橋本聖子

橋本聖子さんの出身高校や中学などの学歴と本当の出身地を徹底解説!選手時代や幼少期の画像を含め、学生時代に迫ります!

2度も重い腎臓病を克服していたことやオリンピックの申し子だったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。

橋本聖子の出身大学

橋本聖子さんは大学に進学していません。

学生時代からスピードスケート選手として有名だった橋本聖子さんは、高校卒業後すぐに富士急行株式会社に入社し、実業団で選手を続けていたため、大学に進学していません。

橋本聖子のあだ名はオリンピックの申し子!

19歳の時に挑んだサラエボオリンピックでは全4種目出場するも入賞できず、23歳の時のカルガリーオリンピックでは5種目全て入賞、27歳の時のアルベールオリンピックでは、1500mでついに3位となってメダルを獲得!当時冬季オリンピックの日本女子選手では初のメダル獲得でした。

【サラエボオリンピック】

橋本聖子 サラエボオリンピック

【カルガリーオリンピック】

橋本聖子 カルガリーオリンピック

【アルベールビルオリンピック】

橋本聖子 アルベールビルオリンピック

さらに夏季のバルセロナオリンピックとアトランタオリンピックには、自転車競技の選手としても出場しています。

スピードスケートと自転車競技では使う筋肉が似ているため、スケート選手は夏のトレーニングとして自転車を取り入れています。

夏季、冬季オリンピックで合計7回のオリンピック出場回数は、当時の日本人では最多。『オリンピックの申し子』と呼ばれていたんです。

橋本聖子 オリンピックの申し子

銅メダル獲得時の橋本聖子さん。当時まだメダル獲得数の少なかった冬季オリンピックで、日本人女性でもメダルを獲得できたことに、多くの国民が勇気付けられたことでしょう。

橋本聖子の出身高校

駒沢大学附属苫小牧高等学校

橋本聖子さんは1980年4月に駒澤大学附属苫小牧高等学校・普通科・総合進学体育系コースへ入学し、1983年3月に卒業しています。

学校名駒澤大学附属苫小牧高等学校
学科・コース普通科・総合進学体育系コース
偏差値44.0
入試難度
所在地〒053-8541
北海道苫小牧市美園町1-9-3
最寄り駅苫小牧駅(JR北海道室蘭本線)
公式HPhttps://www.komazawa-uth.ed.jp

橋本聖子さんが駒澤大学附属苫小牧高等学校出身であることは、株式会社 イトクロが運営する『みんなの高校情報』に出身者として掲載されていることから間違いありません。

❝橋本聖子(参議院議員、元スピードスケート選手、元自転車選手(アトランタ、アルベールビル五輪代表))駒澤大学附属苫小牧高等学校❞
引用元:【みんなの高校情報】

橋本聖子の高校時代は日本女子最強スケーターだった!

橋本聖子さんは、高校1年生でジュニア選手権の日本代表に選出されています。

高校2年生の時には全日本スプリント、全日本選手権で優勝を果たし、その後10年間に渡り、全日本選手権を制覇し続けるという偉業を成し遂げています。

しかし高校3年生になり、昔発症していた腎臓病が再発し入院。さらにB型肝炎やストレス性呼吸筋不全症も患い、1週間ほど生死の境をさまようほどまで悪化しました。呼吸筋不全症により、4000ccあった肺活量は2400ccにまで激減しています。

医者に競技を辞めるよう勧められたそうですが、なんとか回復し必死にリハビリを続け、高校3年生の終わりには全日本選手権に出場。4種目制覇をなしとげています。

少ない肺活量になっても、今までと変わらず全日本選手権で優勝した橋本聖子さんは、想像できないほどの過酷なリハビリやトレーニングをしたに違いありません。

橋本聖子 高校時代

高校時代の橋本聖子さんの写真ですが、まさか生死に関わる病気を患っていたようには見えませんね。

たとえ持病があっても、日本で1番の選手になれることを証明した橋本聖子さんに、多くの病気の子供たちが救われ、憧れていたことでしょう。

橋本聖子の出身中学校

安平町立早来中学校

橋本聖子さんは1977年4月に早来(はやきた)町立早来中学校(現:安平(あびら)町立)へ入学し、1980年3月に卒業しています。

学校名早来町立早来中学校
偏差値
入試難度
所在地〒059-1501
北海道勇払郡安平町早来大町156番地1
最寄り駅早来駅(JR北海道室蘭本線)
公式HPhttps://www.town.abira.lg.jp/midokoro/shisetsu/school/100

橋本聖子さんが早来中学校出身であることは、日本オリンピック委員会のホームページの高山梨沙選手のコラム内に以下の記載があることから、間違いありません。

❝北海道・安平町立早来中学校から駒澤大学付属苫小牧高校と、いずれも橋本聖子選手の母校へと進学する高山梨沙選手です。❞
引用元:【第14回 高山梨沙(スケート・スピードスケート)(公益財団法人日本オリンピック委員会)】

2005年に早来町は追分町と合併して安平町になりました。

橋本聖子は中学時代から下宿してトレーニング

小学生時代に病気を患っていた橋本聖子さんが、本格的に練習できるようになったのは中学2年生になった頃でした。

その頃苫小牧市内のコーチのもとに下宿し、スケート競技の本格的なトレーニングを開始しました。

練習を始めた橋本聖子さんは選手としてみるみる成長し、中学3年生の時には全日本選手権を初制覇しています。

中学時代にここまで努力して日本一を勝ち取った裏には、小学生の頃同じ病院で入院していて亡くなってしまった友達の言葉が後押ししていたんです。

❝「私の分まで生きてね、がんばってね」
小学3年生ぐらいで、どうしてそんな素晴らしい言葉が言えたのか、何と凝縮した人生だったのかと、今でも胸が締め付けられる思いがします。健康である事は何よりの幸せです。幸運にも生かされた自分は、その子達のためにも頑張らなければなりません。❞
引用元:【聖火とともに生まれて(参議院議員橋本聖子オフィシャルサイト)】

大切な友を失った橋本聖子さんの辛さは計り知れませんね。

他の選手では経験したことのない辛い経験を乗り越えてきた橋本聖子さんだからこそ、わずか1年で全国制覇という偉業を成し遂げることができたのでしょう。

橋本聖子の出身小学校

安平町立早来小学校

橋本聖子さんは1971年4月に安平町立早来小学校へ入学し、1977年3月に卒業しています。

学校名安平町立早来小学校
所在地〒059-1501
北海道勇払郡安平町早来大町159
最寄り駅早来駅(JR北海道室蘭本線)
公式HPhttps://www.town.abira.lg.jp/midokoro/shisetsu/school/99

橋本聖子さんが安平町立早来小学校出身であることは、実家の橋本牧場の住所が北海道勇払郡安平町早来守田であり、北海道勇払郡安平町早来守田の通学区域は同校のみとなることから、間違いありません。

橋本聖子さんの実家が橋本牧場であることは、以下の記事から間違いないことが分かります。

❝橋本聖子さん(53)=現参議院議員、自民党競馬推進議員連盟会長=の実家である北海道安平町・橋本牧場の生産馬。❞
引用元:【【2歳新馬】阪神6R 橋本聖子さん実家の牧場生産馬が快勝(サンスポ ZBAT!競馬)】

橋本聖子は小学生時代から腎臓病を患っていた!

幼い頃にスケートの楽しさを教えてくれたのは、普段は町役場で働く、ボランティアの男性でした。

3歳から小学生の間もずっとボランティアの男性からスケートを教わっていた橋本聖子さんですが、小学3年生の時に重い腎臓病を患って入院。その後2年間もの間、大好きなスケートが出来なくなってしまうんですよ…。

ようやくスケートが出来るまで回復してからはまた、中学1年生になるまで同じ男性にコーチをお願いしていたそう。

実家では牧場の手伝いや家事を率先してやらなければならず、厳しくしつけられました。

❝家事や牧場の仕事を手伝うのは当然のことであり、そのやり方を厳しくしつけられました。牧舎の敷きわらの交換や、農場の野菜の間引きは、生きものの命を左右します。子供だからといって責任逃れは許されませんでした。❞
引用元:【聖火とともに生まれて(参議院議員橋本聖子オフィシャルサイト)】

幼い子どもには牧場の手伝いや家事は大変だったでしょうが、そのおかげで病気を克服するメンタル、スケートを続ける努力が身に着いたのかもしれません。

当時の画像を見ると家族でおでかけしたか、普段のスケートから離れ小学生の女の子らしいワンピース姿で可愛らしい雰囲気です。

橋本聖子 小学生時代 9歳

3歳ごろの橋本聖子さんの画像もありますが、目の幅が広いことや厚みのある唇に面影がありますね。

橋本聖子 幼少期 3歳

たった3歳の我が子をゆくゆくはオリンピック選手にと父親は考えていたんだそう。

父親の夢を叶えた橋本聖子さんは、誰よりも親孝行な娘ですね!

橋本聖子の学歴一覧・出身地詳細

橋本聖子

【調査中】幼稚園 保育園
入園年月
卒園年月
安平町立早来小学校
入学年月1971年4月
卒業年月1977年3月
安平町立早来中学校
偏差値入試難度
入学年月1977年4月
卒業年月1980年3月
駒澤大学附属苫小牧高等学校・普通科総合進学体育系コース
偏差値44.0入試難度
入学年月1980年4月
卒業年月1983年3月
大学【進学せず】
偏差値入試難度
入学年月
卒業年月

ここまで橋本聖子さんの学歴について見てきましたが、出身小学校が早来町立早来小学校ということから出身地は北海道勇払郡早来町でしょう。

早来町はチーズ専門工場発祥の地として有名なので橋本聖子さんも子供時代に作りたての新鮮なチーズや様々な種類のチーズを食べ比べていたのかも?

日本人女性初の偉業を達成した裏には、2度も過酷な闘病生活に打ち勝ったことで強靭な強さを手に入れていました。

1995年には選手活動を続けながら参議院議員に当選し、その後は政治家として東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣含む、様々な大臣に就任。

現在は森喜朗元首相の後任として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任しました。

1964年の東京オリンピックの聖火にちなんで❝聖子❞と名付けられたんですよ。

今は2度目の東京オリンピックを開催する側の立場に立った橋本聖子さんは、間違いなく日本一の❝オリンピックの申し子❞ですね。