秋元康

秋元康さんの出身大学や高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!卒アル画像や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

若い頃の秋元康さんがかっこいいことや東京大学から大蔵省に勤めるつもりだったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

秋元康の出身大学

中央大学 多摩キャンパス

秋元康さんは1977年4月に中央大学・文学部へ入学し、1983年ごろ中退しています。

学校名 中央大学
学部・学科 文学部
偏差値 66
入試難度
所在地 〒192-0393
東京都八王子市東中野742-1
最寄り駅 立川駅(JR中央線)
公式HP https://www.chuo-u.ac.jp/

秋元康さんが中央大学文学部に在学していたことは、2018年4月7日発刊の『週刊東洋経済Plus』に同校中退と紹介されていることから間違いありません。

❝あきもと・やすし●1958年生まれ。中央大学文学部中退。放送作家を経て作詞家。❞
引用元:【AIの時代、日本人にしかできないこと 異色対談|秋元 康×松尾 豊(週刊東洋経済Plus)】

中退した時期については、秋元康さん自身も記憶が定かではないようです。

❝−−結局大学には何年までいかれたんですか?
秋元:あまり覚えてないですが、5〜6年は間違いなく行ってると思います。テレビの原稿の締切と学校のレポートの締切が重なって、中退届けを出そうと思って大学を辞めました。❞
引用元:【第86回 秋元 康 氏 作詞家(Musicman)】

秋元康はサラリーマンの4倍の収入!

秋元康さんは放送作家として『ひらけ!ポンキッキ』や『ベルトクイズQ&Q』などの原稿を書いていましたが、当時の収入はサラリーマンの4倍近くだったそう。

厚生労働省の賃金構造基本統計調査によると1977年のサラリーマン月収は158,400円であることから、秋元康さんは大学生にして60万円ほどの収入を得ていたことになります。

月60万円を得ていたにもかかわらず、たまたまパチンコでフィーバーしたようなアルバイトとしか考えていなかったんですって!

放送作家の仕事で大学を中退することになってもいずれは官僚になるつもりだったそうで、アメリカの大学や東京大学を受験しようと考えていたんだとか。

大学時代の画像を見ると、顔と首の境目がなくなっていることやおじさんのようなメガネから学生とは思えないほど貫禄がありますよね。

秋元康 大学時代

大学生にしてこの落ち着きはすでに人生を達観していたのかもしれません。

秋元康の出身高校

西東京市立ひばりが丘中学校

秋元康さんは1974年4月に中央大学附属高等学校へ入学し、1977年3月に卒業しています。

学校名 中央大学附属高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 71
入試難度 難関
所在地 〒184-8575
東京都小金井市貫井北町3丁目22−1
最寄り駅 武蔵小金井駅(JR中央線)
公式HP https://chu-fu.ed.jp/index.php

秋元康さんが中央大学附属高校出身であることは、2010年11月7日公開の『Musicman』のインタビューで同校出身と紹介されていることから間違いありません。

❝──中央大学附属高校に行かれたそうですね。
秋元:ええ。とにかく親が大学の附属高校だというので入って、当時は男子校で私服だったので、仲間と遊んでばかりいましたね。❞
引用元:【第86回 秋元 康 氏 作詞家(Musicman)】

秋元康の若い頃がカッコいい!

高校時代の秋元康さんの画像を見るとジャニーズJr.のメンバーと聞いても疑問を感じないくらいのイケメンです。秋元康 高校時代

秋元康 高校時代

高校2年生のときに友達の勧めからニッポン放送へ送ったラジオ番組の原稿『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』がきっかけで放送作家の道が開けたんですよ。

❝秋元康氏がニッポン放送とつながるキッカケになったのは、高校2年の時に書いたせんだみつおを主人公とした平家物語のパロディだった。受験勉強用のノート20枚に書き上げたパロディが、今日の秋元康を誕生させたのである。❞
引用元:【AKB48研究③ 学生放送作家(DAWDY)】

平家物語のパロディは応募していたわけではなかったのですが、たまたま送ってみたところ「ニッポン放送に遊びにおいで」と放送局を出入りするようになったんだとか。

ちなみに、高校生では応募できなかったことから2歳サバを読んで大学生のフリをしていたんですって!

秋元康さんは大学受験をするつもりだったにもかかわらず、周囲も高校からエスカレーター式に中央大学に進学する人ばかりだったことから受験勉強に熱が入らなかったそう。

志望校を断念して夢が遠のいたように見えても、実は大成功への道を進んでいたんですね。




秋元康の出身中学校

西東京市立ひばりが丘中学校

秋元康さんは1971年4月に保谷市立ひばりが丘中学校(現:西東京市立ひばりが丘中学校)へ入学し、1974年3月に卒業しています。

学校名 保谷市立ひばりが丘中学校
偏差値
入試難度
所在地 〒202-0005
東京都西東京市住吉町1丁目14−28
最寄り駅 ひばりヶ丘駅(西武池袋線)
公式HP http://www.nishitokyo.ed.jp/j-hibarigaoka/

秋元康さんがひばりが丘中学校出身であることは、同校出身というつぶやきがあることから間違いないでしょう。

秋元康の中学時代は黒幕だった!

秋元康さんは不良グループにも優等生グループにも顔が利いて仲良く遊んでいたことから影の黒幕的存在だったそう。

画像を見る限りは高校時代のようにイケメンで優しい目つきをしているので黒幕だとはとても感じられませんね。

秋元康 中学時代

秋元康 中学時代

中学生にして秋元康さんは頭脳明晰であるがゆえに巧みに駆け引きをする❝策士❞だったのかもしれません。

音楽に目覚めたのは中学時代だったそうですよ。

秋元康の出身小学校

秋元康さんは1965年4月に目黒区立菅刈小学校に入学。

1967年ごろ保谷市立中原小学校(現:西東京市立中原小学校)へ転校し、1971年3月に卒業しています。

【目黒区菅刈小学校】

目黒区立菅刈小学校

学校名 目黒区立菅刈小学校
所在地 〒153-0042
東京都目黒区青葉台3−3−26
最寄り駅 池尻大橋駅(東急田園都市線)
公式HP http://www.meguro.ed.jp/mesgkreh/

秋元康さんが菅刈小学校に入学したことは、『Musicman』のインタビューで❝小学校1、2年まで目黒区大橋に住んでいた❞と語っていることと、目黒区の学区から間違いありません。

❝−−大橋には何歳まで暮らしてらっしゃったんですか?
秋元:小学校の一年か二年くらいですね。当時は小児ぜんそくを患っていたので空気のいいところに、ということで保谷市(現:西東京市)に引っ越したんです。❞
引用元:【第86回 秋元 康 氏 作詞家(Musicman)】

【西東京市立中原小学校】

西東京市立中原小学校

学校名 保谷市立中原小学校
所在地 〒202-0001
東京都西東京市ひばりが丘2―6―25
最寄り駅 ひばりが丘駅(西武池袋線)
公式HP http://www.nishitokyo.ed.jp/e-nakahara/index.html

秋元康さんが中原小学校出身であることは、同校出身というつぶやきが複数あることから間違いないでしょう。

秋元康は東大から官僚になるつもりだった!

秋元康さんは東大に入って大蔵省(現:財務省)になるために開成中学校を受験しましたが、不合格だったんです。

学校では毎年学級委員を勤めたことから自らを❝特別な人間❞と感じていたようで、「特別な人間は特別な人生を送らなければならない」と考えるようになったために受験勉強に励んでいたんだとか。

西東京市から中野にある四谷大塚進学教室に通い、模試の成績も抜群だったことから❝合格間違いなし❞と太鼓判まで押されていたにもかかわらず、不合格だったことで挫折感が半端なかったんですって!

❝人生は運が大事だ❞と感じたのも中学受験に失敗したからだったそうで、小学生にして評論家のような発想をしていたんですね。

幼少期の画像を見ると、一人前にジャケットを着ている様子からお坊ちゃまだったのかもしれません。

秋元康 幼少期

秋元康の学歴一覧・出身地詳細

秋元康

【調査中】幼稚園・保育園
入園年月
卒園年月
目黒区立菅刈小学校
入学年月 1965年4月
卒業年月 1967年ごろ転校
保谷市立中原小学校(現:西東京市立中原小学校)
入学年月 1967年ごろ転入学
卒業年月 1971年3月
保谷市立ひばりが丘中学校(現:西東京市立ひばりが丘中学校)
偏差値 入試難度
入学年月 1971年4月
卒業年月 1974年3月
中央大学附属高等学校
偏差値 71 入試難度 難関
入学年月 1974年4月
卒業年月 1977年3月
中央大学・文学部
偏差値 66 入試難度
入学年月 1977年4月
卒業年月 1983年ごろ中退

ここまで秋元康さんの学歴について見てきましたが、入学した小学校が目黒区立菅刈小学校ということから出身地は東京都目黒区大橋でした。

目黒区大橋は一二郎池で有名なので、秋元康さんは水辺にいる虫を観察していたのかも?

秋元康さんは東大から大蔵省に入省するため中学受験をしていたとは意外でした。

不合格だったことは残念ですが、秋元康さんの才能が発揮できる道が開けたことでで日本のエンタメ業界はラッキーでしたね。