いじめに遭っていたときの対処法がすごかったことや大学を退学した理由とは?
篠原ともえの学歴・経歴一覧
まずは篠原ともえさんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | しのはらともえ/いけざわともえ | |||
氏名 / 本名 |
篠原ともえ/池澤友恵※旧姓:篠原 | |||
生年月日 | 1979年3月29日生 45歳 |
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出身 | 東京都青梅市 | |||
身長 | 152cm 血液型 AB型 | |||
最終学歴 | 短大卒 文化女子大学短期大学部・服装学科 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1979 | 0歳 | 東京都青梅市生まれ |
父親は寿司職人&母親は手伝い | ||
1985 | 6歳 | 青梅市立若草小学校入学 |
1991 | 12歳 | 青梅市立若草小学校卒業 |
青梅市立霞台中学校入学 | ||
ヤンキーにイジメられる | ||
1993 | 14歳 | ソニー歌手オーディション合格 |
中学生ビデオコンクールコンテスト1位 | ||
1994 | 15歳 | 青梅市立霞台中学校卒業 |
都立八王子工業高等学校(現:都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科入学 | ||
1995 | 16歳 | 『篠原ともえ+石野卓球』で芸能界デビュー |
1996 | 17歳 | 篠原ともえのプリプリプリティ!!で一大ブーム |
第34回 ゴールデン・アロー賞 新人賞 (芸能) | ||
地域産業組合ポスターデザインのコンテスト全国1位 | ||
1997 | 18歳 | 都立八王子工業高等学校(現:都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科卒業 |
戸板女子短期大学・被服科入学 | ||
『ウルトラリラックス』がヒット | ||
ドラマ初出演『踊る大捜査線 第6話「張り込み・彼女の愛と真実」 | ||
映画初出演『デボラがライバル』 | ||
フォトエッセイ『ウルトラリラックス』 | ||
1998 | 19歳 | 戸板女子短期大学・被服科中退 |
文化女子大学短期大学部・服装学科編入 | ||
2000 | 21歳 | ファッションショー『しのコレ〜21世紀に作る21歳の篠原ともえがデザインする21体の服〜』 |
文化女子大学短期大学部・服装学科卒業 | ||
初舞台ミュージカル 『天使からの招待状』 | ||
2001 | 22歳 | 訪れた台湾で過労のため入院 |
2013 | 34歳 | 松任谷由実ステージ衣装担当 |
2014 | 35歳 | 『小惑星Shinohara』(14555)正式登録 |
2016 | 37歳 | 初代青梅市親善大使任命 |
2017 | 38歳 | とっとりふるさと大使任命 |
2018 | 39歳 | アートディレクター池澤樹と結婚 |
2019 | 41歳 | 文化女子大学短期大学部・夜間オープンカレッジ入学 |
2020 | 42歳 | 池澤樹とクリエイティブスタジオ株式会社『STUDEO』設立 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
東京都青梅市出身の篠原ともえさん。父親は寿司職人で『孝寿司』を経営し、母親は手伝いをしていました。(2009年頃廃業)
6歳と3歳年上の兄がいて、長兄は現在寿司職人、次兄はフランス料理人なんですよ。
篠原ともえさんの本名は友恵ですが、両親が三浦友和さんと山口百恵さんのファンだったことから一字づつ取って友恵にしたんだそう。篠原ともえさんは生まれながらにして芸能界に縁のある人だったんですね。食生活はぜいたくで弁当やおやつは寿司だったそうですよ。
商売人の家庭に生まれ、5人家族として育った篠原ともえさん。
そんな篠原ともえさんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
篠原ともえの出身大学(偏差値・評判・学費)
篠原ともえさんは1997年4月に戸板女子短期大学・被服科へ推薦入試で入学し、1998年に退学後、1998年4月に文化女子大学短期大学部・服装学科し、2001年3月に卒業しています。
【戸板女子短期大学】
学校名 | 戸板女子短期大学 |
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学部・学科 | 被服科 |
偏差値/難度 | 43/低 |
所在地 | 〒105-0014 東京都港区芝2-21-17 |
最寄駅 | 芝公園駅(都営三田線) |
学費 | 初年度:134万円 |
篠原ともえさんの入学した大学については2018年5月11日の『めるもbyGMO』に❝高校卒業後には推薦で戸板女子短期大学・被服科に進学していた❞と掲載されています。
戸板女子短期大学は1902年からの戸板裁縫学校を起源とする1950年に設置された私立の女子短期大学です。
創立者の戸板関子さんは津田塾大学創立者の津田梅子さんや東京女子医科大学創立者の吉岡弥生さんと肩を並べる『明治クリスチャン教育家』の一人なんですよ。
主な卒業生は松本伊代さん、菊池桃子さんがいます。
【文化学園大学短期大学部】
学校名 | 文化学園大学短期大学部 |
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学部・学科 | 服装科 |
偏差値/難度 | 40/低 |
所在地 | 〒151-8523 東京都渋谷区代々木3-22-1 |
最寄駅 | 新宿駅(京王新線) |
学費 | 初年度:155万円 |
篠原ともえさんの出身大学については、文化学園大学短期大学部のイベントに卒業生として参加しています。
文化学園大学短期大学部は1950年に設置された私立大学です。インテリアプランナー資格やカラーコーディネーター検定試験、トレース技能検定など民間資格の支援もしているんですよ。
主な卒業生は古手川伸子さん、モデルの安岡あゆみさんがいます。
篠原ともえは大学生時代退学した理由は!?
篠原ともえさんが戸板女子短期大学を退学した理由は縫製の技術を学ぶために文化学園大学短期大学部の服装科に編入しました。
退学というとマイナスなイメージがありますが、篠原ともえさんは更に技術を求めて退学していたんですね。
子供の頃独学でミシンの使い方を習得したと言われている篠原ともえさんにとって縫製の技術はどうしても学びたかったのでしょう。
編入したは良かったものの、
既に超がつくほどの人気者になっていた篠原ともえさんは、朝は短大へ通い、授業が終わると深夜まで芸能界の仕事をする毎日で、留年することになってしまいました。
「十分に学べたからいいかな」とも思いかけた篠原ともえさんを両親が❝卒業することは自信になる❞と励まし、篠原ともえさんは寝る間を惜しんで授業を聞き、課題を仕上げて2001年に無事に卒業します。
当時の篠原ともえさんの人気を振り返ると殺人的に大変だったことでしょう。
パワフルな篠原ともえさん、出来ると信じてやれば出来るという自らの言葉を見事、証明していますね!
篠原ともえの出身高校(偏差値・評判・学費)
篠原ともえさんは1994年4月に都立八王子工業高等学校(現:都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科へ一般入試で入学し、1997年3月に卒業しています。
学校名 | 都立八王子工業高等学校(現:都立八王子桑志高等学校) |
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学部・学科 | 応用デザイン科 |
偏差値/難度 | 50/中 |
所在地 | 〒193-0835 東京都八王子市千人町4-8-1 |
最寄駅 | 京王八王子駅(京王線) |
学費 | 初年度:35万円 |
篠原ともえさんの出身高校についてはLast.fm Limitedが運営する『Last.fm』に❝東京都立八王子工業高等学校応用デザイン科を卒業❞と掲載されています。
八王子工業高等学校は1887年に創立した八王子織物染色講習所を全身とする公立高校です。都内で2番めに古く、八王子市では一番伝統のある学校でしたが、2010年に八王子桑志高等学校が開設されたために統合されました。
主な卒業生は漫画家の高橋春男さんやレーシングドライバーの長谷見昌弘さんがいます。
篠原ともえは高校生時代は歌手デビュー!?
1995年の春、ソニーのラジカセのCM企画のディレクターに見出され、石野卓球プロデュースで“篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」で歌手デビューをした篠原ともえさん。
1996年の「HEY!HEY!HEY!」や「LOVE LOVE愛してる」などのバラエティで人気が爆発!自身のアイデアで独特・奇抜な“シノラーファッション”を発信し、一世を風靡しました。
シノラーファッションで身に着けていたカラフルなパンツや、キラキラしたアクセサリーは最初は自分で作っていたそうです。
色合いといいデザインといい、斬新でポップで、発想の豊かさと才能を感じますよね!
篠原ともえの出身中学校(評判)
篠原ともえさんは1991年4月に青梅市立霞台中学校へ入学し、1994年3月に卒業しています。
学校名 | 青梅市立霞台中学校 |
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所在地 | 〒198-0031 東京都青梅市師岡町4-6-1 |
最寄駅 | 羽村駅(青梅線) |
篠原ともえさんの出身中学校についてはつぶやきで霞台中と投稿されています。
霞台中学校は1974年に開校した公立中学校で、主な卒業生はバイオリニストのMeg Okuraさんやアイスホッケー選手の大嶋良介さんがいます。
篠原ともえは中学生時代ヤンキーのいじめ撃退がすごい!
中学1年生の時に軽音楽部でユニコーンのコピーバンドを結成し、ギターとボーカルを務めた篠原ともえさんですが、中学ではヤンキーに靴を隠されたり、屋上に呼び出されるなどのいじめに遭っていました。
ある日、集団でいじめてくるヤンキーたちを「もうひどい!」と思い、屋上から去る時に中から鍵を閉めて、ヤンキーを外に締め出したのが最大の仕返しだったそうです。
その後ヤンキーたちが「ごめんね」と謝り、いじめがなくなったんだそう。
まさに窮鼠猫をかむような反撃ですが、ヤンキーたちにとっては衝撃的な事件だったのでしょう。
ちなみに、中学3年生の夏休みにソニー歌手オーディションを受けて合格し、デビューに向けてボイストレーニングをはじめています。才能が開花し始めた瞬間ですね。
篠原ともえの出身小学校(評判)
篠原ともえさんは1985年4月に青梅市立若草小学校へ入学し、1991年3月に卒業しています。
学校名 | 青梅市立若草小学校 |
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所在地 | 〒198-0024 東京都青梅市新町1-15-1 |
最寄駅 | 河辺駅(JR青梅線) |
篠原ともえさんの出身小学校については2016年2月12日放送の『課外授業ようこそ先生』で母校と紹介されています。
若草小学校は1978年に河辺小学校から分離した公立の小学校で、算数などは少人数制をとって修学の格差がないようにしています。
篠原ともえさん以外に有名な卒業生はまだいないようですね。
篠原ともえは小学生時代はタカラジュンヌ!?
篠原ともえさんは低学年の頃は家で一人で絵本を読んだり、お人形遊びをするのが好きな引っ込み思案な女の子でした。
篠原ともえさんを宝塚歌劇団に入れることが夢だった母親が、篠原ともえさんが小学校4年生の時からバレエを習わせ、このバレエがきっかけで篠原ともえさんは明るく社交的な女の子へと変わります。
一方で小学校5年生の時には、裁縫に興味を持ち、ミシンをの使い方など、様々な裁縫技術を図書館の本から学び、母親へのプレゼントのポーチや人形の服などを作り、「将来はデザイン関係の仕事につきたい」と思うようになりました。
バレエの衣装から触発されて裁縫に興味が出てのかもしれません。
小学生時代は母親の里である青ヶ島で星を見る機会が多かった篠原ともえさんは、星が大好きになりました。
高校時代に天文学部に所属し、『小惑星Shinohara』(14555)が正式登録される原点はここにあったんですね。
篠原ともえの学歴・経歴まとめ
ここまで篠原ともえさんの学歴と主な経歴について見てきましたが、カラーコーディネーター検定、色彩検定、天文宇宙検定3級の資格を持っていたり、社会人になってからも母校の文化女子大学短期大学部に再入学するなど学び続けていますね。
いじめに遭ったときはヤンキーを屋上に締め出すなど怪我人を出すことなく解決した篠原ともえさんの機転が利いた行動には脱帽です。
旦那の池澤樹さんと会社を設立し、さらにデザインの分野に勢力的である篠原ともえさんから目が離せないですね!