上流階級に生まれ、早稲田大学を次席で卒業した才女の幼少期は極貧生活だった?
吉永小百合の学歴と経歴一覧
まずは吉永小百合さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | よしながさゆり/おかださゆり | |||
氏名 / 本名 |
吉永小百合/岡田小百合※旧姓:吉永 | |||
生年月日 | 1945年3月13日生 76歳 |
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出身 | 東京都渋谷区西原 | |||
身長 | 155cm 血液型 O型 | |||
最終学歴 | 大卒 早稲田大学・第二文学部・史学科卒 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1945 | 0歳 | 東京都渋谷区西原生まれ |
父親は東京大学法学部出身&母親は歌人 | ||
1951 | 6歳 | 渋谷区立西原小学校入学 |
父親が事業に失敗し極貧生活に… | ||
1957 | 12歳 | 芸能界デビュー 連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』 |
渋谷区立西原小学校卒業 | ||
渋谷区立代々木中学校入学 | ||
映画初出演『朝を呼ぶ口笛』 | ||
1960 | 15歳 | 渋谷区立代々木中学校卒業 |
都立駒場高等学校・普通科入学 | ||
映画初主演『ガラスの中の少女』 | ||
1961 | 16歳 | 精華学園女子高等学校(現:東海大学付属市原望洋高等学校)転入学 |
精華学園女子高等学校中退 | ||
1962 | 17歳 | レコードデビュー『寒い朝』 |
1965 | 20歳 | 早稲田大学・第二文学部・西洋史学専修入学 |
1967 | 22歳 | 映画『愛と死をみつめて』が大ヒット |
1969 | 24歳 | 早稲田大学・第二文学部・西洋史学専修(次席) |
1973 | 28歳 | 岡田太郎氏(フジテレビの元プロデューサー)と結婚 |
1988 | 43歳 | 映画『つる-鶴-』で100作品達成 |
2006 | 61歳 | 紫綬褒章受賞 |
2010 | 65歳 | 文化功労賞受賞 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
東京都渋谷区西原出身の吉永小百合さん。父親の吉永芳之(よしゆき)さんは東京大学法学部を卒業後、九州耐火煉瓦に就職。外務省関係の仕事を経て出版社『シネ・ロマンス社(映画ファン誌の発行)』を設立しました。
母親の吉永和枝さんは歌人で短歌結社『潮音(ちょうおん)』に所属していたんですよ。
(※画像左上から:姉、吉永小百合さん、吉永和枝さん、妹)
母親の目はそんなに大きくないので吉永小百合さんは父親似なのでしょう。
母方の祖父は出版業を営んでいた川田友之氏で、叔母は婦人画報の編集長をしているなど優秀な人が多いんです。
出版業界に精通している家系に生まれ、三姉妹の次女として育った吉永小百合さん。
5歳年上の姉はのちに東京教育大学(現:筑波大学)を卒業し東京都庁に勤め、2歳年下の妹も大学を卒業後教育関係の職業に就くなど姉妹全員が賢かったんですよ!
吉永小百合さんの名前の由来は東京大空襲直後に生まれた娘に百合のようにたくましく育ってほしいという願いが込められていたんだとか。
吉永小百合さんはたくましく生きるだけでなく、❝百の小さな出会いを大切にする自分でありたい❞と願っているそうで、親の思いを更に大きく膨らませているんです。
そんな吉永小百合さんはどんな学生生活を送っていたのか?当時のエピソードや画像など現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
吉永小百合の出身大学(評判)
吉永小百合さんは1965年4月に早稲田大学・第二文学部(夜間)・史学科・西洋史専修へ特例で入学し、1969年3月に卒業しています。(※早稲田大学の第二文学部は2014年に廃止)
学校名 | 早稲田大学(夜間) |
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学部・学科 | 第二文学部・史学科・西洋史専修 |
所在地 | 〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1-104 |
最寄駅 | 西早稲田駅(副都心線) |
吉永小百合さんの出身大学については、2021年5月21日発信『女性自身』で同校を次席で卒業したと掲載されています。
早稲田大学第二文学部は1949年に設置された夜学部です。1990年代は一部(昼間部)では入学できない学生が二部(夜間部)を受験するという人も少なくなかったんですよ。
吉永小百合は中卒で大学受験?
吉永小百合さんは高校を中退したため、大学の受験資格はありませんでした。そのため大検を取得している最中でしたが、早稲田大学の計らいで❝高校を卒業程度の学力を有する者❞として特別に受験可となりました。
受験内容は1次試験として英語と国語の学科(各75点)、基準を満たしたものが2次の小論文(36点)を受けます。
夜学部と言えども、2次試験まであるとは早稲田大学のハードルは高かったんですね。
当時から人気女優だった吉永小百合さんが早稲田大学に進学したのは、父親の高学歴と母親の文学に対する熱意があったからでしょう。
早稲田大学時代の同級生にはタモリさんがいます。
タモリさんが吉永小百合さんの大ファンであることは有名ですが、学食で一緒だったんですよ。
吉永小百合さんが食べ終わったトーストとコーヒーの皿をタモリさんはじっと眺めていたそうで、ちょっとストーカー入っていますね…。
ですが、大女優の吉永小百合さんが学食にいたら、誰だって眺めてしまいますよ。
吉永小百合は大学を次席卒業!
吉永小百合さんは1967年公開の映画『愛と死の記録』や、1969年公開の映画『あゝひめゆりの塔』に主演するほか約20もの作品に出演するなど芸能活動で忙しかったにもかかわらず、早稲田大学を次席で卒業しているんですよ!
主演ともなればセリフを覚えるだけでも大変だったはずですが、次席で卒業できたのは頭の良い家系で育ったからでしょう。
【愛と死の記録】
【あゝひめゆりの塔】
卒論は『アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」におけるアテネの民主制について』でした。民主制について研究していたとは吉永小百合さんは政治に関心があったんですね。
吉永小百合の出身高校(偏差値・評判)
吉永小百合さんは1960年4月に都立駒場高等学校・普通科へ入学し、1961年に精華学園女子高等学校(現:東海大学付属望洋高等学校)へ転校、1962年に中退しています。
【都立駒場高等学校】
学校名 | 都立駒場高等学校 |
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学部・学科 | 普通科 |
偏差値/難度 | 68/難関 |
所在地 | 〒153-0044 東京都目黒区大橋2-18-1 |
最寄駅 | 東北沢駅(小田急線) |
学費 | 初年度:124万円 |
吉永小百合さんの入学した高校については、2021年1月6日発信『現代ビジネス』に同校入学したころの画像とともに掲載されています。
【精華学園女子高等学校】
学校名 | 精華学園女子高等学校(現:東海大学付属望洋高等学校) |
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学部・学科 | 普通科 |
偏差値/難度 | 50~58/中 |
所在地 | 〒169-0074 東京都新宿区柏木(現:北新宿1-) |
最寄駅 | 西新宿駅(地下鉄丸ノ内線) |
吉永小百合さんの転校先の高校については、2020年7月18日発信『文春オンライン』に同校を中退したことが掲載されています。
精華学園女子高等学校は1889年に開校したキリスト教の女子高校です。
吉永小百合さんが在籍していた頃は新宿区にありましたが、現在は千葉市に移転しています。
当時は芸能人御用達高校として有名で、主な卒業生は美空ひばりさん、小川知子さん、中尾ミエさんがいるんですよ。
【高校時代の美空ひばり】
吉永小百合の高校中退理由とは?
2019年10月11日放送『サワコの朝』で吉永小百合さんがは駒場高校入学式の日から撮影のスケジュールが組まれていたとコメントしています。
1学期はほとんど出席できなかったことから、「2学期も同じように欠席したら体育の単位はなし」と言われてしまったので退学を決意したんだとか…。
吉永小百合さんの学力は十分だっただけに悔やまれたことでしょう。
高校1年生の1年間に映画を16本も出演していたため、出席することはもとより、家に帰ることすらできない状態でした。
撮影所で寝泊まりをして、しかも4時間ほどしか眠れなかったそうで、ブラック際まりない環境を耐えていたんですね。
ちなみに駒場高等学校の1学年先輩にはシャンソン歌手の加藤登紀子さんがいて、一緒に放送部で発音の練習をしていたんです。
【加藤登紀子の高校時代】
まだ有名になる前の大物同士が出会っていたとは驚きですね。
吉永小百合の出身中学校(評判)
吉永小百合さんは1957年4月に渋谷区立代々木中学校へ入学し、1960年3月に卒業しています。
学校名 | 渋谷区立代々木中学校 |
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所在地 | 〒151-0066 東京都渋谷区西原1-46-1 |
最寄駅 | 幡ケ谷駅(京王新線) |
吉永小百合さんの出身中学については、代々木中学校の70周年記念パーティーに卒業生として紹介されています。
主な卒業生として野田秀樹さん、あおい輝彦さん、野沢直子さんがいます。
吉永小百合の中学生時代の成績がヤバい!
中学3年生の時に発声の指導を受けていた『ひばり児童合唱団』の主催者の勧めで松竹の映画『朝を呼ぶ口笛』のオーディションを受け、見事に合格し、出演しています。
しかも部活動は演劇部に所属していたので、仕事と部活の両方のセリフを覚えていたんですよ。
にもかかわらず、成績がオール5だったとはヤバいですね。
吉永小百合の出身小学校(評判)
吉永小百合さんは1951年4月に渋谷区立西原小学校へ入学し、1957年3月に卒業しています。
学校名 | 渋谷区立西原小学校 |
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所在地 | 〒151-0066 東京都渋谷区西原2-22-1 |
最寄駅 | 幡ケ谷駅(京王新線) |
吉永小百合さんが出身小学校については、2018年3月10日放送の『徹子の部屋』で西原小学校が母校として紹介されています。
西原小学校は1928年4月1日創立の歴史のある小学校で、渋谷区の中では大きな学校です。比較的裕福な家庭が多く、学生の半数が中学受験をするなど進学校としても有名。主な卒業生には声優の田中真弓さんなどがいます。
吉永小百合の小学生時代は極貧生活!
吉永小百合さんの父親は東京大学法学部出身で外務省関係の仕事をしていましたが、映画関係の出版社を立ち上げるも失敗してしまいます。
吉永小百合さん一家は究極の貧困状態になってしまったんだとか…。
米一粒もない貧困生活を送っていたそうで、吉永小百合さんは新聞配達をするといい出したほどなんですよ。
母親がピアノの教師をして必死に家計を支えるのを見ていた吉永小百合さんは「自分も家計の助けになりたい」という思いで、小学校6年生の時、TBSに務める親戚の紹介でラジオドラマ『赤胴鈴之助』のオーディションを受け、『さゆり』役で声優デビューを果たしました。
セレブなイメージが強い吉永小百合さんが極貧生活を経験していたとは意外ですね。
幼少期の画像をみても生まれつき美しかったことがわかります。
吉永小百合の学歴・経歴まとめ
ここまで吉永小百合さんの学歴と主な経歴について見てきましたが、芸能界入りを決めるきっかけが家計を助けることだったとは驚きでした。
東京大学出身の父親と歌人の母親という生まれつき学の高い家庭で育ったからこそ早稲田大学を次席で卒業しているんですね。
映画出演100作品を超え、現在も第一線を走り続けている吉永小百合さんを尊敬します。
小中学校の最寄り駅は笹塚ではなく幡ヶ谷です。