学歴ロンダリング疑惑についてや意外な人が同窓生だったことなど、他では知れない情報満載でお伝えしています。
古市憲寿の学歴・経歴一覧
まずは古市憲寿さんの学歴と主な経歴を年表形式で紹介します!
ふりがな | ふるいちのりとし | |||
氏名 / 本名 |
古市憲寿/※本名同じ | |||
生年月日 | 1985年1月14日生 39歳 |
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出身 | 東京都墨田区 | |||
身長 | 171cm 血液型 O型 | |||
最終学歴 | 大学院卒 東京大学大学院・総合文化研究科・国際社会科学専攻相関社会科学コース |
年 | 年齢 | 学歴・経歴 |
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1985 | 0歳 | 東京都墨田区生まれ |
父親は公務員? | ||
1991 | 6歳 | 川口市立慈林小学校入学 |
1997 | 12歳 | 川口市立慈林小学校卒業 |
川口市立安行中学校入学 | ||
2000 | 15歳 | 川口市立安行中学校卒業 |
埼玉県立越谷北高等学校・普通科入学 | ||
2003 | 18歳 | 埼玉県立越谷北高等学校・普通科卒業 |
慶應義塾大学・環境情報学部入学 | ||
2005 | 20歳 | オスロ大学に交換留学(2006まで) |
2007 | 22歳 | 慶應義塾大学・環境情報学部卒業 |
東京大学大学院・総合文化研究科・国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程入学 | ||
2010 | 25歳 | 東京大学大学院・総合文化研究科・国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程卒業 |
東京大学大学院・総合文化研究科博士課程入学 | ||
2014 | 29歳 | 『ワイドナショー』ゲストコメンテーター |
2018 | 33歳 | 第160回芥川龍之介賞候補 |
2019 | 34歳 | 東京大学大学院・総合文化研究科博士課程中退 |
第161回芥川龍之介賞候補 |
(※緑文字:学歴 赤文字:印象的な事柄)
東京都墨田区出身の古市憲寿さん。父親は鹿児島県南九州市出身で公務員だという情報があります。
古市憲寿さんは祖父母と同居していたことから、母親は主婦かもしれませんね。
古市憲寿さんには妹が二人いて、後述しますが結婚をして叔父になったことをSNSに投稿しています。
普通な家庭に生まれ、7人家族として育った古市憲寿さん。
そんな古市憲寿さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?当時のエピソードや画像などを現在からさかのぼりながら見ていきましょう!
古市憲寿の出身大学院
古市憲寿さんは2007年4月に東京大学大学院・総合文化研究科・国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程へ入学し、2010年3月に卒業。
2010年4月に東京大学大学院・総合文化研究科博士課程に入学し、中退しています。(※中退時期は調査中)
学校名 | 東京大学大学院 |
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研究科・専攻(修士課程) | 総合文化研究科・国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程 |
研究科・専攻(博士課程) | 総合文化研究科博士課程 |
所在地 | 〒153-0041 東京都目黒区駒場3-8-1 |
最寄り駅 | 駒場東大前駅(京王井の頭線) |
公式HP | http://www.j.u-tokyo.ac.jp/ |
古市憲寿さんが東京大学大学院総合文化研究科修士課程を修了し、博士課程に在籍していたことは、集英社の文芸単行本公式サイト『RENZABURO』のインタビューを受けた際に“東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍”と紹介されていることから間違いありません。
大学院博士課程を中退したことは、『東京大学大学院学則』第27条と第29条によると博士課程の年限(在籍できる期限)は6年で、休学3年をあわせても9年までしか在籍できないことと、期限である2019年3月までに古市憲寿さんのツイッターで博士課程を修了したかについて何もつぶやかれていないことから、間違いないでしょう。
2016年4月2日配信の『BESTTIMES』で古市憲寿さんが『30問30答』というインタビューを受けた時に、東京大学大学院総合文化研究科に進学した理由を語っていました。
大学院に進学しようと思ったのは、大学でお世話になった長谷部葉子先生に「古市くん、東大の大学院に行った方がいいんじゃない?」と言われたからなんだそう。
もともと一般企業に就職をするつもりは無かったのですが、長谷部葉子先生にそう言ってもらうまでは、大学の友人が起業したベンチャー企業に就職するつもりでいたんですよ。
結局、大学院ならベンチャー企業と両立できるだろうと大学院に進学することにしたのでしょう。
しかし、先生に言われたからと言って簡単に東京大学大学院に入れるものでもないので、古市憲寿さんはやっぱり頭脳明晰なんですね!
古市憲寿の学歴ロンダリング疑惑の真相は?
古市憲寿さんは慶應義塾大学を卒業した後に同大学の大学院に進まず、東京大学大学院に進んでいることから学歴ロンダリング(学歴の見栄えを良く)をしているのではないかと噂されていますが、それは違います!
学歴ロンダリングは低い偏差値の学校に行っていたことを隠すために高い偏差値の学校に進学することで帳消しにするものですが、古市憲寿さんは慶應義塾大学に行っていたことから、学歴ロンダリングする必要がないのです。
ですが噂になるにも理由があって、東京大学大学院総合文化研究科の人気がなく、2016年秋には募集をしなくなった(廃科になった)ことから、入学しやすい学科を選んでいたのではないかと誤解されたのでしょう。
古市憲寿さんは大学2年生のときにたまたま履修した小熊英二先生の授業を取ったら面白くてハマった経緯があり、社会学が学べる総合文化研究科を選んだんですよ。
一方、東京大学大学院の人数約3200人は東京大学の人数約2900人よりも300人ほど多く、東京大学から大学院に進学するのは約50%の約1500人と言うことから、外部の大学から約1700人が毎年入学します。
つまり、東京大学に合格するよりも東京大学大学院に合格するほうが容易であるとも言えるので、慶應義塾大学の長谷部葉子先生はそのことを知っていてアドバイスしてくれたのかもしれませんね。
2012年の27歳の時の画像ですが、テレビで見る古市憲寿さんはメガネはかけていないので新鮮に見えますね。メガネをかけていると中性的でこんな女の人いそうです。
古市憲寿さんの修士論文のテーマ名は明らかになっていませんが、2010年8月17日発売の修士論文を元にした新書『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』は2011年新書大賞7位になりました。
本の内容は”世界平和を夢見てピースボート(世界を回ることで国際交流を図る船)に乗り込んだ若者が、同じ考えの仲間と出会えたことで意気投合し、そこに満足してしまって世界平和などどうでも良くなってしまった”というものでしたが、この出版をきっかけにコメンテーターとしてテレビに出演するようになったんです。
修士課程を修了し、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(研究所の研究員) に就任した古市憲寿さんは、他にも2013年に安倍内閣の経済財政動向等についての集中点検会合委員や2014年内閣官房クールジャパン推進会議メンバー、2017年、厚生労働省の多様な選考・採用機会の拡大に向けた検討会委員など様々な役職に就いています。
古市憲寿が炎上発言する理由はアスペルガー?
番組内の古市憲寿さんの発言が度々ネットで炎上していることからアスペルガー症候群ではないかと噂になっていますが、アスペルガー症候群ではありません。
松本人志さんの発言が毎回ヤフーニュースになるほど人気の番組『ワイドナショー』に2014年10月5日放送分からコメンテーターとして不定期で登場していますが、炎上発言を繰り返しているのは発達障害である『アスペルガー症候群』だからではないかと噂されているんです。
確かに発言した内容で不快な思いをする人がいることに気づかないのかと思われる発言はありますが、アスペルガー症候群の“人とのコミュニケーションが取りずらい”という特徴が古市憲寿さんは当てはまりません。
古市憲寿さんには友達がたくさんいて、SEKAI NO OWARIのFUKASEさんが投稿したインスタグラムでもそのことがうかがえます。
友達がたくさんいるということは、コミュニケーションが取れているということとなり、アスペルガー症候群ではないと言えますね。
ですが実際、下記のように耳を疑うような発言をワイドナショーでしています。
- 2014年10月26日放送
「子どもは汚いから嫌い」「男女交際の行為も汚い」発言 - 2015年3月31日放送
アスリート同士の結婚で生まれてくる子どもは運動神経の優れている調査に対し、「なぜ長嶋一茂氏の子どもはダメだったんですか?」と発言 - 2016年1月1日放送
ウエンツ瑛士さんの写真を見て「ハーフは劣化するのがはやい」と発言 - 2017年10月1日放送
「コンビニでは電子マネーを使うべきで、現金を使うのは頭が悪い」と発言 - 2017年11月12日放送
「安室奈美恵を神格化して誉めすぎなのは気持ちが悪い」と発言 - 2017年11月12日放送
「ただの茶髪でめがねを掛けたペ・ヨンジュン1人で韓国ブームになった」と発言
ワイドナショー以外でも2016年『ネット党首討論』では古市憲寿さんが司会を務めていた時のゲスト・小沢一郎氏に「再婚相手は見つかりましたか?」と発言して炎上。その上、小沢一郎氏を激怒させる事態に…。
さらに❝2017年3月にてるみクラブが破産した際の就職内定者をアディーレ法律事務所が全員受け入れたが、同年10月にアディーレ法律事務所が業務停止❞という内容に「内定者の見る目がなかった」との発言には、本来、感情を出さないポジションのアシスタント、海老原優香さんまでも激怒させることになってしまいました。
ここまでで挙げた内容はほんの一部で実際には数え切れないほど炎上しているため、「意図的にしているのでは?」と思ってしまいますが、古市憲寿さんはあえて奇をてらった発言で問題提起をしているのかもしれませんね。
古市憲寿の保育園義務教育化論
古市憲寿さんは大学生院時代に書籍を9冊(単著)出版しています。
2010年8月17日出版『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』
- 2011年9月6日出版『絶望の国の幸福な若者たち』
- 2012年11月22日出版『僕たちの前途』
- 2013年8月7日出版『誰も戦争を教えてくれなかった』
- 2014年4月7日出版『だから日本はズレている』
- 2015年7月1日出版『保育園義務教育化』
- 2016年10月18日出版『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』
- 2017年6月22日出版『大田舎・東京 都バスから見つけた日本』
- 2018年11月19日出版『平成くん、さようなら』
中でも『保育園義務教育化』は日本の少子化対策の解決になるのではないかと問題提起した古市憲寿さん。
元は友達や妹が子どもを産んだことがきっかけで、日本の母親は人権が認められていないのではないかと思ったんだそう。
妹に赤ちゃんが産まれたので会いに来た。嫌いだと思ってたのは、知らなかっただけなのかも(byセカオワ)。 pic.twitter.com/ynpuiKmNFJ
— 古市憲寿 (@poe1985) June 1, 2015
赤ちゃんを見る眼差しに愛おしさを感じて、とても子どもが嫌いだとは信じられませんよね。
3歳までは母親が専念して子育てしないと子どもに悪影響がある『3歳児神話』は1998年版『厚生白書』で合理的根拠がないとされているにもかかわらず、まだまだ根強く浸透していて幼い子供を預けて働く母親は非情であるかのような目で見られてしまう。
保育園義務教育化すれば、必ず子どもを預けることができ、働きたくても働けない母親の環境を改善できると言うものでした。
また、保育園から学習をさせれば、将来高学歴で優秀な人材を増やせ、国家レベルで生産性も高まると言うもの。
教育に税金を投資すれば1億円の税金を納めてくれる人が現れる可能性が高まるが、投資をケチれば1億円の生活保護を受ける人が現れる可能性が高くなるとも語っていたことにはとても共感することができます。
古市憲寿さんは炎上発言は多いけれども正当な社会学者だったんだと認識させてくれました。
古市憲寿の出身大学
古市憲寿さんは2003年4月に慶應義塾大学・環境情報学部へAO入試で入学し、2007年3月に卒業しています。
学校名 | 慶應義塾大学 |
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学部・学科 | 環境情報学部 |
偏差値/難度 | 71/難関 |
所在地 | 〒252-0816 神奈川県藤沢市遠藤5322番地 |
最寄駅 | 湘南台駅(小田急江ノ島線) |
学費 | 初年度:160万円 |
古市憲寿さんが慶應義塾大学環境情報学部出身であることは、慶応義塾大学のホームページに卒業生としてインタビューを受けていることから間違いありません。
SFCは日本初のAO入試(高校までの学業や課外活動などの総合評価と当日の小論文・面接などで合否を決める入試方法)を採用した学校で、古市憲寿さんはそれを利用して入学しました。
世間的にAO入試を軽く見る傾向がありますが、入学してから学ぶ内容は同じ。 古市憲寿さんは一般入試で合格するために塾や家庭教師などのコストを掛けて入学するよりもAO入試のほうがコスパが高いと合理的に考えたのでしょう。
古市憲寿の大学生時代がチャラい!
古市憲寿さんが大学3年生にノルウェーに留学した時の画像ですが、茶髪のメッシュだったとは今とずいぶん違ってかなりチャラいですよね…。
今や社会学者の代表のような立場になっている古市憲寿さんですが、大学2年生までは建築やデザインの授業ばかりを取っていたんだとか。
それがたまたま空いた時間を埋めるために取った『近代史』の小熊英二先生の授業が新鮮だったんだそう。
これまで学んだ歴史の科目について、社会学を通すと違って見えることが楽しくて社会学にのめり込み、埼玉の実家から慶應義塾大学SFCまで片道2時間半の通学時間を使って、社会学の本を読みあさったと語っていました。
古市憲寿さんは大学3年のときにノルウェーに1年留学しましたが、その理由は就活から離れたかったからで、ノルウェーにしたのも勉強が楽そうだったからなんですって!
週3日の授業で予習復習もなく時間に余裕があったことからヨーロッパを旅行しながらの留学生活だったんですよ。
古市憲寿さんの大学の卒論のテーマは『ノルウェーの育児政策』で、留学なので、単に旅行を楽しんでいただけではなく、卒論の内容を練りながら社会見学をしていたということなのでしょう。
同じ留学でも、アメリカコロンビア大学大学院に留学をした小泉進次郎さんは勉強についていくために睡眠時間が3時間だったことからすると古市憲寿さんとはかなり違いがありますね。
友達の多い古市憲寿さんは、小泉進次郎さんとも交友関係があり、「誕生日に小泉進次郎さんがお祝いしてくれた」とインスタグラムに載っていたので、留学時代の話もしていたことでしょう。
古市憲寿の出身高校
古市憲寿さんは2000年4月に埼玉県立越谷北高等学校・普通科へ入学し、2003年3月に卒業しています。
学校名 | 埼玉県立越谷北高等学校 |
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学科・コース | 普通科 |
偏差値 | 66~67 |
入試難度 | 難関 |
所在地 | 〒343-0044 埼玉県越谷市大泊500-1 |
最寄り駅 | せんげん台駅(東武伊勢崎線) |
公式HP | http://www.koshigayakita-h.spec.ed.jp/ |
古市憲寿さんが越谷北高校出身であることは、同校のホームページに卒業生として紹介されていることから、間違いありません。
古市憲寿はホラー小説好き
高校時代はホラー小説を片っ端から読んでいるような学生で、自らのことを“地味な人間”とつぶやいていた古市憲寿さんは、友達に対して恐怖を感じていた様子。
高校生にとって一番興味深い男女交際 について「行為が汚い」と思っている古市憲寿さんと共感できる人はほとんど居なかったと思われますが、卒業アルバムの題名が『友達』であったことに「恐ろしくてすぐに閉じた」とつぶやいていたんですよ。
高校の卒業アルバムの題名が「友達」。恐ろしくて、すぐに閉じた。
— 古市憲寿 (@poe1985) January 3, 2013
自分と意見が違うことに違和感がある恐ろしさは感じないと思いますが、高校生の時から炎上するような発言は顕在だったのかもしれませんね。
いっぽう大学入試や受験勉強のことについて2016年4月配信の『BESTTIMES30問30答』で語っていたのですが、古市憲寿さんが慶應義塾大学環境情報学部を選んだ理由は“いろんなジャンルが網羅されていて自由が利く”と言うことでした。
法学部や経済学部など専門性の高い学部に入学してしまうと途中から変更することができませんが、慶應義塾大学環境情報学部は色んなジャンルが網羅されている=事実上学科がないので、自由が利くことに魅力を感じたんだそう。
古市憲寿さんは合理的に物事を判断できる人なんですね。
AO入試で有利になるためには受賞歴が大事だとコンクールを探していたのですが、作文や論文になると文字数をたくさん稼がないといけないので、『詩』を選んだんだとか。
古市憲寿さんはコストパフォーマンスを重視しますが、最小限の労力で最大の結果を得ようとする姿勢がここまで徹底されていると、清々しく感じますよね。
ちなみに4年後輩に佐藤健さんがいるのですが、ひんぱんに会って食事をするんですって!
願いが叶うのであれば、古市憲寿さんと佐藤健さんの食事に同席してどんな話をしているのか聞いてみたいですね。
古市憲寿の中学校
古市憲寿さんは1997年4月に川口市立安行中学校へ入学し、2000年3月に卒業しています。
学校名 | 川口市立安行中学校 |
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所在地 | 〒334-0057 埼玉県川口市安行原2221 |
最寄駅 | 戸塚安行駅(埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線) |
古市憲寿の小学校
古市憲寿さんは1991年4月に川口市立慈林小学校へ入学し、1997年3月に卒業しています。
学校名 | 川口市立慈林小学校 |
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所在地 | 〒334-0071 埼玉県川口市安行慈林356 |
最寄駅 | 新井宿駅(埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線) |
古市憲寿の中学校・小学生時代は不登校
小学校・中学校は不登校気味で、学校に行きたくなかったと『30問30答』で語っていたのですが、勝手に決められたクラスメイトと仲良くしなければならない理不尽さに違和感を持っていたんだそう。
公立小学校・中学校の場合は地域と生まれた年だけで区切られているので、気の合う友達がクラスにいればいいですが、古市憲寿さんのように異色の人には苦痛でしかなかったのでしょうね。
小学校5年生になると「学校を自分の居心地の良い場所に変えれば良いのではないか」ということに気づき、クラスの意識をコントロールする方法を考えついたんだそう。
それは当時のクラスで良い行いをした人に発行する“ポイント制”を利用して、クラス新聞にネタを提供してくれた人にもポイントを発行することを許可して欲しいと交渉しに行ったんだとか。
そうして古市憲寿さんは新聞係になり、ポイントを発行できる立場を得、クラス内世論を操作できるようになったんですよ!
大人でも世論をコントロールしようと思える人は少ないのにもかかわらず、小学生でやってのけるとは伝説になりえると思います。
クラス内を操作できるようになってはいましたが、それでもまだ学校に行く意味がないと思っていました。
それは学校には行かずとも、春休みに1年分の教科書の読み込みとワークは済ませていたので、たまに登校してテストを受けても学年トップになることもあったんだとか。
教科書を読んだだけで全て理解できてしまっていたら、学校に行く意味がないと思うのは当然でしょう。
古市憲寿の学歴一覧・出身地詳細
ここまで古市憲寿さんの学歴について見てきましたが、出身小学校が川口市立慈林小学校の可能性があるということから出身地は川口市大字安行慈林付近でしょう。
川口市大字安行慈林は慈林稲荷神社があるので、古市憲寿さんは初詣にお参りしていたのかも?
古市憲寿さんの言動があまりにも直球過ぎて炎上に次ぐ炎上を引き起こしていますが、よくよく聞いてみるとちゃんと筋が通っていて「なるほどな!」と思わせる事が多々ありました。
同じ内容でも言い方で伝わり方が全く変わり、普通の表現であれば印象に残らないため、古市憲寿さんが伝えたいことが少しでも人の心に残るように、あえて炎上させているのかもしれません。
多方面からのバッシングにも負けず、炎上しつつも❝的を射たコメント❞に期待しています!
AOがズルとか言ってる奴さ、結果が全てだろ。過程なんか誰もみてない。簡単なやり方ならそれを真似すれば良かっただけの話。主観と客観を混同するなよ。ガキじゃあるまいし。
AO叩いてる奴見苦しいぞ
慶応行けなかったからって負け惜しみすんな
批判とみせかけて擁護するためのまとめサイトがある時点でねw
所詮AO入試なのに、ここまでこの男を持ち上げる論調がキモい。
小学校は慈林小学校
中学校は安行中学校