コカドケンタロウさんの出身高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!卒業アルバム画像を含め、学生時代に迫ります!
父親が蒸発した生い立ちがエグいことや中学時代モテモテだったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
コカドケンタロウの出身大学
コカドケンタロウさんは大学に進学していません。
大学には進学せず芸能活動に専念することを選んだようです。
後述しますが、コカドケンタロウさんの生い立ちが壮絶すぎて、経済的に大学に進学する余裕はなかったことでしょう。
高校に入学して半年後に大阪NSC(吉本総合芸能学院)にも入学して芸人の勉強をしていたコカドケンタロウさんは、卒業するころ『市川塾』というコンビを結成していましたが1998年に解散します。
その後『サタディサンディ』というトリオを結成し、『ジャムパン』と改名しましたが鳴かず飛ばずで2000年に吉本興業からプロダクション人力舎へ移籍。
『ジャムパン』から『ギャルソンズ』に再度名前を変え、ワタナベエンターテインメントに移籍しますが、2001年にメンバーだった高山和也さんが脱退し、吉良博之さんとコンビ体制になりました。
なんとか盛り返すのかと思いきや、2003年に『ギャルソンズ』も解散してしまうんですよ…。
中岡創一さんと『ロッチ』を結成したのは2005年でした。
ロッチというコンビ名は結成した2005年に日本一になった千葉ロッテマリーンズの❝ロッテ❞を文字って名付けたんだそう。
高校を卒業してから約10年という間に3つの会社を経て5つの名前で結成したという紆余曲折の人生を歩んでいたコカドケンタロウさんに大学の選択肢はなかったことでしょう。
コカドケンタロウの出身高校
コカドケンタロウさんは1994年4月に大阪府立東住吉高等学校・芸能文化科へ入学し、1997年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪府立東住吉高等学校・芸能文化科 |
---|---|
偏差値 | 53 |
入試難度 | 中 |
所在地 | 〒547-0033 大阪府大阪市平野区平野西2−3−77 |
最寄り駅 | 平野駅(谷町線) |
公式HP | https://www.osaka-c.ed.jp/higashisumiyoshi/ |
コカドケンタロウさんが大阪府立東住吉高等学校出身ということは、声優のロア健治が自身のブログでツーショット写真と共にコカドケンタロウさんと東住吉高等学校で同級生だった、という内容を投稿していることから間違いありません。
❝東住吉高校3年間ずっと同じ1組だったお笑いコンビロッチのツッコミコカドケンタロウ☆❞
引用元:【Dear,My Master、東住吉高校クラスメイト(exciteニュース)】
高校に入学した半年後の1994年10月に大阪NSC(吉本総合芸能学院)に14期生として入学したことからコカドケンタロウさんは中卒だという噂が立ちましたが、そこそこの高校を卒業していたんですね。
コカドケンタロウは高校時代、かなりモテモテだった?
コカドケンタロウさんは、2017年3月12日放送『誰だって波瀾爆笑』によると高校時代女子生徒からモテモテで卒業時には制服のボタンが全てなくなる程だったそう。
❝コカドの18歳の時の写真を披露。コカドは芸能文化科のある高校に入学しモテモテで、卒業式では制服のボタンが全部なくなるほどだったという。❞
引用元:【誰だって波瀾爆笑 ロッチ…実はお金持ちだった中岡&コカドの父は突然の失踪!?(TVでた蔵)】
コカドケンタロウさんと言えば滑舌の悪さからTVでは度々いじられ、あまりイケメンキャラというイメージはありませんでしたが、スラットしたスタイルに甘いマスクで学生時代モテたというのも納得です。
また、コカドケンタロウさんが学生時代好きだったバンドは、筋肉少女帯やPUFFY、ハイロウズだったんだとか。
❝音楽好きで知られるコカドの音楽話に。学生の頃は筋肉少女帯やPUFFY、ハイロウズなどが好きだったと語り、近況としては「銀杏BOYZをええなあと思ってたら、銀杏BOYZの峯田さんのプロフィールのところにロッチが好きだみたいなことを書いてくれてて」と関係性を明らかにした。❞
引用元:【ロッチが「ROCKIN’ON JAPAN」で笑いから音楽までを語る(お笑いナタリー)】
筋肉少女隊、ハイロウズはロックバンドですのでコカドケンタロウさんはロックテイストがお好みだったことがうかがえます。
物静かなイメージのコカドケンタロウさんですが、うちには秘めたる熱い想いがみなぎっているのかもしれません。
【コカドケンタロウの高校時代の同級生】
- ロア健治(声優)
コカドケンタロウの出身中学校
コカドケンタロウさんは、1991年4月に大阪市立住吉第一中学校へ入学し、1994年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪市立住吉第一中学校 |
---|---|
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒559-0007 大阪府大阪市住之江区粉浜西1−5−11 |
最寄り駅 | 玉出駅(四つ橋線) |
公式HP | http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j722630 |
コカドケンタロウさんが、大阪市立住吉第一中学校出身であることは、2011年2月12日放送のバラエティ『さんま&くりぃむの第8回芸能界(秘)個人情報グランプリ』で同校出身と紹介されていることから間違いありません。
コカドケンタロウは中学時代に芸人になることを決意!
コカドケンタロウさんは小学校の頃から吉本興業の劇場『なんばグランド花月』に通っていたそうですが、真剣に芸人になることを考え始めたのが中学時代だったんですよ。
中学生といえば将来の夢ややりたい仕事についてまだ漠然としていてその夢に向かってどう行動したらいいかわからないという人が多い年頃だと思いますが、やりたい道に進むための行動を起こせるとは、コカドケンタロウさんの芯の強さがうかがえますね。
ロッチのネタは全てコカドケンタロウさんが作っているとのことですのでお笑いに対してもこだわりとポリシーを持って臨んでいることが伝わってきます。
❝ロッチのネタは全てコカドが作り、相方の中岡創一は一切口出しはしない。部屋に一緒にいてもコカドがネタ作りをしている間、中岡は寝ていることが多いのだ。だが、コカドはそれを不満には思っていない。❞
引用元:【「日本語が書いてあるモノ」が嫌いなロッチ・コカド。アイドルからモテモテなのは、なぜ?(exciteニュース)】
中岡創一さんは『世界の果てまでイッテQ』に出演するなどコカドケンタロウさんの影は薄くなっていますが、不満1つこぼさずに自分のやることをコツコツと積み上げているのは、とても我慢強い人なんですね。
ちなみに中学時代もモテモテで、卒業式のときのボタンは全部無くなったそうですよ。
あだ名は「こっきー」と呼ばれていて、友人から慕われていたことがわかりますね。
コカドケンタロウの出身小学校
コカドケンタロウさんは1985年4月に大阪市立粉浜小学校へ入学し、1991年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪市立粉浜小学校 |
---|---|
所在地 | 〒559-0001 大阪府大阪市住之江区粉浜2−6−6 |
最寄り駅 | 粉浜駅(南海本線) |
公式HP | http://swa.city-osaka.ed.jp/weblog/index.php?id=e721630 |
コカドケンタロウさんが粉浜小学校出身であることは、2017年10月3日放送のバラエティ『幸せ!ボンビーガール』で❝実家は大阪・住之江区で粉浜駅から徒歩5分❞と紹介されていること、粉浜駅に一番近い小学校は同校あることから間違いないでしょう。
コカドケンタロウの生い立ちがエグい!
『誰だって波瀾爆笑』によると、コカドケンタロウさんが8歳の時に父親が蒸発してしまったんだそう。
自宅にお風呂があったにもかかわらず父親は「ちょっと風呂行ってくる。」と出かけたまま30年以上経っても帰ってこないんだとか…。
コカドケンタロウさんは母親が40歳のときの子供で、父親も同世代だと考えると常識も良心もある年齢だったはず。
コカドケンタロウさんには姉がいますが、父親が蒸発してしまったことで経済状態は困窮し、お下がりの服しか着られなかったので、いつも女の子の格好をしていたんですよ…。
普通ならこんな壮絶な経験をしていたら暗い小学生時代を送っていてもおかしくないように思いますが、残されたお母様やお姉様が愛を注いでくれていたからこそ芸人を目指すような少年に育ったのでしょう。
現在ではこの経験さえも笑いに変えて話せるコカドケンタロウさんからはたくましささえ感じられますね。
一方でコカドケンタロウさんは一人でご飯を食べることが多かったため、大人になった今でも幸せな家庭を連想させる家庭料理を受け付けなくなってしまったそう…。
2012年7月18日放送のバラエティ『ピロロン学園』に出演し家庭料理を食べる場面でもこのトラウマが原因でコカドケンタロウさんは家庭料理を試食することができませんでした。
母親は手話の通訳をしながら子供2人を育て上げましたが、女手一つで子供を育てるのはさぞ大変なご苦労があったことでしょう。
コカドケンタロウさんは母親が苦労をしている背中を見て育ったんですね。
コカドケンタロウの学歴一覧・出身地詳細
【調査中】幼稚園 | |||
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入園年月 | 1983年頃 | ||
卒園年月 | 1985年3月 | ||
大阪市立粉浜小学校 | |||
入学年月 | 1985年4月 | ||
卒業年月 | 1991年3月 | ||
大阪市立住吉第一中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1991年4月 | ||
卒業年月 | 1994年3月 | ||
大阪府立東住吉高等学校・芸能文化科 | |||
偏差値 | 53 | 入試難度 | 中 |
入学年月 | 1994年4月 | ||
卒業年月 | 1997年3月 | ||
大学【進学せず】 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | ─ | ||
卒業年月 | ─ |
ここまでコカドケンタロウさんの学歴について見てきましたが、大阪市立粉浜小学校出身であることから出身地は大阪市住江区でしょう。
住之江区には、桜の季節には花見客に人気の住吉公園がありますのでコカドケンタロウさんも子供の頃一度は花見に訪れていたかもしれませんね。
気張りすぎずどこかひょうひょうとしたイメージのコカドケンタロウさんですが、実は幼い頃突然父親が蒸発する、という壮絶な過去があったことがわかりました。
また、中学卒業後から吉本総合芸能学院(NSC)に入学するなど、若い頃から目標や夢に向かってしっかりと行動に移せる意思の強さを持った方ということもわかりました。
父親の蒸発後、シングルマザーでコカドケンタロウさんを育ててくれたお母様を早く楽にさせてあげたいという気持ちもあったのではないでしょうか。
まだ未婚のコカドケンタロウさんですが、今後素敵な方と幸せな家庭を築かれることを祈っております。