若い頃にあったほくろを除去したのには意外な理由があった?卒アル画像に学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
沢口靖子の学歴・経歴一覧
まずは沢口靖子さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | さわぐちやすこ | |||
氏名 / 本名 |
沢口靖子/※本名同じ | |||
生年月日 | 1965年6月11日生 59歳 |
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出身 | 堺市西区堀上緑町 | |||
身長 | 159cm 血液型 A型 | |||
最終学歴 | 高卒 大阪府立泉陽高等学校・普通科 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1965 | 0歳 | 大阪府堺市西区堀上緑町生まれ |
父親は旧国鉄職員 | ||
1969 | 3歳 | 平岡幼稚園入園 |
1972 | 6歳 | 平岡幼稚園卒園 |
堺市立平岡小学校入学 | ||
1978 | 12歳 | 堺市立平岡小学校卒業 |
堺市立上野芝中学校入学 | ||
1979 | 13歳 | 堺市立赤坂台中学校転校 |
1981 | 15歳 | 堺市立赤坂台中学校卒業 |
大阪府立泉陽高等学校・普通科入学 | ||
1984 | 18歳 | 大阪府立泉陽高等学校・普通科卒業 |
第1回『東宝シンデレラ』グランプリ | ||
奈良教育大学教育学部総合教育課程文化財・書道芸術コース 書道芸術専修辞退 | ||
映画初出演『刑事物語3 潮騒の詩』 | ||
ドラマ初出演『太陽にほえろ!』 | ||
1985 | 20歳 | ドラマ初主演NHK連続テレビ小説『澪つくし』 |
1987 | 22歳 | 映画初主演『竹取物語』 |
1999 | 34歳 | ドラマ『科捜研の女シリーズ』スタート |
2015 | 50歳 | 第23回橋田賞受賞 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
大阪府堺市西区堀上緑町出身の沢口靖子さん。父親の職業は旧国鉄職員だったという情報があります。
母親の沢口八重子さんも仕事をしていたようですが、沢口靖子さんの学生時代のお弁当はいつも10種類以上入っていたそうで、きっちりとした方なんですね。
沢口靖子さんが塾で帰りが遅くても必ず家の前で待っててくれたんですって!
カメラが好きな母親は1日と15日には必ず沢口靖子さんの写真を撮影していました。こんなに可愛かったら、撮りたくなるのも当然です。
沢口靖子さんには3歳年上の兄がいますが、いつも後ろをついて回っていたんだとか。
普通な家庭に生まれ、4人家族として育った沢口靖子さん。
そんな沢口靖子さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
沢口靖子の出身大学
沢口靖子さんは大学に進学していません。
奈良教育大学教育学部総合教育課程文化財・書道芸術コース 書道芸術専修に進学する予定でしたが、1984年に開催された第1回『東宝シンデレラオーディション』でグランプリを獲得したことで芸能界に進むことを決めたため、大学には進学しませんでした。
書道科に行かずに芸能界に進んだことは沢口靖子さんの出身地である堺市のホームページに記載されています。
“「母方の祖父が書道が得意で、母の姉も書道の先生でした。私も筆で字を書くのが好きだったので書道の道に進んでもいいなと思っていたんです。」だが、幼なじみが「第1回東宝シンデレラ」に応募しグランプリを受賞したことで、大学受験をやめて芸能界入りすることに。”
引用元:【堺をおもえば…沢口靖子さん 堺の記憶(堺市ホームページ)】
沢口靖子さんが堺市長に書いたサインの画像がありますが、容姿だけでなく字も美しいんですね。
そのころの沢口靖子さんの画像がありますが、キレイや可愛いという言葉しか見つかりません。
大学時代にあたる1984年から1988年の間にドラマは1985年4月連続テレビ小説『澪つくし』や1987年大河ドラマ『独眼竜政宗』など18本に出演。
【澪つくし・主演・古川かをる役】
【独眼竜政宗・五郎八姫役】
映画は1984年12月15日公開の『ゴジラ』を含め6本に出演。『ゴジラ』では『日本アカデミー賞新人俳優賞』を受賞しました。
【ゴジラ】
デビューするなり大人気女優になった沢口靖子さんですから、もし大学に進学していても落ち着いて書を極める時間はなかったでしょうね。
デビュー1年目にして連続テレビ小説の主役に抜擢された沢口靖子さんでしたが、美しさの中に1点だけ気になると言われいているものがあるんですよ。
沢口靖子がほくろ除去!若い頃よりもきれいに?
1984年『ゴジラ』に出演当時の画像を見ると、鼻のところに小さな“ほくろ”が確認できます。
2015年1月放送のの『科捜研の女シーズン14』では遠目から見ても“ほくろ”の存在が分かりますよね。
髪型から『科捜研の女シーズン14』よりも少し前と思われる画像もありますが、かなり大きくなっています。
しかし、2016年4月放送の『科捜研の女シーズン15』の画像では確かに“ほくろ”はありません。
ほくろの除去方法としては炭酸ガスレーザーか電気メスでの切除がありますが、沢口靖子さんのほくろの場合だと盛り上がっているので電気メスでの施術の方が可能性が高いです。
電気メスだと出血もほとんど無く、後日に経過観察で通院することもありますが、基本的に1度で済みます。
ほくろの除去は保険適用外になりますので病院によって異なりますが、5万円から15万円が相場でしょう。
沢口靖子さんのほくろの場所が鼻の穴の入り口だったので、“鼻くそ”みたいだと言われていたんですよ。
人相学的に鼻の穴入り口のほくろは吉相で“大金をつかむ相”。幸運のほくろを本当は取りたくなかったでしょうが、あまりにも目立ってきたことで除去することにしたのでしょう。
ほくろがなくなった沢口靖子さんは更に美しくなって、除去して正解でしたよね。
沢口靖子の出身高校
沢口靖子さんは1981年4月に大阪府立泉陽高等学校・普通科へ入学し、1984年3月に卒業しています。
学校名 | 大阪府立泉陽高等学校 |
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学部・学科 | 普通科 |
偏差値/難度 | 67/難関 |
所在地 | 〒590-0943 大阪府 堺市堺区車之町東3−2−1 |
最寄駅 | 花田口駅(阪堺電気軌道阪堺線) |
学費 | 初年度:26万円 |
沢口靖子さんが泉陽高校出身であることは、卒アルの制服が同校と同じことから間違いありません。
【泉陽高校制服】
沢口靖子の高校生時代のエピソード
高校時代はソフトテニス部に所属していたので、日に焼けて真っ黒。厳しい部活で強豪チームだったんだそう。
朝練も昼練もあって、お弁当を食べる時間がないから3限目が終わると4限目までのわずかな休憩時間に早弁。
お上品な沢口靖子さんのイメージですが、お弁当をかき込んで食べていたのかもしれないと想像してしまいますね。
ソフトテニス部の顧問は国語の先生でもあった武田勝治先生で、沢口靖子さんが芸能界に進むかどうかを相談してきたときには書道科を勧めたんだそうです。
【武田勝治先生】
しかし、沢口靖子さんの決意は固く芸能界に進むことにしたのですが、芸能界で正解でしたね。
沢口靖子さんがあまりにも美人だったので、地元では色んな黄金伝説があるんですよ。
- 登下校では常に男子生徒が後ろをついて列をなしていた。
- 通学で使用していた電車の車両は『沢口靖子専用車両』と呼ばれ、男子生徒であふれていた。
- 沢口靖子さんが教室にいるとざわついて授業にならないからと校長室で勉強していた。
- 高校に沢口靖子ファンクラブがあり、会員証も発行されていた。
ラブレターをもらうこともあり、中には履歴書を同封したものもあったようで、それってお見合いの写真に添える“釣書”と勘違いしていますよね…。
当時の画像をみると、めちゃくちゃ可愛くてモテモテなのも納得がいきます。
モテモテの沢口靖子さんを見て、友達は『東宝シンデレラオーディション』に応募したのでしょう。
沢口靖子の出身中学校
沢口靖子さんは1978年4月に堺市立上野芝中学校へ入学。
1979年4月に堺市立赤坂台中学校に転校し、1981年3月に卒業しています。
【堺市立上野芝中学校】
学校名 | 堺市立上野芝中学校 |
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所在地 | 〒593-8303 大阪府堺市西区上野芝向ケ丘町5−25−1 |
最寄駅 | 上野芝駅(JR阪和線) |
【堺市立赤坂台中学校】
学校名 | 堺市立赤坂台中学校 |
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所在地 | 〒590-0144 大阪府堺市南区赤坂台2−1−1 |
最寄駅 | 光明池駅(泉北高速鉄道) |
沢口靖子さんが上野芝中学校と赤坂台中学校出身であることは、堺市ホームページで沢口靖子さんをインタビューしたページに記載されていたことから間違いありません。
“市立上野芝中学校に進学。中学2年生のときに市立赤坂台中学校に転校した。”
引用元:【堺をおもえば…沢口靖子さん 堺の記憶(堺市ホームページ)】
沢口靖子の中学生時代のエピソード
沢口靖子さんが入学した1978年は第二次ベビーブームということもあって、1学年に23クラスもありました。
全校で約70クラスと当時日本一生徒の多い学校で、運動会が3学年一緒ではできなかったため1学年ごとに日を変えて行われていたんですよ。
沢口靖子さんは体操部に所属していましたが、体育館を使用するのは競争だったでしょうね。
中学2年生のときにニュータウンに引っ越しし赤坂台中学校に転校しましたが、体操部がなかったのでテニス部に入部。
日焼けした顔を見ると、テニスを一生懸命練習していたんだろうなと感じますね。目鼻立ちがハッキリとして整っているのと色黒とで、インド人にも見えます。
沢口靖子の出身小学校
沢口靖子さんは1972年4月に堺市立平岡小学校へ入学し、1978年3月に卒業しています。
学校名 | 堺市立平岡小学校 |
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所在地 | 〒593-8305 大阪府堺市西区堀上緑町1−6−1 |
最寄駅 | 津久野駅(JR阪和線) |
沢口靖子さんが平岡小学校出身であることは、卒業式の画像に同校の名前が記載されていることから確かですね。
沢口靖子の小学生時代のエピソード
小学時代の習い事は、ピアノ、そろばん、習字、バスケットボールに似たポートボール、水泳とかなりたくさん。
部活は陸上部で短距離をしていたと言いますから、運動系も文化系もできるマルチな子供だったことがうかがえます。
また、母親が沢口靖子さんの洋服を作ってくれて、1日と15日に決まって撮影するのが習慣だったそう。
髪まで結って着物を着せている沢口靖子さんをみると、母親は張り切っていたんでしょうね。何を着せても可愛いから、着せ甲斐があったことでしょう。
沢口靖子の出身幼稚園
沢口靖子さんは1969年4月に平岡幼稚園へ入園し、1972年3月に卒園しています。(現在は廃園で廃園時期は調査中)
学校名 | 平岡幼稚園 |
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所在地 | 〒593-8307 大阪府堺市平岡町 |
最寄駅 | 津久野駅(JR阪和線) |
沢口靖子さんが平岡幼稚園出身であることは、堺ホームページに記載されていることから間違いありません。
“沢口さんが最初に住んだのは堺市西区の堀上緑町。平岡幼稚園から堺市立平岡小学校に進んだ。”
引用元:【堺をおもえば…沢口靖子さん 堺の記憶(堺市ホームページ)】
幼稚園時代のエピソード
幼稚園からピアノを習いはじめ高校卒業するまで続けていた沢口靖子さん。1987年10月6日放送のドラマ『火曜サスペンス劇場・盲目のピアニスト』でピアニスト役を演じています。
幼少期から続けていただけあってピアノを演奏する姿が様になっていてエレガントですよね。
沢口靖子の学歴まとめ!
沢口靖子さんは偏差値:67という高学歴の高校に通っていたので大学に進学しなかったことはもったいないくらいですが、デビューする前からファンクラブができていたので、早くに芸能界へ入って正解だったでしょう。
ドラマ『科捜研の女』は1999年からスタートしていますが、スタート当時と全く変わりなく美しさをキープしていることに驚きを感じ、益々の活躍に期待します。