若い頃から変わらずかっこいいことや卒アル画像に学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
織田裕二の出身大学
織田裕二さんは1986年9月にピッツバーグ大学日本校へ入学し、中退しています。(※現在は廃校。中退時期は調査中)
学校名 | ピッツバーグ大学日本校 |
---|---|
学部・学科 | 調査中 |
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | ─ |
公式HP | ─ |
織田裕二さんがピッツバーグ大学日本校出身であることは、有限会社インライフが運営する『INLIFE』に同校出身と掲載されていることから確かですね。
1980年から1990年代は外国の学校がこぞって日本校を作りました。当時は日本にいながらアメリカの大学に通えると人気でしたが、日本の法令に基づかない無認可校(学位として認められない)である上に高額であったことから撤退していきました。
織田裕二さんがピッツバーグ大学に進学したのは、当時の流行だったからでしょう。
織田裕二の大学生時代のエピソード
織田裕二さんは大学時代に俳優でブレイク(後述)します。当時の画像がありますが、切れ長の目にうっとりしてしまいますね。
日本人離れして見えるのは、二重があまりにもくっきりではっきりとしているからでしょう。
大学時代にあたる1986年から1990年の間に出演したドラマは12本。特に1989年1月放送の『十九歳』では初主演・村上大介役を演じています。
同年10月放送の『邪魔してゴメン!』では主演でしかも織田裕二役だったんですよ。自分を演じるのも案外難しそうですよね。
映画は5本に出演したのですが、初作品は1987年4月25日公開の『湘南爆走族』。
石川晃役でしたが、カラフルな髪色に衝撃を受けました…。
映画での初主演は1990年12月15日公開の『BEST GUY』梶谷英男役です。
一瞬、トップガンのトム・クルーズさんかと勘違いしてしまうほどかっこいいですね。
織田裕二の出身高校
織田裕二さんは1983年4月に桐蔭学園高等学校へ入学し、1986年3月に卒業しています。
学校名 | 桐蔭学園高等学校 |
---|---|
学科・コース | 普通科・男子部(2019年より共学) |
偏差値 | 65 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒225-0025 神奈川県横浜市青葉区鉄町1614 |
公式HP | http://toin.ac.jp/high/ |
織田裕二さんが桐蔭学園高校出身であることは、2017年8月8日発信の『smart FLASH』に同校出身と掲載されていることから間違いありません。
“神奈川の名門・桐蔭学園高校に在学していた織田は、芸能関係者からスカウトされたのを機にオーディションに応募。“
引用元:【「世界陸上」を熱くさせる「織田裕二」理想のデートはサメ釣り(smart FLASH)】
織田裕二の高校生時代のエピソード
中学1年生から高校1年生までテニス部だった織田裕二さん。かなり真剣にしていたようで、高校1年生のときに膝を故障してしまったときは思いつめてしまったんですよ。
織田裕二がは自殺を考えていた!
織田裕二さんがテニス大会に出場した記録は公表されていませんが、膝の使いすぎで軟骨が出てきてしまって、このままテニスを続けたら歩けなくなると医者に言われてテニスを断念してしまったんです。
テニスを断念したことは織田裕二さんのエッセイである2012年8月7日発行の『脱線者』によると、365日テニスをして友人はテニス仲間で行きつけの店はテニスショップ。
何から何までテニスづくめだったにもかかわらず、テニスができなくなったことで周囲は冷たくなり、行き場がなくなって自殺まで考えてしまったんだそう。
「振り返ってみると、友人はそっとしておいてくれたのだと思う」と語っていましたが、当時は悪い方に考えてしまっていたんですね。
家には帰りたくなくて、終電までパチンコ店に行って玉を拾って台に向かっていたんだそう。
学校の制服でパチンコ店にいたら、警察に補導されなかったのかと心配になりますが、拾ったわずかな玉で勝って牛丼を食べたりしていたんですって!
ビリヤードや麻雀にも行っていたそうで、当時若くてかっこいい織田裕二さんがおっさんのような生活を送っていただなんて信じられないですね。
しかし、目的のない生活のままではだめだとバンド活動に専念するようになります。
バンド名は『Deps』で、担当はギター。高校2年のときにクリスマスライブをしたのですが、見に来ていた人の紹介でスカウトされたんですよ。
一つのことに一生懸命になった人は、他の分野に行っても極めることが出来るんですね。
織田裕二の出身中学校
織田裕二さんは1980年4月に桐蔭学園中等教育学校・男子部へ入学し、1983年3月に卒業しています。
学校名 | 桐蔭学園中等教育学校・男子部 |
---|---|
偏差値 | 52~53 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒225-0025 神奈川県横浜市青葉区鉄町1614 |
公式HP | http://toin.ac.jp/ses/ |
織田裕二さんが桐蔭学園中学校出身であることは、JOYSOUNDのアーティスト紹介で同校出身と掲載されていることから明らかですね。
織田裕二の中学生時代のエピソード
中学校からテニスをしていた織田裕二さんは、メキメキと力をつけて行っていたようです。
大会記録などはありませんが、高校でテニスをあきらめた時は思いつめたくらいですから、中学のときもストイックに頑張っていたことでしょう。
中学か高校かハッキリしていないのですが、桐蔭学園での卒アルがあります。
顔が小さくで髪が多いですね。イケメンなのは、もう言わなくてもいいでしょう。
ちなみに、椿鬼奴さんも桐蔭学園中学校に通っていましたが、2018年まで桐蔭学園が男子部と女子部に分かれていたことや織田裕二さんは1976年生まれで椿鬼奴さんは1972年生まれであることから、当時顔を合わせていたかどうかはわかりませんね。
織田裕二の出身小学校
織田裕二さんは1974年4月に桐蔭学園小学校へ入学し、1980年3月に卒業しています。
学校名 | 桐蔭学園小学校 |
---|---|
所在地 | 〒225-0025 神奈川県横浜市青葉区鉄町2353 |
公式HP | http://toin.ac.jp/ele/ |
織田裕二さんが桐蔭学園小学校出身であることは、中学校と同じくJOYSOUNDのアーティスト紹介で同校出身と掲載されていることから確かです。
織田裕二の小学生時代のエピソード
小学校の時は、野球少年でリトルリーグや地元のチームにも所属していました。ラグビーも少しかじっていたんだとか。
将来は野球選手か漁師になりたかったんだそう。
カワイイですが、すでに織田裕二さんの顔をしていますね!
2016年11月10日放送の『あさイチ』で語られていたのですが、漁師は男の子にかっこよく映るのでしょう。
2017年8月8日発信の『smart FLASH』によると織田裕二さんの理想のデートは『サメ釣り』とあるように、魚釣りは大好きなんですね。
あさイチで紹介されていた更に幼い画像があるのですが、二重もくっきりとして鼻も高くてイケメンです。
すでにニヒルさをかもし出していますね!
織田裕二の学歴まとめ!
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
---|---|---|---|
入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
桐蔭学園小学校 | |||
入学年月 | 1974年4月 | ||
卒業年月 | 1980年3月 | ||
桐蔭学園中等教育学校・男子部 | |||
偏差値 | 52~53 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1980年4月 | ||
卒業年月 | 1983年3月 | ||
桐蔭学園高等学校・男子部 | |||
偏差値 | 65 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1983年4月 | ||
卒業年月 | 1986年3月 | ||
ピッツバーグ大学・日本校 | |||
偏差値 | 入試難度 | ||
入学年月 | 1986年4月 | ||
卒業年月 | 中退 (時期は)調査中 |
昔貧乏だったという俳優もいることから織田裕二さんも叩き上げてきたのかと思いきや、小学校から難関校に進学していたんですね。
高校時代にテニスで頑張っていたところに怪我をしてしまい、自殺を考えていたとは驚きでした。
人間本気になれば夢は叶うというお手本としてこれからも活躍してほしいと願います。