任命されている教授の数がハンパないことや、若い頃の画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
池上彰の出身大学
池上彰さんは1969年4月に慶應義塾大学・経済学部へ入学し、1973年3月に卒業しています。
学校名 | 慶應義塾大学 |
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学部・学科 | 経済学部 |
偏差値 | 81 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒108-8345 東京都港区三田2−15−45 |
公式HP | https://www.keio.ac.jp/ja/ |
池上彰さんが慶應義塾大学出身であることは、慶應義塾大学教養研究センターの講師として掲載されているプロフィールに同大学出身と書かれていることから間違いありません。
池上彰の大学生時代のエピソード
慶應義塾大学に合格した池上彰さんがまず何をしたのかと言うと、創設者・福沢諭吉氏の『学問のすゝめ』を読んだそう。
大学に入るならば創設者のことを知っておこうと考えるのは、言われてみれば当たり前のように聞こえますが、読む人はそんなにいないでしょう。
入学手続きや下宿の手続きなど細々とした雑用を処理することに気が行って、大学の根源は何かなどとは考えないものですが、普通の人が着眼しないところに着目する発想が池上彰さんの優れたところですよね。
また、大学3年生のときに学園紛争が勃発するのですが、実際に自分で見た状況とマスコミが報道する内容があまりにも異なっていたことから、「自分は正しい報道をするジャーナリストになろう」と決心したんですって!
間違った報道をしていたマスコミを批判するのではなく、自分が正しいマスコミになろうと考えるとは敵地に自らが入っていくようなものでとても勇気が要ったことでしょう。
池上彰さんが凛としているのは、持論と決意が確固たるものであるからなんでしょうね。
また、偏った報道をしないために1日13社の新聞を読んでいるんですよ。
中立な立場でわかりやすい説明が池上彰さんの人気のポイントですが、特に大学で人気があるんです。
池上彰の任命された教授の数がハンパない!
池上彰さんはジャーナリスト以外に“教授”という肩書を持っていますが、その数がハンパないんです。
定年退職した後のも含めると下記の9つになるんですよ!
- 名城大学教授
- 東京工業大学特命教授
- 東京大学客員教授
- 日本大学客員教授
- 信州大学特任教授
- 元京都造形芸術大学客員教授
- 愛知学院大学特任教授
- 立教大学客員教授
- 順天堂大学特任教授
1校でもスゴイことなのに9校もあるとテレビに出演している時間がないように感じますが、客員教授や特命教授はスポット的に授業を行うので言うほどではないんだとか。
某大学教授という1校の肩書で出演しているコメンテーターがいますが、9校もある池上彰さんを正しく紹介しようとすると一息では説明できませんね。
また、池上彰さんは博士号を取得していないですが教授に就任しています。
教授になるには学位から修士、博士を取得し、研究員や講師からはじめて准教授、教授と長い年月をかけて取得するものというイメージがありますが、大学教授に規定はなく、社会人教授として功績を残した人には博士号なしでも教授になれるんです。
生徒側とすれば、博士号を取得したかどうかよりも有名でわかりやすい人の授業のほうがうけたくなりますよね。
大学時代の池上彰さんの画像はなく、また青年期でもありませんが若かりし頃の画像をご紹介しましょう。
最期の画像が一番若い頃ですが、個性派俳優として刑事役をしていそうな感じがしますね。
池上彰の出身高校
池上彰さんは1966年4月に東京都立大泉高等学校へ入学し、1969年3月に卒業しています。
学校名 | 東京都立大泉高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 65 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒178-0063 東京都練馬区東大泉5−3−1 |
公式HP | http://www.oizumi-h.metro.tokyo.jp/main/index.html |
池上彰さんが大泉高校出身であることは、2014年4月5日発信の『SANSPO.COM』で同校出身の宇賀なつみアナウンサーと先輩後輩であると掲載されたことから間違いありません。
“アシスタントを務める宇賀なつみアナウンサー(27)は池上氏と高校(都立大泉高)の先輩後輩の関係”
引用元:【池上彰氏、高校の後輩・宇賀なつみアナと新番組(SANSPO.COM)】
池上彰さんが松本深志高校出身であるという噂がありますが、松本深志高校に入学したことはありません。
長野県松本市で生まれますが3歳で東京に引っ越しているので同校に入学することはないんですよ。ちなみに、松本深志高校も偏差値:69もある難関校です。
池上彰の高校生時代のエピソード
池上彰さんは大学時代にジャーナリストを目指しましたが、高校時代から既に報道に興味がありました。
1973年1月13日公開の映画『仁義なき戦い』のモデルにもなった『広島抗争』で暴力団と戦う中国新聞社の『今中瓦』氏という記者がいました。
【仁義なき戦い】
【広島抗争】
暴力をペンで立ち向かう姿をドラマ化し、『ある勇者の記録』で放送されたのを池上彰さんがみて「かっこいいな」と思ったんです。
男子の中には喧嘩や殴り合いが好きな人がいますが、池上彰さんは暴力反対の姿勢が高校時分からあったんですね。
池上彰の出身中学校
池上彰さんは1963年4月に練馬区立開進第三中学校へ入学し、1966年3月に卒業しています。
学校名 | 練馬区立開進第三中学校 |
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所在地 | 〒176-0002 東京都練馬区桜台3−28−1 |
公式HP | http://www.kaishin3-j.nerima-tky.ed.jp/ |
池上彰さんが練馬区立開進第三中学校出身であることは、2017年10月7日に『 創立70周年記念進路講演会』が開催され、卒業生として講演したことから間違いありません。
池上彰の中学生時代のエピソード
中学生時代は1日に本を3冊読んでいたという池上彰さん。気になる分野の本を片っ端から読み漁るようにしています。
2011年10月14日に池上彰さんの講演を聞いたことを記事にしている人によると、“同じ分野の本を複数読んでいると、バイブル的に保存しておきたいものと、誰かの請負だけで研究していない本とが自然とわかってくる”と語っていたといいます。
取っておいたバイブル的本を徹底的に読み込んで自分のものにする方法で池上彰さんは知識を増やしてきたんですって!
部活動をしていたかどうかは明らかになっていませんが、学校の勉強だけでも中学になるとおおくなるのに、1日3冊の本を読破していたとは速読ができるんでしょうね。
池上彰の出身小学校
池上彰さんは1957年4月に練馬区立光和小学校へ入学し、1963年3月に卒業しています。
学校名 | 練馬区立光和小学校 |
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所在地 | 〒177-0041 東京都練馬区石神井町2−16−34 |
公式HP | http://www.kouwa-e.nerima-tky.ed.jp/ |
池上彰さんが光和小学校出身であることは、同校の校長先生がローカルメディアサイトの取材を受けた際に池上彰さんが同校出身であることを掲載されたことから間違いありません。
光和小学校と開進第三中学校は学区が異なるのですが、池上彰さんが通ったのは60年以上前のことなので学区が異なっていたのか、越境通学していたのかもしれません。
池上彰の小学生時代のエピソード
2018年2月24日発信の『東洋経済オンライン』によると、池上彰さんがジャーナリストに興味を持ったのが小学校6年生のときに出会った1962年出版の『続地方記者』でした。
地方で働く新聞記者のドキュメンタリーでしたが、池上彰さんも地方で働きたかったんだとか。
練馬区で育ちながら地方の新聞記者になりたかったとは、3歳まで育った松本市の風景が頭によぎっていたのかもしれませんね。
池上彰の学歴まとめ!
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
練馬区立光和小学校 | |||
入学年月 | 1957年4月 | ||
卒業年月 | 1963年3月 | ||
練馬区立開進第三中学校 |
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偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1963年4月 | ||
卒業年月 | 1966年3月 | ||
東京都立大泉高等学校・普通科 |
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偏差値 | 65 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1966年4月 | ||
卒業年月 | 1969年3月 | ||
慶應義塾大学・経済学部 |
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偏差値 | 81 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1969年4月 | ||
卒業年月 | 1973年3月 |
池上彰さんは小学生の時に読んだ本の影響でそのころから既に記者になりたいと思っていたんですね。
1日3冊の本や13社の新聞の量は膨大な量。到底一般人にはまねできないことですが、池上彰さんはそれを日々こなしているなんて、本当に頭がいい人なのでしょう。
9校の教授としても忙しくしていますが、今後もわかりやすい解説で世の中の動向を教えてもらいたいと願います。