ラサール石井さんの出身大学や高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!
幼稚園を中退していたことやわざと視力を悪くさせていたことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
ラサール石井の出身大学
ラサール石井さんは1974年4月に早稲田大学・第一文学部・仏文学科へ入学し除籍となっています。
学校名 | 早稲田大学 |
---|---|
学部・学科 | 第一文学部・仏文学科 |
偏差値 | 71〜74 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1丁目104 |
最寄り駅 | 早稲田駅(東西線) |
公式HP | https://www.waseda.jp/top/ |
ラサール石井さんが早稲田大学・第一文学部・仏文学科に在籍していたということは、大学情報サイト『みんなの大学情報』に掲載されていることから間違いありません。
また、自身のTwitterで早稲田大学を除籍となっていることについて発言しています。
@azzurri_2006 正確には早稲田中退ではなく除籍であり、その結果実際の学歴は高卒であることは、自らいつもネタにしております。自分から高学歴だ知的だと発信したことはありません。
— ラサール石井 (@lasar141) January 25, 2013
ラサール石井の志望校は東大だった!
ラサール石井さんは東京大学を受験していましたが不合格だったんだそう。
センター試験にあたる共通一次試験は良かったようですが、二次試験があまりにも難しかったんだとか。
受験と教育の情報サイト『Inter-edu.』❝2020年速報!2020年 東大・京大・難関大学合格者ランキング❞によるとラ・サール高校は日本の高校で12番目に多く東京大学へ合格者を輩出していることから、ラサール石井さんも東京大学にチャレンジしてみたくなったのでしょうね。
浪人することも選択肢の中にあったそうですが、ラサール石井さんにとって初めての東京は誘惑が多すぎて受験勉強をし続ける自信がなかったようですよ。
実際、一年生からミュージカル研究会に所属し、放送作家として『チビラサンデー』を担当したり、渡辺正行さんや小宮孝泰さんと『コント赤信号』を結成したことで除籍になっていることを考えると、おとなしく浪人生活を送るのは無理だったでしょうね。
ラサール石井の出身高校
ラサール石井さんは1971年4月にラ・サール高等学校・普通科へ入学し、1974年3月に卒業しています。
学校名 | ラ・サール高等学校 |
---|---|
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 78 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒891-0114 鹿児島県鹿児島市小松原2丁目10−1 |
最寄り駅 | 谷山駅(JR指宿枕崎線) |
公式HP | http://www.lasalle.ed.jp/ |
ラサール石井さんがラ・サール高等学校出身ということは、2020年5月15日発信『Asageiプラス』に同校出身と掲載されていることから間違いありません。
❝石井の芸名は出身校である、鹿児島のラ・サール高校に由来しています。❞
引用元:【ラサール石井、「噂では死者数10倍」発言に北と南から「名前変えろ」大合唱!(Asageiプラス)】
2011年1月1日発信『講演依頼.com新聞』のインタビューでは合格秘話について語っていることからも確かですね。
❝――塾をさぼっても、ラ・サール高校に合格されたのはすごいですね。
「それは灘高に落ちたからです。うちの塾は灘高に行かないと意味がない塾なんですよ。」❞
引用元:【楽しいことを続ける。それが夢への道に。ラサール石井(講演依頼.com新聞)】
ラサール石井は成績降下
高校入学時の実力テストは高成績だったにもかかわらず、卒業するころは最下位近くまで下がってしまったラサール石井さん。
❝入学したときは7番の成績が、卒業するときは243番でした❞
引用元:【楽しいことを続ける。それが夢への道に。(講演依頼.com新聞)】
2011年4月21日放送の『ダウンタウンDX』に出演した時の話によると、ラサール石井さんクラスメイトは下記のように面白い人達ばかりで勉強に身が入らなかったのかもしれません。
- 空手未経験者のくせに年中空手着で裸足の友人
- 家出をするためにウラジオストク行きの船からシベリア鉄道に乗り、パリへ行ったままの友人
- バスケ部でもないのに毎日練習をしてフリースローでは最強になった友人
当時の画像を見ると野外で横たわっているラサール石井さんも自由な高校生活を送っていただろうと感じますね。
ちなみに、東京で活躍している意外な人がラ・サールの先輩だったんです。
叙々苑カップにて池畑慎之介先輩と❗実はピーターさんはラサールの先輩なのです‼ pic.twitter.com/HvUe0yke1y
— ラサール石井 (@lasar141) May 23, 2017
なるほど、ラ・サール高校は個性豊かな人が多いのも納得ですね。
ラサール石井の出身中学校
ラサール石井さんは1968年4月に大阪市立住吉中学校へ入学し、1971年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪市立住吉中学校 |
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偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒558-0052 大阪府大阪市住吉区帝塚山西3丁目5−6 |
最寄り駅 | 東粉浜駅(阪急電軌阪堺線) |
公式HP | http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j732662 |
ラサール石井さんが大阪府立住吉中学校出身であることは、本人が同校出身とつぶやいていることから間違いありません。
私は住吉中学。阪南中に好きな子がいましたね。 RT @kyoh2: @lasar141 始めまして、僕は阪南中出身です。ラサールさんも近くだったんですねf^_^;)
— ラサール石井 (@lasar141) March 1, 2011
ラサール石井は灘高めざして塾に泊まり込み!
前述した『講演依頼.com』のインタビューによると、ラサール石井さんは名門進学塾『伸学社(通称・入江塾)』に入りながらもサボっていたので、強制的に塾で寝泊まりさせられていたんだそう。
塾生全員が灘高校合格に向かって猛勉強している環境の中でラサール石井さんは1~2年生まで大阪ミナミの繁華街へ映画を見に行っていたんだとか…。
塾で管理下に置かれサボれなくなったラサール石井さんは、今度学校をサボるようになってしまったんですよ!
勉強のラストスパートは間に合わず灘高校は落ちてしまったので、合格発表の夜に寝台列車でラ・サール高校の鹿児島県へ向かったんだそうです。
ラ・サール高校の合格を報告しに行った際、入江塾の先生は泣きながら「実は世の中ほど甘いものはない。人生は何回でもやり直しできるから頑張れ。」と喜んでくれたそうで、塾に泊まり込みをさせたのも愛があってのことだったんですね。
ラサール石井の出身小学校
ラサール石井さんは1962年4月に大阪市立住吉小学校へ入学し、1968年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪市立住吉小学校 |
---|---|
所在地 | 〒558-0052 大阪府大阪市住吉区帝塚山西4丁目1−35 |
最寄り駅 | 東粉浜駅(阪急電軌阪堺線) |
公式HP | http://swa.city-osaka.ed.jp/weblog/index.php?id=e731661 |
ラサール石井さんが大阪市立住吉小学校出身ということは、住吉中学校の学区やうどん店を経営している実家の所在地と合わせてもほぼ間違いないと言えるでしょう。
❝実家は祖父の代から惣菜店を営み、現在は兄の石井巧さんが「帝塚山めん処 いし井」を営んでいる。❞
引用元:【実家がうどん店 ラサール石井が語る関東と関西のうどんの差(NEWSポストセブン)】
【帝塚山めん処 いし井】
〒558-0054
大阪府大阪市住吉区帝塚山東1-12-10
ラサール石井はわざと目を悪くしていた!
大村崑さんが大好きだったラサール石井さんは、大村崑さんのトレードマークでもあるずらしている眼鏡を自分でもしてみたいと暗い所で本を読んで目を悪くしていたんです。
(※画像左から:大村崑さん、三木のり平さん)
当時の表情がちょっとコミカルなのは、大村崑さんの真似をしていたのかもしれません。
本を読むことは大好きだったようで、3年生のときに友達の家にあった大人でも大変そうな『西遊記』10巻を全巻読むために毎日通ったんですって!
勉強は興味が湧かなかったために成績は今ひとつだったうえに、球技はバレーボールを拾いに行って蹴ってしまうくらいダメだったそうで、学校では良いところを見せられなかったようですね…。
ラサール石井の出身幼稚園
ラサール石井さんは1959年4月に万代幼稚園へ入園し、中退しています。(※時期は調査中)
学校名 | 万代幼稚園 |
---|---|
所在地 | 〒558-0055 大阪府大阪市住吉区万代3丁目6−15 |
最寄り駅 | 帝塚山三丁目駅(阪堺電気軌道上町線) |
公式HP | http://mandai-kodomoen.jp/ |
ラサール石井さんが万代幼稚園に入園したことは、本人がつぶやいていることから間違いありません。
私も万代幼稚園です。 RT @8_mitsu_maru: @lasar141 チンデンより万代池側は、住所が万代やと思ってましたっ。 ちなみに私は万代幼稚園( ´ ▽ ` )ノ
— ラサール石井 (@lasar141) March 1, 2011
幼稚園を中退したことは、2015年1月20日放送のバラエティ番組『踊るさんま御殿』で❝幼稚園を中退した❞と発言しています。
ラサール石井さんには5歳上の兄がいるので、同級生は幼く見えてしまい遊び相手にならなかったのかもしれません。
2017年10月1日発信の『現代ビジネス』のインタビューによると、3歳から兄が買っていた漫画雑誌『マガジン』や『サンデー』を読み始めたそうで、平仮名はもちろん漢字も少し読めていたということですよね。
当時の愛読書は手塚治虫先生の『0マン』だったんですよ。
漫画だけでなく『主婦と生活』までも読むことで、周囲の大人に「すごい!」と褒められていたんだそう。
ラサール石井さんは努力型ではなく、生まれながらにしての天才気質だったのでしょう。
ラサール石井の学歴一覧・出身地詳細
万代幼稚園 | |||
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入園年月 | 1959年4月 | ||
卒園年月 | 中退(時期は調査中) | ||
大阪市立住吉小学校 | |||
入学年月 | 1962年4月 | ||
卒業年月 | 1968年3月 | ||
大阪市立住吉中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1968年4月 | ||
卒業年月 | 1971年3月 | ||
ラ・サール高等学校・普通科 | |||
偏差値 | 78 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1971年4月 | ||
卒業年月 | 1974年3月 | ||
早稲田大学・第一文学部・仏文学科 | |||
偏差値 | 71〜74 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1974年4月 | ||
卒業年月 | ─ |
ここまでラサール石井さんの学歴について見てきましたが、入学した幼稚園が万代幼稚園ということから出身地は大阪市住吉区でしょう。
住吉区は帝塚山(てづかやま)古墳で有名なのでラサール石井さんも子供時代頃一度は訪れていたのかも?
クイズ番組で好成績を残しているラサール石井さんですが、やはり高学歴ということがわかりました。
早稲田大学は除籍となり卒業には至っておりませんが、入試に合格できる時点で相当な学力が必要ですよね。
多彩なラサール石井さんが、今後どのような分野で活躍を遂げるのかとても楽しみです。