大学時代は暗黒時代だったことや高校時代のセクハラ疑惑の真相とは?
加藤諒の学歴・経歴一覧
まずは加藤諒さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | かとうりょう | |||
氏名 / 本名 |
加藤諒/※本名同じ | |||
生年月日 | 1990年2月13日生 34歳 |
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出身 | 静岡県静岡市葵区 | |||
身長 | 160cm 血液型 O型 | |||
最終学歴 | 大卒 多摩美術大学・造形表現学部・映像演劇学科 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1990 | 0歳 | 静岡県静岡市葵区生まれ |
父親は営業&母親は主婦、祖父は加藤金物店経営 | ||
1996 | 6歳 | 静岡市立青葉小学校入学 |
2000 | 10歳 | 芸能界デビュー『あっぱれさんま大先生』 |
映画初出演『金髪の草原』 | ||
2001 | 11歳 | ドラマ初出演『ガッコの先生』 |
連続テレビ小説『こころ』 | ||
2002 | 12歳 | 静岡市立青葉小学校卒業 |
静岡市立城内中学校入学 | ||
卓球部幽霊部員 | ||
2005 | 15歳 | 静岡市立城内中学校卒業 |
常葉大学付属橘高等学校・音楽学科(現・普通科総合芸術コース)入学 | ||
セクハラ疑惑 | ||
2008 | 18歳 | 常葉大学付属橘高等学校・音楽学科(現・普通科総合芸術コース)卒業 |
多摩美術大学・造形表現学部・映像演劇学科入学 | ||
暗黒時代 | ||
2010 | 20歳 | 初舞台『NODA・MAP ザ・キャラクター』 |
2012 | 22歳 | 多摩美術大学・造形表現学部・映像演劇学科卒業 |
2017 | 27歳 | アニメ初声優『aiseki MOGOL GIRL』 |
エンディングテーマ『aiseki MOGOL GIRL』』 | ||
2020 | 30歳 | YouTubeチャンネル開設 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
静岡県静岡市葵区出身の加藤諒さん。父親の職業はサラリーマン(営業)で加藤裕一さんといいます。母親の職業は明らかになっていませんが加藤泉さんです。
父親の顔は加藤諒さんほど濃くはありませんが、幼少期の顔を比べるとそっくりなんですよ。
幼少期の加藤諒さんは天使のように可愛いんです。
母親はテレビの企画で青春時代のアイドルだった世良公則さんや戸田恵子さんと共演を果たしているのですが、芸人さながらのリアクションです。
母親は熊川哲也さんのファンなので5歳から加藤諒さんにダンスを習わせていたんだとか。加藤諒さんのキレキレのダンスは5歳からつちかわれていたんですね。
静岡浅間通り商店街にある『加藤金物店』は祖父が経営しているんですよ。
【加藤金物店】
〒420-0867
静岡県静岡市葵区馬場町93−2
加藤諒さんは姉が2人いて、長姉は加藤輝さんといって結婚しているんだそう。次姉はあやさんという名前ですが詳しい情報はでてきていません。
姉2人の元で育った加藤諒さんは女の子の遊びを違和感なくしていたそうで、姉弟仲が良かったんですね。
一般的な家庭に生まれ、5人家族として育った加藤諒さん。
加藤諒さんの名前は父親がシティハンターの冴羽獠が好きだったことから名付けられたんですって!『諒』には❝偽りがない真❞や❝思いやる❞という意味があるので、真面目で人を思いやる人になってほしいという願いが込められているんですね。
そんな加藤諒さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
加藤諒の出身大学(偏差値・評判・学費)
加藤諒さんは2008年4月に多摩美術大学・造形表現学部・映像演劇学科(募集停止)へ入学し、2012年3月に卒業しています。
学校名 | 多摩美術大学 |
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学部・学科 | 造形表現学部・映像演劇学科 |
所在地 | 〒158-8558 東京都世田谷区上野毛3−15-34 |
最寄駅 | 上野毛駅(京急大井町線) |
加藤諒さんの出身大学については2020年3月25日発信の多摩美術大学のツイートに❝映像演劇学科卒業生❞と投稿されています。
加藤諒さんが通っていた造形表現学部・映像演劇学科は夜間学部で、平日は午後6時から午後9時10分、土曜日には午後2時から午後9時10分まで授業が行われ、4年間で卒業できるカリキュラムとなっています。
ただ2014年度から造形表現学部の学生募集は停止されており、現在は2013年度に入学した学生が卒業するまでの間は存続します。
主な卒業生は俳優の森岡龍さんや漫画家のしまおまほさんがいます。
加藤諒の大学生時代は暗黒時代!?
加藤諒さんが多摩美術大学に通っている頃は芸能の仕事が全くと言って良いほどなく、本人曰く「暗黒時代」で3年ほど仕事がない時期があったそう。加藤諒さんはオーディションを受けても全く受からない日々を過ごしています。
加藤諒さんは授業で劇作家・演出家の野田秀樹さんの授業を取っています。当時、加藤諒さんは野田秀樹さんのことを知らなかったそうですが、大学に入って初めて見に行った舞台「パイパー」が野田秀樹さんが演出したものだったため、授業を取ることにしたそうですよ。
すると野田秀樹さんから「普段は何してるの?」と声を掛けられ、加藤諒さんが「古田新太さんの事務所に所属している」と話すと『ザ・キャラクター』という作品に呼ばれることとなり、2010年に天使役で出演しました。
翌年の2011年には本谷有希子さんが脚本を手がけた「クレイジーハニー」の舞台に出演。
他に目立った仕事がなかった加藤諒さんは自らワークショップに足を伸ばし売り込みをしたりしていたそうですが「芝居できないじゃん」と言われてしまったんだとか…。
所属事務所の方針で学業優先だったこともあり、加藤諒さんは見事4年間で多摩美術大学を卒業しています。
事務所から話があると呼び出された際には「クビになる!」と震えたなんてこともあったそうです。
バイトに応募するものの受けた7社全て不合格で、いつも「後日連絡します」と言われたまま、連絡が来ることはなかったようで、なかなか苦労の多い大学時代だったんですね…。
加藤諒の出身高校(偏差値・評判・学費)
加藤諒さんは2005年4月に常葉大学付属橘高等学校・音楽学科(現・普通科総合芸術コース)へ入学し、2008年3月に卒業しています。
学校名 | 常葉大学附属橘高等学校 |
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学部・学科 | 音楽学科(現・普通科総合芸術コース) |
偏差値/難度 | 44/低 |
所在地 | 〒420-0911 静岡県静岡市葵区瀬名2−1−1 |
最寄駅 | 草薙駅(JR東海) |
学費 | 初年度:95万円 |
加藤諒さんの出身高校については2021年6月23日発信『讀賣新聞オンライン』のインタビューで「高校は常葉大学付属橘高校(静岡市)の音楽学科を選びました。」と語っています。
常用大学附属橘高等学校は1963年に男子校として開校した私立高校ですが1985年に英数科が設置されて共学となりました。一貫校である中学は1965年に開校しています。
中学・高校・男女ともサッカー部が強く、全国大会に出場・優勝しているレベルです。中学軟式野球部と高校硬式野球部も全国大会に出場しているんですよ。
主な卒業生はシンガーソングライターの栗林みな実さんや声優の望月駿祐さんがいます。
加藤諒は高校生時代セクハラ!?
加藤諒さんが通っていた常葉大学附属橘高等学校の音楽学科は1学年15名ほどのクラスで、男女がそれぞれ半分くらいのクラスだったそうです。
当時、加藤諒さんはクラスの女子にボディタッチをしすぎて嫌われてしまいます。セクハラだと勘違いされてしまったんですね。
当時の加藤諒さんとクラスメイトの女の子との写真です。女の子の表情が困惑しているのが伝わってきます…。
この出来事は大ごととなり、加藤諒さんは職員室にまで呼び出され担任の先生からは「男と女どっちが好きなの?」と問いかけされるほどだったそうです。
ジェンダー問題に悩んでいたという加藤諒さんは、クラスでは揉めるのが嫌で1人でやり過ごしたり、おどけたりしていたんだそう。
またこのボディタッチ事件は後をひき、なんと修学旅行では衝撃の「一人部屋」だったことを2016年4月21日に放送された『(秘)荷物!開封バラエティー ビックラコイタ箱』で告白していて、ちょっと衝撃的な出来事ですよね…。
しかし、2012年10月28日の自身のブログ『魑魅魍魎』では、二人部屋で一緒に泊まるはずだった男子が修学旅行を休んでしまったので独りでラッキーだと書かれてるんですよ!
加藤諒さん、テレビで盛りましたね!ところが、他の学年の先生が修学旅行に途中参加してきて同じ部屋に転がり込んでくるハメになったそうで、思うようには行かなかったんですよ。
学校生活では朝から晩までヒップホップダンス漬けだったという加藤諒さんは、高校1年生の時にはニューヨークに足を伸ばしています。
高校1年生の時にはファーストキスも経験しており、相手はカナダ人のマディさんという方でした。
2016年12月19日に放送された『[終]【初恋・失恋・死別…芸能人叶わなかった恋の相手再会SP】』によると、最初はほっぺにキスだったのが2人の気持ちが高まって、とうとう唇にキスすることになったそうで、甘酸っぱい青春も経験していたんですね。
高校卒業後の進路に悩んだ際には「芝居を続けたい!」と決意したそうです。
高校3年生の時にはミュージカルスタジオ公演に出演し、魔法学校の先生薬を演じた加藤諒さんのことを高校の担任の先生が「一番華があった」と感想を伝えてくれたそうです。
当時、舞台で脇役を務めることが多かった加藤諒さんにとって、とても心強い言葉になったとインタビューで話していました。
オーディションも数多く受けていたという加藤諒さんですが、「ごくせん(第3シリーズ)」には残念ながら不合格だったそうです。加藤諒さんがごくせんシリーズに出演している姿…少し見たかった気がしますよね。
また通学では自転車で40分かけて通学していたそうですよ。雨の日にもカッパを被って、通学カバンはゴミ袋に詰め込んでいたとか。芸能の仕事もしながら普通に学生生活を送っていたことが伝わってきますね。
【加藤諒の高校時代の同級生】
- 仁科愛(女優)
加藤諒の出身中学校(評判)
加藤諒さんは2002年4月に静岡市立城内(じょうない)中学校へ入学し、2005年3月に卒業しています。
学校名 | 静岡市立城内中学校 |
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所在地 | 〒420-0856 静岡県静岡市葵区駿府町1−107 |
最寄駅 | 新静岡駅(静岡鉄道静岡清水線) |
加藤諒さんの出身中学校については2018年5月18日発信の『日刊スポーツ』に青葉小と掲載されています。
城内中学校は1947年に発足したかつての駿府城三の丸に位置した公立中学校です。静岡大学教育学部附属静岡中学校と静岡精華学園静岡大成中学校と隣接しているんですよ。
地元では静岡の公立中学校のなかでは進学校と言われていて、主な卒業生は三浦知良さんや保阪尚希さん、今村雅美さんがいます。
加藤諒の中学生時代は卓球部の幽霊部員!?
加藤諒さんは中学時代、すでに子役として活動していたため卓球部に所属していたものの幽霊部員だったそう。
2003年、加藤諒さんが中学2年生の時には映画「HINOKIO」で平井健太役を演じました。(映画公開は2005年)
一番手前が加藤諒さんで、青ジャージの女の子は多部未華子さんです。
共演していた多部未華子さん、本田奏多さんと「いつか有名になって『今思うとすごいメンバーだったよね』と言われるような映画にするのが恩返しだね」と話をしていたんですって!実際にそうなっているのも感慨深いですね。
同年の2003年には連続テレビ小説『こころ』で山本万次郎を演じました。
加藤諒さんは見事にいまと変わっていませんね。
出演していた頃、学校が終わると静岡県から東京に移動し撮影、その後都内のホテルに宿泊し、朝5時に起床し地元の学校に通う生活を送っていたそうで、すごい過密スケジュールですね…。ただ加藤諒さんはこのスケジュールでも大変だと感じたことはなかったそう。
学校生活では初恋を経験しており、中学1年生から3年生まで想いは変わらなかったそうで、加藤諒さんは一途なんですね。
加藤諒の出身小学校(評判)
加藤諒さんは1996年4月に静岡市立青葉小学校(2007年閉校)へ入学し、2002年3月に卒業しています。
学校名 | 静岡市立青葉小学校(2007年に廃校) |
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所在地 | 〒420-0853 静岡県静岡市葵区追手町4−16 |
最寄駅 | 新静岡駅(静岡鉄道静岡清水線) |
加藤諒さんの出身小学校については中学と同様『日刊スポーツ』に城内中学校を経てと掲載されています。
青葉小学校は1954年に開校しましたが、少子化の影響で2007年に閉校しました。
加藤諒は小学生時代の『あっぱれさんま大先生』に落選!?
加藤諒さんは10歳の時に『あっぱれさんま大先生』に出演しています。
実はオーディションに落ちていたんですよ!ゲスト枠で出演し、そのまま準レギュラーからレギュラーへと出演するようになりました。
最初は本名の『りょう』という名前で出演していた加藤諒さんですが、その後オネエキャラで『くるみちゃん』という名前で番組に出演しています。
『くるみちゃん』か『メロンちゃん』か悩んでいたのですが、明石家さんまさんが気に入ってくれたためそのまま『くるみちゃん』という名前で出演することになったそう。
オネエキャラで出演していたため、地元の学校でイジメられないか所属事務所が心配してくれたものの、ちょうど加藤諒さんが出演するタイミングで静岡県での『あっぱれさんま大先生』の放送がなくなってしまったため、イジメの心配はなかったんだとか。
加藤諒さん自身もオネエキャラを演じることは開き直っていたそうで、常に芸能界でどう生き残れるのか?と念頭に置いて活動していたそうで、小学生から爪跡を残すことを念頭に置いていたとは恐るべしです。
学校生活では地味っ子で、誰かを笑かすようなタイプではなく、男子よりも女子と過ごすことが多かったんだとか。
加藤諒さんには2人のお姉さんがいるため、男子よりも女子と過ごす方が楽だったのかもしれませんね。
加藤諒の学歴・経歴まとめ
ここまで加藤諒さんの学歴と主な経歴について見てきましたが、子役として活躍しながらも大学時代に仕事がなくて暗黒時代を経験していました。
芸術系の大学は偏差値が高く出ませんが、専門的に映像を勉強し4年で卒業した加藤諒さんは右脳的に優れているのでしょう。
一度見たら忘れない個性あふれる顔を生かしてこれからも活躍されることを期待します。