森喜朗

森喜朗さんの出身大学や高校などの学歴と本当の出身地を徹底解説!卒アル画像や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

ラグビーのため中学で越境通学していたことやキャプテン就任理由がたばこだったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

森喜朗の出身大学

早稲田大学

森喜朗さんは1956年4月に早稲田大学・第二商学部(現:廃部)へ入学し、1960年3月に卒業しています。

学校名 早稲田大学
学部・学科 第二商学部
偏差値
入試難度
所在地 〒169-0051
東京都新宿区西早稲田1−6−1
最寄り駅 早稲田駅(地下鉄東西線)
公式HP https://www.waseda.jp/fpse/pse/

森喜朗さんが早稲田大学第二商学部出身であることは、2016年2月23日発信『エキサイトニュース』に同校出身と掲載されていることから間違いありません。

❝早稲田大学にはかつて多くの夜間学部がありました。有名な出身者としては第二商学部出身者の森喜朗元首相などがいます。❞
引用元:【早稲田夜間学部の歴史(エキサイトニュース)】

森喜朗の周囲の助言がすごい!

森喜朗さんはラグビーをしたいがために早稲田大学に推薦入学したのですが、全国から集った強者ばかりで補欠にもなれない状況に胃潰瘍になってしまいました。

胃潰瘍から吐血してしまい、半年間ドクターストップがかかった森喜朗さんはラグビー部を辞めて退学しようと考えていたところ、恩師・大西鐵之祐監督がくれた助言が感動なんですよ。

❝ラグビーをやれなくなったから大学を辞めるのというのは、実に愚かな考えだ。大学生活で、ラグビー部のレギュラーになる以上の何かをつかみとれ❞
引用元:【人生は挑戦の連続(首相官邸ホームページ)】

在学を決めた森喜朗さんに多くの政治家を輩出している早稲田大学雄弁会に誘いを受けるのですが、先輩から「やって後悔せよ」とアドバイスを受けます。

❝未知の世界に入ることには、人間は非常に臆病になる。しかし、やって後悔するのと、やらないで後悔するのでは全く違う。やって失敗したときの後悔 は大きな糧になる。だが、あの時にやっておけばよかったという後悔は後に何も残らない❞
引用元:【人生は挑戦の連続(首相官邸ホームページ)】

森喜朗さんに適切なアドバイスをしてくれる人がいたからこそ、総理大臣の道へ進めたんですね。

凹んでいる人に関わりたくないのが普通ですが、助けてあげたいと思わせる人徳が森喜朗さんにあったということでしょう。

当時の画像を見ると、大学生で学ランを着ているというのが時代ですね。

森喜朗 大学時代

ガッシリとした体つきがラグビー経験者だなと感じさせます。

森喜朗の出身高校

石川県立金沢二水高等学校

森喜朗さんは1953年4月に石川県立金沢二水高等学校・普通科へ入学し、1956年3月に卒業しています。

学校名 石川県立金沢二水高等学校
学科・コース 普通科
偏差値 67
入試難度
所在地 〒921-8117
石川県金沢市緑が丘20-15
最寄り駅 西金沢駅(JR北陸本線)
公式HP https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/nisuih/

森喜朗さんが金沢二水高校出身であることは、2017年5月18日に開催された同校のセミナーに卒業生として講演したことから間違いありません。

森喜朗 金沢二水高校講演

❝本校8期卒業生である森喜朗元内閣総理大臣を講師としてお迎えし、全校生徒、職員、保護者、同窓生 計約1350人がお話をうかがいました。❞
引用元:【『生き方セミナー』が開催されました。(金沢二水高等学校)】

森喜朗のキャプテン就任理由はたばこ!

森喜朗さんはラグビー部でキャプテンに就任しているのですが、理由が部員のたばこ排除だったんです。

未成年だけでなく激しいスポーツをする人が体力を奪うたばこに手を出していたとは驚きですが、廃部寸前に追い込まれてしまったんですよ。

生活指導担当の浅野律太郎先生が森喜朗さんにキャプテンをしてたばこ排除ができるのなら部の存続を認めると伝えたんですって!

❝二水高校のラグビー部がここまで強くなったのは、君のお父さんのおかげではないか。それを君の代でつぶしてしまっていいのか。君がキャプテンをやれ。そしてラグビー部からたばこを排除しろ❞
引用元:【楕円球の青春(首相官邸ホームページ)】

森喜朗さんがラグビーの実力だけでなくリーダーとして適任だと先生は感じたからこそキャプテンに命名したのでしょう。

その後もたばこを吸っている生徒が現れたのですが、森喜朗さんは退部させてラグビー部の存続に力を注ぎました。

森喜朗さんが入部したときは体が小さすぎて戦力になるのかと疑われたにもかかわらず、キャプテンになるまで成長したのですから、相当な努力をしたに違いありませんね。

靴下が片方ないという画像を見ると、いかに激しい試合をしていたのかがうかがえます。

森喜朗 高校時代 ラグビー

集合画像では、中心に写っていてメンバーから好かれるキャプテンだったんですね。

森喜朗 高校時代

卒アルを見るとイケメンなので、モテていた可能性大ですね。

森喜朗 卒アル 高校




森喜朗の出身中学校

金沢市立高岡中学校

森喜朗さんは1950年4月に金沢市立高岡町中学校(現:金沢市立高岡中学校)へ入学し、1953年3月に卒業しています。

学校名 金沢市立高岡町中学校
偏差値
入試難度
所在地 〒921-8013
石川県金沢市新神田1−10−1
最寄り駅 金沢駅(JR北陸本線)
公式HP http://cms.kanazawa-city.ed.jp/takaoka-j/

森喜朗さんが高岡町中学校出身であることは、同校の同窓会60周年記念イベントに名誉会長として参加していることから間違いありません。

森喜朗 高中同窓会

❝高中同窓会は本年(2007年)創立60周年を迎え、母校も順調な発展を遂げ、御同慶の至りであります。森 喜朗名誉会長の出席もあって盛会でした。❞
引用元:【関東支部情報(高中同窓会)】

森喜朗はラグビーのために越境通学!

後述しますが森喜朗さんは能美市に住んでいながら2時間かけて金沢市の高岡町中学校に通っていました。

ラグビーの強豪校・金沢二水高校に進学するためには、学区内の中学に通う必要があったんだとか。

父親がラグビーを石川県に広めたということもあり、森喜朗さんがラグビーの強い高校に行きたいという気持ちを汲んで通わせてくれる中学校を探してきてくれたんですって!

中学にはラグビー部がなかったのでバスケットボール部に所属したのですが、バスケットボールにした理由はラグビーのために体を大きくするためだったんですよ。

バスケットボールは身長が高くなるとも言われていますよね。

また、運動部で1番激しい練習をしていたバスケットボールがラグビーのためになるだろうという理由もあったようで、ラグビーのことしか頭になかったんですね。

森喜朗の出身小学校

根上町立浜国民学校(現:能美市立浜小学校)

森喜朗さんは1944年4月に根上町立浜国民学校(現:能美市立浜小学校)へ入学し、1950年3月に卒業しています。

学校名 根上町立浜国民学校(現:能美市立浜小学校)
所在地 〒929-0123
石川県能美市中町14
最寄り駅 能美根上駅(JR北陸本線)
公式HP https://cms1.ishikawa-c.ed.jp/hamaxe/

森喜朗さんが根上町立浜国民学校出身であることは、首相官邸ホームページに同校出身と紹介されていることから間違いありません。

首相官邸ホームページ 森喜朗大臣経歴

森喜朗の家系図は町長ぞろい

森喜朗さんの父親も祖父も根上町の町長です。

  • 森喜平(祖父) 1917年5月~1927年11月
  • 森茂喜(父親) 1953年7月~1989年4月

森喜朗さんは小学4年生のときに母校の小学校にラグビー部の合宿があったことがきっかけでラグビーにハマったのですが、父親の森茂喜さんがラグビーチームを呼び寄せたんですよ。

当時の画像を見ると、奥まで連なる部屋はかなり多そうで、森喜朗さんの家でチームは寝泊まりしていたのかもしれません。

森喜朗 小学生時代

森茂喜さんが町長になる以前に合宿は執り行われていますが、すでに町では有力者であったと想像でき、チームを待ちに呼ぶことは難しくなかったでしょうね。

森喜朗さんの幼い頃の画像を見ても、高級な服を着て名士の家柄だったことは確かでしょう。

森喜朗 幼少期

森喜朗 幼少期

森喜朗 幼少期

優しく話しかけられている画像から、愛情たっぷりに育てられたのが伝わってきますね。

森喜朗の学歴一覧・出身地詳細

森喜朗

【調査中】幼稚園 保育園
入園年月
卒園年月
根上町立浜国民学校(現:能美市立浜小学校)
入学年月 1944年4月
卒業年月 1950年3月
金沢市立高岡町中学校(現:金沢市立高岡中学校)
偏差値 入試難度
入学年月 1950年4月
卒業年月 1953年3月
石川県立金沢二水高等学校・普通科
偏差値 67 入試難度
入学年月 1953年4月
卒業年月 1956年3月
早稲田大学・第二商学部(現:廃部)
偏差値 入試難度
入学年月 1956年4月
卒業年月 1960年3月

ここまで森喜朗さんの学歴について見てきましたが、出身小学校が根上町立浜国民学校ということから出身地は石川県能美市です。

浜国民学校のすぐ近くに海岸があるので、森喜朗さんは海で磯もんを探していたのかも?

森喜朗さんは当時では珍しいラグビーを極めるために越境通学までしていました。朝6時に家を出て通い続けることはそう簡単ではなかったことでしょう。

ラグビーで怪我をしても名誉の負傷と思えるほど没頭した経験を持つ森喜朗さんに敬意を評します。