ヤンキーの中でぼっちだったことや養子になった理由など、他では知れない情報満載でお伝えしています。
片岡愛之助の出身大学
片岡愛之助さんは大学に進学していません。
歌舞伎の世界に入り、舞台に立つなどして歌舞伎の道に精進する日々を過ごしていたため大学に進学することは考えられなかったのでしょう。
片岡愛之助は歌舞伎の為に養子に!
片岡愛之助さんは、弟子として十三代目片岡仁左衛門さんのお世話などをしながら、その他大勢の役者として舞台へあがっていました。
転機となったのは、1993年のことです。大阪、上方歌舞伎の名家二代目片岡秀太郎さんの養子になる話が出ます。
片岡愛之助さんは跡取り息子だったので父親は片岡家の養子になることに大反対するだろうと思いきや、「後悔せず、行きたいところまで行け!」と快く許してくれたんだそう。
片岡愛之助さんを思うがゆえに養子に出す父親と養子縁組をしてまでも歌舞伎役者として育てたいと願う2人の父親に愛されていたんですね。
そして、養子となったことを機に大阪中座で上演の『勧進帳』で駿河次郎役を演じ、六代目片岡愛之助を襲名することになりました。
凛々しい眉がこれから梨園で行きていくんだという強い意志を感じますね。
片岡愛之助さんは「自分はよそ者だから」と負い目を感じていたようで、その分、努力は人一倍でした。
しかも、謙虚で腰が低く、人なつっこい性格だったので贔屓にする後援者も多かったんだそう。
片岡愛之助さんの愛称は『ラブリン』ですが、襲名当時から愛されていたんですね。
『勧進帳』で駿河次郎役を演じた19歳の画像ですが、鋭い目が恐れを感じるほどです…。
片岡愛之助さんは大学進学も考えたことがあったそうですが、歌舞伎と両立はできないだろうと進学をあきらめたんだとか。
決して中途半端なことはしたくないという責任感を感じますね。
片岡愛之助の出身高校
片岡愛之助さんは1987年4月に大阪府立信太(しのだ)高等学校・普通科へ入学し、1990年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪府立信太高等学校 |
---|---|
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 39 |
入試難度 | 低 |
所在地 | 〒594-0081 大阪府和泉市葛の葉町3-6-8 |
最寄り駅 | 北信太駅(JR西日本) |
公式HP | http://www.osaka-c.ed.jp/shinoda/ |
片岡愛之助さんが大阪府立信太高等学校出身であることは、『堺市ホームページ』に本人の話として記載していることから間違いありません。
❝かたおか・あいのすけプロフィール 大阪府立信太高校卒❞
引用元:【『堺をおもえば…片岡愛之助さん堺の記憶』堺市】
片岡愛之助はヤンキーの中でぼっちだった!
出身中学と離れていた高校だったために16クラスもある高校だったにもかかわらず、誰も友達がいなかった片岡愛之助さん。
ヤンキーが多くいて番長だけでも7人もいたんですって!
中卒でもいいと感じていた片岡愛之助さんが親に「せめて高校だけは出ておいてほしい」と説得されて入学した学校だったので、番長がたくさん居る学校だと調べずに決めたのでしょう。
愛されキャラの片岡愛之助さんなので❝ぼっち❞期間は短く、友達とやんちゃしていたそうですよ。
番長がたくさんいる中でのやんちゃとは想像を膨らませてしまいますが、片岡千代丸で役者をしていたので芸の練習で悪さする暇はなかったでしょう。
片岡愛之助の出身中学校
片岡愛之助さんは1984年4月に堺市立浜寺中学校へ入学し、1987年3月に卒業しています。
学校名 | 堺市立浜寺中学校 |
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偏差値 | ― |
入試難度 | ― |
所在地 | 〒592-8342 大阪府堺市西区浜寺船尾町西5丁目60 |
最寄り駅 | 津久野駅(JR西日本) |
公式HP | http://www.sakai.ed.jp/hamadera-j/ |
片岡愛之助さんが堺市立浜寺中学校出身であることは、自身の公式ブログに同校を母校と掲載していることから間違いありません。
片岡愛之助はミーハーだった!
片岡愛之助さんは、歌舞伎の道へと進み始めていたので舞台やお稽古が忙しく、部活には所属せずに帰宅部でした。
そんな生活だったのであまり遊ぶ時間をとるのも難しかったのですが、時間があると浜寺公園やおおとりウィングス』にもよく遊びに行ったそう。
「少年隊が来たときは見に行った。」と堺市のインタビューで答えているのを見ると、結構ミーハーだったんですね。
中学時代になると、女形を演じていたんですよ。
画像が荒いのと白塗りで片岡愛之助さんかどうかもわかりにくいですが、きっと愛されキャラだったに違いありませんね。
ちなみに舞台までは自転車で通っていたそうで、立ちこぎしている片岡愛之助さんはかっこよかったことでしょう。
片岡愛之助の出身小学校
片岡愛之助さんは1978年4月に茨木市の小学校に入学。
1979年ごろに堺市立三宝小学校へ入学し、1984年3月に卒業しています。(小学校1年生の時は茨木市ですが、学校名等は調査中です。)
学校名 | 堺市立三宝小学校 |
---|---|
所在地 | 〒590-0906 大阪府堺市堺区三宝町5丁目286 |
最寄り駅 | 七道駅(南海電気鉄道) |
公式HP | http://www.sakai.ed.jp/sambo-e/ |
片岡愛之助さんが茨木市の小学校に入学したことは、『堺市ホームページ』のインタビューで茨木に住んでいたと語っています。
❝「小学校1年生のときは茨木にいて、2年生で堺市立三宝小学校に転校しました。」❞
引用元:【『堺をおもえば…片岡愛之助さん堺の記憶』・実家は船のプロペラ製造工場だった・堺市】
三宝小学校出身であることは、自身の公式ブログに同校を母校と掲載していることから間違いありません。
片岡愛之助は父の想いから子役に
片岡愛之助さんが芸能界入りのきっかけを作ったのは、父親だったんですよ。
実家の工場にはダンプカーが出入りして危険なため、父親がたまたま『松竹芸能子役募集』を目にし応募しました。
すると見事に合格!したのです。それから、藤山直美さん初主演作品の『欲しがりません勝つまでは』で子役としてテレビドラマに初出演しています。
向かって右の画像のちゃんちゃんこの様な衣装を着ている真ん中の男の子が片岡愛之助さんです。
あどけない顔の中にも片岡愛之助さんの面影がありますね。
堺市ホームページのインタビューによると、「僕はたぶん人生の大きな運を、まずここで使いました。オーディションにおちていたら、今の僕はないでしょうから。」と語っていましたが、運ではなく片岡愛之助さんの才能が頭角を現しはじめていたからですよね。
ところが仕事で勉強についていけなくなり、辞めようと思い始めた頃、タイミングよく二代目片岡秀太郎さんに声をかけられ十三代目片岡仁左衛門さんの弟子になったんです。
片岡秀太郎さんは片岡愛之助さんのことをよく見ていて、「今声をかけるときだ」と感じたのかもしれませんね。
ちなみに、片岡愛之助さんは白塗りで演じる歌舞伎をテーマパークのようだと感じていたんですって!
外でサッカーや野球をすることよりも歌舞伎が楽しかったとは、周囲でも珍しい子供だったことでしょう。
片岡愛之助の学歴一覧・出身地詳細
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ― | ||
卒園年月 | ― | ||
【調査中】茨木市の小学校 | |||
入学年月 | 1978年4月 | ||
卒業年月 | 1979年ごろ転校 | ||
堺市立三宝小学校 | |||
入学年月 | 1979年ごろ転入学 | ||
卒業年月 | 1984年3月 | ||
堺市立浜寺中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ― |
入学年月 | 1984年4月 | ||
卒業年月 | 1987年3月 | ||
大阪府立信太高等学校・普通科 | |||
偏差値 | 39 | 入試難度 | 低 |
入学年月 | 1987年4月 | ||
卒業年月 | 1990年3月 | ||
大学【進学せず】 | |||
偏差値 | ― | 入試難度 | ― |
入学年月 | ― | ||
卒業年月 | ― |
ここまで片岡愛之助さんの学歴について見てきましたが、大阪府堺市出身でした。
堺市らしいネーミングのザビエル公園で遊んでいたそうですよ。
片岡愛之助さんは一般家庭に生まれながら実力を認められ、歌舞伎界の道を選んだ生い立ちを知り実力はもちろんですが、関西弁で話す人あたりの良さと、さわやかな風貌にファン層が幅広いこともうなづけます。
藤原紀香さんとおしどり夫婦で仲の良さも羨ましいですね。
これからも華麗に演じ魅了させてくれることでしょう。
片岡愛之助さんのさらなる躍進に心より期待しています!