保育園時代が地獄すぎたことやマスクが離せない真相など、他では知れない情報満載でお伝えしています。
清野とおるの出身大学
清野とおるさんは1998年4月に4年制大学に入学し、2002年3月に卒業しています。
清野とおるさんの出身大学がどこなのかは明らかにされていませんが、出身高校の成立高校から進学する率の高い大学が下記の3校であることから、清野とおるさんの出身大学の可能性もありますね。
- 東洋大学
- 法政大学
- 獨協大学
清野とおるの大学は漫画のため?
高校で漫画家デビューをしたはよかったものの、連載を持つための時間稼ぎとして大学に進学したんだとか。
なかなかネーム(漫画の原案)が通らずに苦労しましたが、大学4年生のときにヤングジャンプに掲載された『青春ヒヒヒ』が初連載となりました。
連載をスタートするとSNSで昔の友達がいっぱい増えるのかと思いきや、申請してくれたのはたった一人…。
小学、中学、高校、大学含めたら、星の数ほど同級生なんているのに、ツイッターで絡んできてくれた唯一の同級生が「徳永君」。女の子の同級生とかも結構たくさんいるのに、「徳永君」。大切にするわ、「徳永君」。
— 清野とおる (@seeeeeeeeeeeeno) 2013年9月8日
もしかすると、清野とおるさんは外出するときにマスクばかりをしているので誰からも気づかれないのかもしれません。
清野とおるさんが外出するときはいつもマスクをしていて離せないのですが、真相はちょっと変わっているんですよ。
清野とおるの素顔とマスクの理由が判明!
マスクを離せない清野とおるさんの真相は、口の中の粘膜を見られたくないんだそう。
清野とおるさんの代表作である漫画『東京都北区赤羽』のために普段からネタ探しに飲食店やスナックに出かけていて、顔が知られていると取材するときに拒否されたり逆にファンに付いてこられたりして影響を及ぼすのを防止する意味もあるんだとか。
また、清野とおるさんは『トゥレット症候群』という急に首を振ったり、口の中を噛んだり、短い叫び声やうなり声を発したりする病気(個人差あり)を発症していて、症状を隠すためにマスクをしているとも言われています。
理由は数々あれども、最大の理由はあまりにも大きすぎるマスクということから、鼻から下の自分の顔にコンプレックスがあって自信がない可能性が高いですね。
小学生の友人の卒業式の時でさえマスクをしてお祝いに駆けつけています。
漫画家になるまえから原因不明の吐き気があり、向精神薬(抗うつ薬や睡眠導入剤など精神科で使う薬の総称)を服用していた時期もあったよう。
吐いているときは口の中が見えてしまうので、清野とおるさんにとって口の中を見せると言うことは嘔吐している姿を見せることと同じように感じてしまうのでしょう。
ちなみに、素顔の清野とおるさんもなかなかのイケメンです。
清野とおるの出身高校
清野とおるさんは1995年4月に成立高等学校(現:成立学園高等学校)へ入学し、1998年3月に卒業しています。
学校名 | 成立高等学校(現:成立学園高等学校) |
---|---|
学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 48~61 |
入試難度 | 中 |
所在地 | 〒114-0001 東京都北区東十条6−9−13 |
最寄り駅 | 赤羽駅(埼京線) |
公式HP | https://www.seiritsu.ac.jp/ |
清野とおるさんが成立高校出身であることは、同校のホームページに❝清野とおる先輩が来校しました!❞と掲載されていることや、自身が以下のようにつぶやいていることから間違いありません。
❝本日、「清野とおる」さんが来校しました。実は清野さんは本校卒業生(平成9年度卒)です。現在、『SPA!』で「ゴハンスキー」という漫画を連載中で、母校の生徒ホール(学食)をネタに書くということで、昼休みに取材・実食に来ました。❞
引用元:【清野とおる先輩が来校しました!(成立学園ホームページ)】
成立高校の職員の人が、4ヶ月に1度くらいのペースで、酔っ払って僕の携帯に電話をかけてきます。
一応「母校」なので、優しく応対しています😑
— 清野とおる (@seeeeeeeeeeeeno) August 23, 2015
清野とおるさんが通っていた頃、成立高校は男子校でしたが、2004年から共学になり、成立学園高等学校に名称を変更しています。
清野とおるの高校時代に漫画家デビュー
清野とおるさんは宝島社が連載していた街中の変な看板などを紹介する読者投稿型の雑誌・『VOW』に投稿しはじめたのがきっかけで漫画家になります。
処女作は週刊ヤングマガジンに投稿した『猿』という作品。なんと月刊奨励賞を受賞し、高校3年生のときに描いた『アニキの季節』が掲載されたことで漫画家デビューを果たしました。
高校生で漫画家になれるとはかっこいいですね。
漫画家を志望した理由は、❝アルバイトで時給800円で一生懸命働くよりも漫画を描くだけで100万円もらえるのは楽だ❞と思ったからだそう。
ちなみに、同じ漫画家の押切蓮介さんとは高校時代からの知り合いで、スーパーイズミヤの板橋店加工食品のアルバイトしていた同僚のおばちゃんの息子が押切蓮介さんだったんですって!
清野とおるの出身中学校
清野とおるさんは1992年4月に板橋区立志村第二中学校へ入学し、1995年3月に卒業しています。
学校名 | 板橋区立志村第二中学校 |
---|---|
所在地 | 〒174-0051 東京都板橋区小豆沢1−21−1 |
最寄り駅 | 志村坂上駅(都営三田線) |
公式HP | http://www.ita.ed.jp/edu/simu2jh/ |
清野とおるさんが志村第二中学校出身であることは、双葉社刊『ウヒョッ!東京都北区赤羽』第5巻第51話に掲載されていることから間違いありません。
清野とおるの中学時代はヨーグルト信仰?
給食でヨーグルトが1個あまったことをきっかけにヨーグルトをトイレの清掃道具入れにお祀りをすることにしたんだそう。
(※画:清野とおる)
なぜヨーグルトを祀ろうと思いついたのかは清野とおるさんも分からないのですが、男子生徒がこぞって清掃道具入れに向かってお祈りをしている姿は異様だったでしょうね。
先生に”偶像化”されたヨーグルトが見つかってしまい「またお前か!」とこっぴどく叱られていたのは、実はヨーグルトが嫌いなので、食べない言い訳にしていたとか?
ヨーグルトを神様にしてしまうような意表を突くアイデアはひんぱんに思いついていたようで、卒業アルバムのページの左右に、友人と壁を押すような構図を考えて撮影してもらっているんです。
(※画:清野とおる)
実際は中央線にまたがってしまうという無残な結果になってしまいましたが、面白いアイデアを思いつく才能は中学から養われていたんですね。
清野とおるの出身小学校
清野とおるさんは1986年4月に板橋区立志村第四小学校へ入学し、1992年3月に卒業しています。
学校名 | 板橋区立志村第四小学校 |
---|---|
所在地 | 〒174-0051 東京都板橋区小豆沢4−13−1 |
最寄り駅 | 志村坂上駅(都営三田線) |
公式HP | http://www.ita.ed.jp/edu/simu4es/ |
清野とおるさんが志村第四小学校出身であることは、中学と同じく双葉社刊『ウヒョッ!東京都北区赤羽』第5巻第51話に掲載されていることから間違いありません。
清野とおるは伯父から漫画を伝授
清野とおるさんは漫画家でイラストレーターの叔父と同居していたことで漫画を習ったんだそう。小さい頃はおねだりしてよく絵を描いてもらっていたんだとか。
小学低学年のころは夏になると自宅前の道で花火をして遊ぶことが恒例となっていて、ある年に清野とおるさんが上に向けて花火をしたことで隣のお寺の木に着火してしまったことがあったんです。
(※画:清野とおる)
すぐに鎮火したのですが、住職と奥さんが激怒して出てきたそう。子供の清野とおるさんがきっかけだったのにもかかわらず、父親と住職と奥さんの大ゲンカになってしまったんですよ。
(※画:清野とおる)
清野とおるさんは小学校の担任の先生がFacebookをしているのを見かけても静観する話があるほど感情を表に出さない性格であるのは、周囲が血の気の多い人だったために感情を表に出さないようになってしまったのかもしれません。
小学校5〜6年生の時の担任の男性教師、差別&暴力、日常茶飯事の人非人でして。
ふと、「今なにやってるのかな〜?」と思い名前を検索したら、いっちょまえにFacebookなんぞやっていやがった!
M先生よ!いっちょまえだな!!
しばし「日記」を「静観」してやるからな〜(≧∇≦)
— 清野とおる (@seeeeeeeeeeeeno) September 11, 2015
当時の画像をみると、引っ込み思案だっただろうなと思わせる伏目がちな清野とおるさんです。
清野とおるの出身保育園
清野とおるさんは1983年4月に保育園へ入園し、1986年3月に卒園しています。
清野とおるさんの出身保育園は廃園になったと言う情報もあり追跡が困難ではありますが、清野とおるさんが活躍してきているので新しく情報が入ってくる可能性残っています。
情報が入り次第、ここに追記します。
清野とおるの保育園時代は地獄すぎる!
清野とおるさんいわく、保育園の園長と副園長が園児に対して見に覚えのない言いがかりで保育園は地獄と化していました。
(※画:清野とおる)
❝俺は副園長に髪の毛をつかまれ、冷たい床に頭を押し付けられた。力づくで、無理矢理土下座をさせられたのだ。「・・・すみませんでした」オトナに対する得体の知れぬ恐怖心が、俺の口から謝罪の言葉を吐かせた。『暴力』 『土下座』 『無実の罪を償わせる』幼い子供にしてはいけないワースト3ではなかろうか。❞
引用元:【地獄保育園①(清野のブログ)】
それでも言うことを聞かない園児は更に縄でぐるぐる巻きにされて立たせたことやニワトリ小屋に閉じ込めたこともあったようで、教育の域を完全にこえていますよね。
とはいえ、先生が全員暴力的だったわけではなく、保母さんや園長の息子さんは優しく接してくれていたことが良かったようで、当時の絵や画像を見ても普通の園児の絵で精神が崩壊しているようには見えません。
保母さんと園長先生の息子さんの力が大きかったのでしょう。
そんな心の拠り所であった園長先生の息子ですが、園庭で亡くなってしまいました。(※清野とおるさんの在園中)
❝園長の息子が、中庭で変死する。死んだ現場を目撃したわけではないので、詳細は知らないが、掃除中の突然死(という説明)だったと記憶している。今作ったネタだと思われるのは非常に心外なのだが、ホントのホントに死んだんです。❞
引用元:【地獄保育園④(清野のブログ)】
暴力を受けたという心の傷も深いですが、優しい先生が亡くなったという衝撃の方が大きかったに違いありません。幼い時期に過酷ともいえる経験をしてきたんですね。
清野とおるの学歴一覧・出身地詳細
板橋区の保育園 | |||
---|---|---|---|
入園年月 | 1983年4月 | ||
卒園年月 | 1986年3月 | ||
板橋区立志村第四小学校 | |||
入学年月 | 1986年4月 | ||
卒業年月 | 1992年3月 | ||
板橋区立志村第二中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1992年4月 | ||
卒業年月 | 1995年3月 | ||
成立高等学校 | |||
偏差値 | 48~61 | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1995年4月 | ||
卒業年月 | 1998年3月 | ||
【調査中】大学 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1998年4月 | ||
卒業年月 | 2002年3月 |
ここまで清野とおるさんの学歴について見てきましたが、出身小学校が志村第四小学校ということから出身地は板橋区志村でしょう。
板橋区志村『浮間釣り堀公園』があることから、釣り糸を垂らしながら漫画のネタを考えていたのかも?
清野とおるさんは保育園で地獄のような経験をしながらも、漫画家で大成しました。壇蜜さんという魅力たっぷりの女性と結婚され、ますます活躍されることでしょう。
中学と高校の入学・卒業年次が同じ。三田線に赤羽駅はありません。