若い頃の画像がかわいいことや英語力などについても併せてご紹介します!
高市早苗の主な経歴とプロフィール
まずは高市早苗さんのプロフィールから見ていきましょう!各内容は、公表されている情報を中心に紹介しています。
氏名(本名) | 高市早苗(※本名同じ) |
---|---|
ニックネーム | なし |
生年月日 | 1961年3月7日生 |
出身地 | 奈良県奈良市 |
血液型 | A型 |
身長・体重 | 非公表 |
スリーサイズ | 非公表 |
足のサイズ | 非公表 |
趣味・特技 | スキューバダイビング、楽器演奏、野球や武道などの観戦 |
嫌い・苦手 | 非公表 |
活動期間 | 1993年~ |
所属事務所 | なし |
所属グループ | なし |
家族構成 | 父親、母親、弟 |
配偶者・子供 | 元夫・山本拓、長男、長女、次女(山本拓氏の子供) |
最終学歴 | 大学卒業 |
高市早苗さんは山本拓さんと結婚しましたが、子供が授かりませんでした。
しかし、2007年1月21日の自身のコラムに❝血は繋がらないものの素直でかわいい息子や娘が居ります❞と語ったことで養子縁組をしたと言われています。
高市早苗の子供は養子?
週刊文春 2017年8月3日号によると❝山本拓さんはバツイチで前妻との間に3人の子供がいる❞と報じられていることから、養子ではありませんでした。
長男の山本建さんは1984年2月18日生まれで慶應義塾大学通信課程に在学中の福井県議会議員です。
高市早苗さんとは連絡を密に取るようないい親子関係のようですよ。
山本建さんのほかに娘が2人いるという情報がありますが、一般人のため公表されていません。
続いては高市早苗さんの主な経歴について、大きな転換となった事柄を中心にご紹介します!
年 | 年齢 | 経歴 |
---|---|---|
1984 | 23歳 | 松下政経塾に入塾(第5期生) |
1987 | 26歳 | 渡米し、パトリシア・シュローダー氏の元で勤務 |
1989 | 28歳 | 日本経済短期大学(現・亜細亜大学短期大学部)助手に就任 |
1990 | 29歳 | 『朝だ!どうなる?』のメインキャスター |
1993 | 32歳 | 第40回衆議院議員総選挙初当選 |
2004 | 43歳 | 山本拓氏と結婚 |
2004 | 43歳 | 近畿大学経済学部教授就任 |
2006 | 45歳 | 初入閣 第一次安倍内閣 内閣府特命担当大臣就任 |
2014 | 53歳 | 女性初総務大臣 |
2017 | 56歳 | 山本拓と離婚 |
2018 | 57歳 | 女性初の衆議院議院運営委員長就任 |
高市早苗さんが渡米していたことに疑惑が持ち上がっているんです。
高市早苗は経歴詐称?
1987年に渡米をしてパトリシア・シュローダー氏のもとで勤務し、アメリカ議会で働いていたことが経歴詐称だと噂になりました。
2016年3月31日発信『日刊ゲンダイ』によると、鳥越俊太郎氏の発言「彼女は見習い待遇で、無給で、未契約のフェローだから経歴詐称」がきっかけになりました。
高市早苗事務所は❝確かに無償で働いていたが、松下政経塾のアメリカ研究所から支払われていた。コングレッショナルフェロー(議会研究員)は選ばれた人しかなれない❞と返答しています。
サッチャー元首相とツーショットの画像がある事自体、すごいですよ。
当時の画像を見ても高市早苗さんが優秀だからこそ応援してもらっていたことが垂れ幕からもうかがえますよね。
高市早苗の英語力は?
2年ほど渡米していたので、高市早苗さんは英語が堪能のはず。そもそも英語ができない人がコングレッショナルフェローになれるはずがありません。
高市早苗さんが英語を話している動画がないのが残念ですが、披露してくれる時が来るでしょう。
高市早苗の生い立ち!実家はお金持ち!?
高市早苗さんの出身地は奈良県奈良市で、家族構成は父親と母親、弟の2人姉弟の長女として育ちました。
父親の職業はメーカー会社に勤めるサラリーマンをしていた高市大休(だいきゅう)さんといいます。
休日に家族でお出かけと思われるときでもネクタイを締めているとは、きっちりとした人だったのでしょう。
高市早苗さんが第40回衆議院議員総選挙で初当選したときは、高市大休さんが自分の退職金を選挙に使っていいと言ってくれたんだそう。高市早苗さんのことをいかに大切に思っていたのかがわかりますね。
母親は高市和子さんといい、奈良県警に勤めていました。高市代休さんが2013年、高市和子さんが2018年に亡くなっています。
6歳年下に弟の高市知嗣(ともつぐ)さんがいますが、両親が共働きだったので高市早苗さんが保護者の代わりをしていたんですって!
高市知嗣さんは高市早苗さんの秘書をしながら衆議院議員に立候補していますが2003年に落選しています。
高市早苗さんの幼少期の画像を見ると、灯籠があるなど立派な一軒家に住んでいたようですね。裕福な幼少期だったことでしょう。
お金持ちな家庭に生まれた高市早苗さんですが、どんな学生生活を送っていたのでしょうか?続いては高市早苗さんの出身校と学生時代のエピソードをお届けします!
高市早苗の出身大学
高市早苗さんの出身大学は神戸大学・経営学部・経営学科(経営数学専攻)(偏差値:62.5)です。
1979年もしくは1980年4月に一般入試にて入学し、1984年3月に卒業しています。
高市早苗さんが神戸大学経営学部経営学科出身であることは、自身のホームページのプロフィールに同校出身と掲載されていることから間違いありません。
神戸大学は1949年に設置された国立大学です。
アメリカンフットボール部、フットサル部、タッチフットボール部女史は全国レベルでの強豪チームなんですよ。
主な卒業生は、佐々木蔵之介さん、竹村健一さんがいます。
高市早苗は大学時代ホステスのバイトで留年!?
高市早苗さんは1984年に神戸大学を卒業していますが、1961年3月7日生まれだと現役卒業は1983年になります。
一年卒業が遅くなったのは、大学入学する際に浪人したのか、または留年したのかは公表されていません。
大学時代はホステスのアルバイトをしていたという情報が複数あることから、夜遅くまで働いていたことで単位を落としてしまったのかもしれません…。
ホステスだけでなく、軽音楽部に所属してヘビーメタルバンドを組んでいたことを考えると大学生活を謳歌しすぎた可能性も考えられます。
今でも美しい高市早苗さんは、若い頃は更にかわいかったので、男子からもモテていたでしょうね。
高市早苗の若い頃の画像がかわいい!
高市早苗さんの若い頃の画像がかわいいと評判です。
坂道グループに所属していても不思議ではないほどかわいいですよね。
高市早苗の出身高校
高市早苗さんの出身高校は奈良県立畝傍(うねび)高等学校・普通科(偏差値:69)です。
1976年4月に一般入試にて入学し、1979年3月に卒業しています。
高市早苗さんが畝傍高等学校出身であることは、同校のホームページに❝高校31回卒業、高市早苗総務大臣❞と掲載されていることから間違いありません。
畝傍高等学校は1896年に奈良県尋常中学校の分校として創立した公立高校です。全日制と定時制がありますが、高市早苗さんは全日制を卒業しています。
第二次世界大戦中でも❝敵国の言語を知るためには授業が必要❞と英語を週12時間教えていたんですよ。
2012年に校舎が国の登録有形文化財になるほど荘厳で、1996年放送のNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』、2011年公開の映画『朱花の月』、2013年公開の映画『少年H』の舞台にもなっています。
高市早苗は高校時代に校則違反のバイク通学!
高市早苗さんは高校時代に校則で禁止されていたバイク通学をしていました。
下記の画像は29歳のころのものなので高校へはこんなに大きなバイクだったとは考えにくいですが、女性で大型バイクを操れるなんてかっこいいですね。
通学してもバイクをどこかに隠して置かなければならないので、高市早苗さんは用意周到にしていたんですね。
授業で面白くないときは屋上に行って空を眺めていたそうで、バイクといい授業をバックレるといい高市早苗さんは男の子のようです。
高市早苗の出身中学校
高市早苗さんの出身中学校は橿原市立畝傍中学校です。
1973年4月に入学し、1976年3月に卒業しています。
高市早苗さんが畝傍中学校出身であることは、2021年3月16日発信『宇陀新聞』で同校出身と掲載されていることから間違いありません。
畝傍中学校には2部(定時制)があります。様々な理由から義務教育を受けられなかった人のための学校です。
高市早苗さんが在学していた頃に2部はなかっただろうと考えられますが、勉強に熱心な地域で育ったのだろうと想像できますね。
高市早苗の出身小学校
高市早苗さんの出身小学校は橿原市の小学校です。
1967年4月に奈良市立あやめ池小学校に入学し、転校して1973年3月に卒業しています。
【あやめ池小学校】
高市早苗さんがあやめ池小学校に在学していたことは、Mixiで❝実家はあやめ南7丁目❞という登校があることと、同校の学区から可能性が高いでしょう。
高市早苗さんの出身小学校が畝傍南小学校という情報がありますが、確固とした裏付けがありません。
畝傍中学校の学区から下記の3校のいずれかの小学校を卒業したと考えられます。
- 橿原市立畝傍北小学校
- 橿原市立畝傍南小学校
- 橿原市立畝傍東小学校
あやめ池小学校の近くには蛙股池という池があり、生き物の観察などには最高に適しているんだそう。
高市早苗さんもカエルや昆虫を採って研究していたのかもしれませんね。
高市早苗の出身幼稚園
高市早苗さんの出身幼稚園は奈良カトリック幼稚園です。
1970年4月に入園し、1973年3月に卒園しています。
高市早苗さんが奈良カトリック幼稚園出身であることは、2011年8月14日に発信された同窓生と語るブログがあることから間違いないでしょう。
高市早苗の幼少期は教育勅語!
自身のコラムによると、幼い頃から両親に『教育勅語』(明治天皇が近代日本の教育の基本方針として下した勅語。)を教えられていたんだそう。
幼稚園時代にすでに全文を暗記していたそうで、教育熱心な両親に応える子供だったんですね。
内容は「子は親に孝養を尽くす」「兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合う」「学問を怠らず職業に専念する」「知識を養う」などで子供にもわかりやすかったとコラムで語っていましたが、幼稚園で理解できたとは優秀ですよね。
ここまで高市早苗さんの学歴や経歴を含めた生い立ちについて見てきましたが、バイクで通学したりホステスを経験していたりとオテンバな面もありました。
女性初の総務大臣を歴任し、初の女性衆議院議院運営委員長を務め、次は女性初の自民党総裁候補で勝利するのかもしれないと想像すると、日本の歴史が変わる瞬間に立ち会える期待が膨らみますね!
今回のロシアがウクライナに攻め込んで、日本全国はロシア悪者、ウクライナ可哀そうだけで論ずるのはどうかと思います。まして日本がロシアを悪者扱いにしているのはどうかと思う。アメリカ追従でお茶を濁そうとして実態が判明した後どう繕うのか心配です。あくまでも中立的立場を堅持するのが良作と存じます。