海外の中学校に通っていたことやジュニアオリンピックに出場していたことなど、他では知れない情報満載でお伝えします。
石田ゆり子の出身大学
石田ゆり子さんは1988年4月に女子栄養大学短期大学部・Ⅱ部・食物栄養学科へ入学し、1990年3月に卒業しています。
学校名 | 女子栄養大学短期大学部・Ⅱ部 |
---|---|
学部・学科 | 食物栄養学科 |
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒170-0003 東京都豊島区駒込3−24−3 |
公式HP | http://www.eiyo.ac.jp/ |
石田ゆり子さんが女子栄養大学短期大学部出身であることは、同校の学位記を持っている画像があることから間違いありません。
石田ゆり子の大学生時代は?
石田ゆり子さんは夜学のⅡ部に入学し、芸能活動と平行しながら規定の2年で卒業しました。
大学在学中に出演したドラマは3作品ですが、女優デビューは1988年11月12日放送の『海の群星』
映画は下記の2作品に出演していました。
【1988年12月10日公開『悲しい色やねん』】
【1990年9月15日公開『3-4×10月』】
短期大学は2年間で4年制大学と同等の単位を取得する必要があることから、4年制大学よりもタイトなスケジュールと言えます。
石田ゆり子さんの大学生活は想像以上に忙しかったはずで、単位を取るために相当努力したことでしょう。
当時の画像をみると、笑顔に自信があふれていて大学生活が充実していた様子がうかがえますね。
石田ゆり子の出身高校
石田ゆり子さんは1985年4月に東京都立桜町高等学校・普通科・全日制へ入学。
東京都立青山高等学校・普通科・定時制に転校し、1988年3月に卒業しています。
【東京都立桜町高等学校】
学校名 | 東京都立桜町高等学校 |
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学科・コース | 全日制・普通科 |
偏差値 | 50 |
入試難度 | 中 |
所在地 | 〒158-0097 東京都世田谷区用賀2−4−1 |
公式HP | http://www.sakuramachi-h.metro.tokyo.jp/ |
石田ゆり子さんが桜町高校に在学していたことは、コミュニティーサイト『mixi』の同校の掲示板に“朝礼で石田ゆり子さんに挨拶をした”と投稿されていることから間違いないでしょう。
【東京都立青山高校】
学校名 | 東京都立青山高等学校 |
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学科・コース | 定時制・普通科 |
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2−1−8 |
公式HP | http://www.aoyama-h.metro.tokyo.jp/site/zen/ |
石田ゆり子さんが青山高校・定時制出身であることは、学校情報サイト『Manaa Will』の同校のページに石田ゆり子さんの名前が掲載されていることから間違いありません。
石田ゆり子の高校時代にWスカウト?
高校1年生のときに自由が丘の老舗の和菓子屋の前でスカウトされた石田ゆり子さん。
Tシャツとショートパンツで決して着飾っていたわけではありませんでしたが、芸能事務所・ボックスコーポレーションのスカウトマンからすると“原石を見つけた!”と感じたのでしょう。
当時の画像を見ると、大人しいのになぜが光って目立ってしまうような美しさがありますね。
その数日後に今度は妹の石田ひかりさんが同じボックスコーポレーションのスカウトマンからスカウト。このときスカウトマンは石田ゆり子さんの妹とは全く知らなかったんだとか。
姉妹でWスカウトされていたとは“遺伝子レベルで芸能の才能がある”ということでしょう。
両親は大反対で、“芸能界に大事な娘がさらわれる!”と感じていたようですが、石田ゆり子さんは「やってみたい」と意見を通したんですって!
2018年9月22日放送のトーク番組『サワコの朝』に出演した際に「父親の言うことを聞かないでよかった。」と語っていて、石田ゆり子さんは意志の強い人だったんですね。
デビューは1987年の全日空の沖縄キャンペーンガールでした。
今の石田ゆり子さんと全く変わらない、透明感のあるかわいらしさがありますね。
石田ゆり子の出身中学校
石田ゆり子さんは1982年4月に台北日本人学校へ入学し、1985年3月までに退学しています。(※台北日本人学校は日本と同じ4月から新学年)
学校名 | 台北日本人学校 |
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所在地 | 111台北市士林區中山北路六段785號 |
公式HP | http://www.tjs.tp.edu.tw/ |
石田ゆり子さんが台北日本人学校に通っていたことは、2018年7月15日放送のトーク番組『アナザースカイ』で同校のことが紹介されていたことから間違いありません。
石田ゆり子さんは「中学を卒業する前に帰国したために、卒業アルバムを買えなかった」と語っていることから、卒業する1985年3月以前に帰国しています。
卒アルに載っていた石田ゆり子さんは、ショートカットがよく似合っています。
学校での生活は1クラス18人で1学年2クラスしかない小さな学校だったことで、クラス全員のことをよく知れる間柄だったそう。
クラスのみんなが「日本に帰りたいけれど、親を困らせたくないから言えない」と感じていたようで、共通の悩みが団結力になっていったかもしれません。
ちなみに、卒業する前にはモザイクタイルで自分の姿をシルエットで表現する壁画を作っていたんですよ。
異国で自分が生きた証が残っているなんてちょっと羨ましいですね。
ちなみに学年は違いますが、台北日本人学校には金城武さんも通っていました。
石田ゆり子の中学時代はお嬢様!
石田ゆり子さんの父親は日本郵船に勤めていたそうですが、台湾を任されるほど優秀だったということは収入も多かったはず。台北の家は相当大きく、ローラースケートができるほとだったんだそう。
当時の友達と一緒に写っている画像がありますが、品があってお嬢様の雰囲気ですよね。
家には大きな水槽があって、大きくて高級そうな熱帯魚がいることからもセレブ感ありますよね。
石田ゆり子の出身小学校
石田ゆり子さんは1976年4月に東京都の小学校へ入学。
兵庫県西宮市、神奈川県川崎市の小学校へ転校。
1981年4月に台北日本人学校に編入し1982年3月に卒業しています。
石田ゆり子さんの父親は転勤が多い仕事に就いていたため、父親と一緒についていった石田ゆり子さんは複数の小学校を通っていることから特定できていません。
新たな情報がが入りましたら、ここに追記していきます。
石田ゆり子がロス五輪!?
石田ゆり子さんは9歳のときに妹の石田ひかりさんが水泳を習っていたことに影響を受けて石田ゆり子さんも習いはじめました。
習い始めてわずか1年で神奈川県の代表になり、ジュニアオリンピックに出場して平泳ぎ部門の8位に入賞した経歴の持ち主なんですよ!
当時の画像を見ると女の子らしい印象で、そんなに水泳が速かったとは意外ですね。
水泳は17歳の芸能活動をはじめるまで続けていて、もし継続していたらロサンゼルスオリンピックの強化選手の仲間入りしていたかもしれないほどの実力だったと言いますから、驚きです。
しかし練習が本当にハードで、学校から帰ってきておにぎりなどの軽食を食べるとすぐにプールに行って10kmくらい泳ぐ生活が続いていたことに疲れていたんだそう。
妹の石田ひかりさんも一緒に練習していたのですが、「つらいね、休みたいね。でも今日休んだら、明日もっとつらくなる。やっぱり今日行くしかないんだよね。」と言っていたようで健気ですね。
幼少期の画像があるのですが、白黒でも十分かわいいとわかるくらい完成度の高い美形ですよ。
石田ゆり子の学歴まとめ!
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
【調査中)小学校 | |||
入学年月 | 1976年4月 | ||
卒業年月 | 1982年3月 | ||
台北日本人学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1982年4月 | ||
卒業年月 | 1985年3月 | ||
東京都立桜町高等学校・普通科・全日制 | |||
偏差値 | 50 | 入試難度 | 中 |
入学年月 | 1985年4月 | ||
卒業年月 | 転校(時期は調査中) | ||
東京都立青山高等学校・普通科・定時制 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 転入学(時期は調査中) | ||
卒業年月 | 1988年3月 | ||
女子栄養大学短期大学部・Ⅱ部・食物栄養学科 | |||
偏差値 | 35 | 入試難度 | 容易 |
入学年月 | 1988年4月 | ||
卒業年月 | 1990年3月 |
石田ゆり子さんはおっとりしているイメージだったので、オリンピックの強化選手に選ばれるほどアスリートだったとは意外でした。
日本以外の雰囲気を感じなかったので台湾の帰国子女だったということにも驚きましたが、海外の経験を生かして、今後は国際派女優としての活躍も期待します。