あいみょん

シンガーソングライターとして活躍するあいみょんさんの高校・大学をはじめとする全学歴・偏差値を徹底解説!学生時代のエピソードと主な経歴、実家や家族構成を含めた生い立ちに迫ります!

出席日数が足りず高校を編入していた!?

あいみょんの学歴・経歴一覧

まずはあいみょんさんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがな あいみょん/もりいあいみ あいみょん
氏名

本名
あいみょん/森井愛美
生年月日 1995日生 29
出身 兵庫県尼崎市
身長 161cm  血液型 A
最終学歴 高卒 兵庫県の通信制高等学校
年齢 学歴・経歴
1995 兵庫県尼崎市生まれ
父親は音楽関係
2001 尼崎市の小学校入学
2003 西宮市立小松小学校転校
2007 12 西宮市立小松小学校卒業
西宮市立西宮学文中学校入学
2009 14 ギター&作詞作曲を開始
2010 15 西宮市立西宮学文中学校卒業
兵庫県立西宮南高等学校・普通科入学
2012 17 通信制高等学校転校
2013 18 通信制高等学校卒業
    友人がYouTube配信をしたことをきっかけにスカウト
2015 19 インディーズデビュー『貴方解剖純愛歌 〜死ね〜』
2016 21 メジャーデビュー『生きていたんだよな』
2018 23 『マリーゴールド』大ヒット
    第69回NHK紅白歌合戦初出場
2019 24 日本武道館公演
    第61回輝く!日本レコード大賞の 優秀アルバム賞

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

兵庫県西宮市出身のあいみょんさん。父親の職業はPA(音響関係)の仕事をされています。名前については一般の方のため公表されていません。あいみょんさんが音楽に興味を持つようになったのも父親の影響が大きく、初めて手にしたギターは父親が貸してくれたフェルナンデスのZO-3でした。また以前はライブハウス「島唄」の店長をされていました。

あいみょん 父親

母親の名前や職業は一般の方のため公表されていませんが、2021年2月時点で年齢が「47歳」であることが分かっています。すごい若いお母さんなんですね。またあいみょんさんが小さい頃には「平井堅」さんの歌を歌いながら家の掃除をしていたんだそうですよ。

あいみょんさんの両親は共働きだったため、あいみょんさんは「親子丼担当」として家事を手伝っていたんだそう。

あいみょんさんは兄弟が6人います。あいみょんさんは上から2番目で、姉、あいみょんさん、妹、弟、弟、弟という兄弟構成です。

あいみょん 幼少期

お姉さん、妹さんはそれぞれ4人ずつ子供を産んでいるため、あいみょんさんは現在8人の子供の叔母になるんだそう。小さい頃は喧嘩が絶えなかったそうですが、姉、妹がそれぞれ出産し感動したことで仲良くなったんだそうですよ。

また弟さんが中学生や高校生の頃、あいみょんさんがデビューしテレビなどで露出する機会が増えると恥ずかしさから無視されることもあったそうです。しかし現在ではそんなこともなくなったんだとか。

おばあちゃんは昔、歌手になりたかったんだそうです。また保育士だったため、たくさんの本を読み聞かせしてくれたんだそう。

貧乏な家庭に生まれ、9人家族として育ったあいみょんさん。

芸名の「あいみょん」は中学3年生の時からの親友が名付けてくれたんだそう。その友達はあいみょんさんの楽曲『○○ちゃん』のモデルとなっています。

そんなあいみょんさんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

あいみょんの出身大学

あいみょんさんは大学に進学していません。

高校卒業前に一度だけ大学へ進学しようかと迷ったそうですが「自己保身」という理由だったため、あいみょんさんは「しょーもない」と感じ大学進学することはありませんでした。

ミュージックWEBストア『OTOTOY』であいみょんさんが受けたインタビューでは「高校を卒業した後は、どうしようと思っていたんですか?」という質問に対し、大学に進学しなかったことを語っています。

“卒業する前からバイトを長いことやっていたので、それをやりつつ音楽をやろうかなと思っていました。”
引用元:【配信ないけど激推ししてます!!ーー西宮在住の19歳SSW・あいみょんが鮮烈デビュー(OTOTOY)】

わりとゆるい感じのスタンスで、音楽活動をしていこうとしていたんですね。

そんなあいみょんさんに転機が訪れたのは、YouTubeがきっかけでした。当時、友達が音楽関係の専門学校に通いながら音楽動画をYou tubeで配信しており、そこにあいみょんさんがゲストで演奏したことで東京の事務所から声がかかります。

そしてあいみょんさんは20歳の時に、地元の兵庫県西宮市から東京へ上京します。

上京の際には、お金がなかったためトラックで上京したあいみょんさん。そして小中高の友達の親友3人ががあいみょんさんを見送った際には、写真付きの手紙を渡してくれたんだそうです。そのためあいみょんさんは号泣しながら上京したんだとか。

友達もあいみょんさんの才能に可能性を感じていて、あいみょんさんの曲を世界へ発信するべきだと確信していたのでしょうね。

あいみょん 19歳

その後、音楽事務所『Lastrum』から連絡が来て2015年3月4日に『貴方解剖純愛歌 〜死ね〜』でインディーズデビュー(※大手ではないレコード会社からのデビュー)をしたのですが、一本だけの動画公開でデビューまでこぎ着けるなんて、ドラマのワンシーンみたいですね。

当初は「腕を切り落としたり、目をくり抜いたりという表現が過激すぎる」と放送局が『貴方解剖純愛歌 〜死ね〜』の放送を自粛していたのにも関わらず、オリコンインディーズウィークリーチャートで10位にランクインしました。

放送されない状況であっても、心に響く曲は広まっていくという証明のような人気の出方ですね。

注目されるようになったあいみょんさんは、ドラマにも曲を提供するようになります。

2016年10月ドラマ『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』の主題歌に『生きていたんだよな』を提供したあいみょんさんでしたが、投身自殺をした女性のことを歌っているんですよ。

遺体から流れる血が「赤くてキレイ」と表現していることから、「亡くなった人に対して不謹慎だ」という批判が出るかと思われますが、世間は「ハマる」「元気出る」「心に刺さる」と称賛しています。


過激すぎる歌詞であっても、あいみょんさんのハスキーボイスと飾らないキャラクターによって応援歌にさえなってしまうというとは不思議な能力を持った人です。

2016年11月30日シングルでリリースされた『生きていたんだよな』からメジャーデビューを果たしましたが、確実に大物シンガーになる階段を一つ一つ登っていますね。

あいみょんの出身高校

あいみょんさんは2010年4月に兵庫県立西宮南高等学校・普通科へ入学し2012年3月に中退。

2012年4月に兵庫県内の高校に編入し、2013年3月卒業しています。

学校名 兵庫県立西宮南高等学校
学部・学科 普通科
偏差値/難度 47/中
所在地 〒663-8141
兵庫県 西宮市高須町2−1−43
最寄駅 武庫川団地前駅(阪神武庫川線)

あいみょんさんが西宮南高校出身であることは、あいみょんさんが同校出身であるというつぶやきが複数投稿されていることから明らかになりました。

あいみょんさんが高校を中退したことは、2018年8月16日発信の『BuzzFeed Japan』のインタビューで「高校を一度やめた」と語っていることから間違いありません。

あいみょん インタビュー

また、同インタビューで「高校を変わって、1年だけ通った」とも語っていることから他校に編入したことが明らかになりました。

あいみょん インタビュー

編入先の高校につきましては、新しい情報が入り次第追記していきます。

あいみょんさんの芸名は中学・高校時代のあだ名だったのですが、名前の音からある疑惑が噂されているんです。

あいみょんは韓国人!?

“あいみょん”が「アニョハセヨ」の略である“アンニョン”に近いことから韓国人ではないかという誤解が生まれましたが、あいみょんさんは日本人です。

一方で韓国料理屋みたいな名前だという噂もチラホラ出ていて、イメージだけが先行してしまっているのも韓国人疑惑が出てきた理由でしょう。


その上、あいみょんさんの顔立ちが韓国人みたいだとまで言われるようになってしまいました。

あいみょん

韓国人の肌がキレイなことは有名ですが、あいみょんさんの肌もトラブルがないことから勘違いされたのかもしれません。

あいみょんは高校生時代保健室登校していた!?

あいみょん 高校時代

あいみょんさんは勉強が大っ嫌いすぎて特にいじめを受けていたわけではありませんでしたが、学校に登校しても保健室にばかりいるような学生生活を送っていたんだそう。

学校生活はそれなりに楽しく、ショッピングモールに足を伸ばしてプリクラを撮ったりして過ごしていたそうですが、友情関係が些細なことで壊れていくことで「友だちってどこまで友だち?」と感じるようになり、手を差し伸ばされても一歩引いてしまう日々を過ごしています。

そのうち「出席日数が足りない」と家に連絡が入るようになりますが、それでも保健室に行くような日々を送っていました。

先生からは「何で勉強しないんだ」と問われることも多々あったそうですが、当時から絵や音楽に興味があったため勉強したところで絵や音楽には必要ないと感じていたため、役に立たないと思っていたんだそうです。

学校で授業を受けているとベルトコンベアに乗っているような気持ちになってしまい、授業に集中することができなかったんだとか。

あいみょん 高校時代

また授業中にはペンの頭の部分に指人形を付けて遊んでいたんだとか。しかもその指人形付きのペンを大量に机に並べていたんだそう。

あいみょんさんはテストが行われている日に東京へ遊びに行ってしまったこともありました。学校そっちのけで好きなアーティストのライブに足を伸ばす日々を送っていたんだそう。そんなことを続けていたため、とうとう単位が足りなくなってしまい「留年か退学か」の2択を迫られることになります。

学校から連絡を受けたのはあいみょんさんの父親でした。父親は「明日から学校に行けないよ。留年か、辞めるかどうする?」と問いただします。

あいみょん 高校時代

あいみょんさんは高校卒業資格は人生を左右すると感じていたことから、それまで通っていた高校から別の高校へ編入することとなりました。

2年間通った高校の友達とは全く連絡を取らなくなったんだそう。新しい高校ではひとりぼっちになり、買い物に行くのも、授業中も1人で過ごすようになりました。また改めて新しい友達も作ることもありませんでした。

ただこの1年間はあいみょんさんにとって「本当に大切な友達は誰か」を気づかせてくれた貴重な時間となったんですよ。

そんなあいみょんさんですが、16歳の時にバイト先の先輩から借りたアルバム『LIFE』で「小沢健二」さんの音楽と出会います。この出会いはあいみょんさんにとって衝撃的だったそうで、円盤が擦り切れるほど聞き込んだとか。またフリッパーズギターにもどハマりしたんだそう。

あいみょん 高校時代

というのも音楽関係の仕事をしている父親の影響で実家の父親の部屋は「TSUTAYA」と呼ぶくらいにCDがあり、あいみょんさんは聴きたい音楽があると父親の部屋からCDを借りていました。そんな中で小沢健二さんのCDは手に取ったことがなく、あいみょんさんにとって初めて「外側」から入ってくる音楽となります。

あまりにもハマりすぎて「オザケンになりたい」と思うこともあったんだそうですよ。

あいみょん プリクラ

また2012年、あいみょんさんが17歳の時には「石崎ひゅーい」さんがインストアライブした時に、サイン会の列に並んで「対バンしてください」と声をかけたこともありました。

あいみょんさんにとって思い出深いアルバム『LIFE』ですが実は父親のCDコレクションの中にあったそうで、あいみょんさんが上京するまで実家に2枚存在していたんだそう。

また高校2年生にあたる2011年『EXILE Presents VOCAL BATTLE AUDITION 3〜For Girls〜』に出場しています。

あいみょん 高校 EXILE オーディション

同級生の友達と一緒にオーディションを受けたそうですが4次審査まで通過したことで学校の授業中に携帯電話に連絡が来てしまい、「早く落ちろ!」と願っていたんだとか!すごすぎる話ですよね。




あいみょんの出身中学校

あいみょんさんは2007年4月に西宮市立学文中学校へ入学し、2010年3月に卒業しています。

学校名 西宮市立学文中学校
所在地 〒663-8182
兵庫県西宮市学文殿町1−5−7
最寄駅 武庫川女子大前駅(阪神本線)

11月11日あいみょんガーデンズやん!って思ったら娘もガーデンズだった(笑)あいみょんさんの出身中学校が学文中学校であることは、同校を卒業しているというつぶやきが投稿されていることから明らかになりました。

あいみょんの中学生時代は陸上部副部長!

音楽ニュースメディア『音楽ナタリー』のインタビューによると、中学時代は陸上部で短距離に打ち込んでいて、副部長を務めたことが語られています。

“中学では陸上競技部に入って、部活一筋でした。ほんまに一生懸命やって最終的には副部長にまで上り詰めました。”
引用元:【あいみょん愛を伝えるための7つのキーワード(音楽ナタリー)】

音楽漬けのイメージが有るあいみょんさんは運動音痴なのかと思いきや、足が速かったとは意外ですね。

学文中学校の陸上部は強豪校で有名で、あいみょんさんが在学していた2008年に第35回全日本中学校陸上競技選手権大会100mリレーで準優勝。

あいみょん 学文中学 陸上選手権大会2008

あいみょんさんはハードルの選手として活躍していました。あいみょんさん自身は走り幅跳びをやりたいと考えていたそうですが、顧問の先生から「ハードルをやるように」と言われてしまったため渋々やることになりました。

結果、ハードルの方が記録が伸びたことから「先生、さすが」と思ったんだそう。

修学旅行の際には、部活のみんなで余興でカエルの着ぐるみを着て「キューティーハニー」を歌ったところ「めっちゃ歌がうまい」と周囲に言われて自信がついたんだとか。あいみょんさんが人前で歌うのは初めてのことでした。

あいみょんさんは中学時代に、友達について書いた作文が優秀すぎて中国に派遣されそうになったことがあったんだそう!歌詞を書き留めることが好きで、いいフレーズが出てくるといつか音楽に使えると思い授業中にプリントの隅っこや携帯で書き留めていました。

昔から文才があったんですね。

ただ学校には教科書ではなく、雑誌しか持っていかなかったんだそう。そのため勉強はさっぱりだったようで、高校進学前には「高校に行くのもギリギリなのに」と担任の先生からずっと言われ続けていました。

そのため当時から音楽をやりたいと考えていたあいみょんさんは見返してやりたいと思い続けていたんです。

またあいみょんさんが中学3年生の時には、アメリカからの英語教師ブレンドさんとの出会いでアコースティックギターを始めています。

元々ギターに興味があり中学1、2年の時に父親から貰ったエレキギターを手にしていますが、わずか1ヶ月ほどで辞めてしまったんだそう。「ギターは習いに行くもんじゃない」と教則本をポンと渡されただけだったとか…。

ブレンドさんは授業中にギターで弾き語りをしてくれたんだそうで、バックストリートボーイズなどを弾き語りしていました。

授業で弾き語りしていたギターを帰国するときに、あいみょんさんにプレゼントしてくれたんだそうです。これを機にあいみょんさんはギターを再開させ作詞、作曲をスタートさせています。

この出会いがなければギターをやっていなかったとあいみょんさん自身も話しており、人生のターニングポイントだったのは間違いないでしょうね。

また大家族だったことから、あいみょんさんが着ていた制服は知らない人ものを身につけていたんだとか。というのも親戚や近所の人が使わなくなったものを回してもらって身につけていたんだそうです。当時はかなりのコンプレックスに感じていたそうですが、今では理にかなっているなと感じているんだとか。

またオレンジレンジの楽曲を聴くと、中学の給食の時間を思い出すんだそうですよ。

あいあいみょんの出身小学校

あいみょんさんは2001年4月に尼崎市の小学校へ入学。

2003年4月に西宮市立小松小学校へ転校し、2007年3月に卒業しています。

あいみょんさんが入学した小学校は明らかになっていませんが、小学校2年生まで尼崎市に住んでいたことは2019年12月9日放送のラジオ『KissFMKobe』で語っていたことから間違いありません。

2017年9月14日発信の株式会社Muralが運営する『ミーティア』のインタビューで、父親が尼崎市のバー『ライブ島唄』で店長をしていたことを語っていることから、あいみょんさんが『ライブ島唄』付近の小学校に通っていた可能性があり、下記のいずれかの小学校に入学したと考えられます。

  • 尼崎市立竹谷小学校
  • 尼崎市立難波小学校
  • 尼崎市立成徳小学校
  • 尼崎市立明城小学校
  • 尼崎市立金楽寺小学校
  • 尼崎市立浜田小学校

あいみょん インタビュー ミーティア

【西宮市立小松小学校】

学校名 西宮市立小松小学校
所在地 〒663-8123
兵庫県西宮市小松東町1−3−59
最寄駅 武庫川駅(阪神本線)

あいみょんさんが小松小学校出身であることは、出身が鳴尾であることと小松小学校であることをつぶやいている投稿があることから間違いないでしょう。

あいみょんは小学生時代「スピッツ」に神!

あいみょん 小学生時代

あいみょんさんは小学校4年生の時にスピッツと出会います。スピッツの「春の歌」を聴いた時に心地よく感じ「こういう男の人が好き」だと感じたそうです。また現在も好きすぎて「神さま」と崇めています。

またあいみょさんの父親がいろんなアーティストを集めたCDを作ってくれて、それをよく聴き込んでいました。

あいみょん 父親からのCD

CDに印刷されている子猫は、あいみょんさんが拾ってきて押入れに隠していた子猫で、弟(三男)が生まれたときだったことから、父親に反対された泣く泣くあきらめた『ぐうちゃん』だったんです。

あいみょん 父親からのCD

曲だけでなく、画像にも愛の詰まったCDだったんですね。

小学生の頃はとても活発で、変顔ばかりしていたんだそう。小学生の頃、あいみょんさんは近所の友達と「コマネチ!」とか言いながら走り回ったり、アニメの「ボボボーボ・ボーボボ」が大好きで、その絵を描いて前の席の子の背中にこっそり貼って先生に怒られたりすることもあったんだとか。

漫画 ボボボーボ・ボーボボ

あいみょんさんはドラゴンボールの服をよく着ていたことから近所の駄菓子屋のおばちゃんには「ぼく」と呼ばれていたんだそうですよ。

また書道を習っており、「段を取るまで」と決め小学校卒業まで続けていました。

そんなあいみょんさんの卒業文集には「警察官になりたい」と書いていたんだそうですよ。勉強は当時から苦手だったそうですが、芸術家やカメラマンになりたいと考えいたんだそう。

またピカソとか岡本太郎とかダリが好きで、最初は美術の学校に行くのもいいなって思っていたんだそうですよ。

あいみょんさんが自分で初めて購入したCDは「オレンジレンジ」だったんだそうです。

小学校2年生から3年生に上がるタイミングで引越ししており、友達と離れるのが嫌すぎてものすごい泣いたんだそうです。

また小さい頃のお弁当には「赤いウインナー」が入っていたことがなく、当時はお金持ちの食べ物何だと思っていたんだそうですよ。ただお弁当に入っていたウインナーは「たこさんウインナー」だったため、愛をしっかり感じていたんだそうです。

あいみょんさんの原型を作り出した幼少期だったんですね。

あいみょん 幼少期

あいみょん 幼少期

あいみょん 幼少期

あいみょん 幼少期

あいみょんの学歴・経歴まとめ

あいみょん

ここまであいみょんさんの学歴と主な経歴について見てきましたが、勉強が苦手だったあいみょんさんですがギターと出会い、作詞、作曲を中学生の頃から続けており凄いことが分かりました。

「父親にいつか音響をやってほしいっていう夢を持ちつつ」と話すあいみょんさん。

また、TVや雑誌で「勉強っていうものを全て否定したいわけじゃない。」いったコメントをしていることからも頭がいい人であることがうかがえますね。