でのオリンピック金メダルと、プロ転向後の初防衛を見事に実現させました。

何度ボクシングを引退しても復帰し、成果を残していることは奇跡に近く素晴らしいと思います。

これからも日本人初の伝説を残していってほしいと思います。