父親は絵本作家だったことや5ヶ国語を操れることなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
カラテカ矢部の出身大学
カラテカ矢部さんは1996年4月に東京学芸大学・教育学部・国際教育学科・欧米研究専攻へ入学し、2004年3月に除籍になっています。
学校名 | 東京学芸大学 |
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学部・学科 | 教育学部国際教育学科欧米研究専攻 |
偏差値 | 58 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒184-0015 東京都小金井市貫井北町4−1−1 |
最寄り駅 | 国分寺駅(JR中央線) |
公式HP | https://www.u-gakugei.ac.jp/ |
カラテカ矢部さんが東京学芸大学教育学部国際教育学部欧米研究専攻であることは、『みんなの高校情報』に卒業生として掲載されていることから間違いありません。
矢部太郎さんは学費が払えずに除籍になったという噂がありますが、決定的な理由は『進ぬ電波少年』でした。
❝8年間一応大学へお金は払い続けていたのですが、ちょうどその頃「電波少年」という番組で海外に連れて行かれて帰ってこられず。そのうち単位が取れなくなってしまったのです。❞
引用元:【シリーズ・この人に聞く!第144回お笑い芸人矢部太郎さん(子供の習い事.net)】
なすびさんも『電波少年的懸賞生活』で大学に通えなくなり除籍になりかけましたが、学校関係者が『進ぬ電波少年』を見ていたことで特別に配慮されました。
矢部太郎さんは配慮してもらえなくて残念ですね。
入江慎也さんとコンビを組んで『よしもと漫才劇場』に何度か出演していくうちに出番が多くなって、矢部太郎さんは知らぬ間に吉本タレントの名簿に載っていたそうですよ。
大学は除籍になりましたが、スゴイ偉業を成し遂げているんです。
カラテカ矢部は5ヶ国語習得!
矢部太郎さんは独学で韓国語、スワヒリ語、モンゴル語、コイサンマン語を習得していて、日本語と合わせると5ヶ国語習得ですね!さらには中国語も学んでいるんだとか。
『語学の脳みそ―11ヵ月で4ヵ国語をマスターした僕の語学のツボ』という本まで出版しているくらいで、学習能力が高いですね。
学習方法は以下の10項目です。
- 目標を定める
- 単語は分類してから暗記
- ノートの整理は頻繁にする
- 時と場所ごとに想像して語彙を増やす
- 字幕入りの映画やドラマを見る
- 自分にとって必要な言葉を覚える
- 自分で編み出した発音記号を作ってみる
- 自分の声を録音して発音を確認する
- 例文を集める
- 疑問詞を覚えて母国語の人に聞きまくる
日常生活に上記のことを組み込もうとすると最初は時間調整が大変でしょうが、矢部太郎さんにとってはゲームみたいに楽しいことで我を忘れてしまうのかもしれません。
ちなみに、入江慎也さんは専門学校の『東京アナウンス学院』に進学していますが、矢部太郎さんと一緒に授業を受けていたこともあったんですって!
大学とお笑いだけでも忙しい上に入江慎也さんの専門学校の授業まで受けていたとは、矢部太郎さんは勉強熱心なのでしょう。
2007年3月に難関資格の『気象予報士』の資格を取得していることからも矢部太郎さんが頭脳明晰であることは言うまでもないですね。
カラテカ矢部の出身高校
カラテカ矢部さんは1993年4月に都立保谷(ほうや)高等学校へ入学し、1996年3月に卒業しています。
学校名 | 都立保谷高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 53 |
入試難度 | 中 |
所在地 | 〒202-0005 東京都西東京市住吉町5−8−23 |
最寄り駅 | 保谷駅(西武池袋線) |
公式HP | http://www.hoya-h.metro.tokyo.jp/ |
カラテカ矢部さんが保谷高校出身であることは、2019年6月8日発信の『日刊スポーツ』で同校出身と掲載されていることから間違いありません。
❝矢部にとって、入江は東京都立保谷高の同級生であり、自らを芸能界に導いた存在だった。❞
引用元:【カラテカ矢部が相方入江について謝罪コンビ名は残す(日刊スポーツ)】
カラテカ矢部はビートたけしに褒められた?
相方の入江慎也さんと高校時代にお笑いコンビを組み『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』のオーディションに参加した際、全くウケなかったカラテカ。
審査員のビートたけしさんにネタはこれだけだと伝えると「それでここに来たのはある意味すごいな。」と褒められたんですって!
コントはウケなかったのですが、ビートたけしさんから「戦時中の子供みたいだな。」とイジられたことが大ウケで、矢部太郎さんは本気でお笑いの道に進むことを考えるようになったんだとか。
入江慎也さんに誘われてコンビ結成をしていますが、矢部太郎さんは誘われたことをずっと感謝しているそうで義理人情に厚い人なんですね。
【カラテカ矢部の高校時代の同級生】
- 入江慎也(カラテカ)
カラテカ矢部の出身中学校
カラテカ矢部さんは1990年4月に東村山市立第四中学校へ入学し、1993年3月に卒業しています。
学校名 | 東村山市立第四中学校 |
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所在地 | 〒189-0022 東京都東村山市野口町3−24−1 |
最寄り駅 | 西武園駅(西武西武園線) |
公式HP | http://higashimurayama.ed.jp/e19-higashimurayama4/ |
カラテカ矢部さんが第四中学校出身であることは、東村山市のホームページに同校出身と掲載されていることから間違いありません。
カラテカ矢部の中学時代は漫画家志望
中学時代の矢部太郎さんは、周囲とは馴染めなくて図書館通いをしていたんだそう。
絵を描くことが好きだったので、「漫画を描いてみたい。」と手塚治虫さんの❝漫画教本❞を買ってチャレンジしようとしたこともあったんだとか。
しかし、いざ描いてみると難しくて挫折してしまったそうで、イラストと漫画は別物なのかもしれませんね。
カラテカ矢部の出身小学校
カラテカ矢部さんは1984年4月に東村山市立回田(めぐりた)小学校へ入学し、1990年3月に卒業しています。
学校名 | 東村山市立回田小学校 |
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所在地 | 〒189-0025 東京都東村山市廻田町3−28−1 |
最寄り駅 | 武蔵大和駅(多摩湖線) |
公式HP | http://higashimurayama.ed.jp/e02-megurita/ |
カラテカ矢部さんが回田小学校出身であることは、中学と同じく東村山市のホームページで掲載されていることから間違いありません。
カラテカ矢部の父親は絵本作家!
矢部太郎さんの父親は絵本作家の『やべみつのり』さんです。
やべみつのりさんは紙芝居作家もしているので、当時の矢部太郎さんは影響を受けて紙芝居を作っていました。
❝さく・え やべたろう❞と書かれているのを見ると、本格的な作品ですね。
また、小学1年生から4年生まで『たろうしんぶん』発行していて、❝今月の矢部家のニュース❞を記事にしていたんだそう。発行元も書かれていて、たろうしゃ』だったんですよ!
小学生時代は喋ってばかりでうるさい子供だったんだとか。
当時の画像をみると、ハンチング帽を被っているところがオシャレですね!
小学生の頃から細身であることが分かります。
肋骨が見えそうな程の細さですが、空手を習っていたんですって!
現在でも体重39kgの矢部太郎さんは体が軽すぎて投げられることが多かったかもしれませんね。
カラテカ矢部の学歴一覧・出身地詳細
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
東村山市立回田(めぐりた)小学校 | |||
入学年月 | 1984年4月 | ||
卒業年月 | 1990年3月 | ||
東村山市立第四中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1990年4月 | ||
卒業年月 | 1993年3月 | ||
都立保谷(ほうや)高等学校 | |||
偏差値 | 53 | 入試難度 | 中 |
入学年月 | 1993年4月 | ||
卒業年月 | 1996年3月 | ||
東京学芸大学・初等教育教員養成課程・国際教育選修 | |||
偏差値 | 58 | 入試難度 | 難関 |
入学年月 | 1996年4月 | ||
卒業年月 | 2004年3月除籍 |
ここまで矢部太郎さんの学歴について見てきましたが、出身小学校が東村山市立回田小学校ということから出身地は東村山市廻田町付近でしょう。
東村山市はくめがわ電車図書館で有名なので矢部太郎さんは黄色い西武線の車両にある本を読んでいたのかも?
矢部太郎さんは気弱なところがあるので勉強が苦手なのかと思いきや国立大学に進学して5が国語を独学で習得したほどの秀才でした。
難関資格の気象予報士も取得し、博学としてお笑い以外の分野でも活躍が期待できますね!
保谷(ほうや)高校です。