大谷翔平

日本を飛び出しメジャーリーグで大活躍する大谷翔平さんの高校・大学をはじめとする全学歴・偏差値を徹底解説!学生時代のエピソードと主な経歴、実家や家族構成を含めた生い立ちに迫ります!

小学生の時にはすでに球速110km/hで場外ホームランを連発していた!?

大谷翔平の学歴・経歴一覧

まずは大谷翔平さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがな おおたにしょうへい 大谷翔平
氏名

本名
大谷翔平/※本名同じ
生年月日 1994日生 30
出身 岩手県奥州市
身長 193cm  血液型 B
最終学歴 高卒 花巻東高等学校・普通科
年齢 学歴・経歴
1994 岩手県奥州市生まれ
父親は三菱重工横浜の野球選手&母親はバドミントン選手
1998 常盤幼稚園入園
  姉より先に自転車に乗れた
2001 常盤幼稚園卒園
奥州市立水沢南小学校入学
2004 水沢リトルリーグで野球をはじめる
2006 11 球速110km/hを記録
2007 12 奥州市立水沢南小学校卒業
  17奪三振
奥州市立水沢南中学校入学
2010 15 奥州市立水沢南中学校卒業
花巻東高等学校・普通科入学
最速147km/h記録
2012 17 第25回AAA世界選手権出場
    球速160km/h記録(アマチュア野球史上初)
2013 18 花巻東高等学校・普通科卒業
日本ハム入団
2015 21 第1回WBSCプレミア12出場
2016 22 第4回WBC日本代表選出
2018 24 ロサンゼルス・エンゼルス所属
アメリカンリーグ最優秀新人賞
2019 25 TVアニメ初出演『サザエさん』

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

岩手県奥州市出身の大谷翔平さん。父親の大谷徹(おおたにとおる)さんは三菱重工業株式会社横浜製作所で社会人野球をしていました。

大谷翔平 父親

その後ケガをしたこともあって野球選手を辞めて地元の岩手県に戻り、金ヶ崎シニアの監督をはじめます。

大谷翔平 父親

熱血指導をしてくれる心温かい監督のイメージがありますね。

人気監督だったと想像しますが、2017年2月、大谷翔平さんがメジャーリーグ・ロサンゼルスエンゼルスと契約したあと退職しました。

大谷翔平さんに同行するためと見られていますが、親が一緒にいてくれると安心しますよね。

母親の大谷加代子さんは高校時代にバドミントン選手で全国高等学校総合体育大会や国民体育大会に出場経験があるんですよ。

大谷翔平 母親

大谷加代子さんが高校卒業後に三菱重工業株式会社横浜製作所に就職しているので、きっと二人はそこで出会ったのでしょう。

結婚して大谷徹さんとともに岩手県に引っ越してきて、仕事は飲食店でパートをしていたという情報があり、息子2人が遠征費などがかさむ野球を続けるために陰で支えていたんですね。

大谷翔平さんには6歳年上の兄の大谷隆太さんと1歳年上の姉の大谷結香さんがいます。

大谷隆太さんはトヨタ自動車東日本でコーチ兼任選手をしています。

大谷翔平 兄 大谷隆太

大谷翔平さんのお兄さんの大谷龍太さんは、岩手県立前沢高等学校を2006年に卒業後、水沢駒形野球倶楽部に2010年まで在籍し、プロ野球独立リーグ(セ・リーグやパ・リーグ以外のプロ野球リーグ)である高知ファイティングドッグスに2012年まで所属していました。

大谷翔平 兄

大谷裕香さんは高校時代にバレーボールをしていて、医療系短大に進学・卒業して看護士になったそう。

大谷翔平 姉

大谷翔平さんのお姉さんの大谷結香さんは高校時代はバレーボールをしていて、医療系短大に進学・卒業して看護士になったと言われています。

大谷翔平さんとは2歳差です。

普通な家庭に生まれ、5人家族として育った大谷翔平さん。

大谷翔平さんの「翔平」という名前の由来は、父親の徹さんの出身地が奥州平泉にゆかりのある源義経の「戦うと飛ぶイメージ」から「翔」の字を取り、出身地の平泉から「平」を取って名付けられています。

そんな大谷翔平さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

大谷翔平の出身大学

大谷翔平さんは大学に進学していません。

大谷翔平さんは高校卒業後、日本ハムファイターズに入団し、プロ野球選手として活躍しています。

大谷翔平 日ハム 初登板

ルーキーイヤーとなった1年目は大谷翔平さんにとって「今は難しくても、乗り越えられる。もっと良くなれる。」と感じながら練習に励んでいたと言います。

大谷翔平さんのプロ初打席の相手は、当時西武ライオンズの岸孝之選手でした。プロ相手に感じた体感は凄まじく、大谷翔平さんは自分自身もレベルを上げて頑張っていきたいと感じたそうですよ。

大谷翔平さんが19歳、2014年6月4日の広島戦で160キロのストレートを披露し、観客をあっと驚かせました。また同年には日本プロ野球史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」を達成しています。

大谷翔平 2桁勝利・2桁本塁打

2016年2月、日本ハムファイターズが29年ぶりのアメリカ合宿を行ったため、大谷翔平さんが21歳の時には人生で初のアメリカ訪問を経験しています。

多くのスカウト陣やメディアも多く駆けつけていますが、大谷翔平さん自身はどこ吹く風な雰囲気だったそうですよ。

また同年10月には日本最速記録となった「165㎞」を叩き出しています。

大谷翔平 165km

2017年、22歳の時にはオフにポスティングシステムを利用し、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍することとなりました。

大谷翔平 ポスティングシステム

大谷翔平さんは5年間在籍した日本ハムファイターズからポスティングシステムを利用しMLB移籍していますが、インターナショナル・ボーナス・プールの契約対象選手となってしまったことから、1年目の年棒は最低年俸となる54万5000ドル(約5700万円)という破格のものでした。

2017年11月11日に行われた記者会見で大谷翔平さんは「プレイしているなかで、一番の選手になりたい。」と語っており、メジャーリーグでの活躍が期待されました。

メジャーリーグで活躍することが現実になった姿は興奮を覚えましたよね!

大谷翔平の出身高校

大谷翔平さんは2010年4月に花巻東高等学校・普通科へ入学し、2013年3月に卒業しています。

学校名 花巻東高等学校
学部・学科 普通科
偏差値/難度 42~49/中
所在地 〒025-0066
岩手県花巻市松園町55-1
最寄駅 花巻駅(JR東北本線)
学費 初年度:59万円

大谷翔平さんの出身高校については、同校のユニフォームを着ていることから間違いないですよね。

大谷翔平 高校時代

大谷翔平は高校生時代寮生活で変化していた!?

大谷翔平さんは高校時代、親元を離れ寮生活をスタートさせています。中学時代、練習を結構適当にやっていたという大谷翔平さんですが、高校での寮生活を経てかなりちゃんと練習をやるようになったと言います。

また1度寝坊してかなり怒られてしまったことがあったんだとか…。そのため練習から外され、何日間の間雪かきをすることがあったそう。

佐々木洋監督

大谷翔平さんは「自分が一番練習しないといけないのに、監督がそうさせるような状況を作ってしまったこと」がかなり応えたんだそうですよ。

また高校生活で自分の親以外の大人かの指導は新鮮だったようで、大谷翔平さんの父親と全く同じことを監督が話していてもスッと内容が入ってきたんだとか。そのため親以外の人間から指導されたことはかなりいい経験だったと話しています。

高校1年生の頃は体が弱く、体調を崩してしまい寮で寝ていることもしばしばあったそうです。

高校時代に作っていた目標ノートには『170㎞/h出す』と書いていたのですが、そのためには1日にどれほど速くならなければならないのかを計算していたんだとか。

大谷翔平 高校時代 目標シート

あの速球にはチミツな計算によってなされていたんですね。

高校2年生の夏、高校2年生最速タイ記録(150km/h)を残し、このことから「みちのくダルビッシュ」と呼ばれることとなりましたが、左足股関節を故障して約半年間投球練習ができない状態となりました。

大谷翔平 高校時代 2年生

怪我をする前はガリガリの体だったという大谷翔平さんは、太れないほどたくさんの練習をしていたんだそうです。そのため、大谷翔平さんは治療の間によく食べてよく寝て体重を約20㎏増やしています。

体重を増やすため、ご飯を朝3杯、夜7杯食べることを自分のノルマとしていました。おかずは他の選手と同じものだったため、ご飯を平げるためにふりかけを準備したりしながら食べられるように工夫していたそうですよ。

また朝ご飯の後に余った寮のご飯を利用し、おにぎりを準備しては、休み時間やウエイト中、練習中などに1、2個のおにぎりを平らげていたんだとか。

そのため半年で20kg増が成功したんですね。

大谷翔平さんは、岩手県盛岡市出身で埼玉西武ライオンズ所属の菊池雄星さんに憧れて彼の出身校の花巻東高等学校へ進学を決めました。

菊池雄星

入学後すぐに4番の座を勝ち取り、秋になるとエースとしてチームを牽引しています。

大谷翔平さんは花巻東高校時代、甲子園であまり活躍することが出来ませんでしたが、高校3年生の時に出場した岩手県大会で「160㎞」を叩き出し注目を集めました。

トレーニングの一環で水泳を行っていましたが、大谷翔平さんは水泳でも実力を発揮しており、佐々木監督は「水泳でもオリンピック目指せる」とこぼしていたんだそうですよ。

学校生活では野球一色というわけではなく学業にもしっかり力を入れており、学年で常に10番以内に入っていたそうですよ。得意科目は日本史なんだとか。

また身長が大きかったことから既製品サイズの机では体を収めることができず、特注サイズの机を使っていました。

大谷翔平さんはスタイルだけではなく、性格も良かったため、廊下を歩けば女子生徒から歓声が上がっていたそうです。

2012年12月25日、大谷翔平さんが18歳の時には日本ハムファイターズに入団することが発表されました。

大谷翔平さんは高校卒業後すぐにメジャーリーグでの活躍を希望していましたが日本ハムファイターズ球団側の説得により、まずは日本でプロ契約することを納得した上で、日本ハムファイターズと契約することとなりました。

大谷翔平 入団会見

大谷翔平さんに向け、メジャーリーグで活躍するダルビッシュ有さんがこの時メールを送っています。

大谷翔平 LINE ダルビッシュ有

ダルビッシュ有さんからのメールは心強いものだったに違いありませんね。

野球で忙しい日々だったにも関わらず、学生生活もしっかり過ごしていたとは頭が下がります。

大谷翔平の出身中学校

大谷翔平さんは2007年4月に奥州市立水沢南中学校へ入学し、2010年3月に卒業しています。

学校名 奥州市立水沢南中学校
所在地 〒023-0841
岩手県奥州市水沢真城字大檀39-1
最寄駅 陸中折居駅(JR東北本線)

大谷翔平さんの出身校については、2012年12月に発行された『広報おうしゅう』に❝水沢南中学校出身❞と掲載されています。

広報 奥州

水沢南中学校は1969年に開校した公立中学校で、校区が広いために自転車やスクールバスで通学する生徒も多いんですよ。

主な卒業生は大谷隆太さん、フリーアナウンサーの北條愁子さん、漫画家の吉田戦車さんがいます。

大谷翔平は中学生時代17奪三振をやって退けていた!

ユニフォームを着ていなくても、野球少年って分かりますね。

大谷翔平 卒アル

大谷翔平さんが中学1年生の時に出場したリトルリーグの東北大会決勝戦で、大活躍しています。なんと大谷翔平さんはピッチャーとして登板し、17奪三振をやって退けてしまったんだとか!

全試合で取れるアウトの数は18個ですが、そのうち17個が大谷翔平さんが取った三振だったため、相手リームは静まりかえってしまったんだそう。

そのほかにも大谷翔平さんは数々の伝説を残しています。

  • 中学1年生のころライト側の場外(川が流れている)ホームランを連発し、監督に「(球がなくなるので)引っ張るな!」と言われたので、次のボールをレフト側で場外ホームランにした
  • 同じく中学1年生のとき、バッティング練習でピッチャーが怪我をする可能性があると「ピッチャーライナーは絶対打つな」と言われた

まるでドラマを地で行くようなエピソードですが、難なくそれをこなすのですから大谷翔平さんがいかに凄いかということですよね。

大谷翔平 一関シニア

中学2年生から中学3年生まで『一関シニア』に所属していましたが、練習場所が車で一時間ほど離れていたため、毎週末の練習や、平日週2回行われる夜間練習を大谷翔平さんの両親が行っていました。往復2時間を通い続けるのは子も親も大変だったでしょうね。

また大谷翔平さんは当時からプロで活躍することを念頭にしていましたが、大谷翔平さんの両親は比較的意思を尊重してくれていたんだそうです。

父親の徹さんは一関シニアでコーチを務めており、大谷翔平さんの指導を行っていました。

当時からぶっ飛んだ伝説を残していますが、家族の支えあってこその活躍だったんでしょうね。

大谷翔平の出身小学校

大谷翔平さんは2001年4月に奥州市立水沢南小学校へ入学し、2007年3月に卒業しています。

学校名 奥州市立水沢南小学校
所在地 〒023-0862
岩手県奥州市水沢福吉町3−24
最寄駅 水沢南駅(JR東北本線)

大谷翔平さんの出身小学校については、2021年9月18日発信『岩手日日新聞社』❝「大谷翔平選手応援給食」 出身地小学校で【岩手】❞の記事に水沢南小学校が掲載されています。

水沢南小学校は1956年に設立された公立小学校です。

大谷翔平は小学生時代野球から球速110km/h!

子供らしい可愛い笑顔で、生き生きとしていますね。

大谷翔平 卒アル 小学校

大谷翔平さんが小学校2年生の時に父親の徹さんが当時監督を務めていた「水沢リトルリーグ」に入団しています。当時はまだ線が細かったものの、他の選手よりも身長が大きかったそうです。

また、小2から中1まで硬式野球チーム『水沢リトル』に所属していましたが、すでに岩手県のリトルチームで誰も打てない球速110km/hの球を投げていたんですよ。

大谷翔平 小学生時代

大谷翔平 小学生時代

大谷翔平さんはポジションはピッチャーで、打順は3番を務めていました。当時からバッターとしての能力が高く、グランドの周囲に張り巡らされているネットを軽々超えるボールを打っていたんだとか。

そのため、小学生にも関わらず他のチームからは警戒されていたものの、それでもホームランを打ってしまっていたんだそうですよ。

チームに入団して3ヶ月で「右打ち」から「左打ちに」変更しています。それから1年もするとグランドに収まらないほどのホームランを打ち出すようになったんだとか。

当時から父親の徹さんの勧めで「野球ノート」をつけるようになっています。

また、大谷翔平さんは小学校2年生から5年生まで水泳をしていました。

大谷翔平 小学生時代

小学生の頃は、家でゲームをして遊ぶよりもお外で遊ぶことが多かったと言います。体が大きかったため、ガキ大将的な存在でしたが、大谷翔平さんは悪いグループに入ったりせず、明るいノリで誰にでも好かれるような存在だったんだそう。

良くも悪くもマイペースな性格だったため、学校の休み時間が終わったことに気づかず、1人でグランドに残って遊んでいたため怒られてしまったこともあったんだそうですよ。

学校の成績はとても良かったようで、文武両道だったことが伺えます。

野球を始めた当初は本当に何も出来なかったと言いますが、その後他のチームから嫌煙されるような存在になっていたとは、本人の才能だけではなく努力の賜物でしょうね。

大谷翔平の出身幼稚園

大谷翔平さんは2004年3月に常盤幼稚園入園し、2007年3月に卒園しています。

学校名 常盤幼稚園
所在地 〒023-0828
岩手県奥州市水沢東大通り3-5-31
最寄駅 水沢駅(JR東北本線)

大谷翔平さんの出身幼稚園については、水沢南小学校から近いことと同園の体操服を着た画像があります。

常盤幼稚園 体操服比較画像

大谷翔平は幼少期に姉より先に自転車に乗れた!

ちょっとはにかんだような表情が幼稚園生らしいですね。

大谷翔平 卒アル 幼稚園

大谷翔平さんは幼少期、姉の結香さんに買った自転車を結香さんより先に乗れるようになってしまったんだとか!当時から運動神経の良さが分かります。

ただお姉さんの結香さんがまだ1度も乗っていない自転車を、どこかにぶつけてしまったのか壊してしまったんだそうですよ。

大谷翔平さんは幼稚園の年長さんになるとスイミングスクールに通い出しました。

大谷翔平 幼稚園入園式

大谷翔平さんは両親から大切に育てられており、本気で怒られたのは1度だけだったと言います。

それは大谷翔平さんが大事にしていたハリーポッターのノートの表紙が少し破れていたことだったそうです。大谷翔平さんは自分が大事にしているものが傷ついたり、壊れてしまうときに感情をむき出しにして怒ったんだとか。

そのため父親の徹さんはそんな大谷翔平さんに「そんな小さなことで怒るんじゃない!」と叱ったんだそうです。

しかし当時のことは全く本人は覚えていないんだとか。

大谷翔平さんの幼稚園より幼い頃、公園で遊んでいるときの画像があります。

大谷翔平 幼少期

 

なにかに緊張しているのか硬い表情の大谷翔平さんですね。父親も「大丈夫だよ」と囁いているように見えます。

この頃、母の影響でバドミントンの才能もかなりあったと言われています。一見関係ないようなバドミントンと野球ですが、羽根を打つタイミングがボールを売ったり取ったりするタイミングとリンクするところがあるんだとか。

どんな種類のスポーツであっても、それぞれリンクしているのかもしれませんね。

 

更に小さいときの画像があるんですよ。

大谷翔平 幼少期

1歳のときの画像ですが、天使みたいですよね!

また更に今度は赤ちゃんのときの画像もありました。

大谷翔平 幼少期

まだ寝返りを打てない頃だと予想するので、生後2ヶ月から5ヶ月くらいでしょうか。

見つめている先に何が見えているのか知りたいですね。

大谷翔平の学歴・経歴まとめ

ここまで大谷翔平さんの学歴と主な経歴について見てきましたが、野球を初め才能だけではなく、努力で有言実行してきた姿が凄いことが分かりました。

高校時代の監督が『先入観は可能を不可能にする』と言った言葉は、大谷翔平さんに大きな影響を与えており、できないと思った瞬間にできる方法を探さなくなるため、その言葉を大事にしているんだそうですよ。

メジャーリーグをさらに沸かせており、世界中から注目を集める大谷翔平さんを応援しています!