幼少期の画像が良純すぎる!卒アル画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
石原良純の出身大学
石原良純さんは1980年4月に慶應義塾大学・経済学部・経済学科へ入学し、1984年3月に卒業しています。
【日吉キャンパス】
【三田キャンパス】
学校名 | 慶應義塾大学 |
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学部・学科 | 経済学部・経済学科 |
偏差値 | 75~78 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 日吉キャンパス(1~2年生) 〒223-8512 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1三田キャンパス(3~4年生) 〒108-8345 東京都港区三田2-15-45 |
公式HP | http://www.econ.keio.ac.jp/ |
石原良純さんが慶應義塾大学・経済学部・経済学科出身であることは、慶應義塾内で最大規模のメディアサークル・慶応塾生新聞会が運営している『慶応塾生新聞』のインタビューで同校出身であることが掲載されていることから間違いありません。
“幼稚舎から計16年間慶應に在籍した石原氏に話を聞いた。「私は慶應義塾高等学校からの内部進学で、経済学部で金融論のゼミに所属していた。」
引用元:【【塾員インタビュー】 石原良純さん(慶応塾生新聞)】
石原良純の大学生時代のエピソード
石原良純さんは大学3年生にあたる1982年に、叔父の石原裕次郎さんが社長を務めていた石原プロモーションに入社します。(1989年退社)
大学時代に出演したドラマは1983年4月放送の『西部警察 PART-III』で五代純役。
映画の方が出演が早く、1982年9月15日公開の『凶弾』で主演の荒木英夫役を務めました。
華々しくデビューした石原良純さんでしたが、実は商社に就職するつもりだったのが、あるキッカケで芸能界入りをしたんです。
石原良純の意外なデビューのキッカケ
元々、芸能界に興味が無かった石原良純さんですが、叔父の石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤で入院したことがキッカケで芸能界に入ることになりました。
石原良純さんが大学3年生のときに石原裕次郎さんが入院したのでお見舞いに行ったんです。
『慶応塾生新聞』のインタビューで石原良純さんが語っていたことですが、記者が石原裕次郎さんの病状を取材しようと病院の周りを取り巻いていたんだとか。
何の気無しに石原良純さんが記者の横を素通りしていると、イケメンに記者が食いついたのでしょう、「石原裕次郎に甥っ子がいる!」と話題になったことから映画のオファーがあったんです。
棚からぼた餅のような話ですが、インタビューで「運任せのように聞こえますが、今できることを精いっぱいやるしかない。」と語っていて、努力を怠っていなかったことがうかがえます。
また、初出演にして日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞していますので、演技の才能も持ち合わせいたんですね。
わざと寝転んだようなポーズをしている当時の画像から、ちょっとナルシストな雰囲気が感じられますね。
石原良純の出身高校
石原良純さんは1977年4月に慶應義塾高等学校・普通科へ入学し、1980年3月に卒業しています。
学校名 | 慶應義塾高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 76 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒223-8524 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-2 |
公式HP | https://www.hs.keio.ac.jp/ |
石原良純さんが慶應義塾高校出身であることは、同校のホームページで石原良純さんが『31期卒業』と掲載されていることから間違いありません。
“9月20日(木)の放課後、日吉協育ホールに石原良純氏(31期卒業)をお招きして、協育プログラム「異端のすゝめ」を実施しました。”
引用元:【協育プログラム「異端のすゝめ」が開催されました(慶應義塾高等学校)】
石原良純の高校生時代のエピソード
高校時代は合気道部に所属していたのですが、入部したキッカケは教室で前の席の人も後ろの席の人も「合気道部に入ります」と言っていたことから、石原良純さんもつられたんだとか。
2017年2月12日放送の『誰だって波瀾爆笑』で語られていたのですが、どこのクラブにするか迷っていたときだったので、合気道部に人気があると感じたのでしょうね。
ちなみに、兄の石原伸晃さんは少林寺拳法部に所属していたので、もともと武道に興味があったのでしょう。
慶應義塾高等学校は男子校なので、他校はクラブのマネージャーが女子生徒だったりすることを見ると“羨ましいなぁ”と思っていたんですって。
男子校の限界を感じて共学に憧れていたと語っていましたが、慶應義塾高校に入学することを熱望している人からすれば、石原良純さんは憧れの的です。
高校生時代の画像がありますが、石原良純さんはくせ毛だったんですね。
男子校だったので彼女はいなかったのですが、イケメンなので共学に進学していたらモテモテだったでしょうね。
石原良純の出身中学校
石原良純さんは1974年4月に慶應義塾普通部へ入学し、1977年3月に卒業しています。
学校名 | 慶應義塾普通部 |
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偏差値 | 64 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒223-0062 神奈川県横浜市港北区日吉本町1−45−1 |
公式HP | http://www.kf.keio.ac.jp/ |
石原良純さんが慶應義塾普通部出身であることは、2018年10月10日放送の『あいつ今何してる?』で同校出身と紹介されていたことから間違いありません。
石原良純の中学生時代のエピソード
中学時代はサッカー部に所属していました。当時、サッカーは超がつくほどマイナーなスポーツで、運動が苦手な人達がするものだったんだそう。石原良純さんのポジションはディフェンダーで、守り専門でした。
『あいつ今何してる?』では、同級生で同じサッカー部だった鈴木徳昭さんが登場していたのですが、Jリーグができる15年以上も前から「サッカーはプロ化する」と断言していたんですって!
鈴木徳昭さんは元サッカー日本代表の監督・ハンス・オフトさんの通訳をしたり、東京オリンピック招致で一役をかった重要人物。
(※画像左端が鈴木徳昭さん)
中学当時、石原良純さんは鈴木徳昭さんに「サッカーなんてプロ化するわけないだろう!」と小馬鹿にしていたそう。
石原良純さんが通っていた慶應義塾クラスになると日本の歴史を動かす人が同級生に現れるようになるんですね。
石原良純の出身小学校
石原良純さんは1968年4月に慶應義塾幼稚舎へ入学し、1974年3月に卒業しています。
学校名 | 慶應義塾幼稚舎 |
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所在地 | 〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-35-1 |
公式HP | http://www.yochisha.keio.ac.jp/ |
石原良純さんが慶應義塾幼稚舎出身であることは、2017年2月12日放送の『誰だって波瀾爆笑』で同校出身と紹介されていたことから間違いありません。
石原良純の小学生時代のエピソード
自宅から慶應義塾幼稚舎までの通学時間は1時間半かかっていて、思い出は通学のことしかなかったんだそう。
2017年2月12日放送の『誰だって波瀾爆笑』で語っていたのですが、通学が大変だったことから、近所の同じ年くらいの子供を見て“学校が近くて羨ましい”と思っていたんですって!
得意科目は算数で、学校で常にいちばんを取っていました。
卒アルがありますが、小学生にして既におっさん入っています…。
石原良純さんは男ばかりの4人兄弟の2男なのですが、アイドルのイメージカラーのように兄弟で色が決められていて、石原良純さんは“赤”だったんですよ。
ちなみに長男の石原伸晃さんは水色、3男で政治家の石原宏高さんは黄色、4男で芸術家の石原延啓さんは白でした。
大学になっても自分の色を守っていたと言いますから、子供の頃の石原良純さんのクローゼットの中は常に赤かったんですね。
石原良純の出身幼稚園
石原良純さんは1966年4月に聖マリア幼稚園へ入園し、1968年3月に卒園しています。
学校名 | 聖マリア幼稚園 |
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所在地 | 〒249-0006 神奈川県逗子市逗子6−8−47 |
公式HP | http://www.seimaria.com/ |
石原良純さんが聖マリア幼稚園出身であることは、本人のホームページのプロフィール欄に同園入園と掲載されていることから間違いありません。
幼稚園時代のエピソード
幼稚園時代は家に住み込みのお手伝いさんがいて、石原良純さんの世話をしてくれたんだそう。
父親の石原慎太郎さんはいつも怒っていたので近寄らなかったと2017年2月12日放送の『誰だって波瀾爆笑』で語っていました。
母親のことが大好きで、年に2回ほど母親と2人きりで近所の高島屋に出かけることがあったのですが、その日は楽しみで仕方がなかったんだとか。
当時は“父親は働いて稼ぐ、母親は家事と子育てをする”と完全分業化だったために、石原慎太郎さんとの接点が少なかったのでしょう。
また、当時の画像があまりにも衝撃的で注目を浴びているんですよ。
石原良純さんの幼少期が良純すぎてジワる!
幼少期の画像はあまり特徴がなくて誰の小さい時かクイズに出されるくらいですが、石原良純さんの3歳のころの画像が“THE石原良純”なんですよ。
画像編集ソフトで大人の石原良純さんの顔を子供の時の画像に入れ替えたかのような、これ以上石原良純さんはありえないくらいです。
比べてみると、はんこを押したようですよね。
あまりにも衝撃的すぎて、ステッカーを作った人がいるほど。
石原良純 幼少期ステッカーをつくった。
かわいい。 pic.twitter.com/6PiFNDq2lZ
— 岡愛子 (@OKAAIKO) 2018年2月2日
眉毛が太いから大人のように見え、頭が良さそうですよね。
石原良純の学歴まとめ!
聖マリア幼稚園 | |||
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入園年月 | 1966年4月 | ||
卒園年月 | 1968年3月 | ||
慶應義塾幼稚舎 | |||
入学年月 | 1968年4月 | ||
卒業年月 | 1974年3月 | ||
慶應義塾普通部 | |||
偏差値 | 64 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1974年4月 | ||
卒業年月 | 1977年3月 | ||
慶應義塾高等学校 | |||
偏差値 | 76 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1977年4月 | ||
卒業年月 | 1980年3月 | ||
慶應義塾大学・経済学部 | |||
偏差値 | 75~78 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1980年4月 | ||
卒業年月 | 1984年3月 |
石原良純さんが芸能界に入ったキッカケが石原裕次郎さんの入院だったとは意外でしたね。
全く演技の勉強などしたことがなかった石原良純さんであるにもかかわらず、デビュー作で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するとは、遺伝子レベルで演技の才能があったということでしょう。
バラエティーなど活躍の場を広げていますし、今後の活躍に益々期待が持てますね!