今の可愛いキャラから想像できない若い頃のイケメン画像や嫁が同級生のことついて、学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
ひふみんの出身大学
ひふみんさんは1958年4月に早稲田大学・第二文学部・西洋史学専攻へ入学し、中退しています。(時期は調査中)
学校名 | 早稲田大学 |
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学部・学科 | 第二文学部・西洋史学専攻 |
偏差値 | 72~75 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1丁目104 |
公式HP | http://www.waseda.jp/ |
ひふみんさんが早稲田大学第二文学部出身であることは、2017年8月15日発信の『早稲田ウィークリー』のひふみんさんと中村太地六段との対談で同校出身と掲載されていることから間違いありません。
“「ひふみん」の愛称で親しまれる加藤一二三九段(早稲田大学第二文学部出身)”
引用元:【早稲田大学に進学した理由(早稲田ウィークリー)】
ひふみんの大学生時代のエピソード
早稲田ウィークリーで中村太地六段との対談によると、大学進学する前に既にA級に昇格してプロ棋士としても十分にやっていけるのにもかかわらず、なぜ早稲田大学に進学したのかを語っていました。
朝日新聞社の幹部が「いろんな世界を見るために早稲田大学に行ったらどうか」と勧めてくれたんだそう。
“朝日新聞社の幹部が「大学に進学して視野の広い考え方を身に付けた方がいいんではないか」と。歌舞伎の九代目松本幸四郎さん(※当時は六代目市川染五郎)とか、オリンピックの有力な候補だった競泳の山中毅選手とかね、若くしてトップの活躍をしていた人が早稲田の学生だったんです。”
引用元:【早稲田大学に進学した理由(早稲田ウィークリー)】
大学に行ってみると早稲田大学は多彩な人が多く視野が一気に広がったんだそうで、ときには人から勧められたことを素直に聞いてみるのも自分のためになるんですね。
早稲田大学には公認サークルの将棋部があり、ひふみんさんは大学を中退した後も早稲田祭のときには部活に参加していました。いかに将棋が好きで、しかも後輩思いであったかがうかがえますね。
大学時代を含む昔のひふみんさんがかっこいいと注目されているんですよ。
ひふみんの若い頃がイケメン!
ひふみんさんの若い頃は細かったためにイケメンだと話題になっています。
2017年8月11日放送の『徹子の部屋』に出演した際も黒柳徹子さんに「(若い頃は)随分とイケメンですね」と言われていたんですよ。
将棋を指す眼差しはかっこいいですね!
ひふみんの出身高校
ひふみんさんは1955年4月に京都府立木津高等学校へ入学し、1958年3月に卒業しています。
学校名 | 京都府立木津高等学校 |
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学科・コース | 調査中 |
偏差値 | 42~45 |
入試難度 | 低 |
所在地 | 〒619-0214 京都府木津川市木津内田山34 |
公式HP | http://www.kyoto-be.ne.jp/kizu-hs/mt/ |
ひふみんさんが木津高校出身であることは、2017年7月12日発信の『スポニチアネックス』で同校がひふみんの母校と紹介されていることから間違いありません。
“将棋の加藤一二三(ひふみ)九段(77)の母校、京都の木津が「ひふみん」パワーで3年ぶりに夏1勝を挙げた。”
引用元:【加藤一二三九段母校・木津「ひふみん」パワー 背番号「一二三」で3年ぶり夏1勝(スポニチアネックス)】
ひふみんの高校生時代のエピソード
高校時代は、最年少記録を更新し続けていたひふみんさん。当時の画像ですが、凛々しいですよね。
ひふみんさんの偉業(一部)は下記のとおりです。
- 15歳3ヶ月で最年少五段に昇格
- 1957年1月24日開催の高松宮賞争奪選手権戦で17歳0ヶ月で最年少優勝記録
- 18歳3ヶ月でA級八段に昇格
『神武以来(じんむこのかた)の天才』と呼ばれるまでになりました。
史上最年少棋士で注目を浴びている藤井聡太さんでも、18歳3ヶ月でのA級八段は達成できないことから考えてもいかにスゴイ人だったのかわかります。
→藤井聡太の高校や中学の学歴まとめ!幼少期に遊んだおもちゃは何?
ひふみんの出身中学校
ひふみんさんは1952年4月に木津川市木津中学校へ入学し、1955年3月に卒業しています。
学校名 | 木津川市立木津中学校 |
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偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒619-0222 京都府木津川市相楽高下4−8 |
公式HP | http://www.kizu.ed.jp/kizu-jhs/ |
ひふみんさんが木津中学校出身であることは、当時の将棋の師匠・南口繁一九段の自宅が京都府相楽郡木津町(現・木津川市)であり、1952年入学時に中学は1校しかないことから確かですね。
ひふみんの中学生時代のエピソード
ひふみんさんは中学3年生にあたる14歳7ヶ月、当時の史上最年で史上初の中学生棋士になりました。
当時の画像ですが半分閉じたような目の中から鋭い眼差しが見え隠れしているようで、既に勝負師の表情ですよね。
2017年8月11日放送の『徹子の部屋』に出演したひふみんさんは中学生時代のことを語っていたのですが、同級生が意外な人になったんですよ。
ひふみんの嫁は同級生!
ひふみんさんは中学のときの同級生だった紀代さんと結婚して家族になっています。
嫁の加藤紀代さんも、ひふみんさんも和装が似合っていますね!
馴れ初めはひふみんさんが対局で忙しかったことで学校に行けなかった日もあったことから、全教科のノートを取って届けてくれていたからなんだとか。
甲斐甲斐しく世話をしてくれる将来の嫁に、高校を卒業する頃には既に結婚を意識していたんですって!学生の時の恋がそのまま実って家族になるなんてロマンチックですよね。
子どもは1男3女の4人に恵まれ、上の3人は上智大学を卒業し、末っ子は医療関係の学校に言ったんだとか。
ひふみんさんのパパぶりが分かる画像がありますが、イクメンの先駆者だったかもしれませんね。
ひふみんの出身小学校
ひふみんさんは1946年4月に稲築町立平小学校(現:嘉麻市立稲築東小学校)へ入学。
1952年1月に木津川市の小学校に転校、同年3月に卒業しています。
学校名 | 稲築町立平小学校(現:嘉麻市立稲築東小学校) |
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所在地 | 〒820-0203 福岡県嘉穂郡稲築町平 |
公式HP | ─ |
ひふみんさんが平小学校出身であることは、同時期に平小学校に通っていた松隈紀二郎さんが作成した同学校についてのホームページに、ひふみんさんの出身校として掲載していることから確かです。
小学校を卒業する2ヶ月前に木津市立の小学校に転校したことは同ホームページに記載されていますが、当時から存在していた小学校は2校であることから、下記のどちらかの小学校に通っていた可能性あります。
- 木津市立相楽(さがなか)小学校
- 木津川市立木津小学校
ひふみんの小学生時代のエピソード
先程の平小学校のホームページを作った松隈紀二郎さん(ひふみんさんより1年後輩)が福岡放送FBSからインタビューを受けた内容によると、小学校時代のひふみんさんは兄弟で野球をして遊んでいたとのこと。
ひふみんさんは3男だったのですが、“長男がノックをし、次男がセンターで球を取り、ファーストのひふみんさんが受け取る”という練習をしていたんだそう。
松隈紀二郎さんから見て、ひふみんさんは球技が得意そうには見えなかったと語っていて、運動は苦手だったようですね。
ひふみんさんが育った稲築町は三井鉱山山野鉱があり、3交代制勤務で休憩時間には将棋をする大人たちがたくさんいました。
当時から天才ぶりを発揮していたひふみんさんは、取材に来た朝日新聞の世話で京都の南口繁一九段の弟子になるのですが、小学校をあと2ヶ月待たずして転校したんですよ。
1ヶ月待つのが勿体ないくらい、ひふみんさんの将棋の上達スピードが早かったということですね。
ひふみんの学歴まとめ!
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
稲築町立平小学校(現:嘉麻市立稲築東小学校) | |||
入学年月 | 1946年4月 | ||
卒業年月 | 1952年1月(転校) | ||
【未確定】木津川市立の小学校 | |||
入学年月 | 1952年1月(転入学) | ||
卒業年月 | 1952年3月 | ||
木津川市立木津中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1952年4月 | ||
卒業年月 | 1955年3月 | ||
京都府立木津高等学校 | |||
偏差値 | 42~45 | 入試難度 | 低 |
入学年月 | 1955年4月 | ||
卒業年月 | 1958年3月 | ||
早稲田大学・第二文学部・西洋史学専攻 | |||
偏差値 | 72~75 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1958年4月 | ||
卒業年月 | 中退(時期調査中) |
福岡の炭鉱の町に生まれたひふみんさんでしたが、将棋の天才であったために幼くして大注目を浴びる存在になりました。
中学目前の小学生にして親元を離れなければならなかったのは、すこし寂しい思いもしたとおもいますが、現在の嫁とも出会うことができて充実していましたね。
早稲田大学を卒業できなかったことは少し心残りのところもあると想像しますが、早稲田大学は中退するほうが偉人になれるというジンクス通りに偉業を成し遂げました。
これからは第二ステージとしてバラエティで頑張っていただきたいです。