バレーのユニフォームがカッコいいことや小学生時代はGパンで寝ていた!
大谷亮平の学歴・経歴一覧
まずは大谷亮平さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | おおたにりょうへい/おおたによしひこ | |||
氏名 / 本名 |
大谷亮平/大谷慶彦 | |||
生年月日 | 1980年10月1日生 44歳 |
|||
出身 | 大阪府吹田市 | |||
身長 | 182cm 血液型 O型 | |||
最終学歴 | 大卒 亜細亜大学 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
---|---|---|
1980 | 0歳 | 大阪府吹田市生まれ |
父親はサラリーマン&母親は小学校教師 | ||
1987 | 6歳 | 小学校入学 |
朝着替えるのが面倒だとGパンで寝ていた | ||
1993 | 12歳 | 小学校卒業 |
吹田市西山田中学校入学 | ||
1995 | 14歳 | 大阪府バレーボール大会優勝 |
1996 | 15歳 | 吹田市西山田中学校卒業 |
清風高等学校入学 | ||
1998 | 17歳 | 国民体育大会バレーボール競技出場 |
1999 | 18歳 | 清風高等学校卒業 |
亜細亜大学入学 | ||
2003 | 22歳 | 亜細亜大学卒業 |
初CM出演 | ||
2006 | 26歳 | 韓国ドラマ初出演『ソウルメイト』 |
2011 | 31歳 | 韓国映画初出演『神弓-KAMIYUMI-』 |
2014 | 34歳 | 韓国ドラマアワード2014グローバル俳優賞 |
2016 | 36歳 | アミューズと契約 |
日本のドラマ初出演『ラブソング』 | ||
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』でブレイク | ||
2018 | 38歳 | 日本映画初出演&初主演『ゼニガタ』 |
2019 | 39歳 | ドラマ初主演『GHOSTTOWN』 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
大阪府吹田市出身の大谷亮平さん。父親の職業はサラリーマンで母親は小学校の教師です。
母親の影響で大谷亮平さんは体育教師になろうと考えたこともあったそう。
大谷亮平さんには2歳年上の姉と6歳年下の妹がいますが、一般人のため詳しい情報はでてきていません。
大谷亮平さんは姉妹に挟まれた黒一点だったんですね。
大谷亮平さんの祖父母が高知県で『大谷旅館』を経営しています。
大谷亮平さんは旅館名物の『ウツボのたたき』が大好きなんですって!
普通な家庭に生まれ、5人家族として育った大谷亮平さん。
大谷亮平さんは身長が182cmと高く堀が深い顔立ちをしていることからハーフという噂が立ちましたが、純日本人です。
そんな大谷亮平さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
大谷亮平の出身大学(偏差値・評判・学費)
大谷亮平さんは1999年4月に亜細亜大学・法学部もしくは経済学部、国際関係学部へバレーボール特待生で入学し、2003年3月に卒業しています。
学校名 | 亜細亜大学 |
---|---|
学部・学科 | 法学部、経済学部、国際関係学部のいずれか |
偏差値/難度 | 53~63/高 |
所在地 | 〒180-8629 東京都武蔵野市境5-8 |
最寄駅 | 武蔵境駅(JR中央線) |
学費 | 初年度:130万円前後(学部による) |
大谷亮平さんが亜細亜大学出身であることは、下記の4項目から総合的に考慮すると同大学出身である可能性が高いでしょう。
- 2018年3月29日発信の『マイナビニュース』に❝大阪から東京に上京した大学生の頃❞と掲載されていて、都内の大学に進学している
- 大学にはスポーツ推薦の特待生で入学している
(当時募集している学部は法学部、経済学部、国際関係学部) - 亜細亜大学にはスポーツ推薦枠がある
- 亜細亜大学出身かというつぶやきがある
❝大谷は「昔は短気で、よく怒っていたんです」と意外な過去を告白。大阪から東京に上京した大学生の頃に「母親と1回ケンカしたときにキレちゃったことがありました…」という。❞
引用元:【大谷亮平、母にブチ切れるほど短気だった過去 – 置き手紙で改心(マイナビニュース)】
【亜細亜大学よりスポーツ推薦募集学部】
(※都市創造学部は大谷亮平さん入学時は未開設)
この人って、亜細亜のバレー部だった人かなー?
ネクスト“ディーン”の大谷亮平、『逃げ恥』でブレイクの兆し https://t.co/XGEbd8aqEc
— ナカジマ (@mix113) 2016年11月13日
大谷亮平の大学生時代で表れますバレーボールを断念!
大
バレーボール特待生として亜細亜大学に進学した大谷亮平さんですが、高校時代から薄々感じていたプロ選手としての身長の壁(プロ選手は2m近い人が多く、大谷亮平さんは182cm)をより強く感じ、プロになることを諦めます。
幼少期からバレーボール一筋に打ち込んできた大谷亮平さんは目標を見失い、母親が教師だったことも受け体育教師になろうかと考えますが、今一つしっくり来ませんでした。
それならばいっそ別の世界でと考えていた時にアルバイト先の先輩にモデルの仕事を勧められ、大学卒業と同時にモデルの仕事を始めました。
2003年、日本でモデルの仕事をしていた大谷亮平さんは韓国の『ダンキンドーナツ』のCMのオーディションを受け、合格し、韓国の『ダンキンドーナツ』のCMに出演します。
『ダンキンドーナツ』のCM撮影の際に大谷亮平さんは周囲から「次に韓国に来る時には帽子とサングラスが必要だ」と言われました。
それを冗談だと思い、次に韓国・明洞を訪れた時に自分の『ダンキンドーナツ』の特大ポスターを見つけ、記念撮影をしようとして大勢の人たちに取り囲まれてしまった大谷亮平さん。
それもその筈、『ダンキンドーナツ』のCMは、大人気俳優・イ・ビョンホンさんが務めるほど韓国では大注目のCMだったのです。
韓国でブレイクした大谷亮平さんはそれから約1年後に韓国の芸能事務所から正式なオファーを受け、韓国に拠点を移しました。
当時は韓国語を話せなかった大谷亮平さんは延世大学校韓国語学堂で半年ほど韓国語を学びます。
韓国でCMやモデルの仕事をしていた大谷亮平さんに俳優デビューの話が来たのが2006年、作品は『ソウルメイト』というシチュエーション・コメディでした。
演技も初めて、韓国語もおぼつかず他の俳優に台詞をとられることもあり、行き詰りそうな時に映画『神弓-KAMIYUMI-」と『バトル・オーシャン』の出演が決まり、大谷亮平さんは波に乗ることが出来たのです。
【神弓-KAMIYUMI-】
【バトル・オーシャン】
その後も順調にドラマ・映画の出演が続き、2014年には韓国ドラマアワード・グローバル俳優賞を受賞し、韓国では押しも押されぬ人気俳優になりました。
しかし、韓国語がネイティブでない大谷亮平さんには主演のオファーが来ることはなく、韓国での仕事に限界を感じていた2015年、釜山国際映画祭で現在所属している事務所・アミューズの社長と出逢います。
そして2016年、大谷亮平さんはアミューズと専属契約を交わし帰国しました。
日本での初めてのドラマ出演は福山雅治さん主演の『ラブソング』、第5話から音楽プロデューサー役で出演。
そして大ヒットドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』へのレギュラー出演でブレイクを果たします。
『俳優として一番大事なのは、見てくれる人の印象に残ること』と語る大谷亮平さん。
韓国にいた時から目の演技を褒められることが多かったことから、表情や雰囲気にインパクトのあり存在感のある俳優を目指している大谷亮平さんのこれからの活躍が楽しみですね。
大谷亮平の出身高校(偏差値・評判・学費)
大谷亮平さんは1996年4月に清風高等学校へ入学し、1999年3月に卒業しています。
学校名 | 清風高等学校 |
---|---|
学部・学科 | 調査中 |
偏差値/難度 | 62~71/難関 |
所在地 | 〒543-0031 大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町12-16 |
最寄駅 | 大阪上本町駅(近鉄難波線) 近鉄難波線「大阪上本町駅」 |
学費 | 初年度:97万円 |
大谷亮平さんが清風高校出身であることは、2017年2月1日放送の『あいつ今何している?』に出演した際に同校出身と紹介されていたことから間違いありません。
大谷亮平の高校生時代のエピソード
大谷亮平さんは高校にバレーボールの推薦で入学しますが、高校には身長が190cmを超える選手が多く存在していました。
大阪代表として国体に出場して『日本一』になる為に身長で劣る大谷亮平さんはアタッカーからセッターにポジションを転向し、元アタッカーの性質を活かして『攻撃的なセッター』として活躍するようになります。
清風高等学校のバレーボール部の練習は夏休みの2日間と元旦しかなく、部員は友人と遊ぶ時間もなくバレーボール一色の学生生活。
規律も厳しく試合の1日目で負けると部員は全員丸刈りで、2日目からは丸刈りで出場したことも。
大谷亮平さんはバレーボール部でキャプテンを務め、目標通り大阪選抜チームの一員として国体にも出場しますが、惜しくも『日本一』の夢は叶いませんでした。
過酷な部活での空腹に耐えかねて高校で禁止されていた『買い食い』をしてしまうこともあった大谷亮平さん。
学校の隣のパン屋さんの『ピロシキパン』がお気に入りで一度に3,4個食べることもありましたが、部活の怖い先生にバレないかといつも怯えていたとか。
その『怖い先生」がこちらの徳田睦男さんです。
卒業してからも怖くて会いに行けないほど怖い徳田先生。
その徳田先生は、大谷亮平さんの高校時代を振り返り「生真面目にバレーに取り組んでいる生徒で、勝負には厳しい子だった」と語っていました。
先生にも一目置かれていたことが伝わりますね。
小学生時代からバレーボールに打ち込み、体力的には十分だった大谷亮平さんですが、実は大病で高校2年生の時に生死の境を彷徨った経験がありました。
病名はウィルス性脳炎。
体調が悪いのをおして部活を頑張ってしまった為に悪化させてしまい、3日間意識不明の重体になってしまいます。
キャプテンとしての責任感で無理をしてしまった様ですが、医師が心配した後遺症もなく無事に回復したことはまさに奇跡でした。
大谷亮平の出身中学校
大谷亮平さんは1993年4月に吹田市立西山田中学校へ入学し、1996年3月に卒業しています。
学校名 | 吹田市立西山田中学校 |
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所在地 | 〒565-0824 大阪府吹田市山田西2−11−1 |
最寄駅 | 山田駅(阪急千里線) |
大谷亮平さんが西山田中学校出身であることは、同校のバレーボールチームに大谷亮平さんの名前が記載されているものと、同校のユニフォームを着た画像があることから間違いありません。
大谷亮平の中学生時代はエースアタッカー!
中学3年生のときに大阪府で優勝し、全国大会で大阪北代表として選出されたときの画像ですが、大人のような体つきですよね。
中学3年生にしては随分と大人びている印象ですね。
当時の大谷亮平さんはエースアタッカーで「自分が一番バレーボールがうまい」と思いながらプロを目指していました。
自信家で感情の起伏が激しく、短気な性格だった大谷亮平さん。
高校、大学と次第にバレーボール選手になることに限界と挫折を感じる中で、性格も変わっていったと言います。
早い時期に全力で打ち込んできたバレーボールへの挫折を経験したことが、何事にも地道に真摯に向き合い、弱い立場の人間を思い遣る現在の大谷亮平さんの性格に繋がっているのですね。
大谷亮平の出身小学校
大谷亮平さんは1987年4月に小学校へ入学し、1993年3月に卒業しています。
大谷亮平さんの出身小学校がどこなのかは明らかにされていませんが、吹田市立西山田中学校の通学区から下記の2校のうちのどちらかの小学校に通っていたと考えられます。
- 吹田市立山田第三小学校
- 吹田市立西山田小学校
大谷亮平の小学生時代はGパンで寝ていた!
大谷亮平さんは小学生時代、効率を考えて着替える工程を削除しようと学校に行く服装で寝ていたんですって!
Gパンを履いていたそうで、寝にくかったでしょうね…。
大谷亮平さんが初めて始めたスポーツ意外なことに野球。
バレーボールは小学4年生から始めています。
子供の頃から生真面目だった大谷亮平さんは練習以外の時間でもボールを常に持ち歩くようにすると上手になると言われて、その通りにしていました。
プロのバレーボール選手になることを目標に毎日練習に励み、小学校の時にも全国一になっています。
小学生当時の大谷亮平さんは極度の恥ずかしがり屋で人目に出るのが苦手な子供で、学芸会でも裏方を引き受けるほどでした。
当時を振り返り、大谷亮平さんは「自分が俳優をやるとは?!」と感想を漏らしています。
小学生でもすっかりビジュアルが出来上がっていた大谷亮平さんに密かに恋焦がれていた女子が大勢いたのではないでしょうか。
幼稚園の制服姿もありました。
恥ずかしそうにピースをしている写真もありますが、実はこの頃の大谷亮平さんは親戚が集まった際に両親がいないと恥ずかしくて正座で床におでこをつけたまま、昼から日が落ちるまで頑固として動かなかったことがあったそうです。
親戚ばかりの中でも顔があげられないほどの恥ずかしがり屋さんだったんですね。
更に幼い頃の愛くるしい写真もありました。
写真の多さからも両親の深い愛情がうかがえます。
大谷亮平の学歴まとめ!
ここまで大谷亮平さんの学歴と主な経歴について見てきましたが、大谷亮平さんは小学校も中学校も高校も全国大会で優勝を経験していたとは本当に凄いですよね。
小学生時代から一つの目標の為にひたすら努力する習慣が身についていた大谷亮平さんだからこそ、異国の地で目を見張る活躍が出来たのではないでしょうか。
俳優の仕事を極めるために今も努力を続ける大谷亮平さんの生真面目さと情熱には頭が下がる思いです。
年齢を重ねてますます魅力的な俳優へと成長をしていく大谷亮平さんから目が離せませんね。
大谷亮平さんは西山田小学校です。
「大阪選抜チームの キャプテンを努め」になってますよ。
はじめまして。
大谷亮平さんの大学ですが、韓国の番組で 東京の大学を卒業したと言ってましたよ。