山田裕貴

山田裕貴さんの出身大学や高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!卒アル画像や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

父を追いかけて野球児だったことや俳優を目指した理由など、他では知れない情報満載でお伝えしています。

山田裕貴の出身大学

山田裕貴さんは大学に進学していません。

高校を卒業後に上京し、『ワタナベエンターテインメントカレッジ6期生』で入所していることから大学には進学しませんでした。ワタナベエンターテインメントカレッジを勧めたのは妹だったんだそう。漠然と大学には行きたくないと思いながら、進路を悩んでいたときに救いの手を差し伸べてくれたんだとか。

山田裕貴さんは有名になりたい願望が強く、夢を叶えるために俳優になろうと決意したのですが、父親の影響が強かったからなんです。

山田裕貴が父親を越える決意とは?

父親は元プロ野球の山田和利さん。

山田裕貴 父親 山田和利

あまり山田裕貴さんと似ていない気もしますが、山田和利さんが若い頃の画像を見ると、納得できますよ。

山田裕貴 父親 山田和利

山田裕貴さんは父親と同じ道に進むべく小学校から中学時代までリトル&シニアリーグに所属していましたが、自分には向いていないと感じ野球を辞めてしまいました。

辞めるときに父親から「お前に野球をしろと言った覚えはない。しかし、自分からすると言ったことを途中で辞めて欲しくなかった。」と言われたんだそう。

山田裕貴さんは俳優は絶対にあきらめずに続けようと決心し、テレビに映る回数では父親を越えると誓ったんですって!

とは言いつつも、周囲から期待されていない雰囲気が感じ取られ、不安でくじけそうになっていましたが、毎日10㎞を走ってやる気を維持していたんだとか。

イギリス俳優・ゲイリーオールドマンの映画のエンドロールに名前を発見するまで出演していたことが分からないカメレオンのような演技に感動し、自分もカメレオンになりたいと願い続けていたんだそう。

2010年に開催された『D☆DATE新メンバーオーディション』のファイナリストにはなりましたが、選ばれませんでした。ところが、事前投票で山田裕貴さんが1位だったことで急きょ設けられた『D-BOYS部門』のグランプリに選ばれ、D2のメンバーになったところから運が向いてきました。

山田裕貴 D2

翌年の2011年2月放送の『海賊戦隊ゴーカイジャー』で俳優デビューを果たします。

山田裕貴 ゴーカイブルー

大学相当時にあたる期間では『GTO』をはじめとしたドラマを7本と『海賊戦隊ゴーカイジャー』シリーズの映画など7本の映画に出演しています。

元ハードル選手の為末大さんが執筆した絵本『生き抜くチカラ ボクがキミに伝えたい50のことば』に書かれていた❝「自分が勝てる場所」を見きわめる。❞という言葉の通り、俳優という勝てる場所を見つけた山田裕貴さんは、大学に進学するよりも良い結果を得られたことでしょう。

山田裕貴の出身高校

東邦高等学校
山田裕貴さんは2006年4月に東邦高等学校へ入学し、2009年3月に卒業しています。

学校名 東邦高等学校
学科・コース 調査中
偏差値 49~61
入試難度
所在地 〒465-0097
愛知県名古屋市名東区平和が丘3丁目11
最寄り駅 一社駅(地下鉄東山線)
公式HP https://www.toho-h.ed.jp/

山田裕貴さんが東邦高校出身だということは、2019年4月3日発信の『オリコンニュース』が同校を出身校だと掲載していることから間違いありません。

❝東邦高校出身の俳優・山田裕貴が、お祝いコメントを発表した。❞
引用元:【山田裕貴、母校・東邦高校のセンバツ優勝を祝福「自分の事のように感動しています」(オリコンニュース)】

山田裕貴の高校時代はバレーボールに熱中

東邦高校は山田和利さんの母校でもあったので周囲からは野球部に所属するものだと思われていましたが、野球を断念していた山田裕貴さんはバレーボール部に所属しました。

山田裕貴 高校時代

部活動で有名な高校なので、バレーボール部も強かったでしょうね。

社交的なイメージの山田裕貴さんですが、高校時代はシャイだったんだそう。女子生徒と話をするだけで赤面し、初めての彼女と手をつなぐだけでも4か月もかかったんですよ。男子とは仲が良かったようですね。

山田裕貴 高校時代

高校3年生の時に野球部が甲子園に出場したので、山田裕貴さんも応援しに神戸へ出向きましたが、「もし自分も野球を続けていたら…。」と試合が始まる前から号泣してしまったそう。

未練が残るほど野球が好きだったんですね…。

山田裕貴 高校時代

高校時代は「みんなに好かれたい」という八方美人的な願望があったようですが、卒アルほどかっこよかったら人気があったに違いありません。

山田裕貴 卒アル 高校

山田裕貴 高校時代

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山田裕貴の出身中学校

名古屋市立若水中学校

山田裕貴さんは2003年4月に名古屋市立若水中学校へ入学し、2006年3月に卒業しています。

学校名 名古屋市立若水中学校
偏差値
入試難度
所在地 〒464-0071
愛知県名古屋市千種区若水2丁目6−1
最寄り駅 池下駅(地下鉄東山線)
公式HP https://www.nagoya-c.ed.jp/school/wakamizu-j/

山田裕貴さんが若水中学校出身ということは、同校出身の人が同じクラスだったとつぶやいていることから間違いないでしょう。

山田裕貴の中学時代の野球姿がかっこいい!

中学時代は学校の野球部には所属せず、シニアリーグ『名古屋北シニア』で汗を流していました。

山田裕貴 野球

山田裕貴 野球

山田裕貴 野球

名古屋北シニアは全国大会の常連という強豪チームで、下記のインスタグラムを見ると山田裕貴さんはピッチャーだったようです。

ピッチャーをするくらいですから、さぞかしモテたと思いきや、丸刈りだったことから全くモテなかったそう。丸坊主時代はバレンタインデーのチョコレートが義理チョコも合わせて0個だったにもかかわらず、引退して髪を伸ばし始めると7個に増えたんだとか。

中学時代ではありませんが、丸坊主もかっこいいですよ。

山田裕貴 丸坊主

チョコレートが増えて喜んだらいいのに、逆に女子生徒が信じられなくなったんだそう。外見だけで判断されているようで嫌だったそうですが、山田裕貴さんの良さが分かりやすくなっただけのことですよね。

野球は辞めたものの、2018年8月10日の中日×ヤクルト戦の始球式に投球しています。

山田裕貴 始球式

投球後、感極まって泣く姿には感動ものでした。

山田裕貴 始球式

野球も一生懸命やってきたからこそ、晴れ舞台に立てたんですね。

ちなみに、中学時代はプラネタリウムが好きで、星を見ながら❝魂❞の存在について考え込む少年だったんです。運動するよりも頭で考える方が好きだったとは意外ですね。

山田裕貴の出身小学校

名古屋市立高見小学校
山田裕貴さんは1997年4月に名古屋市立高見小学校へ入学し、2003年3月に卒業しています。

学校名 名古屋市立高見小学校
所在地 〒464-0073
愛知県名古屋市千種区高見1丁目7−1
最寄り駅 池下駅(地下鉄東山線)
公式HP https://www.nagoya-c.ed.jp/school/takami-e/

山田裕貴さんが高見小学校出身であることは、中学と同じく同校出身というつぶやきが投稿されていることから間違いないでしょう。

山田裕貴の小学生時代は悪童だった?

小学生時代の山田裕貴さんはやんちゃで、悪童として知られていたんだそう。具体的なやんちゃぶりは明らかになっていませんが、元気が有り余って神社の神木に登ったり、立ち入り禁止のため池に入って釣りをしていたのかもしれませんね。

小学生から野球をはじめ、当時は疑いもなく野球選手になるものだと思っていたそうで、父親と同じ職業に就きたいとは大好きだからでしょう。

山田裕貴の出身幼稚園

山田裕貴さんは1994年4月に広島市内の幼稚園へ入園し、1997年3月に卒園しています。

山田裕貴さんの出身幼稚園がどこなのかは明らかにされていませんが、幼稚園時代は広島に住んでいたことを本人がつぶやいていることと、広島市中区に住んでいたという投稿があることから、広島市中区の幼稚園に通っていた可能性があります。

幼稚園の記憶は定かでない人もたくさんいる中、大人になっても交流があるなんて山田裕貴さんは人に好かれるのでしょう。

幼い頃の画像を見ると、まつ毛が濃くて女の子のようですね。

山田裕貴 幼少期

赤ちゃんの時もめちゃくちゃかわいいです。

山田裕貴 幼少期

山田裕貴の学歴一覧・出身地詳細

山田裕貴

【調査中】広島市内の幼稚園
入園年月 1994年4月
卒園年月 1997年3月
名古屋市立高見小学校
入学年月 1997年4月
卒業年月 2003年3月
名古屋市立若水中学校
偏差値 入試難度
入学年月 2003年4月
卒業年月 2006年3月
東邦高等学校
偏差値 49~61 入試難度
入学年月 2006年4月
卒業年月 2009年3月
大学
偏差値 入試難度
入学年月 進学せず
卒業年月

ここまで山田裕貴さんの学歴について見てきました。出身幼稚園が広島市中区ですが、生まれた1990年、山田和利さんは中日ドラゴンズで選手をしていたので出身地は名古屋市ですね。

名古屋市は手羽先で有名なので山田裕貴さんは鶏肉が好きな子供時代を過ごしたのかも?

山田裕貴さんは父親の後を引き継ぎ、野球選手になるべく頑張っていましたが、向いていないと俳優に転向したことが大正解でした。

あきらめない精神でこれからも活躍してくれることでしょう。