昔の画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
鳥居みゆきの大学
鳥居みゆきさんは大学に進学していません。
高校を卒業後『松みのるお笑い塾』に約1年間通って芸人デビューしたので、大学進学しませんでした。
『松みのるお笑い塾』に誘ってくれたのは芸人の『ラブ守永』さんで、鳥居みゆきさんとは2002年頃、半年間だけでしたが『ラモンズスクイット』と言うコンビを組んでいたんですよ。
ピン芸人のイメージが強いので不思議な感じがしますね。
鳥居みゆきさんは一見ぶっ飛んでいるキャラなので勉強は苦手そうな印象ですが、実は資格をたくさん取得しているんですよ。
- 情報処理検定1級
- 商業簿記検定2級
- 工業簿記検定2級
- 珠算能力検定準2級
- ワープロ検定2級
- 第一種普通自動車運転免許
頭が悪かったらこんなにたくさんの資格を取れませんよね。
また2009年8月6日発売『夜にはずっと深い夜を』や、2012年7月19日発売『余った傘はありません』など小説を複数冊出版していることからも頭がいいと言えるでしょう。
鳥居みゆきの高校
鳥居みゆきさんは埼玉県立行田進修館高等学校(現・埼玉県立進修館高等学校)(偏差値:44~46 入試難度:中)へ1996年4月に入学し、1999年3月に卒業しています。
【高校の住所】
〒361-0023
埼玉県行田市長野1320
今よりも少しホホがふっくらしていて健康的ですね。
埼玉県立行田進修館高等学校は商業高校、工業高校と変遷があり、2005年 埼玉県立行田女子高等学校と埼玉県立行田工業高等学校の3校が合併して埼玉県立進修館高等学校になりました。
普通科と工業科と総合学科とあるのですが、鳥居みゆきさんが通っていた校舎は普通科の校舎として現在も使われています。
鳥居みゆきさんの出身校が秋田県立六郷高等学校であるという情報もありますが、秋田に生まれてすぐに埼玉県に移住しているので、違いますね。
当時の公立高校の授業料は1年間で82,800円です。
高校時代のエピソード
鳥居みゆきさんは、コミュニケーションを取るのが苦手で、高校3年生までは友だちがいなかったんだそう。
突然大きな声を出して引かれたり、初対面なのに馴れ馴れしくして嫌がられたりしたと2017年9月15日に配信された『THE PAGE』のインタビューで語っていました。
その頃アルバイトをしていたのですが、その理由はなんとクラスメイトにお金を渡して話しかけてもらうためだったんですよ!
バイト料をもらった次の朝は早く学校に行ってみんなの机の上に1000円札を置いていったという鳥居みゆきさんの姿を想像すると哀れで涙が出てしまいそうです。
案の定、アルバイト先でもコミュニケーションはうまく取れなかったようで、長続きはしませんでした。
部活は『ワープロ部』に所属していて、文章作成のために開催しない『ハロウィーンパーティの招待状』を何通も作っていたんだそう。
ワープロ検定は4級から1級まであり、2級は準2級もあるくらいで、それを取得しているとはなかなかのもんです。
陸王で演じた高校が母校!?
2017年10月ドラマ『陸王』の第3話で高校教師役を演じるとこになった鳥居みゆきさんは、撮影場所を聞いて驚いてしまいました。
その理由は、母校の埼玉県立行田進修館高等学校(現・埼玉県立進修館高等学校)だったのです。
一説で鳥居みゆきさんの母校は埼玉県立熊谷商業高等学校というのがありましたが、このドラマで間違いであると判明しました。
鳥居みゆきさんは「こういった形で戻ってくるとは思いませんでした」とORICON NEWSのインタビューに応えていたんですよ。
緊張しすぎてすぐトイレに行きたくなるのを我慢したり、脇汗を見せないように努力したりしていたとのこと。テンパっている鳥居みゆきさんもカワイイですね。
【主な卒業生】
- 今井華(モデル)
鳥居みゆきの中学校
鳥居みゆきさんは行田市立長野中学校へ1993年4月に入学し、1996年3月に卒業しています。
【中学校の住所】
〒361-0022
埼玉県行田市桜町2-1-55
セーラー服がよく似合っていますが、なぜかコントの新たなキャラの画像に見えてしまいますね。
鳥居みゆきさんの体操服姿は卒業アルバムに載っているのですが、着ているジャージと比較すると行田市立長野中学校と同じであることから、出身校で間違いないですね。
行田市立長野中学校は、昭和22年に創立して以来70年以上の歴史がありますが、小学校と連携して卒業式の合同合唱練習をするなど積極的に行事を一緒にしています。
中学時代のエピソード
中学生時代に鳥居みゆきさんの姉・鳥居千春さんとファッション雑誌の『non-no』や『CUTiE(キューティ)』の読者モデルをやっていたという情報がありますが、画像を明らかにすることはできませんでした。
カットモデルをしていた鳥居千春さんもとても美しいので、読者モデルの話があっても全然おかしくないですね。
部活は卓球部でしたが、打ち合いである”ラリー”ができなかったために点数係専門だったんだそう。
この頃ドイツ人俳優『クラウンス・キンスキー』の映画を観て感動した鳥居みゆきさんは、将来”表現者”になるんだと決めたんだとか。
具体的な映画名は公表していませんが、 有名な作品の1972年公開の映画『アギーレ/神の怒り』か1982年公開の映画『フィツカラルド』の可能性がありますね。
当時、『ルミネtheよしもと』にも通っていて、芸人になろうと思ったきっかけは『昭和のいる・こいる』さんの掛け合いに感動したからなんです。
クラウンス・キンスキーさんといい、昭和のいるこいるさんといい、かなり年配の人に影響を受けていたんですね。
鳥居みゆきの小学校
鳥居みゆきさんは行田市立東小学校へ1987年4月に入学し、1993年3月に卒業しています。
【小学校の住所】
〒361-0023
埼玉県行田市 長野2-26-8
自然な笑顔がカワイイですが、画家・岸田劉生さんの代表作『麗子像』みたいですよね!
今は目が大きいのに、この卒アルは一重まぶたで細いことから整形疑惑が上がっていますが、小学生のときの他の画像を見ると目が大きいので、たまたま目が細く写ってしまっただけですね。
行田市立東小学校はスキー合宿があったり、土曜日に親子でグランドゴルフをしたり、小学生には比較的珍しいスポーツを推進しています。
少人数体制で教えてくれるので、勉強に遅れる子供も少ないんですよ。
小学生時代のエピソード
とにかくお米が苦手で、小学校4年生までは渋々食べていたのですが、小学5年生からはパスタやラーメンなどの麺類を主食にしていました。
お菓子が大好きなので、大人になってもサラダはせんべいのサラダ味で代用するんですよ。
「それはサラダじゃないだろう!」とツッコミを入れたくなりますが、お菓子ばかり食べていてもスレンダーなのだから羨ましいですよね。
小学校の頃はちょっとぽっちゃりな上にもともと色が白かったので、『白ブタ』があだ名になってしまっていたんだとか。
しかし、クラスで可愛い女の子第4位になったこともあるんです。男子は好きな子に意地悪したりするので、「白ブタ!」と言って気を引かせようとしたのでしょう。
近所のおばちゃんには受けが良くて、「いつもジャージを着て、きれいな子でしたよ。しかも、面倒見のいい子でした。」と言われていました。
また、外で遊ぶ時は花の蜜を吸うのが好きだったということで、花を愛でる少女時代を過ごしたのですね。
鳥居みゆきさんは目を見開いたり、突然大きな声を発するので威嚇している芸風だと思っていましたが、芸ではなくて元からの気質だったと分かりました。
友達が作れなくて高校時代にお金を配って話してもらっていたいた方法に切なさを感じますが、何とかしてコミュニケーションを取ろうとした努力は偉いと思います。
これからも努力を惜しまず、芸人としても、作家としても活躍してもらいたいです。