太田光

太田光さんの出身大学や高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!卒アル画像や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

大学入学試験の疑惑の真相や完全ぼっちの高校時代のことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

太田光の出身大学

日本大学芸術学部

中村獅童さんは1984年4月に日本大学・芸術学部・演劇学科へ入学し、1986年ごろに中退しています。

学校名 日本大学
学部・学科 芸術学部・演劇学科
偏差値 58
入試難度
所在地 〒176-0005
東京都練馬区旭丘2丁目42−1
最寄り駅 江古田駅(西武池袋線)
公式HP http://www.art.nihon-u.ac.jp/access/

太田光さんが日本大学・芸術学部・演劇学科に在籍していたことは、同校が主催する第二回日藝賞に紹介されていることから間違いありません。

日藝賞 太田光 プロフィール

太田光は裏口入学?

2018年8月16日・23日号『週刊新潮』に太田光さんが裏口入学疑惑の報道がなされました。

太田光 週刊新潮

割り算もできない太田光さんを父親が800万円を払って裏口入学させたという内容でしたが、太田光さんはもちろん日本大学側も裏口入学の事実はなかったと話していることから、正当に入学しています。

❝10月9日に口頭弁論が開かれ、太田の代理人の松隈貴史弁護士は取材陣に対して、「大学も裏口入学の事実は把握していないといっている」と話し、週刊新潮側は請求棄却を求めたそうだ。❞
引用元:【爆笑太田が怒り続ける「週刊新潮」の迷走(プレジデントオンライン)】

ことの発端は日本大学のアメフト傷害事件を週刊新潮が取材する中で太田光さんの裏口入学の話がでてきたんだとか。

1次試験の前日に太田光さんをホテルで缶詰にして試験の内容と同じものをさせたそうですが、英語と国語は限りなく0点に近かったけれども入学式の数日前に補欠合格になったという情報でした。

太田光さんは試験当日に面接官のモノマネをしたり、野次を飛ばしたりして派手にやらかしていたんですよ。

相方で大学の同級生でもある田中裕二さんは同じ試験会場にいて「こいつ落ちるな」と感じたくらいだそうで、裏口入学をしようとしている人がわざわざ目立つことなんてしないですよね。

ところが、せっかく入学した大学だったにもかかわらず、中退までの3年間で2単位(スキー合宿)しか取得しなかったんです…。

毎日、学校に行かずに下宿している友達のところを転々としていたそうで、もしかすると初回の授業が期待はずれだったのかもしれません。

それでもずるずると大学に在籍していたのは父親には逆らえなかったからだそうで、太田光さんはふざけたコメントをしているようで従順なんですね。

相方の田中裕二さんから太田光さんに話しかけたことから意気投合したんですって!

入試で大騒ぎしていた人が合格しているわけですから、一体どんな人なんだろうと興味わきますよね。

田中裕二さん以外に友人は少なかったようで、川越街道の熊野交差点において肋骨を4本折るという大事故で入院しても田中裕二さん以外の見舞いは1人だけだったそうですよ。

日本大学では2単位のみの取得でしたが、大親友を得ることができたことは人生最大の幸運ですね。

【太田光の大学時代の同級生】

  • 田中裕二(爆笑問題)

太田光の出身高校

大東文化大学第一高等学校

太田光さんは1981年4月に大東文化大学第一高等学校へ入学し、1984年3月に卒業しています。

学校名 大東文化大学第一高等学校
学科・コース 調査中
偏差値 51~60
入試難度
所在地 〒175-0082
東京都板橋区高島平1丁目9−1
最寄り駅 西台駅(都営三田線)
公式HP https://www.daito.ac.jp/ichiko/

太田光さんが大東文化大学第一高校出身であることは、『みんなの高校情報』に掲載されていることから間違いありません。

太田光 みんなの高校情報

2001年6月6日発売『爆笑問題 太田光自伝』によると日大豊山高校が第一志望だったのですが、滑り止めに受けた同校が合格したので、埼玉県立福岡高等学校を受験するつもりだったのも辞めて同校に入学しました。

太田光さんの父親は内装の仕事をしながら春風亭柳好さんの弟子になろうとしたり、太宰治さんに自分の作品を読んでもらっていたそう。

高校から日本大学附属高校を狙っていたのは、父親の姿を見て日本大学芸術学部に憧れていたからかもしれませんね。

太田光の高校時代は完全ぼっちだった!

太田光さんは埼玉県出身なのですが、都内の高校に進学したことで知り合いが1人もいないまま誰とも全く話さないまま卒業したんだそう。

2019年6月6日発信の『日刊サイゾー』によると、無味乾燥な高校時代を送っていたんだとか。

❝高校生くらいのときに何も感動できなくなった。物を食べても味がしない。このまま死んでもいいんだというところへいくと、他人の命も大切に思えなくなる❞
引用元:【爆笑問題・太田光の“友人がいなかった”エピソード集(日刊サイゾー)】

授業でラグビーの試合をしたとき、パスする相手がいなくて独走体制になることが多かったため、ラグビー部からスカウトされる始末。

演劇部に所属していましたが、部員は太田光さん1人になってしまった時期があったんですよ。

修学旅行では同じグループのクラスメイトに巻かれてしまい、1人喫茶店で小説を読んでいたんだとか…。

宿泊の部屋でも小説を読んでいたので、同室のメンバーは他の部屋に行ってしまう始末だったのですが、本当は友達になりたくてウズウズしていたそうです。

太田光 高校時代

3年間誰とも話さなかったにもかかわらず太田光さんは無遅刻無欠席だったようで、かなりこじれたコミ障だったんですね。

当時の画像を見ると、口元がすねた子どものように突き出しているように見えます。

太田光 高校時代

何日も話さないと声はかすれてしまうそうで、声帯は筋肉なので衰えてしまっていたのでしょうね。




太田光の出身中学校

上福岡市立第二中学校

太田光さんは1978年4月に上福岡市立第二中学校へ入学し、1981年3月に卒業しています。

学校名 上福岡市立第二中学校(現:ふじみ野市立葦原中学校)
偏差値
入試難度
所在地 〒356-0001
埼玉県ふじみ野市川崎310
最寄り駅 新河岸駅(東武東上線)
公式HP http://www.fujimino.ed.jp/asi/

太田光さんが上福岡市立第二中学校出身であることは、2007年12月5日放送『わたしが子どもだったころ(爆笑問題 太田光)』で同校出身と紹介されていたことから間違いありません。

太田光は幽霊テニス部員!

漫画『エースをねらえ!』にあこがれてテニス部に入ったは良いものの、幽霊部員だった太田光さん。

部活には行かずに教室の隅で先生の悪口を言ってクラスメイトに受けていたんだそう。

二人でいるときはとても仲が良いのに、誰かが来ると今まで話していた子をいじって笑いを取っていたそうで、「お前、あいつと仲がいいな。」と言われるのが恥ずかしかったのかもしれません。

お笑いに目覚めたのは、ビートたけしさんがラジオパーソナリティをしていた『オールナイトニッポン』で衝撃を受けたんですって!

もしかすると、ラジオにはがきを投稿していたかもしれませんね。

太田光の出身小学校

太田光さんは1972年4月に上福岡市立第二小学校へ入学。

1975年4月に上福岡市立第六小学校へ転校し、1978年3月に卒業しています。

【上福岡市立第二小学校】

上福岡市立第二小学校

学校名 上福岡市立第二小学校(現:ふじみ野市立上野台小学校)
所在地 〒356-0011
埼玉県ふじみ野市福岡1丁目2−1
最寄り駅 上福岡駅(東武東上線)
公式HP http://www.fujimino.ed.jp/ue/

【上福岡市立第六小学校】

上福岡市立第六小学校

学校名 上福岡市立第六小学校(現:ふじみ野市立元福小学校)
所在地 〒356-0008
埼玉県ふじみ野市元福岡3丁目15−2
最寄り駅 上福岡駅(東武東上線)
公式HP http://www.fujimino.ed.jp/moto/

太田光さんが上福岡市立第二小学校に入学して第六小学校を卒業したことは、2019年11月29日放送『ファミリーヒストリー』で紹介されていたことから間違いありません。

太田光の夢は声優だった!

小学生の時に国語の授業で教科書を朗読していると、クラスメイトが笑ってウケたんだそう。

先生も「太田君はうまいから読んで。」と言って指名されたので、太田光さんは声優になりたいと思うようになったんだとか。

日本大学芸術学部を選んだのも、小学生時代のウケた思い出があったからだそうで、とても上手だったのでしょうね。

当時の画像を見ると、やんちゃな感じがします。

太田光 小学生時代

太田光 小学生時代

2008年1月31日放送のBs-hi『わたしが子どもだったころ』では、たけっつあんという怖いもの無しの相方がいて、エレベーターの中でおしっこをしたりしていたずらをしていたんですって!

太田光 小学生時代

上記の画像はまるで女の子のようで、エレベーターの中で悪さをするようには見えません。

太田光の出身幼稚園

太田光さんは1969年4月に幼稚園へ入園し、1972年3月に卒園しています。

太田光さんの出身幼稚園がどこなのかは明らかにされていませんが、爆笑問題のファンサイトに双葉幼稚園と掲載されています。

ファンによる情報であることから可能性が高いと考えられますが、双葉幼稚園という名称の幼稚園は現在なく、ふじみ野市に新双葉幼稚園と川越市に南双葉幼稚園、川越双葉幼稚園があることから引き続き調査していきます。

幼い頃の太田光さんは今とは顔が違って別人ですね。

太田光 幼少期

太田光さんは左利きだったのですが、文字が書きにくいからと幼稚園時代に自ら右利きにしています。

クラスで人気者の太田光さんは学芸会では主役を務めていたそうで、高校時代とは大違いですね。

太田光の学歴一覧・出身地詳細

太田光

【調査中】幼稚園 保育園
入園年月
卒園年月
上福岡市立第二小学校(現:ふじみ野市立上野台小学校)
入学年月 1972年4月
卒業年月 1975年3月
上福岡市立第六小学校(現:ふじみ野市立元福小学校)
入学年月 1975年4月
卒業年月 1978年3月
上福岡市立第二中学校
偏差値 入試難度
入学年月 1978年4月
卒業年月 1981年3月
大東文化大学第一高等学校
偏差値 51~60 入試難度
入学年月 1981年4月
卒業年月 1984年3月
日本大学・藝術学部・演劇学科
偏差値 58 入試難度
入学年月 1984年4月
卒業年月 1986年ごろ

ここまで太田光さんの学歴について見てきましたが、入学した小学校が上福岡市立第二小学校ということから出身地は埼玉県ふじみ野市でしょう。

ふじみ野市は大井弁天の森で有名なので太田光さんは遊歩道を歩いていたのかも?

太田光さんは独りぼっちの高校時代を乗り越えて正当な方法で大学に入学しながらも2単位しか取らずに中退しました。

一見、もったいないように感じますが、友達としても相方としても最高のパートナーである田中裕二さんと出会えたことが財産ですね。

唯一無二の存在である太田光さんの活躍に期待します!