佐野史郎

佐野史郎さんの出身高校や大学などの学歴や経歴を徹底解説。家族構成を含めた生い立ちに迫ります!

実家が代々続く医師の家系だったことや卒業文集で探偵小説を書いて引かれたことなどについても併せてご紹介します!

佐野史郎の主な経歴とプロフィール

佐野史郎

まずは佐野史郎さんのプロフィールから見ていきましょう!各内容は、公表されている情報を中心に紹介しています。

氏名(本名) 佐野史郎(※本名同じ)
ニックネーム なし
生年月日 1955年3月4日
出身地 山梨県山梨市
血液型 B型
身長・体重
(推定)
175.0cm・非公表kg
スリーサイズ
(推定)
B非公表・W非公表・H非公表
足のサイズ 非公表cm
趣味・特技 料理、読書、音楽観賞、写真、居合道(武田流)、スキューバダイビング、絵画、作詞作曲、ギター、ウクレレ
嫌い・苦手 鶏肉、グリーンピース
活動期間 1975年~
所属事務所 アベベネクト
所属グループ なし
家族構成 父親、母親、弟
配偶者・子供 石川真希・佐野八雲(長女)
最終学歴 高校卒業

佐野史郎さんの娘の名前が『八雲』さんと珍しいですが、佐野史郎さんが育った島根県松江市に由縁のある『ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)』さんから来ています。

佐野八雲さんは多摩美術大学・版画科を卒業して木版画家として活躍しているんですよ。

佐野史郎 娘 佐野八雲

目の雰囲気が佐野史郎さんと似ていますね。

ちなみに、佐野史郎さんの嫁は佐野史郎さんもメンバーだった1984年結成『タイムスリップガール』のボーカル石川真希さんです。

佐野史郎 嫁 石川真希

【タイムスリップガール】

佐野史郎 石川真希 タイムスリップガール

(※画像左上から:嶋田久作さん、佐野史郎さん、石川真希さん、夢野ワンダさん)

佐野史郎さんと石川真希さんは、一緒にいるだけで自然と笑みが出るような夫婦なんですね。

佐野史郎 嫁 石川真希

続いては佐野史郎さんの主な経歴について、大きな転換となった事柄を中心にご紹介します!

年齢 経歴
1975 20歳 劇団『シェイクスピア・シアター』の創設メンバー
1980 25歳 唐十郎主宰『状況劇場』に移籍(1984年まで)
1986 31歳 映画初主演『夢みるように眠りたい』
1986 31歳 石川真希さんと結婚
1992 37歳 ドラマ『ずっとあなたが好きだった』で冬彦さんブーム
1992年 37歳 長女・佐野八雲さん誕生
2018 63歳 ドラマ初主演『限界団地』
2021 66歳 腎臓機能障害で入院後、退院

佐野史郎さんの初主演映画はモノクロサイレントだったんですよ。

セリフが無いことで余計に表現が難しかったと想像しますが、状況劇場で鍛えられた演技力が発揮されたんですね。

佐野史郎さんと言えば、ドラマ『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さんですよね。

佐野史郎 ドラマ ずっとあなたが好きだった

下唇を突き出す演技は石川真希さんのアドバイスだったんですって!

石川真希さんも元・状況劇場の女優だったので、ナイスなアドバイスをもらえたんですね。

佐野史郎の生い立ち!実家は代々医師の家系!?

佐野史郎さんの出身地は山梨県山梨市で、家族構成は父親と母親、弟の2人兄弟の長男として育ちました。

2018年8月28日発行『日本経済新聞』のインタビューによると、佐野史郎さんの家は代々医師の家系であり、長男が後を継ぐものだったそう。

父親は内科医であり佐野医院(現・佐野内科循環器科医院)を経営していて、住み込みの看護師もいました。祖父母や叔母も同居していたので総勢20人もいる大所帯だったんですよ。

【佐野内科循環器科医院】
〒690-0044島
根県松江市浜乃木1-17-7

母親は佐野禮子さんといい、看護師でした。出雲大社専属の写真館の娘だったことから嫁入り道具に二眼レフカメラと現像機材が含まれていたんだそう。

当然のことながら実家はとても裕福で、佐野史郎さんはバイオリンを習っていたんですよ。

本来ならば長男の佐野史郎さんが佐野医院の跡継ぎですが、理科系の勉強が全くできなかったので弟の佐野和也さんが継いでいます。

家業は弟が継ぎましたが、年忌など佐野家の行事は佐野史郎さんが引き受けて分担しているんですって!

大人になっても兄弟の仲がいいとは理想的です。

由緒ある家庭に生まれた佐野史郎さんですが、どんな学生生活を送っていたのでしょうか?続いては佐野史郎さんの出身校と学生時代のエピソードをお届けします!

佐野史郎の出身高校

佐野史郎さんの出身高校は島根県立松江南高等学校・普通科(偏差値:53)です。

1970年4月に島根県立大東高等学校・普通科(偏差値:46)へ入学。1971年4月に島根県立松江南高等学校へ編入し、1973年3月に卒業しています。

【島根県立大東高等学校】

【島根県立松江南高等学校】

佐野史郎さんが大東高校に入学したことは、自身が❝大東高校に一年通って演劇部に出会いました❞とつぶやいていることから間違いありません。

また、松江南高校出身であることは、全国大学生活協同組合連合会のインタビューでギタリストの山本恭司さんと同級生だったと紹介されていることから確かです。

山本恭司 佐野史郎

大東高校は1919年に開校した農業高校を前身とする公立高校です。公立高校でありながらも全国から受験することができるんですよ。

主な卒業生はプロ野球選手の福山博之さんがいます。

松江南高校は1961年に開校し、部活動が盛んで陸上競技部やハンドボール部、箏曲部、放送部が全国大会に出場しているんですよ。

島根県には予備校が少ないため、同校には補習科を設立して大学受験に備えるという進学校です。

ちなみに佐野史郎さんは松江南高等学校を卒業後、大学へは進学していません。

武蔵野美術大学を受験しましたが不合格。しかし私塾である美学校(音楽と美術)に入学して中村宏油彩画工房で絵画を学びました。

中村宏先生の教えは「全体より部分から始めよ。」だったそうで、演劇でも通用するものだったとか。

佐野史郎さんは上京して絵画を学びながらも演劇に進んでいったんですね。

佐野史郎は高校時代に鼻からうどん!

佐野史郎さんはバラエティ番組『スーパージョッキー』に出演するため、鼻からうどんを食べる特訓をしていたんですって!

白いギターがどうしても欲しくてチャレンジしていたのですが、想像しただけでも鼻の奥が痛くなりそうですよね…。

部活は美術部と音楽部に所属し、アコースティックバンド『ドク』を結成していたので、目立つ白いギターが欲しかったのでしょう。

バンドの評判は上々で、松江南高等学校だけでなく他校の文化祭まで出張し、バングラデシュ救済コンサートやラジオの公開録音にまで出演していたんですよ!

佐野史郎さんが舞台で演奏する姿に惚れてモテモテだったと思いきや、告白した女の子に「大人になってね。」と玉砕したそうで、卒アルを見ても子供っぽくは見えないのにフラれたのは不思議です。

佐野史郎 卒アル 高校

部活以外では同級生の女の子と『吸血鬼同盟』を結成して牛の血を飲む計画を立てていたのですが、父親が医師の立場からドクターストップをかけられてしまうんですよ…。

しかし、吸血をあきらめきれなかった佐野史郎さんは、後に世界吸血鬼学会日本支部の会員第1号になっていることから、血に対する執着は凄いの言葉以外見つからないですね。

佐野史郎の出身中学校

佐野史郎さんの出身中学校は島根大学教育学部附属中学校(現:島根大学教育学部附属義務教育学校後期課程)(偏差値:55)です。

1967年4月に入学し、1970年3月に卒業しています。

佐野史郎さんが島根大学教育学部附属中学校出身であることは、自身が❝山口はるみさん、園山俊二さん、偉大な絵師たちが大先輩の島根大学付属中学校❞とつぶやいていることから間違いありません。

同校は1947年に島根師範学校男子部附属中学校として開校した国立中学校です。

コーラス部は全国大会常連で有名で、オーケストラ部もクオリティが高いと評判なんですよ。

主な卒業生はお笑い芸人の出雲阿国さんや漫画家の園山俊二さんがいます。

佐野史郎は中学生時代に医師をあきらめた!

国立中学校に入学するも、全然勉強をしなかったという佐野史郎さん。特に理科系が全くの苦手で、医師になることをあきらめたんだそう。

佐野史郎さんが勉強ができないことで佐野家では一族会議が開かれたんですって!

長男が後を継ぐというしきたりを守らなければならないという重圧は大きかったでしょうね。

中学1年生のときに放送が始まった『オールナイトニッポン』の糸居五郎さんのDJに痺れ、ビートルズの『アイム・ダウン』を口ずさんでいたそうで、まさにダウンした気分だったのでしょう。

佐野史郎の出身小学校

佐野史郎さんの出身小学校は松江市立乃木小学校です。

1961年4月に練馬区立開進第三小学校へ入学。1962年に乃木小学校へ転校し、1967年3月に卒業しています。

【練馬区立開進第三小学校】

【松江市立乃木小学校】

佐野史郎さんが開進第三小学校に入学したことは、自身が❝小学1年生まで桜台にいて、開進第三小だった❞とつぶやいていることから間違いありません。

また乃木小学校を卒業したことも佐野史郎さんがつぶやいていることから確かですね。

開進第三小学校は1932年に開校した公立小学校です。6年生が行う鼓笛行進は30年以上も続いている伝統なんですよ。

乃木小学校は1874年に開校した島根県最大規模の公立小学校です。主夏行政に錦織圭さんやプロ野球選手の白根尚貴さんがいます。

佐野史郎は小学生時代、卒業文集に探偵小説!

卒業文集には6年間の思い出などを書くのが通常ですが、佐野史郎さんは探偵小説を書いて先生に「は?」と驚かれたんだとか。

三角池の謎を追う不思議な男の小説だったのですが、誰にも理解されなかったんですって!

佐野史郎さんは家で特別扱いされていたので、周囲と同じことをするのが嫌いだったのかもしれませんね。

佐野家では長男が特別扱いされていて、佐野史郎さんだけカニ味噌を食べることが許されたんですよ。

弟は食べることができなかったのですが、カニ味噌は大人の味なので羨ましがっていたかどうかは分かりませんね。

バイオリンを3歳から12歳まで続けたにもかかわらず、ビブラートがかけられないことを苦に辞めてしまったんだとか…。

10歳でウクレレを独学でやり始めるも、指先を痛めて膿んでしまったことからウクレレも断念しています。

色んなことにチャレンジできる恵まれた家庭に佐野史郎さんは育ったんですね。

ここまで佐野史郎さんの学歴や経歴を含めた生い立ちについて見てきましたが、医師の一家に生まれ国立中学校を卒業して進学高校出身だったんですね。

勉強は好きではなかったと言えども、バンドに絵画に演劇と芸術には多彩の佐野史郎さんです。

これから渋みが増す年齢となり、円熟した演技に期待大ですね。