地元の足立区でヤンキーだったことや剣道を極めていたことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
原田龍二の学歴・経歴一覧
まずは原田龍二さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | はらだりゅうじ/ひらいまさあき | |||
氏名 / 本名 |
原田龍二/平井雅章 | |||
生年月日 | 1970年10月26日生 54歳 |
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出身 | 東京都武蔵野市 | |||
身長 | 178cm 血液型 A型 | |||
最終学歴 | 高卒 聖学院高等学校・普通科 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1970 | 0歳 | 東京都武蔵野市生まれ |
父親は元サラリーマンでカフェと古物商&母親は専業主婦 | ||
1977 | 6歳 | 足立区立渕江第一小学校入学 |
1983 | 12歳 | 足立区立渕江第一小学校卒業 |
台東区立御徒町台東中学校入学 | ||
1986 | 15歳 | 台東区立御徒町台東中学校卒業 |
聖学院高等学校・普通科入学 | ||
1989 | 18歳 | 聖学院高等学校・普通科卒業 |
聖学院大学・政治経済学部入学 | ||
渋谷でスカウトされる | ||
調査中 | 聖学院大学・政治経済学部中退 | |
1992 | 22歳 | ドラマ初出演『キライじゃないぜ』 |
1994 | 24歳 | 映画初出演『河童』 |
1995 | 25歳 | 映画初主演『汚い奴』 |
2001 | 31歳 | 元女優の鎌江愛と結婚 |
2002 | 32歳 | 第一子男児誕生 |
2003 | 33歳 | 水戸黄門の5代目佐々木助三郎(2010まで) |
2006 | 36歳 | 第二子女児誕生 |
2019 | 49歳 | 4WD不倫騒動 |
2020 | 50歳 | YouTubeチャンネル開設 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
東京都武蔵野市出身の原田龍二さん。父親は埼玉県でカフェとアンティークの店『百福』を経営しています。
母親は専業主婦でしたが、現在は百福を一緒に経営しているのかもしれません。
原田龍二さんには2歳年下で俳優の本宮泰風さんがいるのは有名ですね。本宮泰風さんの嫁は松本明子さんです。
普通な家庭に生まれ、4人家族として育った原田龍二さん。
そんな原田龍二さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
原田龍二の出身大学
原田龍二さんは1989年4月に聖学院大学・政治経済学部・政治経済学科へ入学し、中退しています。(※時期は調査中)
学校名 | 聖学院大学 |
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学部・学科 | 政治経済学部・政治経済学科 |
偏差値 | 43 |
入試難度 | 容易 |
所在地 | 〒362-8585 埼玉県上尾市戸崎1−1 |
最寄り駅 | 日進駅(JR川越線) |
公式HP | https://www.seigakuin.jp/ |
原田龍二さんが聖学院大学出身であることは、Webサイトやアプリを提供している株式会社シーエー・モバイルに原田龍二さん紹介するページで同校出身と掲載されていることから確かです。
原田龍二の大学生時代はジュノン・スーパーボーイ
幼い頃から大学に進学したかった原田龍二さんは、当時新設校だった聖学院大学に入学しましたが、学生が少なかったことで授業の種類も少なかったんだそう。
勉強したいことがない上に車の免許を取ったことで遊んでばかりいたところを芸能事務所の株式会社ブローにスカウトされました。
1990年第3回『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に応募し、準グランプリを受賞。
グランプリの画像はありませんが、19歳時の画像を見るとイケメンですよね。
1995年11月23日公開の映画『日本一短い「母」への手紙』に出演し、第19回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しました。
受賞をしたものの、演技の勉強をしたことがなかった原田龍二さんはどうしたらいいのか分からず、当時は「いつ芸能界を辞めようかな…。」と思っていたんだとか。
辞めようと思いつつも、芸能界の魅力にハマっていたのでしょう。
転機が訪れたのはドキュメンタリー番組と出会ってからです。スリランカ南部でのカツオ漁やモンゴルで厳しい冬を体験し、ブラジルのほぼ裸族『ヤノマミ族』と知り合うことで自然と人間との関わりを考えるようになったんですって!
大自然の中にいると、自分の悩みなんてちっぽけなように思えて心が大きくなったように感じますよね。
原田龍二の出身高校
原田龍二さんは1986年4月に聖学院高等学校・普通科へ入学し、1989年3月に卒業しています。
学校名 | 聖学院高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 58 |
入試難度 | 高 |
所在地 | 〒114-0015 東京都北区中里3−12−1 |
最寄り駅 | 駒込駅(JR山手線) |
公式HP | https://www.seig-boys.org/ |
原田龍二さんが聖学院高校出身であることは、同校のFacebookに卒業生として紹介されていることから間違いありません。
学校にはパンク頭の軽音部員がゾロゾロいたりしたことから「自由に生きても良いんだ」と考えるようになったのですが、いつの間にか意味を履き違えて“やんちゃ”をするようになってしまったんです。
原田龍二はヤンキーだった!
原田龍二さんが通っていた学校はクリスチャン・スクールで、“人のために尽くしなさい”という聖書の勉強をしていたはずですが、アートや音楽のイベントを企画開催しているNPO法人『プティ・プアソン』のインタビューによると、タバコも吸ったりしていたんです…。
“タバコを吸ったり、バイクに乗ったり、ディスコに行ったり、外泊したり。暴走族にはならなかったけれど、それに近いところまでは行ってたかもしれません。殺気だってましたよ。”
引用元:【俳優 原田龍二さん(INTERVEW プティ・プアソン)】
思春期特有の反抗心があって、ブレーキが効かなくなってしまったのかもしれませんね。
2017年8月23日放送の『良かれと思って!』に原田龍二さんが出演した際に視聴者から「昔、原田龍二さんがビリヤードをしていた隣の人が突然ナイフで刺された話はドン引きでした」という声に「死ななかったから大丈夫ですよ。」と応えていたんです!
一緒に出演していた諸星和己さんは、「喧嘩が強いことで芸能界では有名ですよ。仕返しが怖いから僕はイジらない。」と言うほどでした。
2014年9月6日公開の映画『日本やくざ抗争史・西成抗争』で演じていた原田龍二さんは演技というよりも素に近かったのかもしれませんね。
原田龍二の出身中学校
原田龍二さんは1983年4月に台東区立御徒町台東中学校へ入学し、1986年3月に卒業しています。
学校名 | 台東区立御徒町台東中学校 |
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所在地 | 〒110-0016 東京都台東区台東4−13−16 |
最寄り駅 | 駒込駅(JR山手線) |
公式HP | http://www.taitocity.net/okachimachitaitou-jhs/ |
原田龍二さんが御徒町台東中学校出身であることは、不動産会社の有限会社城北商事不動産部のホームページに同校出身と掲載されていることから明らかになりました。
寄せられた情報により、台東区立駒形中学校の可能性が出てきましたので引き続き調査していきます。
原田龍二の中学生時代は走り幅跳び
後述しますが、原田龍二さんは越境して隣の区から通学していたので、学校には友達が全くいなかったことから学校生活が楽しくなかったんだそう。
NPO法人『プティ・プアソン』で受けたインタビューによると、中学2年生になってから陸上部に所属し、走り幅跳びを頑張っていました。
“中学時代は僕にとって不毛の時代でした。それでも、陸上部にスカウトされて走り幅跳びをやるようになってから、少しずつ学校の友達とクラブを通して仲良くなったんです。団体行動っていうのが僕はどうも苦手で。徐々に練習をさぼるようになってしまって、そのまま陸上部をやめてしまったんです。”
引用元:【俳優 原田龍二さん(INTERVEW プティ・プアソン)】
原田龍二さんは人見知りするタイプだったのかもしれませんね。
学校は面白くなかったようですが、プロレスにはまって蔵前国技館によく見に行ったんだそう。
悪役レスラーをやっつける様子が爽快に感じたんでしょう。
原田龍二の出身小学校
原田龍二さんは1977年4月に足立区立渕江第一小学校へ入学し、1983年3に卒業しています。
学校名 | 足立区立渕江第一小学校 |
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所在地 | 〒121-0064 東京都武蔵野市保木間3−27−1 |
最寄り駅 | 竹ノ塚駅(東武スカイツリーライン) |
公式HP | http://www.adachi.ed.jp/adhuit/ |
原田龍二さんが渕江第一小学校出身であることは、西保木間小学校校長がブログで掲載したことから間違いありません。
原田龍二の小学生時代は剣道を極めていた
原田龍二さんは渕江第一小学校に通っていたのですが、剣道をするために西保木間小学校まで練習しに来ていた縁で、足立区から依頼を受けて西保木間小学校に取材に来ていました。
足立区の広報動画では、小学校2年生から中学校2年生までの7年間、段を取るまで通っていたと語る原田龍二さん。
渕一剣道会に所属し、水曜日と土曜日に練習していたのですが、“かかり稽古”という先生にかかっていく練習ではよく倒されて半べそをかいていたんですって!
「冬は寒稽古があって裸足で校庭を走らされていた辛い思いでしかないけれども、時代劇で剣道が役に立っているのでいい経験だった」とも語っていたんですよ。
1965年11月4日発行の『読売新聞』によると、“頭のよくなるスポーツ まず剣道、次に柔道 都教医研のデータ”と掲載されていたことから考えると、原田龍二さんは勉強ができたんでしょうね。
それが証拠に中学受験をしていたんですよ。
NPO法人『プティ・プアソン』の原田龍二さんのインタビューによると、大学までエスカレーターで進学できる私立の中学校に進学するために小学校4年生から進学塾に行き始めました。
“私立の中学に入ることによって、エスカレーター式に大学に上がれるっていうとんでもない考え方をしていたんですよ。親にも今のうちに頑張れば・・・と言われたので、素直に塾に通いはじめたんです。”
引用元:【俳優 原田龍二さん(INTERVEW プティ・プアソン)】
慶応・開成コースで勉強していたとも語っていて、入塾テストを受けて合格したと想像するとやはり成績優秀だったんですね。
電車で塾に行くことが大人になったようで楽しかったのですが、しばらくすると遊んでいる友達に「塾に行く時間だから」と別れを告げることに抵抗を感じるようになったんだそう。
結局は中学受験をやめて公立の中学に行くことにしたのですが、“中学受験を失敗した”と思われるのが嫌だったようで越境して隣の台東区の中学校に通うことに。
全く新しい環境にリセットするのも一つの方法ですよね。
原田龍二の学歴一覧・出身地詳細
ここまで原田龍二さんの学歴について見てきましたが、出身小学校が足立区立淵江第一小学校ということから出身地は足立区でしょう。
足立区は足立区生物園で有名なので原田龍二さんは園内にある蝶の大温室に行ったことがあったかも?
穏やかで大声を上げたりしない原田龍二さんが喧嘩が強くて芸能界トップクラスであったとは意外でした。
足立区でも名を馳せたヤンキーで、友達が刺されても「死ななかったから大丈夫」と言えるとは肝が座っているからですよね。
実は怖かったと分かった反面、アキラ100%さんとお盆芸をし、イケメンなのにお笑い芸人のようなこともするんだと驚きましたよね!
色んな顔を見せてくれる原田龍二さんがこの先どんな新しい顔を見せてくれるのか楽しみです!
原田龍二の中学校の写真が、違います。多分、駒形中だと思います。