卒アル画像や韓国人だったこと、学生時代の野球のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
みやぞんの学歴・経歴一覧
まずはみやぞんさんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | みやぞん/みやぞのだいこう | |||
氏名 / 本名 |
みやぞん/宮園大耕 | |||
生年月日 | 1985年4月25日生 39歳 |
|||
出身 | 東京都足立区 | |||
身長 | 172cm 血液型 A型 | |||
最終学歴 | 高卒 東京都立荒川商業高等学校 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
---|---|---|
1985 | 0歳 | 東京都足立区生まれ |
父親はプラスチック工場社長&母親はスナック経営 | ||
1986 | 1歳 | 第二本木保育園入園 |
1992 | 6歳 | 第二本木保育園卒園 |
足立区立寺地小学校入学 | ||
1998 | 12歳 | 足立区立寺地小学校卒業 |
足立区立第六中学校入学 | ||
テニス足立区大会2位 | ||
2001 | 15歳 | 足立区立第六中学校卒業 |
お笑いコンビ『mix』結成 | ||
東京都立荒川商業高等学校入学 | ||
2004 | 18歳 | 東京都立荒川商業高等学校卒業 |
大学に進学するつもりが電車で迷子になり辞める | ||
2007 | 22歳 | ドラマ初出演『プロポーズ大作戦』 |
2009 | 24歳 | 『ANZEN漫才』結成 |
2013 | 28歳 | 足立区CMグランプリユーモア賞、ハートフル賞受賞 |
2015 | 30歳 | 登猿門 グランドチャンピオン大会優勝 |
2019 | 34歳 | ビートたけしのエンターテインメント賞・第19回演芸新人賞受賞 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
東京都足立区出身のみやぞんさん。父親の職業はプラスチック工場の社長で母親の宮園春奈さんの職業は大衆演劇の踊り子からスナックを経営しています。
しかし、両親は結婚しておらず、父親は既婚者だったので隠し子として生まれたんですよ。
みやぞんさんには姉が4人います。母親からして長女と次女は1人目の夫の子、三女と四女は2人目の夫の子供です。
しかもプラスチック工場の社長には息子がいたので、みやぞんさんは半分血がつながった姉弟が5人と複雑ですね。
ちなみに、本当の父親のことをみやぞんさんは「お兄ちゃん」と呼んでいたんですって!
貧乏な家庭に生まれ、6人家族として育ったみやぞんさん。
後述しますが、みやぞんさんは韓国籍で自動車免許を取得する時に初めて知ったんだとか…。
現在は日本に帰化しているので、みやぞんさんは日本人です。
そんなみやぞんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
みやぞんの出身大学
みやぞんさんは大学に進学していません。
後述しますが、みやぞんさんは野球で高校を推薦入学していたほどの実力があり、大学も推薦をもらっていたのですが諦めていたんですよ!
みやぞんが大学進学を諦めた理由!
2018年11月19日放送の『おしゃれイズム』に出演した際に大学進学を諦めた理由を語っていたのですが、電車の乗り換えの仕方がわからずに大学にたどり着けなかったからだったんですよ!
千代田線沿いの大学に推薦入学する予定だったみやぞんさんですが、入学前から練習に合流するため電車に乗ってみたところ、大学と反対方向の車両に乗ってしまって到着できませんでした。
路線図を見てもちんぷんかんぷんだったので、翌日も感を頼りに電車に乗ったたところ、またもや到着できず。
翌々日もチャレンジしたのですが、結局たどり着けなかったことで「面倒くさい」と諦めてしまったとのこと…。
駅のホームで駅員さんに聞くことや、野球チームの人に一緒に行ってもらうことなど方法はいくつかあったはずですが、大学にたどり着けないのは大学とは縁がないと感じたのかもしれません。
みやぞんさんが推薦入学をする予定だった大学がどこなのかは明らかにされていませんが、千代田線沿線で野球の強い大学となると東洋大学だった可能性が高いですね。
みやぞんの出身高校
みやぞんさんは2001年4月に東京都立荒川商業高等学校へ入学し、2004年3月に卒業しています。
学校名 | 東京都立荒川商業高等学校 |
---|---|
学科・コース | 商業科あるいは情報科(2002年より総合ビジネス科) |
偏差値 | 40 |
入試難度 | 低 |
所在地 | 〒120-8258 東京都足立区小台2-1-31 |
公式HP | http://www.arakawashogyo-h.metro.tokyo.jp/ |
みやぞんさんの高校が荒川商業高校出身であることは野球部時代のユニフォーム姿の画像から確認することができます。
胸に『Arakawa SHOGYO』とはっきりと書かれていることから間違いありません。
先生からの「天然なところはありましたが、チームの大黒柱として活躍してくれました」というコメントに、現在も高校時代もみやぞんさんは中心人物であることには変わらないんだなと感じました。
荒川商業高校にはスカウトされて入学しました。中学時代の部活の時に転がってきた野球の球を投げ返してあげたのですが、それを荒川商業高校の野球部の監督がたまたま見ていて、「君、肩が良いから荒川商業高校に来ないか」と誘われたんだそう。
第六中学校偶然居合わせた荒川商業高校の監督がいて、しかもたまたまみやぞんさんが野球の球を返球するのを見ていたタイミングが良すぎて漫画のストーリーみたいですよね。
荒川商業高校から大学へ進学する人は少なく、就職には有利な学校だと評判で、公立高校のわりに校則は厳しく冬のセーターは紺色限定なんだとか。
それだけ厳しいんだったら、卒アル画像のみやぞんさんの眉は注意されていたのかもしれませんね。
みやぞんの高校生時代のエピソード
みやぞんさんは野球少年でしたが、一体どれほどの実力だったのでしょうか?
みやぞんの野球の実力は?成績は良かったの?
荒川商業高校の野球部はそんなに強くなかったのですが、みやぞんさんが入部してからメキメキと成績を伸ばしはじめ、高校3年の夏は東東京大会で4回戦まで勝ち進みました。
3回戦を勝利した試合後の画像は、応援席の前で雄叫びをあげているんですよ。
みやぞんさんは貧しい家庭に育っていたのですが、野球の道具は母親が指輪を質に入れて工面したんだそう。その苦労を知っているだけに、勝利は格別に嬉しかったでしょう。
高校野球の強豪校である国士舘高校が対戦相手で、残念ながら敗退してしまうのですが、140校ほど参加する東東京大会でベスト8に入ろうかというところまで行ったわけですから、素晴らしいですよね!
みやぞんさんはピッチャーとして活躍し当時の球速は130km/h!
素人が見てても勢いがあって、ものすごい気迫を感じます。
ここ数年で高校生野球児の投球が速くなり、ここ数年、大谷翔平さんが160km/hの記録を出すなど高校球児の球速が上がってきていますが、15年以上前に130km/h出していたのはとてもすごいことで、しかも4番バッターであったことから、まさしくみやぞんさんは『エースで4番』の花形選手だったんですね!
みやぞんの高校時代の伝説に驚き!
みやぞんさんは中学卒業まで『ヤンガーズ』という少年野球チームにも入っていたのにもかかわらず、高校になっても野球のルールを覚えていませんでした。
1番が大好きなみやぞんさんは、1番バッターに向かって「1番はいいよなぁ。俺は4番だぜぇ。」と言ったり、遊撃手のことをショートだとは知らずに『遊び人』だと思っていたんだそう。
また、いつ高校野球人生が終わるかなどは全く理解していなくて、甲子園地区予選である東東京大会で負けたときのインタビューに「明日は勝ちます」と答えていたんですよ!
チームメイトに「明日はないんだよ」と言われ、理由を教えてもらってはじめて「最初から説明してくれなくちゃぁ」ってぼやいていたんだとか。
一般人でも知っていそうなことを知らなかったなんて、天然キャラはこの頃からすでに出来上がっていたんですね。
先ほどの伝説などからみやぞんさんが超天然であることと、23歳から8年間『社会福祉法人リード・エー』が運営する障害者施設『葦の会作業所』の職員として勤務していたことから発達障害なのではないかと噂されています。
しかし、みやぞんさんは職員としてお世話をしてあげる立場であったことと、小学校から高校まで普通の学校に通っていたので、障害者であるはずがないですよね。
みやぞんは韓国人だった!
2015年4月21日放送バラエティ『有田チルドレン』でゲスト出演した際に韓国人だったことを明かしたみやぞんさん。
事の発端は、高校のときに自動車免許を取ろうと試験場で書類を提出したとき「外国人登録証明書が足りません」と告げられました。
今まで自分は日本人であると信じていたみやぞんさんは、その時はじめて韓国籍だった事を知ったんですって!
それを包み隠さずにカミングアウトしたことは、正直なみやぞんさんらしですよね。
ちなみにみやぞんさんの本名は『宮園大耕(みやぞの だいこう)』さんといいますが、韓国名は明らかになっていません。
一部で「韓国名が❝宮園ネバー❞ではないか?」と噂になりましたが、それはみやぞんさんの事を調べようと検索したまとめサイトの『NAVER まとめ』が混同したのでしょう。
現在、みやぞんさんは日本に帰化しましたが、日本人として生きてきたのですから自然なことですよね。
みやぞんの出身中学校
みやぞんさんは1998年4月に足立区立第六中学校へ入学し、2001年3月に卒業しています。
学校名 | 足立区立第六中学校 |
---|---|
所在地 | 〒123-0856 東京都足立区本木西町16-1 |
公式HP | http://www.adachi.ed.jp/adach6-j/index.html |
みやぞんさんが第六中学校出身であることは、中学生時代の画像に“第六中学校”と書かれているものがあることから間違いありません。
卒アル画像の制服は現在のものと異なっていますが、第六中学校で間違いないですね。
中学生らしい思春期のシンボルである“にきび”がチラホラ見えていて、青春だなと感じますね。
みやぞんの中学生時代のエピソード
高校野球で活躍していたみやぞんさん。本当は小学校卒業のときからバレーボール部に入りたかったのですが中学では意外にもソフトテニス(軟式)でキャプテンを務めていたんですよ。
しかし、バレーボール部が第六中学校には無かったので、同じネット(コートを仕切っている網)つながりでテニス部にしたんだとか。
関西の芸人が聞いたら「(ボールつながりじゃなくて)ネットなんかい!」と突っ込まれそうですが、自由な発想のみやぞんさんらしいですよね。
みやぞんさんが凄いのは、短絡的に決めていながら伝説を生み出すところです。
ソフトテニス未経験のみやぞんさんは小学校からソフトテニスをしていた部員相手に部直後に試合をして勝ってしまったんです。
しかも、テニスをはじめた時はジュニアチーム『ヤンガーズ』で野球もしていたので、“右肩を痛めたくない”のを理由に左でラケットを持っていたとか。
そのため、1年経ってもなかなか勝てないので右に変えたら突然強くなったんですって!
「テニスの成績で最高成績は足立区2位だった」と2017年4月25日開催の『キリン メッツ グレープフルーツ 刺激的リニューアル記者発表会』で語っていたのですが、実は話を盛っていたんですよ。
2019年3月8日放送の『櫻井・有吉THE夜会』に出演した際に“足立区2位になった人と試合をして勝った”だけであって、大会に出場したわけではなかったとカミングアウトしています。
足立区2位だったわけではありませんでしたが、テニスの実力があったことは確かですよね。
その証拠に、中学生相手だけでなくコーチと試合をしても勝っていたんですよ。
ところがある日の試合終了後にテニスコートから出ようと2歩進んだところで転んでしまい、つま先が反対向いてしまうほどの複雑骨折をしてしまいました。
2017年8月13日放送の『ウチくる!?』に出演した時に話していたのですが、骨折だとは分からずに学校の前の接骨院に駆け込んだんですよ。
接骨院の先生に「つま先を上に寝てください」と言われたのですが、つま先は反対向いていますから仰向けなのかうつ伏せなのかひともんちゃくした後、微弱電流を流す治療をしてくれたんだそう。
最終的には「治療は無理」と言われしまい、みやぞんさんも「無理だと思っていました」と答えたんですって!
普通なら痛さと恐怖でパニックになって大きな声で泣きじゃくってしまいそうですが、痛みを感じていないかのように冷静なのは只者じゃないですよね。
しかも、足の怪我の治療中にあることの達人になるんです!
みやぞんがギターをはじめたキッカケ!
現在、ギターを片手に漫才をする芸風ですが、ギターを始めたのは骨折をしてスポーツができないときにふとやり始めたのがきっかけだったんだとか。
ギターを習いに行くことはせず、聞いた音と同じ音をだす“耳コピー”手法を使って独学で練習していて、その中で自分でコード(ギターの和音)を編み出したと思っていたんだそう。
後からコードは学んで覚えるものだと知って「遠回りしたな」と感じていたそうですが、教えてもらっても弾けない人もいるのに、ギターの才能があるんですね。
2018年4月13日放送の『徹子の部屋』では、後ろ向きにギターを弾くことを披露していたのですが、音だけ聞いていると前向きなのか後ろ向きなのかわからないくらい上手でしたよ。
同番組に相方のあらぽんさんも一緒に出ていたのですが、あらぽんさんが中学3年生のときに「一緒に漫才をしないか」とみやぞんさんを誘って、『Mix』と言う名でコンビを組んでいました。
ANZEN漫才には前身があったのですね。
みやぞんの出身小学校
みやぞんさんは1992年4月に足立区立寺地小学校へ入学し、1998年3月に卒業しています。
学校名 | 足立区立寺地小学校 |
---|---|
所在地 | 〒123-0873 東京都足立区扇1-7-1 |
公式HP | http://www.adachi.ed.jp/adtera/ |
みやぞんさんが寺地小学校出身であることは2018年3月29日放送のバラエティ『得する人損する人』の母校に不用品をリメイクして恩返しするコーナーで明らかになりました。
その母校は足立区立寺地小学校であると紹介されていて、みやぞんさんが訪れたことに生徒は大喜びだったんですよ!
寺地小学校は校庭が全て人工芝生なので寝転ぶこともでき、ハンカチ落としなど屋内で遊ぶには少し危なかったことも外でできるようになったと大好評です。
また、6年生は第六中学校と授業体験と部活体験をさせてもらうことで良いつながりができるんだとか。
みやぞんさんも授業体験をしていたんだろうなと想像しますね。
みやぞんの小学生時代のエピソード
屋外で撮影されているためか眩しそうですが、今のみやぞんさんの特徴でもある切れ長の目は小学校のころからすでにあったのですね。
小学校時代は少年野球チーム『ヤンガーズ』に所属していましたが、卒業する時の夢はバレーボール選手だったんですよ。
しかも、運送会社と知り合いになって、キックボクシングを小学校5年生から中学3年生まで教えてもらっていました。
しかし、キックボクシングの試合で相手にパンチがあたると「ごめんなさい!」を連発するような子で、運動能力はあるけれど格闘技には向いていなかったんです。
2018年1月3日放送の『あいつ今何してる? 豪華新春3時間SP』で小学校時代のことを語っていたのですが、同じチームの3歳後輩には東京ヤクルトスワローズの秋吉亮選手がいたんです!
当時のみやぞんさんは“やんちゃ”で知らぬ間にどこかに行って仲間と喧嘩していたりして落ち着きのない子供だったんだそう。
体育館で体育の授業があったときに、みやぞんさんだけうるさかったらしく先生から「帰りなさい!」と言われると1人教室に帰ってテレビを見ていたこともあったんですって!
また音楽の授業が好きで、先生のアコースティクギターを借りて練習したりしていたそうで、野球にキックボクシングにギターにと多才な小学生だったんですね。
みやぞんの出身保育園
みやぞんさんは1986年4月に第二本木保育園(現:扇こころ保育園)へ入園し、1992年3月に卒園しています。
学校名 | 第二本木保育園(現:扇こころ保育園) |
---|---|
所在地 | 〒123-0873 東京都足立区扇1-22-28 |
公式HP | http://oogicocoro.com/ |
みやぞんさんが第二本木保育園出身であることは、みやぞんさんと学歴が同じであるという人のつぶやきがあることから間違いないでしょう。
第二本木保育園→寺地小→六中→荒川商業
私もこのルートで
荒商の定時🤣🤣歳はみやぞんの10コ上だけどね〰🤙🏻
中学時代はエンジのネクタイで青っぽいブレザー?— たなっきぃー (@tana_la_kyy) 2017年3月6日
このことから、みやぞんさんの保育園は足立区立第二本木保育園であったのですが、平成20年3月に閉園となり東京児童協会運営の私立保育園『扇こころ保育園』として新しくなりました。
保育理念は『大きなお家』として子どもたちがお互いに支え合いながら育つ環境つくりを念頭において保育しています。
リトミックという音楽教育に力を入れているので、みやぞんさんの音楽の才能もここで開花した可能性もありますね。
みやぞんの保育園時代のエピソード
みやぞんさんが3歳のころの画像ですが、女の子みたいに見えます。それもそのはず、みやぞんさんは5人姉弟の末っ子。
姉が4人いての初の男の子なので、なんとなく女の子っぽく髪をカットされていたのかもしれませんね。
保育園時代に相方のあらぽんさんと出会いましたが、まだお互いに1歳くらいだったので出会った日のことは覚えていないでしょう。
2018年4月28日放送の『本気でハシゴ酒』に出演した時に幼少期は極貧生活だったと語っていたみやぞんさん。
誕生日にケーキの代わりに茹でたキャベツがまるごと1個出てきたんだとか。
また、ガスも電気も止められてしまった夜にライター1本で絵本を読んでもらったとも語っていました。
みやぞんさんの母親はシングルマザーで子供が5人の状況であれば、かなり経済面では厳しかったと想像します。
そんな極貧の中でも笑顔を絶やさずにいることはなかなかできることではないので、みやぞんさんのこと尊敬しますね。
みやぞんの学歴まとめ!
みやぞんさんはいつもニコニコしているので、恵まれた環境の中で育ってきたのかと思いきや、電気やガスを止められたこともある過酷な生い立ちだったんですね。
2018年の24時間テレビではトライアスロンに挑戦し(走りが100km、バイク(自転車)60km、スイム(水泳)1.55kmの合計161.55km)、見事完走しました。
この頑張りがあれば、これからも活躍できること間違いないでしょう!