槇原敬之

槇原敬之さんの出身高校や大学などの学歴と本当の出身地を徹底解説!幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

実家の経営している店舗のことや従兄弟も芸能人であることなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

槇原敬之の出身大学

青山学院大学

槇原敬之さんは1991年4月に青山学院大学・文学部・第二部・英米文学科へ入学し、1991年ごろ中退しています。

学校名 青山学院大学
学部・学科 文学部第二部英米文学科
偏差値 ─(※募集停止のため偏差値なし)
入試難度
所在地 〒150-8366
東京都渋谷区渋谷4丁目4−25
最寄り駅 表参道駅(東京メトロ千代田線)
公式HP http://www.aoyama.ac.jp/faculty/literature/

槇原敬之さんが青山学院大学文学部第二部英米文学科に在籍していたことは、みんなの大学情報に同校在学と掲載されていることから間違いありません。

槇原敬之 みんなの高校情報

実は3浪もして大学に入学していたんですよ。

❝音楽関係者から映画の主題歌の依頼があった際、槇原は大学の合格発表を待っている最中だった。すでに三浪中の身。二浪の時点でプロの歌手としてデビューはしていたが、親に迷惑をかけた手前、せめて大学だけは合格しなければ、という思いが強かった。❞
引用元:【【1991年7月】どんなときも。/槇原敬之 人生の応援歌は自らを励ます歌だった(スポニチアネックス)】

浪人中である1990年、出版社のリットーミュージック主催のオーディションに『NG』という曲を応募し、見事にグランプリに輝いています。

槇原敬之 浪人時代 リットーミュージック オーディション

グランプリに輝いたことで1990年10月にシングル『NG』とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でデビューを果たしているんです!

芸能界の道が開けたことから大学に進学しない決断をしたのかと思いきや、両親からは「遊んでいないで早く大学に行ってしっかりとした仕事につきなさい。」と言われて親子げんかになり、家出したこともあったんだそう…。

大大学1年生にあたる1991年6月リリースの3rdシングル『どんなときも』が190万枚ものミリオンセラーになり両親も納得してくれたようで、中退を決意しました。

青山学院大学に進学したのは、好きな桑田佳祐さん母校であったからだと言われていますが、志望校は関西学院大学だったという情報もあります。

大阪・緑地公園にある駿台予備校に3年間通っていて、関西学院大学にも3回落ちているんだとか…。

青山学院大学も関西学院大学も英語が堪能で有名ですが、槇原敬之さんは英語にこだわって志望校を選んでいたと考えるのが自然でしょうね。

槇原敬之さんは英語の発音が上手だと評判なんですよ。

槇原敬之が英語が上手な理由は?

槇原敬之さんは芸能界に入るまでは英語教師になるつもりで勉強していたんだそう。

青山学院大学に入学するために中学校から勉強し直すほどの力の入れようでした。

槇原敬之さんが英語が上手なのは、英米文学科に進学していたからなんですね。しかもミュージシャンで耳が良いので発音も抜群なのでしょう。

槇原敬之 大学時代

槇原敬之の出身高校

大阪府立春日丘高等学校
槇原敬之さんは1985年4月に大阪府立春日丘高等学校へ入学し、1988年3月に卒業しています。

学校名 大阪府立春日丘高等学校
学科・コース 全日制課程・普通科
偏差値 68
入試難度 難関
所在地 〒567-0031
大阪府茨木市春日2丁目1−2
最寄り駅 茨木駅(JR京都線)
公式HP https://www2.osaka-c.ed.jp/kasugaoka/

槇原敬之さんが春日丘高校出身であることは、大学と同じくみんなの大学情報に同校出身と掲載されていることから間違いありません。

槇原敬之 みんなの高校情報

槇原敬之の高校時代はプロ並み!

槇原敬之さんは高校1年生にあたる1985年に坂本龍一さんが担当していたNHK-FMラジオ『サウンドストリート』にデモ曲『HALF』を送ると、坂本龍一さんから「プロの技だ。」と大絶賛されていたんですよ。

『C・M・C(コンプレッサーズ・ミュージック・クラブ)』というグループ名のような名前で応募したのですが、実は槇原敬之さんが1人で3パート歌っていました。

その後、高校2年生にあたる1986年にはCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)のオーディションを受けていますが、プロになる意識はなく賞金目当てだったそう。

ちなみにCBS・ソニーのオーディションは『ユニコーン』と『エレファントカシマシ』が合格して槇原敬之さんは不合格になっています。

授業中に歌詞が思い浮かぶとすぐに書き留めていたそうで、勉強は二の次だったことから成績はあまりよくなかったそうですよ。

当時の画像を見ると、髪の量が半端なさそうですね…。

槇原敬之 高校時代




槇原敬之の出身中学校

高槻市立柳川中学校

槇原敬之さんは1982年4月に高槻市立柳川中学校へ入学し、1985年3月に卒業しています。

学校名 高槻市立柳川中学校
偏差値
入試難度
所在地 〒569-0824
大阪府高槻市川添1丁目1−5
最寄り駅 総持寺駅(阪急京都線)
公式HP https://www.takatsuki-osk.ed.jp/yanachu/

槇原敬之さんが柳川中学校出身であることは、2010年10月1日放送の『ミュージックステーション』で同校が槇原敬之さんの母校として撮影が行われたことが投稿されていることから間違いないでしょう。

槇原敬之 mixi

槇原敬之はいじめられていた!

2004年9月22日発刊の『槇原敬之の本。』によると、中学時代は鉛筆を全部折られたことや、後ろからボールをぶつけられたこともあったんだそう…。

槇原敬之さんはたとえいじめられたとしても仕返しをしてはいけないと両親に言われていたようで、「イジメる子は寂しい子なんだ。」と思うようにし、休まず学校に行っていたんだとか。

バスケットボール部に所属しながらもポップス同好会を創設し、中学2年生からなんと作曲をしていました。当時、大きな影響を受けたのは『YMO』で、シンセサイザーに感動したんだそうですよ。

同級生だったレコーディング・ミキシングエンジニアの沢田知久さんと知り合ってからはデモテープを作るようになり、150本ほどダビングしたテープを行きつけの洋服店や楽器店に置いてもらうとすぐに完売したんですって!

デモテープを聞いた人から「曲を聴いて元気が出ました」と手紙をくれた人もいたそうで、中学時代から既に頭角を現していたんですね。

【槇原敬之の中学生時代の同級生】

  • 沢田知久(レコーディング・ミキシングエンジニア)

槇原敬之の出身小学校

高槻市立牧田小学校

槇原敬之さんは1976年4月に高槻市立牧田小学校(現:玉川小学校)へ入学し、1982年3月に卒業しています。

学校名 高槻市立牧田小学校(現:玉川小学校)
所在地 〒569-0855
大阪府高槻市牧田町8−1
最寄り駅 総持寺駅(阪急京都線)
公式HP https://www.takatsuki-osk.ed.jp/tamagawa/

槇原敬之さんが牧田小学校出身であることは、『mixi』で同校が統合されるときに槇原敬之さんからメッセージがあったと投稿されていることから間違いないでしょう。

槇原敬之 mixi

槇原敬之のいとこは有名芸能人!

槇原敬之さんとROLLYさんとはいとこなんですよ!

ローリー

槇原敬之さんの父親とROLLYさんの母親が姉弟で、いとこ同士一緒に遊んでいました。

槇原敬之 ローリー

(※画像左から:ROLLYさん、槇原敬之さん、ROLLYさんの長姉、ROLLYさんの次姉)

子供はいたずら好きですが、さすが将来のミュージシャンのいたずらはバンドで歌って嫌がらせをしていたんです。

❝お手伝いさんの“ばあや”がメロドラマを見て泣いている様子を曲にして、4人でバンドのようなことをしながら姉はドラム、次女がオルガン、私はウクレレ、槇原敬之くんはカスタネットとトライアングルで“ばあや”の泣くそばで歌うっていう嫌がらせみたいなことをしていた❞
引用元:【ROLLYが槇原敬之との子供時代語る 「天才少年だった」(ナリナリドットコム)】

槇原敬之さんが中学生になると、隣町の高校生が録音したテープを買いに来たんですって!

❝「彼が中学生の頃に作った、作曲して自宅で録音したものを、隣町の高校生が買いに来て、それを『僕の気持ちを分かってくれるのはマッキーだけだ!』って、泣きながらその音楽をみんな聞いてました。」❞
引用元:【ROLLYが槇原敬之との子供時代語る 「天才少年だった」(ナリナリドットコム)】

すぐに完売していたとは、都市伝説になれますね。

槇原敬之さんとROLLYさんは親戚関係だけでなく、実家の仕事上でもつながっていました。

槇原敬之の実家の商売は何?

『mixi』の投稿にもあるように、槇原敬之さんの実家は『みまつでんき』という電器店を経営しています。

 

槇原敬之 mixi

【みまつでんき】
〒569-0855
大阪府高槻市牧田町7

ROLLYさんの実家が先に電器店を経営していたので、槇原敬之さんの両親は勉強のためにROLLYさんの実家で働いていた時期がありました。

高校時代になると、槇原敬之さんがクーラーの取付に行くこともあったんだとか。

槇原敬之さんよりも5歳年上のROLLYさんのことを兄のように慕っていたようで、槇原敬之さんが坂本龍一さんのラジオ送ったデモテープのギターはROLLYさんが弾いていたんですよ。

近くに頼りになる人がいた槇原敬之さんは心強かったことでしょう。

槇原敬之の出身保育園

日輪保育園

槇原敬之さんは日輪学園付属日輪保育園へ入園し、1976年3月に卒園しています。

学校名 日輪学園付属日輪保育園
所在地 〒569-0855
大阪府高槻市牧田町7−58
最寄り駅 総持寺駅(阪急京都線)
公式HP

槇原敬之さんが日輪保育園出身であることは、山梨のコンサートで本人が同園をなつかしんでいたというつぶやきがあることから間違いないでしょう。

槇原敬之は❝エリーゼのために❞に感動!

2020年1月19日放送のラジオ『木村拓哉のFlow』によると、槇原敬之さんが5歳のとき保育園の先生が❝エリーゼのために❞を弾き始め、雷が落ちたのかと感じるほどの衝撃を受けたと語っていました。

初めてピアノの音色に感動した槇原敬之さんはピアノを習うことを決意します。

槇原敬之 幼少期

周囲は「男の子がピアノなんて」と嫌味を言われたそうですが、母親は「王選手はピアノを弾けるのよ。」と動じることはなかったそう。

槇原家はスポーツが得意で槇原敬之さんも野球に興味を示していたにもかかわらず、親戚のおじさんとキャッチボールをしたときに顔面キャッチをするハメになってしまったんですよ…。

顔面キャッチからスポーツはするまいと思っていた同じ時期にピアノを習い始めたこともあって、メキメキと上達していったそう。

当時の画像をみると、口の開いた様子がぶどうの美味しさに感動して詞がひらめいたかのような表情ですね。

槇原敬之 幼少期

更に幼い頃の画像は、にらめっこで変顔を見せようとしていたときのものなのかも知れません。

槇原敬之 幼少期

槇原敬之 幼少期

槇原敬之の学歴一覧・出身地詳細

槇原敬之

日輪学園付属日輪保育園
入園年月 調査中
卒園年月 1976年3月
高槻市立牧田小学校(現:玉川小学校)
入学年月 1976年4月
卒業年月 1982年3月
高槻市立柳川中学校
偏差値 入試難度
入学年月 1982年4月
卒業年月 1985年3月
大阪府立春日丘高等学校
偏差値 68 入試難度 難関
入学年月 1985年4月
卒業年月 1988年3月
青山学院大学・文学部・第二部・英米文学科
偏差値 入試難度
入学年月 1991年4月
卒業年月 1991年ごろ(中退)

ここまで槇原敬之さんの学歴について見てきましたが、出身保育園が日輪学園付属日輪保育園ということから出身地は高槻市牧田町付近でしょう。

高槻市は摂津峡公園で有名なので槇原敬之さん渓谷でマイナスイオンを浴びに行っていたのかも?

槇原敬之さんは従兄弟のROLLYさんが驚き、坂本龍一さんをも感心させたほどの才能を持っている人でした。

まれに見る逸材の槇原敬之さんの活躍をこれからも期待します。