立川志らく

立川志らくさんの出身高校や大学などの学歴と本当の出身地を徹底解説!卒アル画像や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

けん玉で日本記録を持っていることや九九が理解できなかったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

立川志らくの出身大学

日本大学芸術学部

立川志らくさんは1982年4月に日本大学・芸術学部・演劇学科へ入学し、1985年に中退しています。

学校名 日本大学
学部・学科 芸術学部・演劇学科
偏差値 58
入試難度
所在地 〒176-0005
東京都練馬区旭丘2丁目42−1
最寄り駅 江古田駅(西武池袋線)
公式HP http://www.art.nihon-u.ac.jp/access/

立川志らくさんが日本大学芸術学部演劇学科に在籍していたことは、2014年1月『公益財団法人横浜中法人会』のインタビューで同校に在学していたことを語っていることから間違いありません。

❝日本大学の芸術学部演劇学科に入って舞台美術をやってた❞
引用元:【「今度入った弟子はすごいよ」って、前座のくせに天下の立川談志に2つも「イヤです」と逆らったので。(公益財団法人横浜中法人会)】

立川志らくさんは日本大学の系列高校に通っていたことから内部進学で日本大学に合格したのかと思いきや、演劇があまりにも下手だったことから不合格だったんですよ。

大学入学直後で時期は少しずれますが、確かに何がしたいのかちょっと理解に苦しむ表現ですね…。

立川志らく 大学時代

しかし、どうしても芸術学部に進学したくて一般入試で見事合格を勝ち取っているんです。

当時は映画関係の仕事に就きたかったことから、意地でも入学したかったそうで、立川志らくさんの不屈の精神を感じますね。

立川志らくの大学生時代は照明専攻

立川志らくさんは舞台の照明を専攻していたのですが、演じている学生の演技が下手すぎて照明を当てることにやってられなくなったんだそう。

大学1年生にあたる1982年9月にたまたま聞きに入った落語が10代目金原亭馬生師匠の最後の高座で、あまりにもカッコよさすぎて弟子入りすると決めたんだとか。

ところが金原亭馬生師匠が亡くなってしまい、立川志らくさんがお弔いに出かけて池袋演芸場に入ってみると、立川談志師匠が金原亭馬生師匠の思い出話をしていました。

客が「落語やれぇ」と野次を飛ばすと、立川談志師匠は「今日は落語の気分じゃない。金返すから帰れ」といい飛ばした姿がかっこよくて、立川談志師匠に弟子するものいいなと思ったそう。

大学の落語研究会に入り練習に励んでいたのは良かったのですが、アルバイト先のバスの添乗員やヒーローショーの司会を落語調でしてしまい、こっぴどく叱られてしまったこともあったそうです。

立川志らく 大学時代

落語研究会の夏合宿に来たOB高田文夫さんが立川志らくさんの落語に大笑いして「俺は立川談志師匠の弟子だから、頼んでやるよ」と立川談志師匠のところに連れて行ってくれたんですって!

立川志らく 大学時代

たまたま聞きに行った高座の師匠とOBの師匠が同じ立川談志師匠だったとは縁は異なものですね。

立川談志師匠は「俺を死ぬ気で心地よくしろ。」と言い、立川志らくさんは身の回りの世話を何から何までしたそうですが、はじめのうちは経験したことのない掃除や洗濯に失敗ばかりだったんだとか。

1985年10月に立川談志師匠のところへ弟子入りし、大学4年生で半年もすれば卒業のところまで来ていたにもかかわらず、立川志らくさんは中退しました。

あと半年なら頑張って卒業したら…とも感じますが、決断するときは❝即❞であるべきなのでしょう。

立川志らく 大学時代

立川志らくの出身高校

日本第三高等学校
立川志らくさんは1979年4月に日本大学第三高等学校へ入学し、1982年3月に卒業しています。

学校名 日本大学第三高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 66~69
入試難度 難関
所在地 〒194-0203
東京都町田市図師町11−2375
最寄り駅 淵野辺駅(JR横浜線)
公式HP http://www.nichidai3.ed.jp/

立川志らくさんが日本大学第三高校出身であることは、同校の同窓生のフェイスブックに❝母校に帰ってきた❞と紹介されていることから間違いありません。

立川志らくの高校時代はトップ10の優等生

高校生になって、「勉強ができると人に認めてもらえる」と気づいた立川志らくさんは、猛勉強してトップ10の常連だったんですよ。

勉強方法は、教科書ガイドをただひたすら丸暗記をしたそうで、理解はしていなかったんだとか。

人は理解できないと覚えられないものですが、ひたすら丸暗記できたことや落語も大量のセリフを暗記を必要とすることを考えると、立川志らくさんは独自の暗記法でもあるに違いありません。

当時の画像を見ると、俳優並みに目ヂカラがありますね。

立川志らく 高校時代

立川志らく 高校時代

ちなみに、映画が好きな立川志らくさんの夢は❝マフィア❞だったんですよ。きっと役に憧れていたのでしょうね。

【立川志らくの高校時代の同級生】

  • 片山右京(元F1ドライバー)
  • 福王昭仁(プロ野球選手)



立川志らくの出身中学校

世田谷区立山崎中学校

立川志らくさんは1976年4月に世田谷区立山崎中学校へ入学し、1979年3月に卒業しています。(※2011年に世田谷区立若林中学校と統合し、世田谷中学校が開校)

学校名 世田谷区立山崎中学校
偏差値
入試難度
所在地 ─(※統合後は若林中学校の校舎を使用)
最寄り駅 梅ヶ丘駅(小田急小田原線)
公式HP http://school.setagaya.ed.jp/tseya/ (世田谷中学校)

立川志らくさんが山崎中学校出身であることは、2019年3月13日放送の『あいつ今何してる?』で同校出身と紹介されていたことから間違いありません。

立川志らくの中学時代は九九が理解できなかった!

高校時代は優等生だった立川志らくさんですが、中学時代は九九が理解できないほど劣等生だったそうで、先生に人格を否定されたことが悔しかったんですって!

特に数学が苦手で、九九も何故覚えなければならないのかが分からなかったんだそう。

二等辺三角形の証明の問題では❝証明したくありません❞と解答したんだとか…。当時の画像を見る限りは、変わり者には見えません。

立川志らく 中学時代

興味のないことには完全シャットアウトしていたのかもしれませんね。

ちなみに、『あいつ今何してる?』によると、中学3年生のときが初恋でした。

立川志らく 中学時代 初恋の人

足立陽子さんは立川志らくさんの後ろの席で、いつも立川志らくさんの背中に文字を書いて「なんて書いたでしょう?」と遊んでいたのですが、ある日、「好き」と書いてくれたにもかかわらず、立川志らくさんは恥ずかしくて「女子」と答えてしまったんですよ…。

自分も好きだと言えなかったことに後悔した立川志らくさんは、下校時に足立陽子さんが気づくように自転車のチェーンを毎日外していたんですって!

いつもは毒舌の立川志らくさんが、何とかして話すきっかけを作ろうとしていた時期があったとは青さを感じてかわいいですね。

立川志らくの出身小学校

世田谷区立山崎小学校
立川志らくさんは1970年4月に世田谷区立山崎小学校へ入学し、1976年3月に卒業しています。

学校名 世田谷区立山崎小学校
所在地 〒154-0022
東京都世田谷区梅丘3丁目9−1
最寄り駅 梅ヶ丘駅(小田急小田原線)
公式HP http://www.setagaya.ed.jp/yaki/

立川志らくさんが山崎小学校出身であることは、2020年2月2日放送の『誰だって波瀾爆笑』で同校出身と紹介されていたことから間違いありません。

立川志らく テレビ 誰だって波瀾爆笑

立川志らくの小学生時代は日本記録!

立川志らくさんは父親の影響でけん玉をはじめ、1分間に『もしもしかめよ』を歌いながら何回けん玉を往復できるかの日本記録を持っているんです。

立川志らく 小学生時代 けん玉

立川志らくさんが挑戦するまでは1分間に180回くらいだったそうですが、立川志らくさんの記録はなんと215回なんですよ!しかも8段の資格をもっているんだとか。

父親はクラシックギタリストの新間英雄さんですが、趣味でけん玉やダーツ、ビリヤード、映画に落語と多彩だったんですって!

新間(しんま)さんとは珍しい姓ですが、立川志らくさんの本名は新間一弘さんと言うんですよ。

立川志らく 本名

立川志らくさんが初めて聞いた落語はNHKで放送された『なつかしの名人会・三代目三遊亭金馬師匠』だったそうで、当時大人気番組だった『8時だよ!全員集合』と同じ時間帯だったにもかかわらず、父親から「こっちのほうが面白いから。」と見せられたんだとか。

小学生時代なら『8時だよ!全員集合』の方が好きになるはずですが、立川志らくさんは落語にドはまりして父親の落語のレコードを毎日のように聞いていたそうです。

立川志らくさんの笑いのセンスは小学生にして大人びていたんですね。

ちなみに、落語と一緒に映画にもハマっていて、チャップリンの大ファンだったんですよ。

父親が多趣味だったために家は貧乏でおかずは缶詰ばかりだったそうですが、幼少期の画像がたくさん残っていることと自体、裕福に感じますね。

立川志らく 幼少期

(※画像左から:立川志らくさん、弟)

立川志らく 幼少期

立川志らく 幼少期

立川志らく 幼少期

母親は長唄の師匠をしていて、教室も開いていました。

少しおっちょこちょいのところがあり、父親のギャラの100万円を泥棒に盗まれないように立川志らくさんの遠足のリュックに隠していたこともあって、立川志らくさんが遠足に行っている間、実家では「100万円がない!」と大騒ぎしたこともあったそう。

立川志らくさんは他人がしないような貴重な経験をしていたんですね。

立川志らくの学歴一覧・出身地詳細

立川志らく

【調査中】幼稚園 保育園
入園年月
卒園年月
世田谷区立山崎小学校
入学年月 1970年4月
卒業年月 1976年3月
世田谷区立山崎中学校
偏差値 入試難度
入学年月 1976年4月
卒業年月 1979年3月
日本大学第三高等学校
偏差値 66~69 入試難度 難関
入学年月 1979年4月
卒業年月 1982年3月
日本大学大学・芸術学部・演劇専攻
偏差値 58 入試難度
入学年月 1982年4月
卒業年月 1985年(中退)

ここまで立川志らくさんの学歴について見てきましたが、出身小学校が世田谷区立山崎小学校ということから出身地は世田谷区梅丘でしょう。

世田谷区梅丘は羽根木公園で有名なので立川志らくさんは木登りや虫とりをして子供時代を過ごしたのかも?

小学生にして日本記録保持者の立川志らくさんは、とことん極める人でした。内部進学で不合格だった日本大学芸術学部に一般入試で合格してみせる姿はかっこいいですね。