卒アル画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
小泉孝太郎の学歴・経歴一覧
まずは小泉孝太郎さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | こいずみこうたろう | |||
氏名 / 本名 |
小泉孝太郎/※本名同じ | |||
生年月日 | 1978年7月10日生 46歳 |
|||
出身 | 神奈川県横須賀市 | |||
身長 | 177cm 血液型 AB型 | |||
最終学歴 | 高卒 関東学院六浦高等学校・普通科 |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
---|---|---|
1978 | 0歳 | 神奈川県横須賀市生まれ |
父親は小泉純一郎&母親は宮本佳代子 | ||
1982 | 4歳 | 両親が離婚 |
1985 | 6歳 | 関東学院六浦小学校入学 |
1991 | 12歳 | 関東学院六浦小学校卒業 |
関東学院六浦中学校入学 | ||
1994 | 15歳 | 関東学院六浦中学校卒業 |
関東学院六浦高等学校・普通科入学 | ||
甲子園を目指していたが椎間板ヘルニアで挫折 | ||
1997 | 18歳 | 関東学院六浦高等学校・普通科卒業 |
調査中 | 日本大学・経済学部・Ⅱ部入学 | |
調査中 | 日本大学・経済学部・Ⅱ部中退 | |
2000 | 22歳 | 21世紀の石原裕次郎を捜せオーディション落選 |
2002 | 24歳 | ドラマ初出演『初体験』 |
ドラマ初主演『狂った果実2002』 | ||
2003 | 25歳 | 映画初出演『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』 |
2005 | 27歳 | 大河ドラマ初出演『義経』 |
2021 | 43歳 | 警視庁防犯広報大使 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
神奈川県横須賀市出身の小泉孝太郎さん。父親の小泉純一郎さんは元内閣総理大臣を務めたことは有名です。
母親の宮本佳代子さんは小泉孝太郎さんが4歳の時に離婚したのでいなくなってしまいました。
父親の姉・小泉道子さんが母親代わりになってくれましたが、寂しかったことでしょう。
小泉孝太郎さんの弟は政治家の小泉進次郎さんですね。
超お金持ちな家庭に生まれ、4人家族として育った小泉孝太郎さん。
祖父は衆議院議員の小泉純也さん、曽祖父は元逓信大臣の小泉又次郎さんと華麗なる一族です。
【小泉純也氏】
【小泉又次郎氏】
そんな小泉孝太郎さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
小泉孝太郎の出身大学
小泉孝太郎さんは日本大学・経済学部Ⅱ部へ入学し、中退しています。
学校名 | 日本大学 |
---|---|
学部・学科 | 経済学部・Ⅱ部(現在Ⅱ部は廃部) |
偏差値 | 45 |
入試難度 | 低 |
所在地 | 〒101-8306 東京都千代田区神田三崎町1-3-2 |
公式HP | http://www.eco.nihon-u.ac.jp/ |
小泉孝太郎さんが日本大学経済学部に在学していたことは、2018年6月2日発信の『日刊ゲンダイDIGITAL』に同校中退と掲載されていることから間違いありません。
“100万人を超える日本大学OBの中には芸能人、文化人がこれでもかと並ぶ。たとえば、俳優の柴田恭兵(経済学部)、小泉孝太郎(経済学部中退)、タレントの関根勤(法学部)、演出家のテリー伊藤(経済学部)、松浦勝人エイベックス社長(経済学部)。”
引用元:【太田光、蒼井優も…100万人の卒業生と強固な「日大愛」(日刊ゲンダイDIGITAL)】
小泉孝太郎さんが2浪しているという情報が5chに掲載されいていることがあり、日本大学に入学した年は調査中です。
また、小泉孝太郎さんの出身大学が慶應義塾だとする噂がありますが、原因は父親の小泉純一郎さんが慶應義塾だからなんです。
いつ中退したのかは明らかになっていませんが、2001年に芸能界デビューしていることから、3年生の頃の可能性が高いですね。
小泉孝太郎の大学生時代のエピソード
大学時代の画像を見てもさわやかな笑顔で、モテモテだったでしょうね。
学生時代は高祖父(ひいひいおじいちゃん)の職業であった”とび職”にあこがれてアルバイトをしたことあるんだそう。
しかし、幼いころから憧れていた俳優にどうしてもなりたくて、2000年に開催された『21世紀の石原裕次郎を探せ!』オーディションに応募しましたが落選。
ところが2001年に小泉純一郎さんが内閣総理大臣になった途端に芸能事務所からオファーがたくさん来て俳優デビューすることになったんですよ。
意外にも「父親は俳優になることに賛成してくれて、それが背中を押してくれた」と2015年9月10日のマイナビニュースのインタビューで小泉孝太郎さんが語っていました。
小泉純一郎さん世代は芸能界を卑下している人が多いのに、むしろ勧めてくれるとは革新的な考えの持ち主なのですね。
また、親の土俵ではないところで”小泉孝太郎”として勝負して行きたい気持ちを明かしていることから、偉大な親を持つ子供の苦悩を感じます。
小泉孝太郎の出身高校
小泉孝太郎さんは1994年4月に関東学院六浦(むつうら)高等学校・普通科へ入学し、1997年3月に卒業しています。
学校名 | 関東学院六浦高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 52 |
入試難度 | 中 |
所在地 | 〒236-8504 神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1 |
公式HP | http://www.kgm.ed.jp/ |
小泉孝太郎さんが関東学院六浦高校出身であることは、卒アル画像の制服が同校のものであることから間違いありません。
【関東学院六浦高等学校の制服参考画像】
小泉孝太郎さんの弟で政治家の小泉進次郎さんも関東学院高等学校に通っていました。
関東学院六浦高等学校は中高一貫校なのですが、高校入試での入学を30名だけ募集していて、興味深いことに英語入試とラグビー入試があり、共に入学してからの条件があります。
英語入試での入学者は3ヶ月または1年の海外留学に参加できること、ラグビー入試での入学者はラグビー部に入部することです。
英語と同等にラグビー部に関東学院は力を入れているのですね。
また、ラグビー部以外に文化系でオルガニストギルドというパイプオルガンを演奏する部があるのですが、学校にパイプオルガンがあるとは設備が整っていますよね。
小泉孝太郎の高校生時代のエピソード
高校時代は野球部に所属し、キャプテンをしていたという情報があります。
2013年3月29日の始球式のときの画像がありますが、経験者だけあって投げ方が決まっていますよね。
甲子園を目指していましたが、高校3年のときに腰を痛めてベンチ入りできませんでした。
小泉孝太郎さんがベンチ入りできなかったからかどうかは定かではありませんが、神奈川大会で一回戦敗退に終ってしましまい、これを機に野球から引退することにしました。
この後しばらくは甲子園の放送を見る気が起きなかったと2008年8月18日のオリコンニュースのインタビューで語っていることから、腰の怪我が悔しくて見る気が起きなかったのでしょうね。
小泉孝太郎の出身中学校
小泉孝太郎さんは1991年4月に関東学院六浦中学校へ入学し、1994年3月に卒業しています。
学校名 | 関東学院六浦中学校 |
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偏差値 | 43~44 |
入試難度 | 中 |
所在地 | 〒236-8504 神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1 |
公式HP | http://www.kgm.ed.jp/ |
小泉孝太郎さんが関東学院六浦中学校出身であることは、2007年8月6日発信の関東学院六浦中学校・高等学校のホームページ内にある『関東六浦トピックス』で母校を訪問した際のインタビューで同校を出身しているとコメントしていることから間違いありません。
“僕は小学校・中学校・高校って、ずっと関東六浦できてる”
引用元:【竹中直人さん・小泉孝太郎さん母校を訪問(関東六浦トピックス)】
小泉孝太郎の中学生時代のエピソード
小泉孝太郎さんの実家で1992年ごろ撮影された一家団らん画像ですが、髪型がまさしくお坊ちゃまでかわいいですね。
(※画像左から:小泉純一郎さんの妹・純子さん、小泉孝太郎さん、小泉純一郎さん、小泉進次郎さん、小泉純子さんの息子・純樹さん)
【拡大図】
関東学院六浦中学校は設備がいいとお伝えしましたが、複数のテニスコートにサッカー場、ラグビーグラウンド、弓道場などもあるんですよ。
私立ならではの良さと言えますが、良いのはハード面だけでなく、勉強が遅れている子供に土曜日に補習してくれるなどソフト面においても充実しています。
小泉孝太郎さんは中学校時代も野球を頑張っていましたが、大会記録などは明らかになっていません。
中学1年生のときに初恋を経験するんですよ。春から夏の間の数ヶ月の出来事だったのですが、そのことを2013年2月3日放送のバラエティ『さんまのからくりTV』で公表しました。
お相手は『藤枝有紀子』さんと言うのですが、上品そうな、上流階級の家庭に育っているお嬢様のイメージがありますね。
残念ながら結婚していて、なんと旦那様は番組で小泉孝太郎さんを映しているカメラマンだったんですよ!
小泉孝太郎さんはかなりショックだったようで、今は彼女ではないとわかっていても、目の前の男に取られた悔しさがあったのでしょう。
余計なお世話ですが小泉孝太郎さんにも早く春が訪れるといいですよね。
小泉孝太郎の出身小学校
小泉孝太郎さんは1985年4月に関東学院六浦小学校へ入学し、1991年3月に卒業しています。
学校名 | 関東学院六浦小学校 |
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所在地 | 〒236-8504 神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1 |
公式HP | https://www.kgm-es.jp/ |
小泉孝太郎さんが関東学院六浦小学校出身であることは、中学の時と同じく母校に訪問した際に同校を卒業しているとコメントしていることから間違いありません。
小泉孝太郎の小学生時代のエピソード
小学校低学年の頃の画像だと思われますが、1人で写っているのに集合写真の前列のように中腰の姿勢ですよね。
小学校から野球をしていた小泉孝太郎さんは、地元の野球クラブに所属していてピッチャーをしていました。
弟の小泉進次郎さんも一緒に野球をしていたのですが、キャッチャーをしていたと小泉進次郎公式サイトにあって、まるで漫画の『弟キャッチャー俺ピッチャーで!』みたいですよね。
練習中に兄弟げんかがはじまると監督が仲裁に入ることもあったんだとか。
しかし、家で兄弟げんかをしても父親の小泉純一郎さんは止めることをしなかったんだそう。
「子共はけんかをするのが当たり前」というのが彼の理論ですが、けんかをしている声をずっと聞いているのも嫌なもので止めたくなってしまいますよね。
でも、今も兄弟仲が良いというのも、子供の頃に思いっきりけんかをしていたからかもしれません。
小泉孝太郎の出身幼稚園
小泉孝太郎さんは1982年4月に幼稚園へ入園し、1985年3月に卒園しています。
小泉孝太郎さんの出身幼稚園がどこなのかは明らかにされていませんが、2015年5月1日発信の『AERAdot.』で実家が神奈川県横須賀市三春町と報じられていたことから、下記のどちらかの幼稚園に通っていたと考えられます。
- 青い鳥幼稚園
- 三春幼稚園
関東学院にも『関東学院のびのびのば園』と『関東学院六浦こども園』があるのですが、“関東六浦トピックス”で、「僕は小学校・中学校・高校って、ずっと関東六浦」と小泉孝太郎さんは語っていて、幼稚園も関東学院に通っていたのであれば、“幼稚園から”と語るはずから、幼稚園は他に通っていたことになりますね。
幼稚園時代のエピソード
幼稚園の頃、「ETを見て感動で大泣きして映画に興味をもつようになった」と2010年8月5日『とらばーゆ スペシャルインタビュー』で語っていました。
幼稚園児ながら「宇宙人と出会い、自転車で空を飛ぶ”なんて世界は無いだろうと感じていたけれど、そこに行ってみたい」と思っていたんだとか。
サンタクロースを信じている幼稚園児はたくさんいる中、小泉孝太郎さんはETを作り物の世界だと思ったとは賢い子だったんですね。
上地雄輔と幼なじみ!
小泉孝太郎さんと上地雄輔さんは幼なじみで、幼稚園のころから同じスイミングスクールに通っていました。
そのことは上地雄輔さんの公式ブログにも書かれていて、上地雄輔さんは小泉孝太郎さんのことを『こーちん」と呼ぶんだとか。
上地雄輔さんも中学のときに野球をしていて、チームは違えども試合などで顔を合わせていたんですって!
お互い30年後に芸能界に入っているとは思っていなかったと言っていますが、ごくごく一部の人間しか生き残れない芸能界に共に活躍できていることは奇遇ですよね。
小泉孝太郎の学歴まとめ!
小泉孝太郎さんが大学を2浪していたかもしれないとは意外でしたが、高校時代に野球で完全燃焼したことで自分の道をどうしたらいいのか迷っていた時期だったのでしょう。
自分の道が決まり、俳優デビューをした時は親の七光りがありましたが、16年以上も活躍し続けていることで小泉孝太郎さんが実力派俳優であることは十分に証明できていますよね。
これからますますの活躍を期待しています!