羽生結弦

氷上のプリンスである羽生結弦さんの高校・大学をはじめとする全学歴・偏差値を徹底解説!学生時代のエピソードと主な経歴、実家や家族構成を含めた生い立ちに迫ります!

小学生時代ゆづシェンコだったことや焼きそばいじめの真相は?

羽生結弦の学歴・経歴一覧

まずは羽生結弦さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!

ふりがなはにゅうゆづる羽生結弦
氏名

本名
羽生結弦/※本名同じ
生年月日199412日生 26
出身宮城県仙台市泉区
身長172cm  血液型 B
最終学歴大卒 早稲田大学・人間科学部情報科学科・通信教育課程
年齢学歴・経歴
1994宮城県仙台市泉区生まれ
父親は中学校の校長先生&母親は主婦
1996喘息の持病
1998鷹乃杜幼稚園入園
1999スケートを始める
2001鷹乃杜幼稚園卒園
仙台市立七北田小学校入学
200712仙台市立七北田小学校卒業
仙台市立七北田中学校入学
200813ジュニアの大会の参戦
200914ジュニアGPシリーズ初優勝
201015仙台市立七北田中学校卒業
東北高等学校・普通科スポーツコース入学
世界ジュニア選手権優勝
焼きそばいじめ事件
201217書籍『蒼い炎』
201318東北高等学校・普通科スポーツコース卒業
早稲田大学・人間科学部情報科学科・通信教育課程入学
201419ソチオリンピック金メダル
 紫綬褒章
 初写真集『YUZURU 羽生結弦写真集』
201621映画初出演『殿、利息でござる!』
201823平昌オリンピック金メダル
  国民栄誉賞最年少受賞者
  紫綬褒章
202025早稲田大学・人間科学部情報科学科・通信教育課程卒業

(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄

宮城県仙台市泉区出身の羽生結弦さん。父親の羽生秀利さんは宮城県の公立中学校の校長先生をしています。

羽生結弦 父親 羽生秀利

数学の先生で、元々野球が大好きで野球部の顧問を務めたこともあるんだそう。

母親の羽生由美さんは主婦で羽生結弦さんのスケートの衣装をつくるほど洋裁の達人です。

羽生結弦 母親

羽生結弦さんがカナダや海外に遠征や移住した際には、一緒についていき食事管理などで羽生結弦さんを支えているんですよ。

カナダでは肉料理が多いため、なかなか食生活に馴染むことが出来なかったと言いますが、由美さんの手作りの消化の良い食事で乗り切ることが出来たそうです。また実は羽生結弦さんの運動神経や体型はお母さん譲りな部分も大きいんだとか!

羽生結弦さんには4歳年上の姉の羽生さやさんがいて、羽生結弦さんのホームリンクだった仙台市にあるアイスリンク仙台の職員として働いています。

羽生結弦 姉 羽生さや

裕福な家庭に生まれ、4人家族として育った羽生結弦さん。

羽生結弦さんの名前は父親が名付け、弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしいという願いが込められているんだそうで、父親は弓道を極めていたのかもしれませんね。

そんな羽生結弦さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!

羽生結弦の出身大学(評判・学費)

羽生結弦さんは2013年4月に早稲田大学・人間科学部・情報科学科・通信教育課程一般入試入学し、2020年9月に卒業しています。

学校名早稲田大学
学部・学科人間科学部・情報科学科・通信教育課程
偏差値/難度-(通信制のため偏差値なし)
所在地〒359-1192
埼玉県所沢市三ヶ島2-579-15
最寄り駅西武球場前駅(西武狭山線)
学費4年間:約450万円※1単位3.5万円

羽生結弦さんが早稲田大学出身であることは、早稲田大学の情報を発信するサイト『WASEDA ONLINE』に書かれています。

❝羽生結弦選手(早稲田大学人間科学部通信教育課程eスクール在学=東北高)が、4月24日、早稲田大学を訪問し、鎌田 薫総長らに今シーズンの活躍を報告しました。❞
引用元:【羽生結弦選手が早稲田大学総長を訪問しました(WASEDA ONLINE)】

早稲田大学人間科学部eスクールはスクーリングを除いたほとんどの課程をeラーニングで行う日本初の通信教育課程として2003年に創設されました。

入試方法は通信制のため書類選考だけの場合もあるので早稲田大学も同じシステムかと思いきや、一次試験の3,000字の志望動機書と1,000字の学習計画書を提出と二次試験の面接があるんですよ。

募集人数が各コース50人ずつと決まっていて不合格の場合もあり、合格した羽生結弦さんは大したもんですよね。

通信制課程と言っても早稲田大学の場合は課題が多いことで有名。

同じ早稲田大学通信教育課程を卒業した中丸雄一さんは卒業しましたが、手越祐也さんは中退していますよね。

中丸雄一の大学や高校の学歴・出身情報!大学ではハブられていた?

手越祐也の大学や高校の学歴・出身情報!早稲田中退の理由とは?

初めて早稲田大学に行ったときの画像ですが、指で早稲田の『W』を表している姿がなんとも魅力的です。

羽生結弦 大学時代

羽生結弦さんは「心理学や統計学、数学にも関心があり、人間科学という科学的な方法でフィギュアスケートの技術や表現力を高めることができると考えています。」

卒業論文は❝フィギュアスケートにおいて、モーションキャプチャ技術はどれだけ使えるかっていうのと、どういうふうな展望があるかをまとめたもの❞で、最先端技術を駆使してメダルを狙っていきそうですね。

羽生結弦は大学を7年半かけて卒業!!

羽生結弦 早稲田大学

羽生結弦さんは早稲田大学・人間科学部情報学科・通信教育課程を7年半かけて卒業しています。

入学した2013年当初は今よりも有名になる前のことでした。

羽生結弦さんはその後「国民栄誉賞」を受賞するまでに成長してしまったため、無理難題な課題を出してスケートがうまく出来ないようにしてはいけないな…。と思ったことを指導した早稲田大学人間科学部人間情報科学科の西村昭治教授は話しています。

大学時代の羽生結弦さんはスケートだけに専念せず、学業にもしっかりと力を入れていました。羽生結弦さんの両親の教えをしっかりと守っていたんですね。

羽生結弦さんは在学中、スケートがお休みのオフの日にオンデマンドで授業を受講し、海外遠征で移動する時などには飛行機の中でレポートを書いて提出していました。

日本とカナダでは時差があるため、羽生結弦さんと西村昭治教授は毎週月曜日に研究の進捗状況のメールをやり取りしていたんだとか。

羽生結弦 大学時代

羽生結弦さんが手がけた卒業論文は「フィギュアスケートにおけるモーションキャプチャ技術の活用と将来展望」というものでした。

その文字数は何と3万文字!他の学生と比較しても3倍ほどのものだったそう。

モーションキャプチャーで身体中に30本ほどのセンサーを付け、その動きを3Dで記録し、分析した技術を利用し羽生結弦さん自らの体に取り付け、シャンプを跳んでデジタルデータ化しています。

しかもこのデータ化は全て羽生結弦さん1人で全て行ったというのが驚きです!

また課題の取り組みに関しては、羽生結弦さん自身が納得しないと気が済まないことから教授が抑え目に課題を出しても3倍になって返ってきたと言います。羽生結弦さんの真面目でストイックな部分は学業の面でも表れていますよね。

羽生結弦さんは2014年、大学1年生の時にはソチオリンピック、2018年の大学5年生の時は平昌オリンピックでで金メダルを獲得しています。

羽生結弦 大学時代 ソチオリンピック

学業とフィギュアスケートの両立は困難を極めており、学業との両立で睡眠時間が2時間になることもあったそうですよ。また2013年に入学したものの、翌年に開催されたソチオリンピックへ向けた練習のため、最初の1年間はほぼカリキュラムをこなすことが出来ませんでした。

そんな中、7年半もの時間をかけて卒業した羽生結弦さんの頑張りには感動する覚えますよね。本当に努力の人だと感じます。

羽生結弦さんは7年半かけて大学を卒業していますが、早稲田大学の「SPECIAL INTERVIEW 羽生結弦さん」の特集ページで「時間のやりくりや気持ちの切り替え」を学ぶことが出来たと話していました。

またフィギュアスケートから離れることになっても多角的に分析、検証する力を与えてもらうことも出来たと実感しているとインタビューで話しています。

大学に在籍できる期間は8年間と決まっており、タイムリミットが迫っている中で見事卒業されたことは、羽生結弦さんの努力のたまものですね。

羽生結弦の出身高校(偏差値・評判・学費)

羽生結弦さんは2010年4月に東北高等学校・普通科スポーツコースへ入学し、2013年3月に卒業しています。

学校名東北高等学校
学科・コース普通科スポーツコース
偏差値/難度42/低
所在地〒981-3214
宮城県仙台市泉区館7-101-1
最寄り駅台原駅(地下鉄南北線)
学費初年度:80万円

羽生結弦さんが東北高校・普通科スポーツコース出身であることは、学校案内に掲載されています。

羽生結弦 東北高校 学校案内

羽生結弦さんが通っていた南光学園東北高等学校はスポーツが盛んな高校としても知られており、フィギュアスケートでトリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香さん、メジャーリーグで活躍するダルビッシュ有選手、また女子ゴルフの宮里藍選手も輩出した高校としても知られています。

また漫画「ハイキュー!」のモデルとなった高校としても有名ですよね。

南光学園東北高等学校入学直前に羽生結弦さんは世界ジュニア選手権で優勝しており、ファイギュアスケートと学業を両立させるために入学しています。

2013年度の学校案内では高校1年生の時に担任を務めた高橋敏之教諭から「影響を受けた」と話しています。

羽生結弦は高校時代に焼きそばいじめ?

東北高校に入学する直前に世界ジュニア選手権で優勝していた羽生結弦さんの周りにはサインを求める人がひっきりなしだったんだとか。

羽生結弦 高校時代

羽生結弦さんの周りにはサインを求める人がひっきりなしだったんだとか。学校生活ではトイレにまでボディガードがついてきたり、有名人やアイドル扱いを受け困惑していたそうです。

羽生結弦 高校時代

有名人だった羽生結弦さんは同級生や上級生からサイン攻めにあっていた中、ある日野球部員の上級生からサインを求められ答えていたところ…「調子に乗ってんなよ!」とサインしたばかりの国語辞典がゴミ箱に放り込まれたこともあったそう。

羽生結弦

野球部は甲子園常連でちやほやされていたその人気を全部かっさらってしまった羽生結弦さんのことは面白くなかったのでしょう。

いじめは段々とエスカレートして焼きそばを椅子に掛けられたこともあったんです。

羽生結弦 焼きそば

焼きそばを掛けた本人がツイッターで投稿したのですが、まるでその場に居合わせてしまったかのように感じて心が痛くなりますね。

もしかすると、羽生結弦さんが食べるはずの焼きそばだったのでしょうか。

いじめにあいながらも笑って登校していたようで、羽生結弦さんの辛抱強さには感服します。

羽生結弦さんは高校1年生の時にはフィギュアスケートのシニアデビューを飾り活動していましたが、2011年3月11日に起きた東日本大震災で被災しています。

当時、羽生結弦さんはアイスリンク仙台で練習中でしたが地震が起きるとリンクの氷が割れ、あまりの恐怖にスケート靴のまま屋外に避難したそうです。

幸いリンクは倒壊を免れましたが、水道管の破裂によって練習することが出来ない状態となります。

また羽生結弦さんの自宅の地震の被害を受けており、羽生結弦さんの家族は体育館での避難生活を余儀なくされました。

羽生結弦さんが練習をしていたアイスリンク仙台はその後7月まで再開出来ない状況だったことから、車で3時間もかかる青森県八戸市へ練習拠点を動かしています。その後所属クラブが神奈川県横浜市に移動し、そこで8ヶ月間練習をしています。

被災した状況でスケートを続けるべきなのか悩んでいた羽生結弦さんの背中を押したのは、同じ高校出身の荒川静香さんだったそうです。

一緒に練習をしたり、支援を受けることでスケートへの意欲に繋がったと言います。

羽生結弦さんの卒業アルバムの画像です。

羽生結弦 卒アル 高校

またフィギュアの大会があると疲れが出て風邪で休みがちだったという羽生結弦さんですが、高校1年生の時の担任だった高橋敏之教諭から『学校に来ることとスケートをすることは、直接関係はないけれど、学校に来ることを通して精神力を鍛えることができる』と教えられたと言います。

また羽生結弦さんの両親にも学業とスケートを両立するように伝え、学校に通うことの大切さを学んだと言います。日曜日の夕方まで大会があっても月曜日には登校し、大会などには特別欠席を使用し高校を卒業しています。

羽生結弦さんは高校3年生の時には実力強化のためカナダへ移住しています。フィギュアだけではなく、学業の優秀だった羽生結弦さんですが英語だけはどうも苦手だったようで、高校2年生の時には英語の教科書を目の前に「やばい…」と思わず声を漏らしてしまうこともありました。

羽生結弦 高校時代

高校の卒業式にはカナダに移住していたことから欠席しています。

また実は「学校が嫌いだった…」と親しい友人に漏らしたこともあったんだとか。フィギュアでの実力が凄すぎて周りからやっかみやいじめを受けていればそういった気持ちになってしまうのも納得ですよね。




羽生結弦の出身中学校(評判)

羽生結弦さんは2007年4月に仙台市立七北田中学校へ入学し、2010年3月に卒業しています。

学校名仙台市立七北田中学校
所在地〒981-3131
宮城県仙台市泉区七北田字東裏100番地
最寄り駅泉中央駅(仙台地下鉄南北線)

羽生結弦さんの出身中学校については2014年3月1日の『日刊ゲンダイ』に“仙台市立七北田中学3年時の担任だった庄子勝先生が当時の羽生についてこう語る。”と掲載されています。

仙台市立七北田中学校は公立中学校ですが、成績優秀な学校として知られており県内の進学校にも学生を輩出しています。

また羽生結弦さんの他にもフィギュアスケートで活躍した本田武史さんも仙台市立七北田中学校の出身です。

羽生結弦の中学生時代はぼっちの卒業式!

羽生結弦 中学 卒業式

羽生結弦さんは卒業式当日にオランダで行われた世界ジュニア選手権に出場するために日本を離れたため、卒業式に参加することが出来ませんでした。

そのため帰国後、3月18日に七北田中学校で行われた臨時の全校集会に出席し「優勝」したことを報告すると、その足で紅白の幕が張りめぐらされた校長室で「一人ぼっちの卒業式」に参加しています。

また羽生結弦さんのクラスメイトなどが10名ほど集まってこの卒業式に参加し、同級生の額に「肉」の文字を書いて羽生結弦さんは記念撮影をしました。

羽生結弦 中学時代

フィギュアのために全体の卒業式に参加することが出来なかった羽生結弦さんですが、こうやって仲間が一緒に卒業を祝ってくれたことは本当に嬉しかったのではないでしょうか?

羽生結弦さんは中学時代にはすでにフィギュアスケートで頭角を表しており、2008年2月の第28回全国中学校スケート大会では優勝に輝いています。

羽生結弦 中学大会 優勝

フィギュアの関係で学校をお休みすることも多かったと言いますが、問題集を購入しコツコツ勉強していたため学校の成績は良かったそうですよ。そのため成績はオール5だったんだとか!凄すぎますね。

また学校に登校できる日には自ら進んで掃除当番をしていたため、クラスメイトからも好かれていました。

中学卒業後の進路では関東圏からの高校からもスカウトされてましたが、羽生結弦さんは仙台のスケートリンクで練習する環境を変えたくなかったため、東北高校に進学することを決めたとインタビューで話しています。

羽生結弦 中学時代

他の選手は海外進出していましたが、真の日本代表として、出身の宮城県から出場したかったと熱く語っていました。当時、羽生結弦さんは将来的には「金メダルを取ったのは男女ともに仙台の人だった」と言わせたいとも話していました。

地元の宮城県仙台市への地元愛をとても感じますよね。

また羽生結弦さんがフィギュアスケートの大会で身につけていた衣装は母親の由美さんの手作りのもので出場していました。フィギュアスケートは衣装やスケート靴などの維持費が他のスポーツよりもかかることで知られていますよね。

羽生結弦さんの家庭は父親が公務員ですが、普通の家庭だったためフィギュアスケートに捻出するお金は相当のものだったため、衣装は母親の手作りのものを使用し、また4歳年上のさやさんはフィギュアからは身を引いています。

家族一丸となって羽生結弦さんのフィギュアを支えていたんですね。

羽生結弦 中学時代

卒業間近のクラスでクラスメイトに取材を受けていた羽生結弦さんの画像です。

学校では野球が好きで校庭でキャッチボールをして遊んだりしていたそうです。また教室でジャンプして遊んだりしていたそうですが「陸ではそんなに飛べない」とボヤいていたんだとか…。

中学校の体育祭での羽生結弦さんです。学校生活も充実していたんですね。

羽生結弦 中学時代

また羽生結弦さんが仙台市立七北田中学校へ入学するにあたり「スケート部」が創設されており、初年度の部員は羽生結弦さんただ1人でしたが、羽生結弦さんが中学3年になる時には部員が3人ほどになっていたと言います。

羽生結弦さんは後輩に「出る杭は打たれるけど、出過ぎると誰か引っ張ってくれる人がいるから頑張って」と応援していたといエピソードがあるんです。

羽生結弦さんは校内誌に載せるための文章なども手がけていたそうですよ。

またスケート部の顧問をしていた先生は羽生結弦さんの授業中の手の挙げ方の美しさに感服していたんだとか…。普段から動きが綺麗だったことが分かるエピソードですよね。

羽生結弦の出身小学校(評判)

羽生結弦さんは001年4月に仙台市立七北田小学校へ入学し、2007年3月に卒業しています。

学校名仙台市立七北田小学校
所在地〒981-3131
宮城県仙台市泉区七北田東裏90
最寄り駅泉中央駅(仙台地下鉄南北線)

羽生結弦さんが七北田小学校であることは、2018年2月16日の『河北新報』に掲載されています。

羽生結弦の小学生時代ゆづシェンコ!

羽生結弦 小学生時代

小学生の頃から既に頭角を現していた羽生結弦さんは、テレビ局の取材もたくさんありました。キノコ頭は「皇帝」と呼ばれたトリノ五輪金メダリストのプルシェンコさんの頭を真似ていたんですよ。憧れの人に近づきたい思いも可愛いですね。

羽生結弦 小学生時代

羽生結弦 中学時代 ゆづシェンコ

羽生結弦さんは小学生の頃いじめに遭った子を庇い、羽生結弦さん自身もいじめに巻き込まれてしまったことがあったと2018年2月16日の河北新報の朝刊で書かれています。

羽生結弦さんはいじめに巻き込まれてしまっても最後まで友達を守る姿勢を貫いたんだとか…。自分も巻き込まれてしまったのに最後まで庇い続けたなんて、本当にすごいことですよね。

人一倍強い精神力と正義感を感じます。

羽生結弦さんの小学校の時の文集があるのですが、「2004全日本ノービス選手権大会」で優勝したときのことを書いています。

羽生結弦 卒業文集

❝「ぼくがこの六年間で一番心に残ったことはスケートのことです。楽しかったこと、くやしかったことなど色々学びました。

ぼくがスケートを始めてから五年がたった四年の時、初めて全日本へすいせんされました。初めて出場する全日本、ぼくはきんちょうよりもワクワクしていました。

最後のポーズを終えた瞬間、大勢の観客から大きなはく手をもらいました。その瞬間は今だ忘れていません。とてもうれしかったです。そして「観客に感謝したい」と初めて思いました。」❞
引用元:【河北新報朝刊(2014年2月16日)※一部抜粋】

小学六年生でしっかりした文章を書いていて、感謝する気持ちを持てることは素晴らしいですね。

また羽生結弦さんが小学校3年生の時に学校で行われた「スケート教室」では、当時すでにフィギュアを始めており氷の上でも問題なく滑ることが出来る状態だったにも関わらず、周囲の友達が初めてのスケートで上手く氷の上に立てないため、周りのクラスメイトの合わせてよちよち歩きから始め、決して滑ったりせず、自らスケートを習っていることも言わなかったんですよ。

羽生結弦 小学生時代

小学校の3年生頃だとみんなの前で自慢したいなどの気持ちが出てきてもおかしくない年頃ですが、そういった驕った姿勢は当時から出さずにいたそう。

ただ毎日の練習の指導がだんだん厳しくなってくると「辞めたい」という気持ちが芽生えてしまったこともあるんだとか。

大人になって振り返ると「期待されている」と分かったそうですが、当時は「何でこんなに怒られないといけないんだ」と思っていたそうで、小学生が理解するのは難しいですよね。

羽生結弦の出身幼稚園(評判)

羽生結弦さんは1998年4月に鷹乃杜幼稚園へ入園し、2001年3月に卒園しています。

学校名鷹乃杜幼稚園
所在地〒981-3351
宮城県富谷市鷹乃杜1-23-16
最寄り駅泉中央駅(仙台地下鉄南北線)

羽生結弦さんが鷹乃杜幼稚園出身であることは、2018年2月27日発信の『日刊スポーツ』でパンサー尾形貴弘さんと同じ幼稚園であると報道され、尾形貴弘さんは鷹乃杜幼稚園であることから明らかになりました。

パンサー 尾形貴弘

❝尾形貴弘(40)はフィギュアスケート金メダルの羽生結弦と同じ幼稚園に通っていたと❞
引用元:【パンサー尾形貴弘、羽生結弦と同じ幼稚園だった(日刊ゲンダイ)】

尾形貴弘さんの幼稚園の情報はWikipediaに書かれています。

❝鷹乃杜幼稚園(現・宮城県富谷市:卒園者に狩野英孝および羽生結弦がいる)卒園、❞
引用元:【Wikipedia】

羽生結弦は幼稚園時代で一回転半!

羽生結弦 幼稚園

羽生結弦さんが1回転半のジャンプに成功したのは何と幼稚園の年長さんの頃でした。普通は1回転ジャンプが成功してから早くても2、3ヶ月、通常だと半年ほどかかるものですが、羽生結弦さんは何と1回転ジャンプを成功させたその日に「1回転半ジャンプ」を成功させてしまったんだとか!

指導なども行わずに1回転半のジャンプを成功してしまったため、コーチも流石に驚いたそうです。

羽生結弦さんがスケートを始めたのは4歳の頃です。お姉さんがフィギュアをしていたため待っている間リングサイドでずっと元気に走り回っていたそう。

羽生結弦 幼稚園時代

お姉さんを教えていたコーチが「そんなに動きたいならスケート教室に入ってみたら?」と声をかけられたことがきっかけでした。

初めて滑った時はハイハイの姿勢でリンクインするのが基本ですが、羽生結弦さんはその部分さえすっ飛ばしてスケート靴のまま氷の上に入っていきそのままリンクの中央に進んでしまったんだとか…。

ただその時は頭から転倒してしまったそうですが、そのままスッと立ち上がったためコーチも驚いてしまったそうですよ。

幼少期から体幹がしっかりしていたことや、お姉さんが出来ることなら自分も出来ると負けず嫌いな一面もあったと言います。

羽生結弦さんは元々喘息持ちで夜寝られないこともあり、少し走るだけで咳き込んでしまうこともありました。そのため喘息が少しも良くなるようにとスケートを始めたんだとか…。

喘息が酷かったため、幼稚園にもほとんど通うことが出来なかったと2017年8月に放送された24時間テレビのインタビューで話しています。

またスケート始めた当時はお姉さんの追いつこうという気持ちが大きかったと言います。

羽生結弦さんの母親は喘息が少しでも良くなるようにと、ホコリの少ない環境でできるスケートを応援していました。

羽生結弦さんがいかに家族に大事にされていたのかがわかりますね。

羽生結弦の学歴一覧・出身地詳細

ここまで羽生結弦さんの学歴と主な経歴について見てきましたが、フィギュアスケートで金メダルを獲得していたり、数多くの賞を獲得しているのにも関わらず、学業にもしっかり取り組まれており、短い睡眠時間や移動時間を活用して勉強に励んでおり、その努力の姿勢が凄いことが分かりました。

羽生結弦さんが中学生の頃、後輩に送った出る杭は打たれるけど、出過ぎると誰か引っ張ってくれる人がいるから頑張って」という言葉は、フィギュアで真面目に練習し結果を掴んでくる羽生結弦さんをやっかみしたり、いじめたりした人もいましたが、それ以外にも練習の姿勢や日々の姿勢をしっかり見つめて応援してくれる人がいるんだよ!ということが伝わってきます。

羽生結弦さんの父親が教師、そして海外移住や遠征をしっかりサポートする母親、フィギュアを始めるきっかけを作り出したお姉さんがいたことで今の羽生結弦さんがあることを実感しますね。