離婚した父親の連れ子で生い立ちが壮絶だったことやあだ名がケツコだったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
竹内結子の出身大学
竹内結子さんは大学に進学していません。
芸能界に専念していたことから大学には進学しませんでした。
大学在学相当時にあたる1998年4月から2002年3月に出演したドラマは14作品。
1999年10月放送の連続テレビ小説『あすか』では初主演を務めました。
同時期に出演した映画は下記の2作品。
【1998年10月3日公開『イノセント・ワールド』】
【1999年5月15日公開『ビッグ・ショー!ハワイに唄えば』】
ドラマと映画で15作品以上も出演していれば、大学に通っている時間は無かったに違いありません。
高校時代はあまり勉強が好きではなかったという情報もあり、大学は視野に入っていなかったでしょう。
竹内結子の出身高校
竹内結子さんは1995年4月に埼玉県立新座北(にいざきた)高等学校(現:新座柳瀬(にいざやなせ)高等学校)へ入学し、1998年3月に卒業しています。(※2008年に所沢東高等学校と統合)
学校名 | 埼玉県立新座北高等学校(現:埼玉県立新座柳瀬高等学校) |
---|---|
学科・コース | 普通科・単位制 |
偏差値 | 44 |
入試難度 | 低 |
所在地 | 〒352-0004 埼玉県新座市大和田4丁目12−1 |
最寄り駅 | 柳瀬川駅(JR武蔵野線) |
公式HP | https://niizayanase-h.spec.ed.jp/ |
竹内結子さんが新座北高校出身であることは、『みんなの高校情報』に同校卒業と掲載されていることから間違いありません。
1998年1月31日公開の映画『リング』はジャパニーズ・ホラーの金字塔になりましたが、竹内結子さんは貞子のはじめての犠牲者を演じていたんです!
無名時代だったとはいえ、すぐにいなくなってしまう役ではもったいない気がしますね。
学生生活は学生服が自由だったことから、セーラー服とブレザーと日によって着替えていたそうですよ。
画像のあまり良くない卒アルを見ても美しさ健在です!
笑顔いっぱいの竹内結子さんですが、実は闇を抱えていたんですよ。
竹内結子は父親の連れ子で生い立ちが壮絶!
竹内結子さんは1999年2月25日発行の小説『サーフ・スプラッシュ』の解説を書いているのですが、本人の生い立ちについても記載しています。
❝学校の帰りだったと思う。家に帰りたくなくて最寄り駅を過ぎてもまだ電車に揺られていた。「舞浜駅」。ここに来ることで何か満たされると思っていた。結局、よけいに悲しくなっただけだったけど…。
私は父に人生をすきに生きてくれたらいいと思っていた。連れ子がいるという荷物がいることを面倒に感じられたくなかったのだ。❞
引用元:【サーフ・スプラッシュ解説】
両親は幼い頃に離婚し父親に引き取られていたのですが、竹内結子さんが中学生ぐらいで父親は再婚しています。
姉が2人いるのですが、新しい母が連れてきた子供だったために血の繋がりがありません。
❝一人の人間として父が必要とした女の人が、彼女の子供たちのために食事の支度をしている❞
引用元:【サーフスプラッシュ解説】
という文章を見ると、竹内結子さんが孤立していたことがうかがえます。
竹内結子さんは高校を卒業すると同時に一人暮らしをしはじめたとも書いていて、意を決していたのかと想像すると胸が苦しくなりますね。
竹内結子の出身中学校
竹内結子さんは1992年4月に浦和市立白幡(しらはた)中学校(現:さいたま市立白幡中学校)へ入学し、1995年3月に卒業しています。
学校名 | 浦和市立白幡中学校(現:さいたま市立白幡中学校) |
---|---|
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒336-0022 埼玉県さいたま市南区白幡2−18−13 |
最寄り駅 | 武蔵浦和駅(JR埼京線) |
公式HP | http://shirahata-j.saitama-city.ed.jp/ |
竹内結子さんが白幡中学校出身であることは、同校出身というつぶやきが複数投稿されていることから間違いないでしょう。
竹内結子さんショックだなぁ、、、
竹内結子さんの出身中学が白幡中学校ってところなんだけど、俺の母校でもあるからなんだか親身になってしまう— りりり凛くん (@takanashi_91) September 27, 2020
白幡中学は竹内結子の母校なので、俺は勝手に結子パイセンと呼んでいます。心の中で
— (@_Eccy_) February 9, 2012
竹内結子は白幡中ってゆうちょっとした自慢(´ー`)
— Kosuke Yano (@suke_kicks) February 6, 2013
竹内結子は原宿でスカウト!
中学3年生で卒業式が終わった春休みに友人と原宿まで遊びに行った際にスカウトされた竹内結子さん。
当時の画像を見ても可愛いから声かけられて当然です!
スカウトされたときは芸能界に興味がなかったようですが、のぞいてみると予想以上に面白くてハマってしまったんですって!
デビュー直後のアンケート用紙を見ると、❝ぜひ見てほしい❞という心意気が書かれています。
特技の耳が動かせるなんて意外ですね。
両親は大反対だったそうですが、押し切って芸能界入りをしたんだとか。
竹内結子さんは❝帰る場所はない❞とインタビューで語っていたそうで、中学時代から疎外感を感じていたんですね。
❝10代の頃に仕事した関係者には「私、ちょっと複雑な家庭なんで戻る場所なんてないんです。だから、この世界で絶対に頑張らなきゃいけない」と話していた❞
引用元:【竹内結子さん、デビュー時に語っていた悲壮な決意 複雑な家庭環境バネにつかんだトップ女優の座(スポニチアネックス)】
竹内結子の出身小学校
竹内結子さんは1986年4月に浦和市立南浦和小学校(現:さいたま市立南浦和小学校)へ入学し、1992年3月に卒業しています。
学校名 | 浦和市立南浦和小学校(現:さいたま市立南浦和小学校) |
---|---|
所在地 | 〒336-0022 埼玉県さいたま市南区白幡1−1−20 |
最寄り駅 | 武蔵浦和駅(JR埼京線) |
公式HP | http://minamiurawa-e.saitama-city.ed.jp/ |
竹内結子さんが南浦和小学校出身であることは、白幡中学校の学区内にある小学校と本人の小学生時代の体操服のゼッケンに書かれている文字から総合的に考えて間違いないでしょう。
白幡中学校の学区にある小学校は下記の4校。
- 浦和市立岸町小学校
- 浦和市立浦和別所小学校
- 浦和市立浦和大里小学校
- 浦和市立南浦和小学校
竹内結子さんの着ている体操服のゼッケンの文字は3文字あり、上記に該当するのは南浦和であることから確かですね。
寄せられたコメントにから入学した小学校が浦和市立新開小学校で1990年に転校したという情報があり、引き続き調査していきます。
竹内結子のあだ名がケツコで家出未遂!
竹内結子さんの卒アル画像を見ると、めちゃくちゃかわいいことで有名だったことでしょう。
なんと、小学生時代のあだ名が結子から『ケツコ』と呼ばれていたんですって!
あだ名とは関係ないと思われますが、小学生低学年のときに家出未遂をしたこともあったんだとか。
なぜか「私はここにいてはいけないんだ!」と感じたらしく、泣きながら歩いていたところを近所の人に保護してもらったそうで、自立心の芽生えだったのかもしれませんね。
ちなみにバレンタインデーの日にチョコレートを好きな男の子に渡そうとしたのですが、チョコレートの誘惑に勝てず、ちょっとつまみ食いをしてしまったそう。
穴の空いた場所を隠すために手紙を添えたんですって!
まだまだ色気よりも食い気が勝っていた時代だったんですね。
幼稚園時代も美人ですがちょっと印象が違います。
女性らしい竹内結子さんですが、幼稚園から小学校高学年まで新体操をしていたんですって!
将来は体育の先生が夢だったそうで、活発な女の子だったんですね。
❝生まれ変われるならば、宇梶剛士さんになって喧嘩をしたい❞とインタビューで語っていたという情報もあり、強い人になって悪を成敗したかったのかもしれません。
竹内結子の学歴一覧・出身地詳細
【調査中】幼稚園 保育園 | |||
---|---|---|---|
入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
浦和市立南浦和小学校(現:さいたま市立南浦和小学校) | |||
入学年月 | 1986年4月 | ||
卒業年月 | 1992年3月 | ||
浦和市立白幡中学校(現:さいたま市立白幡中学校) | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1992年4月 | ||
卒業年月 | 1995年3月 | ||
埼玉県立新座北高等学校(現:埼玉県立新座柳瀬高等学校)普通科 | |||
偏差値 | 44 | 入試難度 | 低 |
入学年月 | 1995年4月 | ||
卒業年月 | 1998年3月 | ||
大学【進学せず】 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | ─ | ||
卒業年月 | ─ |
ここまで竹内結子さんの学歴について見てきましたが、出身小学校が浦和市立南浦和小学校ということから出身地はさいたま市南区でしょう。
さいたま市南区は別所沼公園があるので、竹内結子さんは園内にある釣り場で魚をゲットしていたのかも?
竹内結子さんは小学生の頃から目を引くほどの美少女でした。美しさに甘んじることなく色んな役に体当たりをして来られてきた実績は目をみはるものですよね。
2005年6月に中村獅童さんと結婚し、2008年に離婚したものの2019年2月27日に中林大樹さんと再婚して私生活も充実していました。
これから円熟味を増してますます活躍されることを期待されていたにもかかわらず、2020年9月27日にお亡くなりになりました。
慎んでお悔やみ申し上げます。
あまり芸能関係のこういった事情には首を突っ込まないのですが、、
自分は日本の同級生で誕生日も8日違いの牡羊座です。竹内結子さんはとても優しくて面倒見がよさそうで、凛としていて素敵な方だと思っています。
心でいつもTVに出たときに応援していました。沢山このような悲劇は昔からありますが、何かとても身近に感じていました。少しお茶目で、正義感があって、芯を持っていて、たぶんちょっと抜けているようにも思います。
小さい頃からあまり誰にも頼れなかったのだなーと分かりました。
過酷な家庭環境と過酷な芸能界で、壮絶な戦いをしてきたんだと思います。
色々うわさなどはありますが、素直に思うのは、いいひと、純粋な人、優しい人は本当にこの世界で生きずらいんだなぁ・・と悲しくなります。
もっと世界、社会、世の中の悪と闇が静まって、皆が生きていきやすい世界がないものかと。
この世界から見えなっても、魂と霊は永遠だと信じてます。
来世で平安に過ごせるようにお祈りしています。
経歴、見させていただきました。誕生日は3ヶ月違いですが、1979.4.2~1980.4.1生まれということで小中高の就学年はいずれも同じですね。勿論、小中高はいずれも違い、全く見ず知らずの関係ですが、彼女とは日本全国における1979.4.2~1980.4.1生まれの「同級生」だったりします。彼女の死の報道を聞いた時、知り合いでも何でもない赤の他人の関係なのに、とりわけ寂しく感じ、幼少期の過ごし方を聞くと、このとき私はこうだったなぁ、と自然と考えるような不思議な気持ちになりました。勝手に考えますが、日本全国における「同級生」ということが接点で心が通じ合ったのかもしれませんね。それだけに死はどれも悲しいものですが、日本全国における「同級生」が一人亡くなったということでとりわけ悲しいです。
女優という仕事の大変さは判りませんが、彼女は彼女として公には出せない精神的苦痛が有ったのかもしれません。死の真相は彼女しか判りませんが、仮に死が彼女の心を蝕んでいた精神的苦痛から解放されるきっかけとなったならば、ファンそして「同級生」として受け入れなければ、と感じるところです。逆に死を選ばせないことで彼女をいつまでも精神的苦痛に晒すことは、ファンそして「同級生」として残酷なことをしていることになるでしょう。ただ勝手なお願いとは存じますが正直、女優と言う仕事に精神的にも肉体的に限界を感じられたのであれば、思い切って芸能界引退の決断をして欲しかったです。
10代で芸能界という厳しい世界に足を踏み入れ、そこで国民的女優までに上り詰めて社会に影響を与えた彼女を「同級生」として心から尊敬しています。今度は「伝説の大女優」として芸能界に名を遺すことでしょう。
彼女に向けて日本全国における「同級生」として、心よりご冥福をお祈りいたします。
浦和時代に竹内さんと同じマンションに住んでいました。学区としては浦和市立新開小のはずです。5年生のときに転校したと聞きました。(入学と卒業で違う小学校ということになります。)また、当時竹内さんのお母さんはいわゆるステージママで知られていて、劇団に通わせるなど、娘のデビューを後押ししていて、マンションを引越すときも「東京のほうがチャンスがあるから」と言い残していました。なので、次も埼玉内で転居というのは意外でした。その間にお母様が亡くなられたりとか、いろいろあったのかもしれませんが。。。
生い立ちが複雑ですね。中学生という多感な時期からの孤独感が半端ないのが伝わってきます。それでも早い頃から自立して努力しておられたんですね。
こういった背景を知ったから、見方が変わりました。全くそんなそぶりを見せずに笑顔で生きていたと思うと胸が詰まります。
人一倍幸せになる権利があるので、残されたお子さんやご主人が竹内さんの分も幸せに生きられるように心から願っています。
> なぜか「私はここにいてはいけないんだ!」と感じたらしく、泣きながら歩いていたところを近所の人に保護してもらったそうで、自立心の芽生えだったのかもしれませんね。
過去に実母が他界し、父の再婚で自身が連れ子だったから、自分がお荷物、疎外感があったと告白してる
可哀想に…