椎名林檎

椎名林檎さんはSMAPにも曲を提供し、東京五輪では開閉会式プランニングチームにも名を連ね活躍し続けていますが、出身大学や高校はどこなのでしょうか?

小学校の卒アル画像から本名が判明したことや、高校を中退した理由など学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!

椎名林檎の学歴・経歴一覧

まずは椎名林檎さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがな しいなりんご/しいなゆみこ 椎名林檎
氏名

本名
椎名林檎/椎名由美子
生年月日 19781125日生 45
出身 埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)
身長 167cm  血液型 O
最終学歴 高卒 福岡県立筑前高等学校・普通科
年齢 学歴・経歴
1978 埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)生まれ
    先天性食道閉鎖症で大手術を受ける
    父親は外資系石油会社勤務
    静岡県清水市に引っ越し
1985 清水市立有度第二小学校(現:静岡市立清水有度第二小学校)入学
1991 12 清水市立有度第二小学校(現:静岡市立清水有度第二小学校)卒業
清水市立第七中学校(現:静岡市立清水第七中学校)入学
1993 14 福岡市立百道中学校転校
1994 15 福岡市立百道中学校卒業
福岡県立筑前高等学校・普通科入学
第19回ホリプロタレントスカウトキャラバン 放課後の決選〜カラオケ・バトルロイヤルに出場
1995 16 『第9回 TEENS’ MUSIC FESTIVAL』に出場し奨励賞受賞
1996 17 福岡県立筑前高等学校・普通科中退
1997 19 イギリスでホームステイ
1998 20 CDデビュー『幸福論』
2000 22 弥吉淳二と結婚
第一子男児出産
2002 24 離婚
2004 26 ロックバンド・東京事変ボーカリスト
2008 30 第31回日本アカデミー賞優秀音楽賞
2009 31 平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞
2011 33 第62回NHK紅白歌合戦初出場
    児玉裕一と事実婚
2013 33 第二子女児出産

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)出身の椎名林檎さん。父親の椎名興太郎さんは外資系石油会社に勤務していました。

父親はクラシック月刊誌『レコード芸術』の愛読者でしたが、渡辺貞夫さんやビリー・ジョエルも大好きだったそう。

毎週土曜日は父親が料理をしていたんですって!

母親の椎名朋子さんは大学でクラシックバレエを専攻していたという情報があるので、

  • 日本女子体育大学舞踏学専攻
  • 有明教育芸術短期大学舞踏コース
  • 昭和音楽大学バレエコース
  • 洗足学園音楽大学バレエコース

の卒業生なのかもしれません。

椎名林檎さんには4歳年上の兄・椎名純平さんがいますが、シンガーソングライターとして活躍しています。

ちなみに、椎名純平さんは慶應義塾大学法学部中退です。

伯父はイラストレーターの辰巳四郎さんで、娘もイラストレーターで藤森玲子さんなんですよ。

【辰巳四郎】

辰巳四郎

【藤森玲子】

藤森玲子
普通な家庭に生まれ、4人家族として育った椎名林檎さん。

そんな椎名林檎さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

椎名林檎の出身大学

椎名林檎さんは大学に進学していません。

後述しますが、椎名林檎さんは高校を中退していますので大学を受験する資格がありません。

大学在学中にあたる1996年から2000年はピザ屋や警備員のアルバイトをしながらコンテストに出場し、メジャーデビューを果たしています。

1996年にヤマハ音楽振興会主催の『The 5th MUSIC QUEST JAPAN」の福岡大会に『Marvelous Marble(マーベラス・マーブル)』というバンドで出場。

大会で勝ち進んでいく途中でソロに転向し、決勝では『ここでキスして。』を歌って優秀賞を受賞しました。

椎名林檎 The 5th MUSIC QUEST JAPAN

1998年5月27日にリリースされたシングル『幸福論』でデビュー。

椎名林檎 CD 幸福論

その後もシングル5曲、アルバム2枚をリリースしていますので、大学には進学せずに音楽活動に専念しました。

実は、デビュー直前に逃避行をしていたんですよ。

椎名林檎はイギリスに留学していた!

1997年の1月から3月までの3ヶ月間、椎名林檎さんは友達の紹介でイギリスに留学しています。音楽の勉強に渡英したのかと思いきや、レコード会社とトラブルがあったからなんだそう。

2001年1月号の『Quick Japan vol.31・前略 椎名林檎様』に書かれていたのですが、椎名林檎さんが作曲したものを大幅修正しようとしたことに反発したためでした。

椎名林檎さんは頑固として拒否したと言いますから、自分の作品に絶対なる自身があったのでしょうね。

椎名林檎の出身高校

椎名林檎さんは1994年4月に福岡県立筑前高等学校・普通科へ入学し、1996年3月に中退しています。

学校名 福岡県立筑前高等学校
学部・学科 普通科
偏差値/難度 62/高
所在地 〒819-0374
福岡県福岡市西区千里111−1
最寄駅 周船寺駅(JR筑肥線)
学費 初年度:35万円
椎名林檎さんが筑前高校出身であることは、当時同校で教師をしていた人が椎名林檎さんが通っていたとつぶやいていることから明らかになりました。

高校中退であったことは、2016年10月14日発信の『NEWSポストセブン』で『中卒(または高校中退)と知って驚きのミュージシャンTOP5』の2位にランクインていたことで確かですね。

“在学中は軽音楽部でバンド活動をしていたそうですが、高校二年の三学期が終わると同時に中退した”
引用元:【3位浜崎あゆみ「中卒で驚くアーティスト」1位はアルバム歴代1位の…(NEWSポストセブン)】

椎名林檎の高校生時代のエピソード

高校時代は軽音部に所属し、バンドをいくつも掛け持ちしていたという椎名林檎さん。洋楽、邦楽ともに数多くの曲をコピーしたことで作曲する力がついてきたんだそう。

『本能』のプロモーションビデオに出てくるナース服からは少し奇抜なイメージのある椎名林檎さんですが、当時はGジャンにリュックと普通の高校生ですよね。

椎名林檎 高校生

2008年8月出版の『林檎アレルギー』に書かれていたのですが、筑前高校以外の友人ともバンドを組んでいたといいますから、椎名林檎さんは勢力的に音楽活動をしていたんですね。

いろんな楽器を担当していたのですが、普通の人なら1つの楽器でもこなすのは大変なのに、椎名林檎さんは感がいいを通り越して天才レベルの才能だったのでしょう。

1995年にヤマハ音楽振興会主催の『第9回 TEENS’ MUSIC FESTIVAL』に出場し、福岡地区で優勝して全国大会に出場し、奨励賞を受賞しています。

椎名林檎 フェスティバル

ちなみにグランプリはaikoさんで、才能あふれるメンバーが集まっていたんですね。

aiko

音楽活動にどっぷりをハマっていた椎名林檎さんは、高校に通っていることに疑問を感じてしまうんですよ。

椎名林檎が高校を中退した理由!

椎名林檎さんが高校を中退した理由は、“自分の人生に関係のない勉強はしたくない”からでした。

高校は進学校だったため、難関大学に目指し先生も生徒も一心不乱だった様子に椎名林檎さんは音楽活動で別の道を歩みだしていたことから、学校にいても違和感を感じていたのでしょうね。

残すところ1年で高校卒業できたのに、その一年がもったいないと判断したのでしょう。




椎名林檎の出身中学校

椎名林檎さんは1991年4月に清水市立第七中学校(現:静岡市立清水第七中学校)へ入学。

1993年4月に福岡市立百道(ももち)中学校に転校し、1994年3月に卒業しています。

【清水市立第七中学校】

学校名 清水市立第七中学校(現:静岡市立清水第七中学校)
所在地 〒424-0886
静岡県静岡市清水区草薙3−9−20
最寄駅 草薙駅(静岡鉄道清水線)

【福岡市立百道中学校】

学校名 福岡市立百道中学校
所在地 〒814-0006
静岡県静岡市清水区草薙3−9−20
最寄駅 藤崎駅(地下鉄空港線)

椎名林檎さんが第七中学校出身であることは、ラジオで椎名林檎さんが同校出身と語っていたことをつぶやいている投稿から明らかになりました。

椎名林檎さんが百道中学校に転校したことは、当時を知っている人のつぶやきから明らかになっています。

椎名林檎の中学生時代のエピソード

中学時代もバンド活動をしていた椎名林檎さん。女子ばかりの9人編成のバンドが最初で、文化祭のテーマソングが『Go for it』だったことからドリームズカムトゥルーの同じタイトルの曲『Go for it』を演奏し、初めてのボーカルを担当したんだとか。

椎名林檎 中学生

元気いっぱいの女の子という印象で、今の暗黒のイメージとは違っていたんですね。

2014年11月9日放送の『ライブモンスター』で語っていたのですが、当時の9人のメンバーとは大人になってからも一緒に音楽活動をしているんですよ!

ところが、部活は音楽関係ではなく演劇部に所属していたという情報があります。

演劇用に曲を書いて欲しいと顧問に頼まれたのが初めての曲作りだったとも言われていて、周囲がバンドの実力を認めていたということになりますね。

初めての曲がどんなものだったのか明らかになっていないのが残念ですが、椎名さんのことですので奇抜ながらも心に染み渡って涙が出るような曲だったのかもしれません。

椎名林檎の出身小学校

椎名林檎さんは1985年4月に清水市立有度(うど)第二小学校(現:静岡市立清水有度第二小学校)へ入学し、1991年3月に卒業しています。

学校名 清水市立有度第二小学校(現:静岡市立清水有度第二小学校)
所在地 〒424-0885
静岡県静岡市清水区草薙杉道3−19−1
最寄駅 草薙駅(静岡鉄道清水線)

椎名林檎さんが有度第二小学校出身であることは、同校出身とつぶやいている投稿から明らかになりました。

椎名林檎の小学生時代のエピソード

小学校を入学する少し前からクラシック・バレエとピアノを習いはじめた椎名林檎さんでしたが、体のバランスを取ることができなくて10年ほど続けた後断念しています。

生まれたときに先天性食道閉鎖症という食道が途切れていた口と胃がつながっていない病気が判明し緊急手術したのですが、肩甲骨付近にメスを入れたことで左右の感覚がどうしても違っていたのがクラシック・バレエとピアノをあきらめた原因だったそう。

また、小学校の頃は病気がちで何度も入院していたんだとか。

食道の病気があったということは少食だった可能性があり、体力が付かなかったのかも知れませんね。

小学校の卒アルがあるのですが、椎名林檎さんはやはり芸名でした。

椎名林檎の本名が卒アルから判明!

椎名林檎 卒アル 小学校

卒アルの下部に『椎名由美子』さんと書かれていて、さすがに“林檎”は本名ではありませんでしたが、“椎名”は本名でした。

目元が椎名林檎さんそっくりなところや色白なところから、椎名林檎さんの卒アルに間違いないですね。

椎名林檎 今と昔

芸名を“林檎”にした理由は公表されていませんが、以下の二つの説が有力です。

  1. ビートルズのリンゴ・スターに憧れていたから
  2. すぐに椎名林檎さんの顔が赤くなるから

本名の“裕美子”さんも素敵な名前ですが、個性的な曲を歌う椎名林檎さんには“林檎”のほうが似合っていますね。

幼少期の画像があるのですが、ポーズが決まってカワイイですよ。

椎名林檎 幼少期 3歳

椎名林檎 幼少期 5歳

上目遣いが幼少期にしてすでに色気があるように感じます。

椎名林檎の学歴まとめ!

椎名林檎

椎名林檎さんの歌詞には『カーネーション』に出てくる『躯(むくろ)』(仏像を数えるのに用いる単位)など難しい言葉を使っているので、高学歴なのかと思いきや、高校中退だったとは意外でしたね。

音楽は普通科の高校ではほどんど学ぶことはありませんし、椎名林檎さんの決断は正解だったと言えるでしょう。

過去には『罪と罰』のプロモーションビデオでベンツを日本刀でぶった切るなど奇抜な演出もしていることから、新曲がどんなのか気なって仕方がないです!