イケメンすぎる若い頃の画像や学生時代のエピソードも併せた学歴情報をお届けします!
草刈正雄の出身大学
草刈正雄さんは1972年4月に放送大学・教養学部・教養学科へ入学し、1976年3月から1981年3月の間に卒業しています。
学校名 | 放送大学 |
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学部・学科 | 教養学部・教養学科 |
偏差値 | ─(※放送大学は希望者全員合格のため偏差値なし) |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒261-8586 千葉県千葉市美浜区若葉2-11 |
公式HP | https://www.ouj.ac.jp/ |
草刈正雄さんが放送大学出身であることは、フェイスブックで放送大学バーチャルキャンパスグループを主催している人が「草刈先輩です」と投稿していることから間違いないでしょう。
草刈正雄さんが大学を卒業した年は明らかになっていませんが、放送大学の学則では4年から10年の間に卒業することが定められていますので、1981年3月までには卒業しています。
草刈正雄の大学生時代のエピソード
22歳ころの画像ですが、元祖でありながら草刈正雄さんを超える俳優はいないと言えるほど美形で見とれてしまいます。
これほど目が釘付けになるくらい魅力的なら、ハリウッドでも十分通用したでしょうね。
草刈正雄さんは大学へ入学した頃から女優の野中マリ子さんの俳優養成所『野中塾』で演技を学び、1974年3月9日公開の映画『卑弥呼』で映画デビューしています。(※草刈正雄さんが大学2年生のとき)
【野中マリ子さん】
【卑弥呼】
同年11月2日公開の映画『沖田総司』では将来有望な俳優に送られる『エランドール賞・新人賞』を受賞しました。
草刈正雄さんによって沖田総司のイメージが超イケメンに固定されたとも言われていて、その後のキャスティングに影響を与えるほどだったんですよ。
草刈正雄の出身高校
草刈正雄さんは1968年4月に福岡県立小倉西高等学校・定時制へ入学。
1970年ごろ東京都立青山高等学校・定時制に転校し、1972年3月に卒業しています。(※共に定時制を廃止しているため偏差値なし)
【福岡県立小倉西高等学校】
学校名 | 福岡県立小倉西高等学校 |
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学科・コース | 定時制(2007年定時制廃止) |
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒803-0846 福岡県北九州市小倉北区下到津5-7-1 |
公式HP | http://kokuranishi.fku.ed.jp/Default2.aspx |
【東京都立青山高等学校】
学校名 | 東京都立青山高等学校 |
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学科・コース | 定時制(2008年定時制廃止) |
偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2-1-8 |
公式HP | http://www.aoyama-h.metro.tokyo.jp/ |
草刈正雄さんが小倉西高校出身であることは、2018年2月14日発信の『朝日新聞DIGITAL』でのインタビューで語られていました。
“小倉西高校、今、どうなっているのかな、と無性に恋しくなりました。”
引用元【福岡)北九州無性に恋しい、市制55周年大使の草刈さん(朝日新聞DIGITAL)】
17歳のときにスカウトされモデルになるために上京する際、高校を中退したという噂があるのですが、本当なのでしょうか?
草刈正雄は高校中退!?
草刈正雄さんが高校を中退しているという噂がありますが、中退せずに東京都立青山高等学校に転入学しています。
転校したと分かる理由は、草刈正雄さんと同じ高校に通っていたという人のブログに書かれています。
“草刈さんは、芸能活動を行うために、地方の高校から青高の定時制に転校されてきました。私より3つ歳上で、在学期間が重なっています。”
引用元【高校野球監督会(外苑茶房)】
入学そうそう「定時制に草刈正雄さんがいる」と上級生に告げられたとも書かれていることから、当時の青山高校では草刈正雄さんの話題で持ちきりだったのでしょうね。
草刈正雄の高校生時代のエピソード
17歳で資生堂のモデルとしてデビューした時の画像ですが、まさしく“水も滴るいい男”で、いつまでも眺めていたいですね。
2018年6月26日配信の『バーチャル高校野球』で草刈正雄さんは小倉西高校定時制時代の話をしています。
草刈正雄は高校野球児だった!
テニスが似合いそうな草刈正雄さん(現在の趣味はテニス)は意外にも高校野球児で、昼間働いてから学校に行き授業が終わる夜9時から2時間ほど部活の練習をしていたんだそう。
硬式野球ではなく軟式野球だったのですが、ファーストやライトを守っていました。
1日2時間という決して長いとは言えない練習時間であっても1年生の時にはなんと福岡県代表になり、第15回全国高校定時制通信制軟式野球大会で準々決勝まで進出したんですって!
補欠で代打だった草刈正雄さんの成績は三振だったそうですが、1年生にして代打で出場したくらいですから野球の実力もそこそこあったでしょう。
後日、第15回全国高校定時制通信制軟式野球大会のことは新聞に掲載されたんですよ。
草刈正雄の出身中学校
草刈正雄さんは1965年4月に北九州市立白銀中学校へ入学し、1968年3月に卒業しています。
学校名 | 北九州市立白銀中学校 |
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偏差値 | ─ |
入試難度 | ─ |
所在地 | 〒802-0074 福岡県北九州市小倉北区白銀1-13-1 |
公式HP | http://www.kita9.ed.jp/sirogane-j/ |
草刈正雄さんが白金中学出身であることは、先ほどの『朝日新聞DIGITAL』でのインタビューで“白金中学”と掲載されていたことから明らかですね。
草刈正雄さんが現役中学生のころの白金中学は少し荒れていたようで、当時を知る同窓生の人が書いたブログによると白金中学が怖くて他の中学へ越境通学していた人もいるんだとか。
現在は全く様子が変わり、生徒と先生の仲が良くてアットホームな雰囲気なんですよ。
草刈正雄の中学生時代のエピソード
中学生時代は新聞配達と牛乳配達を掛け持ちして家計を助けていたという草刈正雄さん。実は母子家庭で育ったんですよね。
母親は雑貨の卸会社で働いていましたが、1985年の男女雇用均等法が施行される前の1960年代ことなので女性の賃金も少なかったのでしょう。
草刈正雄さんが働いたお金で家のテレビを買ったという話には、中学生が母親のために一生懸命働いていた姿を想像すると健気で胸が苦しくなります。
中学生の途中で野球部を辞めてしまったと先ほどの『バーチャル高校野球』内で語っていたのですが、野球はユニフォームや道具、練習試合などの遠征にお金がかかるため、あきらめたのかもしれませんね。
また、中学生にもなると恋愛などの話がでてきますが、イケメンの草刈正雄さんなのでさぞやモテたはずですが、女子と話すのは苦手で交際することはなかったよう。
草刈正雄さん本人のみが知らないだけで、実際は学校で一番モテていたに違いありませんよね。
草刈正雄の出身小学校
草刈正雄さんは1959年4月に北九州市立中島小学校へ入学し、1965年3月に卒業しています。
学校名 | 北九州市立中島小学校 |
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所在地 | 〒802-0075 福岡県北九州市小倉北区昭和町16-1 |
公式HP | http://www.kita9.ed.jp/nakashima-e/ |
草刈正雄さんが中島小学校出身であることは、先ほどの『朝日新聞DIGITAL』でのインタビューで“中島小学校”と掲載されていたことから間違いありません。
草刈正雄の小学生時代のエピソード
小学校1年生の運動会の時の画像ですが、1年生にはとても思えないほど大人びています!目が大きくて印象的なのは今も同じですね。
草刈正雄さんが母子家庭で育った理由は、父親がアメリカ軍人で戦死してしまったのが理由であると2011年6月9日号の『文藝春秋』で語っていました。
そのころの画像ですが、ニット帽をかぶって今どきの子みたいですよね。
父親の写真を見ると辛くなるからか母親が全て焼いてしまったために、父親の顔は全く知らないのですが、草刈正雄さんから想像してもかなりのイケメンだったはず。
また、幼い頃に『バービー』というあだ名で呼ばれていましたが、理由はきっとハーフでキレイな顔立ちという理由でついたのでしょう。
草刈正雄さんの個人事務所が『バービーオフィス』になっていることを考えると、お気に入りの呼び名なんですね。
草刈正雄の学歴まとめ!
【未確定】幼稚園 保育園 | |||
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入園年月 | ─ | ||
卒園年月 | ─ | ||
北九州市立中島小学校 | |||
入学年月 | 1959年4月 | ||
卒業年月 | 1965年3月 | ||
北九州市立白銀中学校 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1965年4月 | ||
卒業年月 | 1968年3月 | ||
福岡県立小倉西高等学校・定時制 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1968年4月 | ||
卒業年月 | 1970年ごろ転校 | ||
東京都立青山高等学校・定時制 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1970年ごろ | ||
卒業年月 | 1972年3月 | ||
放送大学・教養学部・教養学科 | |||
偏差値 | ─ | 入試難度 | ─ |
入学年月 | 1972年4月 | ||
卒業年月 | 1976年3月~1981年3月の間に卒業 |
草刈正雄さんは絶世のイケメンでいつも涼しい顔をしているので、幼い頃から新聞配達をして、定時制高校に通っていた苦学生だったとは想像できませんでした。
また、俳優に専念して大学に行かない芸能人も多い中、仕事が忙しくなりだしたにも関わらず、放送大学を卒業したことも驚きでした。
4年間(あるいはそれ以上)もの長い間、仕事と学業を両立させていることに尊敬します。
今や長女の紅蘭さんが妊娠して“おじいちゃん”になろうとしている草刈正雄さん。
そして、モデルとしても女優としても人気急上昇の次女・草刈麻有さんの将来も楽しみですよね!
2017年の60歳を超えても写真集を出せるほどイケメンぶりは健在ですので、これからますますの活躍を期待します!