内野聖陽

内野聖陽さんの出身高校や大学などの学歴や経歴を徹底解説。家族構成を含めた生い立ちに迫ります!

実家が寺で雲松院であったことや英語劇をしていたことなどについても併せてご紹介します!

内野聖陽の主な経歴とプロフィール

内野聖陽

まずは内野聖陽さんのプロフィールから見ていきましょう!各内容は、公表されている情報を中心に紹介しています。

氏名(本名) 内野聖陽(※本名の読みは、うちのまさあき)
ニックネーム なし
生年月日 1968年9月16日生
出身地 神奈川県横浜市
血液型 AB型
身長・体重(推定) 177.0cm・70kg
スリーサイズ(推定) B98・W80・H98.5
足のサイズ 非公表
趣味・特技 ジャズダンス、殺陣、水泳、読書、映画鑑賞
嫌い・苦手 バラエティのフリートーク、人を家に呼ぶこと
活動期間 1993年~
所属事務所 内野聖陽個人事務所
株式会社スターダストプロモーション
所属グループ なし
家族構成 父親、母親、長姉、次姉
配偶者・子供 元嫁・一路真輝、長女
最終学歴 大学卒業

とてもフレンドリーな印象の内野聖陽さんですが、バラエティのフリートークや人を家に呼ぶことが苦手だとは不思議ですね。

内野聖陽さんは一人でいる時間が好きで、鑑賞されたくない性格なのかもしれません。

続いては内野聖陽さんの主な経歴について、大きな転換となった事柄を中心にご紹介します!

年齢 経歴
1992 24歳 文学座研究所入所
1993 25歳 初舞台『女たちの十二夜』
1993 25歳 ドラマ初出演『街角』
1995 27歳 映画初出演『午後の遺言状』
1996 28歳 第20回日本アカデミー賞 優秀新人賞
1998 30歳 エランドール賞 新人賞
2004 36歳 第44回モンテカルロ国際テレビ祭ゴールドニンフ賞 ・主演男優賞
2006 38歳 第31回菊田一夫演劇賞
2006 38歳 一路真輝と結婚 女児誕生
2011 43歳 離婚
文学座を退団し個人事務所成立
スターダストプロモーションと提携
2013 45歳 芸名の読み方を『まさあき」から『せいよう』に変更
2020 52歳 芸術選奨文部科学大臣賞 演劇部門

内野聖陽さんは2010年に乗用車内で一般女性とのキス写真と飲酒運転疑惑がフライデーに報じられたことで2011年に離婚しています。

内野聖陽さんの娘・りおさんとは一時期絶縁状態だったのですが、週末になると内野聖陽さんの130坪の豪邸に遊びに来るようになったんですって!

こんなにかわいい娘が来てくれたら、内野聖陽さんはデレデレになっていることでしょう。

内野聖陽 娘・りお

一路真輝 娘 

内野聖陽の生い立ち!実家は寺で雲松院!?

内野聖陽さんの出身地は神奈川県横浜市で、家族構成は父親と母親、長姉、次姉の3人姉弟の末っ子(長男)として育ちました。

実家は1525年(大永5年)から続く寺で雲松院といい、地元では有名なんですよ。

雲松院

内野聖陽さんは姉二人で末っ子なので、待望の後継ぎだったんです。

父親は内野陽洲大和尚といいますが、すでに他界しています。

内野聖陽さんは雲松院の後を継がなかったので、父親の弟(叔父)内野公雄さんがあとを継いでいるんですよ。

内野聖陽 叔父

キリッとした顔立ちは内野聖陽さんと似ていますね。

母親は控えめな人だったそうで内野聖陽さんと父親の間にはいることはなく、見守ってくれる存在でした。

2019年に内野聖陽さんと交際が発覚した女優・小山あずささんは母親の面倒を見てくれるんだとか。

ちなみに小山あずささんは、首都大学東京大学院在籍時に、抗菌ペプチド遺伝子の分子進化について研究し、論文を発表したこともある才女です。

叔父の袈裟をみても、雲松院の門をみても立派なので内野聖陽さんは裕福な家庭で過ごしたにちがいないですね。

お金持ちな家庭に生まれた内野聖陽さんですが、どんな学生生活を送っていたのでしょうか?続いては内野聖陽さんの出身校と学生時代のエピソードをお届けします!

内野聖陽の出身大学

内野聖陽さんの出身大学は早稲田大学・政治経済学部(偏差値:70)です。
1988年4月一般入試にて入学し、1993年3月に卒業しています。

内野聖陽さんが早稲田大学・政治経済学部出身であることは、同校のホームページに❝本学政治経済学部卒業❞と掲載されていることから間違いありません。

早稲田大学政治経済学部の起源は、1882年に東京専門学校設立時に政治経済学科として設置されたことから始まります。

第91代内閣総理大臣の福田康夫氏や第95代内閣総理大臣の野田佳彦氏も早稲田大学・政治経済学部出身です。

政官界、経済界、学術界、芸能界、スポーツ界に多くの出身者を輩出していることは言うまでもないですね。

早稲田大学のインタービューによると、内野聖陽さんが早稲田大学に進学したのは気取らないバンカラ的で開拓精神を感じたからだそう。

はじめは弁護士になろうと法学部に進もうと考えていたのですが、社会正義に生きるジャーナリストに憧れて政治経済学部にしたんだとか。

内野聖陽さんは1年浪人をして早稲田大学に入学していますが、仏教系の大学に合格していたのを蹴っていたんですよ!

自分の人生は自分で決めたいという強い意志を感じますね。

内野聖陽は演劇は英語だった!

内野聖陽さんはESS(英語会)にディベートを学ぼうと入部しました。姉との口喧嘩に勝てないからディベートを学ぼうと考えたんだとか。

しかし、活動の一環で演じた英語劇にハマりはじめて、四大学英語劇コンテストの主役に200人から勝ち取ったことでスイッチが入ったんですって!

ベルリンの壁を題材にした『ザ・ウォール』という劇の主役だったのですが、画像はあるものの音声がないのが残念です。

内野聖陽 大学時代

イケメンの内野聖陽さんはさぞかしモテていたと思いきや、男子校出身だったので女性には無菌状態だったことから奥手だったんですよ。

内野聖陽 大学時代

メガネを掛けた内野聖陽さんは、ちょっとオタクが入っていたようにも見えますね。

他に早稲田大学には演劇サークルがあったのですが、内野聖陽さんはESSの英語劇から離れることはなかったんだそう。

世界進出を考えていたのでESSにこだわったのですが、やっぱり日本語じゃないと日本人には伝わらないと文学座に入ったんですって!

初舞台は『女たちの十二夜』ですが、それでも西洋人役をしていたんですね。

内野聖陽 初舞台 『女たちの十二夜』

 

文学座に入所した翌年にNHKのドラマ『街角』初出演にして主役に抜擢されているので、内野聖陽さんにとって演劇は天職なんですね。

内野聖陽 ドラマ 街角

内野聖陽の出身高校

内野聖陽さんの出身高校は世田谷学園高等学校・仏教専修科(偏差値:46)です。

1984年4月に内部進学にて入学し、1987年3月に卒業しています。

内野聖陽さんが世田谷学園高等学校出身であることは、同校の学内誌『学友ANNEX』にOBと掲載されていることから間違いありません。

同校は曹洞宗が運営する準完全一貫の私立校であり男子校です。中学からの進学組と高校からの入学組は別のクラスになります。

土曜日は朝7時から禅堂にて全員参加の早朝坐禅会が開催されます。ダライ・ラマ14世が3度来校し講演しているんですよ。

内野聖陽は高校時代に僧侶の資格を取得していた!

内野聖陽さんは在学中に僧侶の資格を取得しています。

一般的に曹洞宗の僧侶になるには、駒沢大学、四天王寺国際仏教大学、愛知学院大学に進学しますが、内野聖陽さんは早くも高校時代に取得していたんですね。

実際に檀家で読経をすることもあったので、僧侶になる準備はできていたのでしょう。

今は芸能界のみで大活躍の大忙しの内野聖陽さんですが、もしかしたら、将来的には僧侶と俳優という二足のわらじもあるかも知れませんね。

内野聖陽の出身中学校

内野聖陽さんの出身中学校は世田谷学園中学校(偏差値:56~61)です。

1981年4月一般入試にて入学し、1984年3月に卒業しています。

内野聖陽さんが世田谷学園中学校出身であることは、高校と同じく『学友ANNEX』にOBと掲載されていることから間違いありません。

内野聖陽は中学生時代から成績トップ!

『女性セブン』によると、内野聖陽さんは中学時代から6年間成績トップだったそう。

同校には寺院の子は必ず入会しなければならない『仏教青年会』があり、内野聖陽さんは仏教合宿に毎年参加してきました。

父親は厳格な人だったので、内野聖陽さんは言われるがままにしてきたのでしょう。

当時の画像をみると、丸坊主にして真面目を絵に描いたような中学生ですね。

内野聖陽 中学生時代

内野聖陽の出身小学校

内野聖陽さんの出身小学校は横浜市立小机小学校です。

1975年4月に入学し、1981年3月に卒業しています。

内野聖陽は小学生時代は病弱だった!

今では殺陣も見事にこなす逞しい内野聖陽さんですが、幼少期は病弱だったため、父親が庭に設置した鉄棒で懸垂することが日課だったんですよ。

他にも食事の前にはお経を読む日課もあったんだそう。

内野聖陽さんが失敗したときは庭の砂利の上に正座させられたこともあったそうで、末っ子で長男であるがゆえに大きな期待を寄せられていたんですね。

幼少期の画像はぽっちゃりしていて美味しいものを食べさせてもらえていたのでしょう。

内野聖陽 幼少期

ここまで内野聖陽さんの学歴や経歴を含めた生い立ちについて見てきましたが、実家が寺で僧侶の免許を取得していたとは意外ですね。

戦国時代から続く由緒ある寺なので裕福に暮らしていたはずですが、自分の人生を自分で決めたいということからあとを継がなかった内野聖陽さん。

ESSでつちかった英語を生かして真田広之さんのように海外進出もありえるかなと期待しています。