大学の受験勉強は中学時代に終えていたことや、昔は肥満児だったことなど、他では知れない情報満載お伝えします。
林修の出身大学
林修さんは1984年4月に東京大学・文化一類へ入学し、1989年3月に法学部を卒業しています。
学校名 | 東京大学 |
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学部・学科 | 法学部 |
偏差値 | 74 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒113-0033 東京都文京区本郷7−3 |
公式HP | http://www.j.u-tokyo.ac.jp/ |
林修さんが東京大学法学部出身であることは、ワタナベエンターテインメントの林修さんのプロフィールに同校出身であると掲載されていることから間違いありません。
林修は大学時代激太りしていた!
今でこそスレンダーな林修さんですが、大学に入学した頃は100kg超えのデブでした。
頬が盛り上がって、今の面影はあるもののアゴがなくなりかけていますね…。
そんな林修さんでしたが、好きなタイプの女性から「あんなデブと付き合うワケがない。」と言われていたことを耳にしてダイエットを決意したんですよ。
“1日1食ランチのみで夜にランニング”というダイエット方法を編み出し、半年で30kg痩せた林修さん。
卒アルを見ると、頬の贅肉が全く無くなっていて別人のようですよね。
ランチはフランス料理だったようで、毎日贅沢なダイエット生活を送っていたんですよ。
1日1食だけの食事が粗末だと精神的に続かないだろうと1食だけでも満足できるフランス料理にしたのかもしれません。
痩せたことでモテ始めた林修さんは演劇論を研究して女性を口説いていたんですよ。
2013年5月24日発信の『NumberDo編集部』のインタビューでは「最終的にメンタルが大事。」と意識改革をして70kgをキープできるようになったんだそう。
一体どんな意識改革なのか、林修さんに大学受験の授業だけでなくダイエット講習もしてほしいですね。
林修は留年していた!
大学時代は塾の講師ではなく家庭教師のアルバイトをしていて、高校で学年最下位の334位だった生徒を2位まで引き上げた実績があるんです。
口コミで次々と生徒が増え、月50万円ほど稼いでいたんですって!
2019年4月26日発信の『リクナビNEXT』で当時のことを語っているのですが、稼いだお金は全てデートとパチンコに消えていったと言いますから、派手な大学生活だったんですね。
同級生に俳優の香川照之さんがいて入学した年は一緒だったのですが、林修さんは家庭教師のバイトとパチンコにハマっていたことから留年。
香川照之さんは現役で卒業しましたが、林修さんは5年かかって卒業しています。
成績優秀のイメージである林修さんですが、留年という失敗もしていたんですね。
林修の同級生
- 香川照之(俳優)
林修の出身高校
林修さんは1981年4月に東海高等学校・普通科へ入学し、1984年3月に卒業しています。
学校名 | 東海高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 73 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒461-0003 愛知県名古屋市東区筒井1−2−35 |
公式HP | http://www.tokai-jh.ed.jp/ |
林修さんが東海高校出身であることは、『みんなの高校情報』の東海高等学校出身の有名人に林修さんの名前が掲載されていることから間違いありません。
林修は模試で全国一!
林修さんが通っていた東海高校は全国でも屈指の進学校で、2019年4月6日発信の『AERAdot.』によると2008年より12年国公立大医学部合格者数が日本一であるほど。
林修さんは超進学校のなかでも成績トップで、『リクナビNEXT』によると全国模試で1位になったこともあったんだとか。
東京大学の合格発表を「絶対に受かっているから」と見に行かなかったといいますから、勉強には自信があったことがうかがえます。
東海高校は男子校だったので女子高生の目を気にすることもなかった林修さんは、おデブさんでした。
高校2年生のときの画像ですが、完全なる“おっさん”ですね…。
卒アルを見ても、詰襟ホックを外さないと苦しいのでしょう。
部活はラグビー部に所属していたのですが、「勉強は得意だから、苦手な運動系の部活でも入っておこう」と思って入部。
一方で麻雀にもハマっていたようで、勉強はほとんどしなくてもトップをキープできていたんですって!
高校時代は余裕だったんですね。
林修の出身中学校
林修さんは1978年4月に東海中学校へ入学し、1981年3月に卒業しています。
学校名 | 東海中学校 |
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偏差値 | 65 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒461-0003 愛知県名古屋市東区筒井1−2−35 |
公式HP | http://www.tokai-jh.ed.jp/ |
林修さんが東海中学校出身であることは、『子供の習い事.net』のインタビューで中高一貫校の中学校を受験したと掲載されていることと、高校が東海高校であることから東海中学校で間違いないでしょう。
林修は中学で受験勉強おわり?
林修さんは中学時代に既に大学受験の勉強は済んでいたと2012年3月10日発売の『いつやるか? 今でしょ!』に書かれています。
1000冊近い本と日本文学全集を読破していたと言われていて、1000冊ともなると多岐に渡って色んな分野のことを読みあさったでしょうから、受験用にわざわざ勉強しなくても全て知っていたのでしょうね。
公文教室に通っていましたが、中学の間に高校で学ぶ内容は全て終わっていたと言っていたことからも、進学塾に行く必要はなかったのでしょう。
具体的に、林修さんの勉強方法はどんなことをしていたのでしょうか。
林修の勉強方法が意外!
中学受験をして東海中学に入学した林修さんですが、塾には通わずに合格しています。
偏差値:65もある難関校にもかかわらず塾なしで合格するには、さぞかし効率的な勉強方法があるのかと思いきや、遠回りするのがいいんだとか。
林修さんの勉強法は、書店で見かける“これだけすれば合格”という内容ではなく、まずは大量の情報をインプットすることです。
そして、計画を立てるにも現代文の記述答案を書くときにも逆算すること。
林修の大量の情報をインプットすることとは?
大量の情報をインプットすることとは、まずは無駄に思えるくらいの量に触れるということです。
2013年7月2日放送のラジオ『学問ノススメ』にゲスト出演していたときには「英単語を覚えるなら、まずは英語の辞書を読みましょう。」と語っていたんですよ!辞書は林修さんにとって調べるものではなく読み物だったとは驚きです。
また、夏目漱石や太宰治、志賀直哉などの文学を読破したことで漢字ドリルをした経験がないとも語っていました。
大量の本を読むことで同じ漢字を何度も見ることになり、自然と覚えてしまう方法というのが林修流勉強法といったところでしょうね。
林修の逆算することとは?
逆算することとは、“ゴールを決めてから計画を立てる”と言うことで、試験は日にちが決まっていることからゴールを決めないと到達できません。
また、現代文も起承転結の“結”をどうするかを決めてから書き始める必要があり、計画を立てるときと共通していると語っていました。
林修さんは“逆算の哲学”と名付けていましたが、まずは目標を決めると言うことですね。
中学時代、読書をするときには菓子パンを食べながらだったので、下記の画像は1年生のときですが“丸い”です。
2013年7月27日発信の『プレジデントOnline』によると「中学1年のときで体重は58kg、中2で75kg、中3で87kgだった」と言いますから、存在感抜群だったでしょう。
夢は歴史学者から物理学者、経済学者と変化しましたが、どの職業も“学者”だったとは林修さんは根っから勉強が好きなんですね。
林修の出身小学校
林修さんは1972年4月に名古屋市立香流(かなれ)小学校へ入学し、1978年3月に卒業しています。
学校名 | 名古屋市立香流小学校 |
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所在地 | 〒465-0005 愛知県名古屋市名東区香流2−1201 |
公式HP | http://www.kanare-e.nagoya-c.ed.jp/ |
林修さんが香流小学校出身であることは、同校出身であるというつぶやきが複数投稿されていることから間違いないでしょう。
林修って香流小学校なんでしょ
— 将平 (@shouhei1418) 2014年1月19日
林修香流小出身とかwwwwwwwwwまじかよww
— はっとりちゃん (@m3_miku) 2013年8月1日
林修先生、香流小学校出身って
俺と一緒やないかい!— まるちゃん@スモウインフルエンサー (@kirimaru45) 2013年9月19日
Wikipediaによると林修さんは名古屋市千種区出身とあり、名東区の香流小学校に通っていたとなると越境通学になりますが、名東区が誕生するのは林修さんが小学校3年生ときの1975年なんです。在校生はそのまま区を越えて通学していたのでしょうね。
林修のあだ名は『デブメガネ』
小学生時代は本が大好きで、図書館に通っては歴史書や百科事典を書き写していたそう。
2013年7月27日発信の『プレジデントOnline』に小学3年生になると戦国大名の名前と経歴を調べた紙を箱に入れていたのですが、30箱を超えていたといいます。
両親は大量に本を買ってくれたこともあり、視力が低下してクラスで唯一人メガネを掛けることに。
小学生のころから菓子パンを食べながら読書をして肥満児だったことから、付いたあだ名が『デブメガネ』だったんですよ!
“ひねり”の無いストレートなネーミングですよね。
国語、算数、理科、社会は成績抜群だったのですが、体育や音楽、美術、習字は苦手だったんだそう。
初めての習い事は『体操教室』だったと2013年7月2日放送のラジオ『学問ノススメ』で語っていて、5年ほど習っても一切上達しなかったのは好きではなかったから。
また、フルートも5年習ったけれども無駄だったらしく、林修さんはその頭脳でどんなことでもそつなくこなしそうですが、苦手なこともあるんですね。
林修の出身幼稚園
林修さんは1969年4月に幼稚園へ入園し、1972年3月に卒園しています。
林修さんの出身幼稚園がどこなのかは明らかにされていませんので、引き続き調査していきます。
林修は神童だった!
幼稚園にして『子供百科事典8巻』の内容を丸暗記していたのも、祖父が聞き上手で褒めてくれたからと2015年10月25日発売の『受験必要論』に書かれていて、林修さんが勉強することが好きになったきっかけは祖父のおかげでもあるんですね。
林修さんの祖父は日本画家の『林雲鳳(はやしうんぽう)』さんですが、祖父の車で幼稚園を送り迎えしてもらっていたんだそう。
祖父からとても愛されて育った事がうかがえ、七五三の時の画像を見ると上等なスーツを着せてもらっています。
林修の学歴まとめ!
幼稚園【調査中】 | |||
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入園年月 | 1969年4月 | ||
卒園年月 | 1972年3月 | ||
名古屋市立香流小学校 | |||
入学年月 | 1972年4月 | ||
卒業年月 | 1978年3月 | ||
東海中学校 | |||
偏差値 | 65 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1978年4月 | ||
卒業年月 | 1981年3月 | ||
東海高等学校・普通科 | |||
偏差値 | 73 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1981年4月 | ||
卒業年月 | 1984年3月 | ||
東京大学・法学部 | |||
偏差値 | 74 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1984年4月 | ||
卒業年月 | 1989年3月 |
林修さんの超人のような頭の良さは幼稚園からすでにつちかわれていて、中学校で受験勉強が終わっていたとはさすがですね。
また、100kg超えの“デブ”だったとは意外でしたが、それも克服して食欲をコントロールできていることに尊敬します。
受験勉強やダイエットだけでなく、他にも引き出しをたくさん持っていそうな林修さんは目が離せませんね。