立花孝志

立花孝志さんの出身大学や高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!若い頃の画像を含め、学生時代に迫ります!

地域トップの難関高校に行ける学力があったことや小学生から新聞配達をしていたことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

立花孝志の出身大学

立花孝志さんは大学に進学していません。

高校を卒業してNHK和歌山放送局に就職していることから、大学には進学しませんでした。

しかし、立花孝志さんは大学に行くつもりだったんですよ。

大学受験をやめてNHKの試験を受けようと思ったのは、幼いころからNHKだけ受信料を払うシステムに疑問を感じていたからでした。

❝子どものころからNHKの受信料に疑問を持っていたのは事実です。『なんで他のテレビ番組は無料で見られるのに、NHKだけ受信料を払わないとアカンのやろ』と。人様から半強制的に受信料をもらっているなら、他の組織以上に襟を正すのが当然でしょう。子どものころからカネに苦労していたので、不正は許せませんでした。❞
引用元:【N国・立花孝志が語る 国会を振り回す党首の知られざる半生(FRIDAY DIGITAL)】

NHKに進んで就職しようとしたのではなく、はじめから疑問を解決しに行こうとしていたのかもしれませんね。

NHKの面接試験では、受信料を払っていなかったことを指摘されピンチに立たされたにも関わらず、立花孝志さんは「払っていない側の人間の気持ちが分かる」と言って合格をもらったそうで、即時に機転が働く頭の良さを感じます。

当時の画像を見ると目がぱっちりでイケメンであることから、社内でモテていたでしょう。

立花孝志 若い頃 20歳

立花孝志の出身高校

大阪府立信太高等学校
立花孝志さんは1983年4月に大阪府立信太(しのだ)高等学校へ入学し、1986年3月に卒業しています。

学校名 大阪府立信太高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 39
入試難度
所在地 〒594-0081
大阪府和泉市葛の葉町3丁目6−8
最寄り駅 北信太駅(JR阪和線)
公式HP http://www.osaka-c.ed.jp/shinoda/

立花孝志さんが信太高校出身であることは、『JIJI.com』の国会議員情報で同校出身と掲載されていることから間違いありません。

立花孝志 国会議員情報

立花孝志さんは信太高校の1期生だったのですが、実は難関校に行けたかもしれなかったんですよ。

立花孝志は難関校に行けた?

立花孝志さんが信太高校に進学した理由は、家から近いという理由だけだったそうで、成績は群を抜いて1番でした。

高校の先生から三国ヶ丘高校(偏差値:73)合格レベルだと言われていたんですよ。

三国ヶ丘高校と言えば難関校で有名で、2019年度の進学実績は京都大学へ25人も輩出するほどの進学校です。

偏差値:73の学力がある立花孝志さんが偏差値:39の高校に進学したわけですから、先生もなぜ信太高校に来たのか不思議に思うのも当然でしょう。

学校にはほとんど行かずにアルバイトとパチンコに通い、3か月で400万円も稼いでいたんですよ。

❝実家にいるのがイヤで風呂ナシ便所ナシの独り暮らしを始めたんですが、学費も家賃も払う余裕がなかったんです。ホンマにカネがなくてね。バイトばかりしていた。早朝3時に起きての新聞配達、ガソリンスタンド、祖父がやっていた淡路島と大阪を結ぶ観光船のキップ切りなど、いろいろやっていましたよ。それでも生活できなくてね。空いた時間にやっていたのはパチンコです。3ヵ月で400万円ほど稼いだこともあります。❞
引用元:【N国・立花孝志が語る 国会を振り回す党首の知られざる半生(FRIDAY DIGITAL)】

また、立花孝志さんがあまりにもパチンコで稼ぐので、担任が真似をしてパチンコへ行ったこともあったんですよ。

当時の画像をみると、斜に構えている様子から「先生よりも稼いているぞ」と自慢げにしているように見えますね。

立花孝志 高校時代

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立花孝志の出身中学校

泉大津市立小津中学校

立花孝志さんは1980年4月に泉大津市立小津(おづ)中学校へ入学し、1983年3月に卒業しています。

学校名 泉大津市立小津中学校
偏差値
入試難度
所在地 〒595-0071
大阪府泉大津市助松町2丁目13−1
最寄り駅 北助松駅(南海本線)
公式HP http://izumiotsu.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=2720020

立花孝志さんが小津中学校出身であることは、助松団地に住んでいたという本人のつぶやきと泉大津市の学区から間違いないでしょう。

泉大津市学区

(※左から地名、住所、小学校名、中学校名)

立花孝志の中学時代は不良だった?

2019年7月29日発信の『FRIDAY DIGITAL』のインタビューによると、中学時代は不良だったんだそう。

しかし、一般的に知られている不良とは全く別行動をしていて、幼稚だからと相手にしませんでした。

❝でも学校の不良グループとは一線を画していました。幼い頃から苦労してきたからか、同年代が幼稚に見えたんです。自分で言うのもナンですが、地頭は良かったと思います。勉強は試験前しかやりませんでしたが、成績は常に学年トップでしたから❞
引用元:【N国・立花孝志が語る 国会を振り回す党首の知られざる半生(FRIDAY DIGITAL)】

アルバイトばかりで学校にほとんど行っていなかったようですが、学年で常にトップだったとは難関高校に行けたはずだと言われたのも納得がいきますね。

立花孝志さんはアルバイトに精を出していたことから、部活動はしていませんでした。

立花孝志の出身小学校

立花孝志さんは1974年4月に小学校へ入学し、1980年3月に卒業しています。

中学と同様助松団地に住んでいたと言うつぶやきと泉大津市の学区から下記の2校のうちのどちらかの小学校に通っていたと考えられます。

  • 泉大津市立上條小学校
  • 泉大津市立条東小学校

立花孝志は小学生時代から新聞配達

幼稚園時代に両親が離婚したあと両親ともに家には近寄らなかったようで、ときどき父親が家にお金を置きに来る生活が続いたんだそう。

しかし、それでは全く足りなくて小学5年生から新聞配達をして生活費の足しにしていたんだとか。

小学生で栄養バランスを考えることは難しく、小学校で栄養失調が原因で倒れてしまったんですよ…。

その後、父親は新しい母親と家に帰ってきたのですが、会話1つない殺伐とした雰囲気だったそうです。

立花孝志さんには姉がいるので姉弟で片寄せあっていたのかと思いきや、立花孝志さんを良く殴っていたそうで、立花孝志さんは安心できる場所がない状況下で育ったんですね。

立花孝志の学歴一覧・出身地詳細

立花孝志

【調査中】幼稚園 保育園
入園年月
卒園年月
【未確定】小学校
入学年月 1974年4月
卒業年月 1980年3月
泉大津市立小津中学校
偏差値 入試難度
入学年月 1980年4月
卒業年月 1983年3月
大阪府立信太高等学校
偏差値 39 入試難度
入学年月 1983年4月
卒業年月 1986年3月
大学【進学せず】
偏差値 入試難度
入学年月
卒業年月

ここまで立花孝志さんの学歴について見てきましたが、本人のつぶやきから泉大津市助松団地出身でした。

泉大津市助松には助松神社があり、境内には東天紅(神に仕える鶏)がいるので、立花孝志さんは東天紅を可愛がっていたのかも?

立花孝志さんは生活のために小学生時代から新聞配達をして生活費を稼ぐという苦労をしてきました。弱者の気持ちを理解できる人として今後の活躍が気になりますね。