メモ術は学校のノートからヒントを得たことや小学生で弾き語りをしていたことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
前田裕二の出身大学
前田裕二さんは2006年4月に早稲田大学・政治経済学部へ入学し、2010年3月に卒業しています。
学校名 | 早稲田大学 |
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学部・学科 | 政治経済学部 |
偏差値 | 74~76 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒169-0051 東京都新宿区西早稲田1丁目6−1 |
最寄り駅 | 早稲田駅(地下鉄東西線) |
公式HP | https://www.waseda.jp/fpse/pse/ |
前田裕二さんが早稲田大学政治経済学部出身であることは、早稲田大学が展開する社会人教育事業『WASEDA NEO』に同校出身と掲載されていることから間違いありません。
❝SHOWROOM株式会社 代表取締役社長前田 裕二 2010年早稲田大学政治経済学部卒業❞
引用元:【4/23(火)パイオニアセミナー 「メモで人生を拓く」講師紹介(WASEDA NEO』】
前田裕二さんには10歳離れた親代わりの兄がいるのですが、大学に進学した理由は兄を喜ばせようと思ったからなんですよ。
思いついたのは高校3年生のときで、国公立の5教科を勉強するのは遅いと3教科の私立に絞り、早稲田にしたのは先輩が早稲田の魅力『雑草の最高峰』を語ってくれたのが前田裕二さんに向いていると感じたからなんだそう。
1年足らずで早稲田大学の看板学部に合格したいだけでも凄いことですが、前田裕二さんは成績優秀者にしか与えられない給付型奨学金(返金不要)をもらっているんです。
給付型奨学金だけでは学費の全額をまかなえないので、たくさんのアルバイトを経験しています。
前田裕二の大学生時代は100種のアルバイト!
前田裕二さんが働いた職種は低く見積もっても100種類を超え、中でも印象に残っているのは英会話の資格試験専門の講師とパチンコ台のラミネートを張り替える仕事だったそう。
将来、海外に行きたいと考えてた前田裕二さんは、英会話のスキルを上げるために休憩時間を使ってネイティブ講師と会話していたそうで、バイトしながらスキルを上げていたとは効率良さすぎます。
しかも、受け持った担当の生徒は個々に合わせて指導方法を変えることで全員が学力アップ!前田裕二さんを含め係った人の全てが好転しているとは一体何者?と感じてしまいます。
大学の勉強とアルバイトをしまくっていた中、バンド活動もしていたんですよ。日本の音楽業界は実力があって努力しても報われない人がたくさんいることに気付き、将来のSHOWROOMにつながる案が生まれたんだとか。
就職活動は面接が大事だと『自己分析ノート』を作り、徹底的に自分を見つめなおして記録していったところ、使ったノートの数は40冊ほどになりました。
更にバーチャル面接を繰り返した回数は、なんと1000回を超えるんだそうで、尋常じゃない数ですよね。前田裕二さんは就職試験に絶対的な自信があったといいますが、40冊と1000回では当然でしょう。
英語のスキルも上がって海外はバンバン行っていたと想像しますが、実は出国できない事情があったんです。
前田裕二は大学まで無国籍だった!
大学3年生の21歳まで前田裕二さんは無国籍状態でした。詳細は明らかになっておらず、母親が韓国籍で出生届を出していなかったのではないかという噂もありますが、❝帰化❞という形で国籍を取得したそうです。
生まれた時から父親がいなかったということは前田裕二さんは何度もインタビューで話しているので、前田裕二さんが生まれた時は出生届が出せないトラブルがあったのでしょう。
国籍を取得してから初めて行った国は、前田裕二さんよりも悲惨な環境の人を見るためにインドへ行きました。
夜行列車で寝ていたところ、お金をせびりに近寄ってきた少年の足は無かったそうです。前田裕二さんは2万円ほど渡したのを見られていたようで、次の駅で少年は投げ飛ばされて2万円も横取りされてしまいました。
後で聞いた話によると、物乞いのために健康な脚を切断された子供達がいると知った前田裕二さんは、「自分の環境なんて彼らに比べたら幸せすぎる」と思ったそうです。
事件に巻き込まれることや病気に感染するかもしれないリスクがあるにもかかわらずインドに行きたかったのは、どんな過酷な状態でも生き抜いている生命力を前田裕二さんが感じたかったのでしょう。
前田裕二の出身高校
前田裕二さんは2003年4月に都立深川高等学校へ入学し、2006年3月に卒業しています。
学校名 | 都立深川高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 57 |
入試難度 | 難関・高・中・低・容易 |
所在地 | 〒135-0016 東京都江東区東陽5丁目32−32番19号 |
最寄り駅 | 東陽駅(東京メトロ東西線) |
公式HP | http://www.fukagawa-h.metro.tokyo.jp/site/zen/ |
前田裕二さんが深川高校出身であることは、2018年2月13日発信の『PRESIDENT Online』に同校出身と掲載されていることから間違いありません。
❝兄貴やギターをくれた人が「高校は行っておけ」というので進学しました。深川高校という都立の学校だった❞
引用元:【路上ライブを勝算あるビジネスにする方法(PREDISENT Online)】
前田裕二さんは高校に進学するつもりはなかったのですが、兄の勧めで行くことにしました。都立高校にしたのは、アルバイトで払っていける金額だったからです。
前田裕二の高校時代から超人!
高校時代はバスケットボール部に所属していて、放課後の練習だけでなく朝練も参加していました。その上、アルバイトを2つ掛け持ちしていたんですよ!
朝、新聞配達をしてからバスケットボールの朝練に参加し、授業に出て放課後の練習をしてからファミレスで夜遅くまで働いてから3時間の仮眠後に新聞配達をしていたんだそう…。
更にバンドでドラムを担当してライブハウスで演奏もしていました。そして留学経験もないのに英語のディベート大会で帰国子女をよそに優勝しています。
ディベート大会とは❝公的な主題について異なる立場に分かれ議論する❞ことですが、日本語でも難しいのに英語だなんて、日常会話レベルでは門前払いなはずですから、いつ勉強していたのでしょうか?
その上、本が大好きで星新一さんの『ショートショート』をほれ込むがあまり、自分でも小説を書いて先生に見せていたそうで、超人以外の言葉が見つかりません。
前田裕二の出身中学校・小学校
前田裕二さんは1994年4月に小学校に入学し、2000年4月に卒業。
2000年4月に中学校へ入学し、2003年3月に卒業しています。
前田裕二さんの出身小学校、中学校は明らかになっていません。
故郷を葛飾だと投稿していることから、葛飾区の小中学校だと考えられます。
故郷葛飾にて兄貴の誕生日を全力でお祝いした。#絵心よ #そもそもの描くキャラのチョイスよ #絵うまくなるにはどうしたら良いですか pic.twitter.com/tAoNnTo2gt
— 前田 裕二 / Yuji Maeda (@UGMD) April 9, 2016
新しい情報が入りましたが、ここに追記していきます。
前田裕二の生い立ちが壮絶すぎる!
前田裕二さんは生まれつき父親は一緒にいなかったうえに、小学2年にあたる1995年9月に母親を亡くしました。
親戚の家や友達の家を転々としていましたが半年ほどホームレス状態だったことあり、警察署に住まわせてもらった経験もあったそうです。2年生はほどんど学校にも行かなかったんだとか。
お腹が空いてたまらないので、近所の駄菓子屋に「時給400円で働かせてください」とお願いしに行ったところ、「お前に給料を渡すには1個100円の100個売ったところで仕入れ代を差し引くとわずかにしか残らないだよ。」と経済を教えてもらったそう。
次にコンビニだったら大丈夫だろうと頼みに行くと、「小学生は雇えないよ」と言われる始末。自分の置かれた環境に不満を持ち、警察沙汰になる事件を起こしてしまったそう。
グレていた前田裕二さんを助けてくれたのは兄でした。兄は医学部に行きたかったにもかかわらず、前田裕二さんを養うために高校を卒業後、就職しています。警察で前田裕二さんの代わりに泣いてる兄をみて「恩をあだで返している」と反省し、小学生でも稼げる方法はないかと路上の弾き語りを思いついたそうです。
兄ちゃんと久々のサシご飯!10個も上なので、兄というより、父のような存在です。僕の名前を付けたのも兄だし、赤ちゃんの頃オムツを替えていたのも兄。ママチャリの後ろに僕を乗せて公園なり遊園地なり毎日連れて行ってくれる兄。この世に無償の愛がある事を確信させてくれた、世界一尊敬する人です。 pic.twitter.com/ONX0CNPQ3t
— 前田 裕二 / Yuji Maeda (@UGMD) 2018年8月5日
はじめは月に300円くらいにしかならなかったのを、お金持ちがいそうな白金に場所を変えて通りかかる人に合わせて『赤いスイートピー』を歌ったり、『白いパラソル』をリクエストされると「1週間後までに覚えてくるので来てください」と約束をしたりして、月15万円まで稼げるようになったんですよ。
凡人が考えそうな「恥ずかしい」とか「自分には向いていないんだ」などの感情は出なかったのでしょう。
学校から帰って電車に乗って4時間くらいスナックの前などで弾き語りをしていたそうで、小学生にして稼ぐとはまるで漫画『じゃりんこチエ』のようにたくましかったんですね。
中学2年生まで弾き語りをして、3年生になると鳶(とび)職のアルバイトをしていました。前田裕二さんの筋はよく、「卒業したらうちの社員になれ」と人生初の内定をもらったそうです。
仕事だけでなく学校の成績も良かったようで、先生に褒められているんですよ。
メモ術のヒントは先生の褒め言葉
前田裕二さんは2018年8月10日発売の著書『メモの魔力』が有名ですが、小学校のころのノートが元になっているんだそうです。
担任の吉野先生が前田裕二さんのノートを見て、「前田君のノートを見習って!」と褒めてくれたことがメモ術のヒントになっているんだとか。
自分の思いついたことを色ペンやシールで見やすくしていたそうで、前田裕二さんは小学校から地頭が良かったことがうかがえますね。
前田裕二の学歴一覧・出身地詳細
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
【調査中】小学校 | |||
入学年月 | 1994年4月 | ||
卒業年月 | 2000年3月 | ||
【調査中】中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 2000年4月 | ||
卒業年月 | 2003年3月 | ||
都立深川高等学校 | |||
偏差値 | 57 | 入試難度 | 高 |
入学年月 | 2003年4月 | ||
卒業年月 | 2006年3月 | ||
早稲田大学・政治経済学部 | |||
偏差値 | 74~76 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 2006年4月 | ||
卒業年月 | 2010年3月 |
ここまで前田裕二さんの学歴について見てきましたが、出身校からは出身地は明らかになりませんでした。
前田裕二さんのつぶやきから、出身地は葛飾区です。
葛飾区は映画『男はつらいよ』の舞台で有名なので前田裕二さんは『葛飾柴又寅さん記念館』に行ったことがあったのかも?
前田裕二さんは8歳で両親を亡くし、小学生でホームレス状態を経験しながらも11歳で稼げることを考え弾き語りをして生計の足しにしていました。
日本の若者は与えられすぎて何もできないと言われる中、高校も大学も自分で稼いで卒業し起業した前田裕二さんを見習わなければならない先人はたくさんいるでしょう。
今後の前田裕二さんに目が離せませんね。