岡副麻希

黒すぎる女子アナウンサーとして有名になり、数多くの番組活躍している岡副麻希さんの高校・大学をはじめとする全学歴・偏差値を徹底解説!学生時代のエピソードと主な経歴、実家や家族構成を含めた生い立ちに迫ります!

小児ぜんそく克服のために競泳を始め、中・高ではガリ勉だった!?

岡副麻希の学歴・経歴一覧

まずは岡副麻希さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがな おかぞえまき 岡副麻希
氏名

本名
岡副麻希/※本名同じ
生年月日 199229日生 32
出身 大阪府富田林市
身長 165cm  血液型 A
最終学歴 大卒 早稲田大学・教養学部
年齢 学歴・経歴
1992 大阪府富田林市生まれ
幼稚園時代3つの塾に通う
1999 小学校入学
  夢は水泳でオリンピック
2005 12 小学校卒業
大阪桐蔭中学校入学
かなりのガリ勉!
2008 15 大阪桐蔭中学校卒業
大阪桐蔭高等学校・普通科・Ⅰ類入学
モテモテで三大美女!
2011 18 大阪桐蔭高等学校・普通科・Ⅰ類卒業
早稲田大学・文化構想学部・文芸ジャーナリズム論争入学
早稲田コレクション2011モデル
2014 21 芸能事務所スプラウト所属
テレビ初出演『めざましアクア』
2015 22 早稲田大学・文化構想学部・文芸ジャーナリズム論争卒業
スプラウトからセント・フォースへ移籍
2016 24 第12回 好きなお天気キャスター&気象予報士ランキング第4位
2019 27 ラジオパーソナリティ『岡副麻希のほくほくたいむ』

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

大阪府富田林市出身の岡副麻希さん。父親は一般の方のため名前や職業については公表されていません。しかし公務員であるとの言われています。また『岡副』という名前は珍しいですが、三重県に多くの岡副さんがいるんですよ。

岡副麻希さんが幼稚園の頃、岡副麻希さんの父親は教育熱心で右脳教育が大事だという考えから、岡副麻希さんが幼稚園の時には3つの塾に通わせていたという情報もあります。

母親の岡副ひとみさん職業は分かっていませんが、「手先が器用で色んな物を手作りしてくれた」と岡副麻希さんが以前受けたインタビューで話しています。ひとみさんは25歳の時に岡副麻希さんを出産しました。

ひとみさんは、岡副麻希さんが小さい頃から得意な手芸でポーチやバッグ、ピアスなど、いろんなものを頻繁に作ってくれたんだそう。

岡副麻希 母親 岡副ひとみ 手作り 電子辞書入れ

ひとみさんが作った電子書籍入れはパッチワークをしたあとにステッチを掛けるなど小さいながらとても手のこんだ細工がしてあり、岡副麻希さんは大切に大切に使っていたんだそうですよ。

また岡副麻希さんがボロボロになるまで使い切っていたため、その都度ひとみさんは新しく手作り品を新調してくれていたんだとか。

岡副麻希さんのインスタグラムには母親のひとみさんとのツーショット写真が多くアップされているんですよ。

岡副麻希 母親 岡副ひとみ

インスタグラムで岡副麻希さんは母親との関係を「ニコイチ」と発言しており、普段からとても仲の良い関係であることがうかがい知ることが出来ます。

岡副麻希 母親 靴

パンプスもお揃いのものを身につけていたり、本当に仲が良いんですね。LINEで毎日のように連絡を取り合い、恋愛相談などもしているんだそうですよ!

一人っ子としてお金持ちな家庭に生まれ、3人家族として育った岡副麻希さん。

岡副麻希さんは小さい頃から競泳に取り組み、現在でもヨガやピラティスの資格取得を目指しているんですよ。

そんな岡副麻希さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

岡副麻希の出身大学(偏差値・評判・学費)

岡副麻希さんは2011年4月に早稲田大学・文化構想学部・文芸ジャーナリズム論争へ入学し、2015年3月に卒業しています。

学校名 早稲田大学
学部・学科 文化構想学部・文芸ジャーナリズム論争
偏差値/難度 67.5~70.0/難関
所在地 〒162-8644
東京都新宿区戸山1-24-1
最寄駅 早稲田駅(東京メトロ東西線)
学費 初年度:121万円

岡副麻希さんの出身大学については、早稲田大学とテレビで紹介されています。

岡副麻希 テレビ

岡副麻希の大学生時代は水泳漬けの生活だった!

岡副麻希さんは大学に進学すると、幼少期に習っていた大阪の水泳教室イトマン・スイミングスクールの友人と再会したことを機に、再び水泳漬けの日々を送っていました。

競泳サークルの『早稲田大学水泳同好会』と『SIX BEAT』に所属し、『早稲田大学水泳同好会』では『水球』、『SIX BEAT』では『フィンスイミング』という足にフィンを付けて泳ぐ競技に参加しています。

岡副麻希 大学時代

フィンスイミング

※上記の画像はイメージで、岡副麻希さんではありません。

また大学の授業で行われた水泳の授業ではティーチングアシスタントを務めていたんだとか!そのほかにもアルバイトで子供のスイミングのインストラクターとして活躍していたことから、岡副麻希さんはほとんど1日中水の中にいるような生活を送っていたんだそう。多い日だと、1日でなんと20キロも泳いでいました。

岡副麻希さんの大学時代での1番の思い出は、夏に行われる競泳大会に出場したことだと言います。熱海から初島までの距離を1チーム3人体制で1人12キロを泳ぐ大会です。岡副麻希さんはこの大会に向けて50メートルを40秒のペースで2時間泳ぐ練習を行っていたんだそう。

とんでもないハードな練習ですが、ある一定のポイントを超えてくるとランナーズハイならぬスイマーズハイのような状態になるんだそうですよ。

またフィンスイミングは大学に入ってから始めたということですが、わずか3年で2012年5月17日開催『第24回フィンスイミング日本選手権』の女子1500mビーフィン部門で見事優勝しています。

2011年、岡副麻希さんが大学1年生の時には「早稲田コレクション」にモデルとして参加しました。

岡副麻希 大学時代

岡副麻希さんはこのコレクション出場をきっかけにその後、読者モデルとして活動するようになり、ファッション誌などでも活躍するようになりました。

岡副麻希 大学時代

岡副麻希 大学時代

かなり雰囲気の違うスタイルですが、ショートヘアや柔らかいメイクなどとっても似合っていますよね。

その後岡副麻希さんが大学4年生の時に芸能事務所に所属し、同年9月からは「めざましアクア」で現役女子大生キャスターとして登場しています。

岡副麻希 大学時代

岡副麻希さんは月曜日から水曜日のお天気お姉さん、レポーターとして活躍していましたが「黒すぎる女子アナウンサー」や「黒い桐谷美玲」としても注目を集めるようになりました。

また同年に岡副麻希さんはビックコミックスピリッツで表紙を飾っています。

岡副麻希 大学時代

大学進学時には水泳とは別のサークルに入部しようとしていたそうですが、結局水泳から距離を置かなかったんですね。また大学在学中にお天気お姉さんや雑誌の表紙を飾るなど、岡副麻希さんの期待値の大きさを感じます!

 

岡副麻希の出身高校(偏差値・評判・学費)

岡副麻希さんは2008年4月に大阪桐蔭高等学校・普通科・Ⅰ類へ入学し、2011年3月に卒業しています。

学校名 大阪桐蔭高等学校
学部・学科 普通科・Ⅰ類
偏差値/難度 70/難関
所在地 〒574-0013
大阪府大東市中垣内3-1-1
最寄駅 野崎駅(JR学研都市線)
学費 初年度:194万円

岡副麻希さんの出身高校につきましては、『ジャンクSPORTS』に大阪桐蔭高校と紹介されています。

岡副麻希 テレビ ジャンクSPORTS

岡副麻希の高校生時代は三大美女!?

実は岡副麻希さんと乃木坂46の村松沙友理さんは同級生なんですが、村松沙友理さんが高校時代の岡副麻希さんが「高校三大美女」として名を轟かせていたことを話しています。村松沙友理さん曰く、岡副麻希さんはいるだけで周囲の男子がざわついてしまうような存在だったそう。

しかも高校時代の岡副麻希さんは「まきちょ語」という岡副麻希さんオリジナルの言葉で学校中をザワつかせていたいたんだとか!

「まきちょ語」では「きゃぴるん」など嬉しかった時には使っていたんだそうですよ。

岡副麻希 高校時代

そのほかにもストレスが溜まると学校の柱に向かって映画「ハリーポッター」のワンシーン「93/4番線ごっこ」(人が壁を通り抜けるシーン)をしてストレス発散させていたんだとか!

また高校2年の時に小林麻耶さんに憧れてアナウンサーになりたいと思ったことから、理系から文系に進路を変更した岡副麻希さん。物理・化学選択から日本史選択に変更したのですが、なかなか勉強する気になれなくて歴史小説を読み始めました。

それが面白くてハマってしまって、特に高橋克彦さんの作品が大好きなんだとか。

将来的には母国の野球部を取材して伝える仕事をしたいと思い始めるようになったそう。なんとなく東京の大学に行けば、そういう仕事に就けるのかな、と考えていたと言います。

高橋克彦 天を衝く

高校の時にイケメンの彼氏がいたのですが、高校3年生で別れてしまったんです。

岡副麻希 高校3年生 彼氏 別れ

岡副麻希さんは早稲田大学進学で東京に上京するので、大阪との遠距離恋愛は難しかったのかもしれませんね。

また大阪松蔭高校は甲子園の常連校としても有名ですが、岡副麻希さんも学生時代には授業の一環として甲子園に応援に駆けつけていたそうですよ。

学校の三大美女として名を轟かせていたとは驚きですが、少し不思議ちゃんな雰囲気もあったとは…モテたに違いないですよね。




岡副麻希の出身中学校

岡副麻希さんは2005年4月に大阪桐蔭中学校へ入学し、2008年3月に卒業しています。

学校名 大阪桐蔭中学校
偏差値/難度 45~56/高
所在地 〒574-0013
大阪府大東市中垣内3-1-1
最寄駅 野崎駅(JR学研都市線)
学費 初年度:110万円

岡副麻希の中学生時代の志望校は京大!

岡副麻希さんは中学時代には京都大学の工学部を目指していました。そのため当時は勉強ばかりをしており、体を動かす時間さえなかったと言います。

勉強の息抜きが、甲子園のアルプススタンドで応援することだったそうですよ。

また大阪松蔭は校則がかなり厳しくスカートの丈は膝下と決まっています。岡副麻希さんは学校に登校する際には、スカート丈などの身だしなみチェックが毎朝校門で行われており、毎朝チェックに引っかからないかドキドキしながら校門をくぐっていたそう。

中学の時点で将来の夢を決めることができたのは、岡副麻希さんにとって大きなことだったでしょうね。

 

岡副麻希の出身小学校

岡副麻希さんは1999年4月に小学校へ入学し、2005年3月に卒業しています。

岡副麻希さんの小学校の情報は明らかにされていませんが、右脳塾に3件通っていた事がわかっています。

出身地の富田林市にある右脳塾は小金台小学校の校区内に3件集中していて、他に右脳塾はありません。そのことから推測して小金台小学校が一番可能性が高いのですが、小金台小学校の近くには小学校がたくさんあり、その可能性も否定はできません。よって、下記の7校のうちのどれかの可能性が高いです。

  • 小金台小学校
  • 高辺台小学校
  • 久野喜台小学校
  • 寺池台小学校
  • 伏山台小学校
  • 藤沢台小学校
  • 向陽台小学校

岡副麻希の小学生時代の夢はオリンピック!

岡副麻希さんは大阪にあるイトマン・スイミングスクールに通っており、小学校1年生になると「選手コース」に参加しています。イトマン・スイミングスクールはアスリートを養成するようなスイミングスクールのため、当時の練習はかなりスパルタだったんだとか!

岡副麻希さんはアテネオリンピックの400メートルリレーで銅メダルを獲得した奥村幸大選手と同じ練習をしていたそうですよ。

当時の文集には「オリンピック選手になりたい」と抱負を残しています。

イトマン・スイミングスクールでは全国の選手の大会記録をランキング化しており、岡副麻希さんも200メートルの個人メドレーでこのランキングに食い込んだことがりました。

しかし近畿大会で決勝に残ることができず、全国レベルに出場しただけという結果だったそうです。

岡副麻希さんは小学校の高学年までは水泳に一生懸命取り組んだものの、小学6年の夏には「選手としては極めることができないな」と感じたことから、その後中学受験に向けて勉強へ切り替えています。

そのほかにも岡副麻希さんは小学校時代「天然ランキング」の1位に輝いたこともあったんだとか。

当時から天然っぽさが満開だったのかもしれませんね。また水泳に一生懸命に取り組んでいたとは驚きです。

岡副麻希の出身幼稚園

 

岡副麻希さんは幼稚園を1999年3月に卒業していますが、具体的な幼稚園の名前は明らかになっていません。

また、出身地の大阪府富田林市は河内長野市、大阪狭山市、堺市、八尾市、藤井寺市、奈良県とも近いため、幼稚園を推測するには範囲が広すぎますので、情報があがって来次第、追記していきます。

岡副麻希は幼少期よく転ぶ子だった!

岡副麻希 幼少期

「危ない!」と声をかけたくなる画像ですが、これは岡副麻希さんが4歳の時に父親が撮ったもので、『よく転ぶ子』だったんだとか。

岡副麻希さんは小さい頃、一輪車を3台も持っていたんだとか!一輪車好きでしたが大会などには出場せず、一輪車の大会が行われていた会場の周囲で乗り回していたそう。

幼いころから習いはじめたピアノは15年間も続けていました。ピアノは、楽譜を読みながら鍵盤を叩き、しかも右手と左手の指の動きが異なるといういくつもの作業をしないといけないことから、脳の発達に良い影響があると言われています。

右脳教室との相乗効果を狙って両親は通わせていたのでしょうね。

赤ちゃんの時にはわずか8ヶ月で歩き出したため、そのころの名残からコケる時に手が出にくいんだそう。

小さい頃からピアノやスイミングなど数多くの習い事を経験されていたんですね。また幼稚園の時に一輪車を乗りこなすことができたとは…かなり運動神経が良かったことが分かりますね。

岡副麻希の学歴・経歴まとめ

岡副麻希

ここまで岡副麻希さんの学歴と主な経歴について見てきましたが、幼少期からオリンピック選手を育成するようなスイミングスクールに通っていたり、中学、高校とガリ勉だったり、かなりの努力家であることが分かりました。

もともと母校の野球部を取材したいと思って、アナウンサーという伝える仕事を志しましたと発言しており、その夢に向かって努力を惜しまなかった岡副麻希さん。

女子アナウンサーとしてだけではなく、タレント活動やYouTubeでの活動など幅広い活躍を見せる岡副麻希さんを応援しています。